短編 2つの転換期 その後
最初に訪れたのは、昨夜から王都全域に降り注いでいた雨音の消滅だった。
ザアアアアッと土砂降りの如く降り注いでいた雨音が何の前触れも無く止み、王都ベレオンに静寂をもたらした。
突然訪れた無音の世界に人々は戸惑い、あわてて窓から外を眺め出す。
すると先程まで新たな波紋を作り続けていた水溜りの水面が穏やかに波打ち、やがてそれすら無くなって天空の黒い雨雲を映し出した。
王都の空いっぱいに広がった黒い雨雲は相変わらず停滞を続けており、それを見た人々は一時的に止んだ雨が再び振り出す事を確信したのだが、その次の瞬間に彼らの確信は驚愕へと劇的に変化した。
天空の雨雲が2つに、4つに、無数に割れ始めた。
「うわああああっ!?」
「おおおおっ!」
上空に広がる雨雲が突然無数に裂け始め、その無数の合間から太陽の日差しが王都へ次々と降り注いできた。
いや、人々が普段目にするような太陽の光ではない。
それは口に憚るのも恐れ多い事ながら、まるで世界に金の光が降り注いで来たかのような体感だった。
身体がとても暖かい。
まるで身体に溜まった闇がその光で浄化されていくよう、あるいは生命力が溢れて来て満たされるような感覚があった。
その間にも光は雨雲をどんどん侵食し、雨雲を完全に消し去って王都全体へ光を降り注ぎ始めた。
「これは一体どういう事だ!?」
王城のサロンから天空を見上げて茫然と呟くエア男爵に、先程まで共に談笑していたイルゼ子爵も咄嗟に返す言葉が無かった。
そんな二人を眺め、ダビド・エア令息は軽く頷いてから二人に声を掛ける。
「イルゼ子爵、父さん、大広間に向かいましょう。ジルベール義兄さんとルーナも」
「はい、ダビド様」
「いやダビド君、俺はこの不可思議な現象を目に焼き付けておきたい。現王家がどれほど都市を創り出した神に祝福されているのかを」
ダビドの言葉に婚約者であるルーナは即答したが、ルーナの実兄であるジルベールは否と答えた。
ベイル王国の爵位貴族家当主を継承する嫡男として二人はすぐに大広間へ駆けつけなければならない。だが目の前の奇跡は、確かに義務を一時保留するに足るほどの想像を絶する光景であった。
「そうですね。では、もう少し見ておきましょうか。ところで僕は、この現象の原因がイルクナー閣下であると考えているのですが、義兄さんはどう思われますか」
「都市ベレオンを生み出した神の祝福は現ベイル王家にあるはずだ……が、アンジェリカ次期女王殿下がご誕生あそばされた際にもこれほどの記録は無いな。ダビド君の推論が正解だとすれば、宰相代理閣下の統治内容か。しかし俺は、現行政治が必ずしも正しいとは思わない。では何が原因だ」
ジルベール・イルゼ次期子爵が王城のサロンから眼下に見下ろす王都では、天空から降り注いだ光が溜まって溢れ出し、見えない洪水となって王都全域を覆い始めていた。
理解し難い強大な力が生み出す奇跡を前に、常は理を以って判断するジルベールですら圧倒されずにはいられなかった。
「二人とも、先程から何を言っておるのだ」
暫く呆然としていたテルセロ・エア男爵が気を持ち直し、二人の青年貴族に問い質した。
その問いに二人は揃って答える。
「「王国に、新たな殿下がご誕生あそばされたのですよ」」
バダンテール歴1261年10月2日。
豪雨のち、金色の洪水。
ベイル王国史上で前代未聞の天候となったその日、アリシア・ベイル王女が誕生した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鮮やかに彩られた城下町の大通りでは、趣向を凝らした盛大なパレードが行われている。
最初に大街道と繋がる大門から入場して来たのは、どちらかと言えば老練の域に達した騎士達だった。彼らは派手に飾られた軍馬に跨り、左右に旧騎士装備を纏った徒歩の冒険者達を従えながら王都を練り歩く。
騎士の数は200名程で、冒険者は800名程だった。
老騎士達は国策の祝福上げの対象から外れた者達で、常日頃は後進の指導にあたっている。そして旧騎士装備を与えられた新しい冒険者達はベイル王国の次代を担う若者たちだ。彼らには冒険者協会を通してパレード参加依頼が出されている。
人々はその光景を見て、世代交代を強く意識した。古き騎士たちは退き、若者たちが新しい時代へと突き進んで行く。
アリシア王女は、ベイル王国の新しい時代を輝かせる光の象徴だ。
これまでは病症に臥せって久しい国王の後継足り得る存在がアンジェリカ次期女王しか居なかった。
