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アルテナの箱庭が満ちるまで  作者: 赤野用介
短編 錬金術師の雛鳥たち
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短編 錬金術師の雛鳥たち

 幼い頃の記憶で、最も鮮明に覚えているのはこの言葉だ。


 『インサフ帝国が滅びた』


 当時5歳だった俺は、5歳児としての知識ではなく、知識を持つ大人たちの顔色を窺う事でどれほどの事が起きたのかを理解した。

 驚愕、絶句、茫然、唖然……。

 間を置いてすら事実を受け止めきれない大人達を見て、大人達全員ですらどうしようもない事が起こったのだと言う理解の仕方だった。

 今振り返っても、5歳児が今後を生きるために適切な理解の仕方だっただろう。


 事実、俺は現実をすぐに受け入れる事が出来た。

 例えば感染病の罹患者を殺して焼き払う事も、アンデット化しないように死体の首を刎ね落とす事も、生きるためには必要な措置だ。俺が渡り歩いて来た難民キャンプの路肩には、焼却済みの首なし死体がいつも山積みになっていた。

 最初は感染を防ぐためのトイレの作り方、汚染水の濾過方法、支援物資獲得のための情報収集など基本的な事を覚えたが、やがて避難した都市に対する集団での圧力の掛け方や、騎士が出て来た時の逃げ方などを学んでいった。

 出身国を誤魔化して優遇措置を受けるやり方、新たな難民を魔物の餌にして逃げる方法、支援物資の二重取得、コミュニティを作っての略奪からの自衛、他人からの物資の奪い方。全て生きるために学んだ。そうしなければ死ぬのだ。

 生きる事は悪だろうか。

 俺は悪だとは思わない。

 現に動物は餌の奪い合いではないか。

 国や社会が崩壊した上で理想論を唱える人間は現実逃避だ。

 そう言う人間は、インサフ帝国が滅亡したと聞いて「そんなバカな」といつまでも現実を受け止めきれなかった大人達を見てよく知っている。


 生きよう、生きよう、生きよう。

 生きる為に最善の選択肢を選んできた。

 俺たちにとって情報は生死を明確に分ける。ベイル王国の難民支援が厚いと聞き、俺たちのコミュニティはベイル王国への避難を選んだ。

 俺から見てベイル王国は、とても愚かな国だった。

 どこが愚かしいかと言うと、難民支援に長期の計画性が無い点だ。

 可哀想だと助けて、支援の力が不足して行き、やがて支援物資が減って難民からも民衆からも不満が出てくる。それでも他の国に比べて難民への支援が行き届いているので俺たちは留まる。

 ベイル王国は、やがて滅亡するだろう。


 (次はリーランド帝国に逃げて、そこからもっと西へ逃げなければならない)


 そんな事を考えていた矢先だった。


 ……言葉にするのが馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。

 これまでの経緯を無視しないで欲しい。いや、無視して解決してくれていいのだけど。


 曰く、攻め込んでいた獣人軍団が9割以上の大損害を受けて消滅した。

 曰く、人間が勝てるはずの無い軍団長や大隊長が全て討ち取られた。

 曰く、人口25万人規模の第五宝珠都市が2つも同時に出現した。


 そこまでは良い。いや、本当は良くないのだけれど無視して話を続ける。


 曰く、全ての難民に第五宝珠都市の都市民権を与える。

 曰く、全ての難民に衣食住と仕事を与える。

 曰く、大減税と民へのサービスの激増を同時に行う。

 曰く、学校無償化と給食制度を実施する。


 何を言っているんだこの国は。

 俺たち家族は5人全員が都市アクスの都市民権を獲得し、父は少ないながらも収入を得る仕事を始めた。


 曰く、宰相代理がディボー王国の獣人軍団長まで討ち取って来た。

 曰く、錬金術学校を開校し、生徒に対しては授業料無償かつ生活費補助を行う。


 ああ、もう理解できない。

 この国では難民が全く差別されておらず、能力が高ければ将軍にでも上級の役人にでも取り立ててもらえる。

 俺は錬金術学校に受かり、教育を受けながら生活費補助で家計を支え始めた。妹と弟は無償化された学校に通い、給食によって家計を助け始めた。

 やがて特待生になった俺の家は、1日3食の食事に困る事が無くなった。




 今の生活から難民に戻りたいかと問われれば、俺の答えは当然否だ。

 最初は飢えから逃れるため、落第しないように錬金術学校を卒業して公務員になる事が目標だった。

 だが錬金術学校に入る頃には、ベイル王国から与えられた恩を返せるくらいの役人になろうと思っていた。

 あれから2年が経った。


 俺は『努力をしてきた』と胸を張って言える努力をしてきた。

 スタートラインの入試では最低の50点だったが、専攻の属性鉱石の製錬・加工に関しては特待生の中でも5指に入る程度の位置に居る。

 そんな中、俺は学校長に突然呼び出された。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 バダンテール歴1262年3月。