人は病にかかり、不慮の事故にも遭う。魔物に襲われる可能性もあり、あるいは戦で命を落とす事もある。そして王族ならば暗殺の対象となる危険も平民とは比較にならぬほど高い。
王の後継者候補が一人と言うのは、万が一の場合に取り返しがつかなくなる。アルテナに誓約する王族位は貴族が軽々しく継承できるものではない。
だが、アリシア王女の誕生によってとりあえず1世代を永らえる事が出来た。王国民はその事に安堵した。
古騎士たちと次代を担う新人冒険者たちは、まさにその象徴であった。彼らは華やかな音楽と共に王都の人だかりの間を練り歩いていく。
その時、突然音楽が変わった。
ゴーン、ゴーンと勇ましい鐘の音が都市内に鳴り響き、一旦閉じた大門が大きく開いて行く。
直後、青色信号弾が都市外から王都上空へ次々と打ち上げられ始めた。
何事だと人々が振り向いた大門から、先程の老騎士たちと全く違う新式装備のベイル王国騎士団が入場を開始した。
輝石を埋め込んだ強力な新式武器を掲げ、背に遠距離用の新式クロスボウを背負い、やはり高性能な鎧や盾を纏った騎士達が、真新しい馬具を付けられた立派な軍馬に跨って大門から都市内へ整然と行進してきた。
1個騎士団の編成内容や祝福数の規定は、現時点ではそのままだ。
団長1名、副団長2名、隊長と副隊長あわせて30名、騎士60名、合わせて93名で1個騎士団としている。
かつて金狼のガスパールとその軍団によって減じられた騎士団の回復は、現時点においても国防の観点からは最優先の命題である。
ハインツは手っ取り早く徴兵制を完全撤廃して巨額の予算を確保し、国家に所属していなかった王国出身冒険者たちを高待遇かつ高性能装備で騎士に取り立てる事で数と質を確保した。
そして冒険者が減った分手薄になるであろうモンスター対策に国外から傭兵やフリーの冒険者を招いてあたらせ、根本的な解決策として使い物になる冒険者自体を増やすべく初心者サポートに乗り出した。
また、才ある冒険者ならば国籍や出自を一切問わず高待遇で誘いを掛けて招き入れた。
「初心者ならハインツさんの所へ行け」と言われていたハインツが、国家権力を用いて本気で回復させた騎士たちが続々と入場してきた。
入場して来た騎士団が3つを越えたところで、人々は王国が獣人軍団に攻め込まれても長く保てるだけの戦力を取り戻したのだと安堵した。
5個騎士団が入場して来た時点で、インサフ帝国が健在であった頃にトラファルガへ送り込んだ全盛期の戦力に匹敵する程にまで回復していたのかと驚愕した。
いや、装備がインサフ帝国へ送り込んだかつてとは比べ物にならない程に高性能だ。軍用馬車に据え付けた大型弩砲部隊まで同行させている。
騎士の祝福数だってそうだろう。現在の騎士団は、大祝福を越える騎士ですら階級はともかく役職では副隊長に成れない騎士もいる。つまりそれだけ騎士団に大祝福を得た騎士が増えて来たという事だ。都市アクスでの騎士団合同祝福上げによって騎士の祝福数は飛躍している。
適切な後方支援として回復剤や治癒師による回復、あるいは途切れの無い補給や都市外にあっての安全な休息の確保。高性能な装備や予備の武器、罠、魔物の組織的な誘い込み、輸送の為の人員確保、卑怯と言われようとも騎士にそれらを行わせる説得など、ハインツは騎士の『祝福上げ』に必要と思われる行動を何一つ惜しまなかった。
他の誰に出来なくとも、NPCのハインツさんと呼ばれた彼には祝福上げに必要な全ての行動が容易に出来た。
人々は悟った。
今こそが最盛期と言われたトラファルガ攻防戦時代の戦力を上回り、ベイル王国軍の全盛期となっているのだと。
騎士団の入場はその後も続き、結局老騎士の2個騎士団と、新鋭の6個騎士団の合わせて8個騎士団が王都へ入場して来た。
もはや呆れるしかない。
数々の政策と王国の大発展により、イルクナー宰相代理が獣人軍団長を討ち取った戦場の武人に留まらない事はもはや子供でも知っている。そんな宰相代理が、まさかエルヴェ要塞に充分な軍を置いていない筈が無い。そして手持ちの軍を全て見せた訳でもあるまい。
すなわちベイル王国には、最低でも10個騎士団が存在していると言う計算になる。
いや12個だろうか。だが見せていない騎士たちは、祝福上げの最中だろうか。元難民の冒険者や他国の冒険者までも引き込んだのか。他の都市は冒険者や治安騎士たちが守っているのか。人々は我が目を疑いながら、大騎士団の行進を見送った。
金狼のガスパールとの王都決戦から、既に3年が過ぎようとしていた。
何も変わったのはベイル王国だけでは無い。