 3年制の錬金術学校において、3学年が揃う日が間近となっていた。

 第一回生たちは来月ついに最上級生となる。彼らにとってはいよいよ錬金術学校の生徒としての最後の年だ。

 アクス錬金術学校の開校からわずか2年間で、予想を大きく上回る成果が生み出された。



 属性鉱石の製錬・加工分野においては、秀才のリオン・ハイムが他の生徒を引っ張りながら高度な義肢を生み出し、それを月単位でさらに発展させている。

 それを生み出した技術自体も医療系の器具に応用可能であり、ついに王国の支援が入って大規模な医療器機・器具開発研究所が作られる事になった。特待生達のうち何人かは、卒後そちらの研究所で働く予定となっている。



 輝石の精錬・変質分野においては、奇才のウィズ・ハルトナーがスキルを用いない信号弾を創り出してしまった。

 今はその実用化に向けて取り組んでいるところだが、同研究室に所属する天才アニトラ・ベルンハルトが技術の応用で火災に対する瞬間消火弾を生み出してしまい、輝石研究室は処理能力を越えて半ばパニックとなっている。



 特殊繊維の精練・付与分野においては、剣を通さない服の開発が推し進められている。

 逸材だらけの研究室でもユティサ・リーチ、ニーナ・ジルクス、リコリット・ホーンの3人は互いに競うように高い成果を挙げており、王国は彼女たち全員に高待遇を示して研究の継続を求めている。

 また、同研究室ではフィリオ・ランスケープとダビド・エア令息が業務提携した。エア家が自領で土地や労働人員を確保して政策上でも優遇し、ランスケープ工房が蓄積した技術を用いて共同で新しい布素材を用いた商品を開発・王国西部全域に向けて販売していくとの事だ。



 植物からのマナ抽出・調合分野においては、高品質な回復薬やマナ回復薬が続々と生み出されている。

 元々、錬金術師グラート・バランドにはその分野での蓄積があった。そのデータを用いて都市アクスで大量生産を開始するだけで良いのだ。これでは成果が出ないはずが無い。

 その他にもタニア・ジャニーが創り出した錬金術を用いた各種の香水は有意な安眠効果が立証された。また、トト・クワイヤが開発した沈痛効果の高い薬品は副作用が少なく、手術に用いる事が出来るレベルである事も判明した。



 これらは国内に3つある錬金術学校の一つ、アクス錬金術学校でのみ生み出された技術だ。当然残る2校でも高い技術が生み出されている。

 一部の技術は国が保持し、即座には公表されない。

 だが実用化される分野だけでも、もうすぐ周辺国の技術レベルが変わるだろう。


 生徒達の進むべき道が次々と定まっていく。

 そんな中、属性鉱石の製錬・加工研究室に所属するアーナリー・サンドライトは、学校長ローデリヒ・ベルガーに呼び出された。

 呼び出しを受ける心当たりは無いが、呼び出されたからには行かなければならない。

 何せ相手は学校長で、しかもアーナリーは授業料無償かつ生活費補助を受けている。学校長が退学処分に出来ないのはおそらく爵位貴族家の生徒だけで、アーナリーはもちろん爵位貴族家の出身では無い。無視する理由も勇気も無い。

 かくしてアーナリーはベルガー校長と校長室で向かい合う事になった。


「来たか。そこに座り給え」

「はい、失礼します」


 ベルガー校長が指し示したのは、校長室にある応接用のソファーだった。

 黒塗りの机と革張りの椅子4脚はアーナリーの目から見て高級そうではあるが、残念ながら高級品を見慣れていない為に価格を推し量れるほどの鑑定眼は備えていない。

 だが、来客するアクス侯爵や貴族家の人間を思い浮かべればまだ安い方なのだろう。

 アーナリーにとっては勿体ない椅子ではあったが、それでもベルガー校長に言われたとおりに椅子に座った。

 ベルガーは向かい側に座って、アーナリーと向き合った。


「さほど緊張もしていないようだし、単刀直入に話した方が良いだろう。君の出自・家族構成・家計・錬金術に対する態度・情熱・そして目標は大まかに調べた」

「…………そう言えば、担当のギレス錬金術師から進路や目標を聞かれた事がありました。校長先生のご指示だったんですね」

「役割と言うものがあってね。彼にも、私にもある。国策で創設された錬金術学校が、何の目的も意図も持っていない訳は無いだろう」


 笑みを崩さずに断言したベルガーに対し、アーナリーは成る程と頷いた。

 これほどの行為が、単なる無償の施しの訳は無い。そんな事に使うくらいなら、獣人対策の為に騎士装備の充実や兵器の配備に金を掛けた方が国の為だ。

 すなわち錬金術学校には、騎士装備に金を掛ける以上に優先順位が高い何かがある訳だ。


「ようやく恩返しが出来そうですね。俺の実力が、要求に対して足りているのか不安ですが」

「全く問題ない。それと、やって欲しい事は君の卒業後になる。3校から秘密が守れそうな者を集め、信頼度や実力に応じて割り振る。後戻りは出来ないが、良いかね」

「はい。それと、家族に仕送りは出来ますか」

「充分に。君はアクス錬金術学校で得た知識を開発に反映させ、秘密を外部に漏らさなければ良い。もっとも、一人が知り得る情報が漏れても再現は不可能だろうがね」

「校長先生の予想で良いのですが、ソレの完成はいつ頃になりそうですか?」

「………………」


 錬金術師ベルガーの知識では、計画自体が無謀だった。

 発案者が錬金術学校を創設した先見の明があるイルクナー宰相代理で無ければ、ベルガーは笑って聞き流しただろう。

 だが既に竜素材が続々と集められ、時間のかかりそうな加工はとっくに行われ始めている。中核部分は全てイルクナー宰相代理自身が発案しており、ブレッヒ錬金術学校ではその実用化に向けた開発が着実に進められている。


「4年……いや、もしかすると3年だろうか。量産できる材料や生産体制は、整いつつある。宰相代理が錬金術学校を創設した目的は最初からソレだ。そして課題は中核部分だけだ」

「中核部分ですか。俺たちはそれを作る為に、膨大な予算を投じて集められた訳ですね。ちなみにソレは、何をする物ですか?」

「君は、何だと思うかい」

「国の優先順位を考えれば、対獣人帝国向けの画期的な兵器でしょう。攻撃か移動。バダンテール様がお造りになられたゴーレムのような兵器でしょうか」

「素晴らしい発想だ。ところでサンドライト君、かつて偉大なるバダンテールは数多の道を造り出し、そして人々にこう告げた。『私は数多の道を示したが、正しい道なるものは示していない。望ましい道とは、皆がそれぞれに悩み見出すものである』と」

「有名な言葉ですよね…………続きをお願いします」

「完成すれば、1260年以上の時を経てついに新しい道が生まれるのだよ。天空に」


 インサフ帝国が滅亡したと聞いた時、大人たちはアーナリーの前で茫然・愕然・唖然とし、次いで絶句した。

 もしその頃の5歳児アーナリーが11年後の自分を見たら一体何と思うだろうか。

 だがアーナリーはあまりの衝撃の大きさに、咄嗟に言葉を紡げなかった。

 これが絶句と言うものかと感じ、だがインサフ帝国を失った大人達が体験した絶句とは真逆のベクトルの衝撃である事も理解した。


 よくぞ自分を選んでくれたと思う。

 役人になって不慣れな仕事を行うより、こちらの方が遥かに貢献できそうだと感じた。

 それと同時に学ぶべき事が増えてしまったと感じた。

 リオン・ハイムの高度な加工技術や、ウィズ・ハルトナーの輝石混合技術、アニトラ・ベルンハルトのエネルギー抽出技術など、アクス錬金術学校には先方へ持ち込めば確実に重宝されるであろう技術が揃っている。


 (時間が足りない。卒業までの1年でどれだけ学べるか)


 だがアーナリーは、かなり困難な状況にも関わらず笑っていた。

 今こそ確信を持って断言できる。受けた恩を返す時が来たのだと。

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