ディボー王国のオルランド宰相が持つ政治の才覚はハインツを大きく上回っている。
オルランドは、知り尽くした前例をいくらでも応用してさらに高度に再構築できる構想力や、前例が無くとも新しいものを実用可能なレベルで創り出せる天才的な発想力など常人では到底持ち得ない能力を持っている。
しかもオルランドの才覚は政治だけに留まらず、魔導師としても祝福47に達し、錬金術師としても真理に辿り着いた賢者として多方面で巨大な成果を残している。それらの才能が彼の政治的才能と結び付く化学反応はハインツの予想を上回る。
だがハインツには、オルランドには無いジャポーンでの先達冒険者たちから得た数多の知識とリカラから受け継いだ冒険者に対する情熱があった。
ハインツがそれら自身の得意分野を政治に結び付け、苦手分野はメルネスやアドルフォなどの力を借りる事で、ベイル王国はここまで辿り着いた。
「見事なものですな」
大騎士団の行進を逃さず観察したオルランドが呟いた言葉は、彼の偽らざる本心だった。
今ベイル王国とディボー王国が全面戦争を行えば、オルランドが策を用いても3年ほどでディボー王国が飲み込まれるだろう。
もちろん、そのような事には絶対にならない。
勝てない場合は、戦争に至らしめないのが政治家に求められる手腕である。オルランドがディボー王国に居る限り、ベイル王国と戦争になる事は無い。
それはハインツとて同様だ。
獣人帝国、リーランド帝国と容易ならざる相手に囲まれている中で、この上どうしてディボー王国まで敵にしなければならないのか。
ちなみにスパイ合戦は、二人にとっては呼吸に匹敵する常識的な活動である。むしろ相手の情報収集をしない組織の方がまともな組織では無い。
リコリット・ホーンの一件は、幕間にハインツがベイル王国に引き取る事でアッサリと決着した。
リコにとっては自分の人生が掛かっているが、数百万人が住む国家の命運を掛けている二人にとっては彼女の人生はあまりに些事な事柄だ。交渉すら時間の無駄と言わんばかりに、ハインツがリコの身柄と安全を要求するとオルランドはどうぞと答えて終わった。
ハインツもそれ以上は追及しない。ハインツ自身もディボー王国にはスパイを入れているし、二人はお互いに必要に応じていくらでも帳尻を合わせられる。今回はそれよりも重要な事がある。
フランセット女王が同席した国家間交渉が始まり、やがてベイル王国とディボー王国の交渉がまとまった。
ディボー王国にとっては、獣人帝国から侵攻を受けた際に即座に頼れる国は隣接しているベイル王国しか無い。
ベイル王国にとっては、獣人帝国と交戦する際にリーランド帝国からの干渉を受けないようにしたいという思惑がある。
お互いに相手の国が健全な状態で在ってくれた方が良いのだ。
ではなぜこれまで手を結ばなかったのかと言うと、お互いにこの瞬間が最良の時期だったと言うだけだ。
オルランドにとっては、フランセット女王が成人して女王としての意思を示した時期と、ベイル王国のアンジェリカ次期女王が出産すると言う関係改善の口実にちょうど良いタイミングが重なったからだ。
ハインツにとっては、リーランド帝国に対する布石だった。世間的には、アリシア王女誕生に伴う柔軟化と思わせる事が出来るのでちょうど良い目くらましになる。
フランセット女王の提案内容と、その他にもいくつかの交易に関する事柄を定めて公式交渉は終わり、その後オルランドとハインツの二人は最低限の人数で非公式会見を何度か行った。
お互いに女王陛下や次期女王には聞かせられない、本当の貿易交渉や国家の後ろ暗い部分に関する線引きなどである。
オルランドとハインツの二人にはこれまでも暗黙のルールや不文律がいくらでもあったが、同盟関係の成立によってどの程度ルール変更するかを探る必要があった。
もしそれらの具体例を挙げれば、大抵の人は呆れるだろう。リコのスパイ活動など生易しいほどの活動がいくらでも行われていたのだ。
それらの制限や、あるいは最初から相手が欲しいものを交換条件で譲ってしまうなどによって互いに無駄な資金や人員を使わずに容易に結果を得られるようになる。
別々の国で需要と重要度が同一ではないのだから、互いが同時に得をする妥協点は必ずある。即断できる二人が話せば話すだけ無駄が省けて効率が良くなり、余剰分を他に回す事が出来るようになる。
アンジェリカ次期女王とフランセット女王が友誼を結んでいる間、裏方は裏方の仕事を着々と進めた。
バダンテール歴1261年10月。
ベイル王国とディボー王国の軍事同盟が締結され、周辺国へ広く公表された。