短編 2つの転換期★
バダンテール歴1261年8月。
無敗のグウィードを撃破して2年の歳月が流れたディボー王国は、フランセット新女王とオルランド宰相の新体制の下で劇的な復興を遂げていた。
★地図(ディボー王国周辺)
復興とは、何らかの要因によって衰えてしまったものを以前の状態に戻す事である。
物資流通や生活様式の変化によって衰退したものは兎も角として、自然災害や戦争を原因として衰えたものを復興させるには2年もあれば事足りる。
復興には手順と言うものがある。
1番目に行う事は、大量の人員と物資とを投入して復興を妨げる環境要因を残らず取り払う事である。
具体的には権限を持たせた現地本部を立ち上げ、移動を阻害している道路のガレキなどを大規模な人員に継続して取り除かせて交通手段を即座に回復させる。それ以外にも個人の作業で容易ならざる阻害要因は、大規模な人員で一気に解決してしまう。
2番目に行う事は、農業や産業に従事する者たちの生産活動を行う環境を回復させる事である。
農具を失ったならば農具を、苗が無いなら苗を、馬車が無いなら馬車を与える。愚かな国と民ならば平等云々を訴えてこの時点で躓くが、本当に復興をさせる気があるのならばこれは必要な事である。
3番目に行う事は、物資の支援を減らして現地で調達せざるを得ない環境にする事である。
衣食が無償で提供され続ければ、誰が現地で金を出して買うというのか?それでは現地の農業や産業はいつまで経っても回復しない。金だけ与え、極力現地での経済流通を復活させる。
オルランドが為すべき事は、正常な判断が出来る者を現地本部の指揮官として任命し、まとまった本部要員と巨大な権限と自由な予算を与え、オルランド自身は後方支援に徹して現地指揮官からのあらゆる要求に迅速に応じ、1ヶ所で発生した不都合に対する対策あるいは復興の工夫を全都市へ即座に共有化させる事であった。
復興の工程が遅れ、あるいは躓いている分野はオルランドが報告を見て介入する。それで2年もあれば、現地での経済活動は8割方復活している。ここで無理に9割にしようとしても効果はさほど上がらない。これ以上は時間経過による従事者の熟練で解決する問題である。よってこの時点を以って復興作業は終了である。
復興に用いる資金には溜め込んだ財が、人員には戦後で手の空いた軍と権利を引き上げた難民が、そして総指揮官には宰相就任以前に30年余りも内務卿の地位に在ったオルランドがいた。
ディボー王国は2年間で復興を完了し、分野によっては戦争以前よりも遥かに栄え、戦災をすっかり過去のものへと変えてしまった。
オルランド宰相にとって、政治など分かり切った数式を解くに等しい。むしろ問題は方程式の分かり切った政治ではなく人間の方にあった。
とりわけ上司であるフランセット女王と、隣国のイルクナー宰相代理の二人に関しては影響が多大な上にオルランド自身の判断に基づく臨機応変さが求められ、方針を定めて誰かに委ねるような事が出来ない。
今月ようやく15歳の成人を迎えたフランセット女王陛下、彼女は常人と比べて取り分け優秀でも愚かでも無い。ようするに凡庸だ。
女王としての責任感があり、基本的な倫理観を備えた善人で、やや臆病に属する慎重さを持ち合わせ、王家の三女として生まれた為に最初から女王としての期待も帝王学教育も一切されてこなかった。
とりあえず人望や支持は無い訳でもないが、彼女の比較対象は隣国のアンジェリカ王女である。アンジェリカ王女は大祝福を越える治癒師にして、全周辺国で唯一最後まで難民支援を続けた為に人望が揺るぎなく、軍団長の連続撃破と政治改革を行ってベイル王国を躍進させたイルクナー宰相代理を在野から引き込んだ功績まである。
唯一の隣国であるベイル王国のアンジェリカ王女と比べられるフランセット女王は、あまりに損をしている。だが世間では自分の競争相手が選べるわけではなく、国ならば地続きの隣国を意識せずにはいられない。そしてフランセット女王陛下の配偶者と成る者は、今度はイルクナー宰相代理と比べられるだろう。
そう、オルランドの目下の悩みは成人したフランセット女王陛下の配偶者問題である。
なにせ王族がフランセット女王しか存在しないので、配偶者を得て継承権者を作る必要がある。だが、相応しい者が居ないのだ。
女王であることの最大の強みは、王座に相応しい配偶者を自由に選べる点にある。女王の座を競い合う王女たちの勝利条件は配偶者にあると言っても過言ではない。
まして凡庸なフランセット女王ならば、アンジェリカ王女のように「相手が無能ならば単なる配偶者に留めて政治に関わらせない」という決断や方針持続が出来ないであろうから、確実にディボー王国の政治に関わってくる。
オルランド宰相はその事に付いて頭の片隅で悩みつつも、芳しい候補者を思い付けずに保留してきた。だがそろそろ答えを出さなければならないだろう。なぜならオルランドはフランセット女王にこう告げられたのだ。
「オルランド宰相、わたくしの配偶者となる方の候補はありますか」
出来ません。ありません。分かりません。思い付きません。それらは宰相の地位にあるオルランドの辞書には一切記されていない。
「はい、家柄・権勢・人格・政治能力・祝福などで候補者の資料は集めております。ところで女王陛下ご自身がお望みの条件は、どのようなものでございましょうか?」
資料自体は集めていたのだ。その中に主だった者が居なかっただけで、こうなったらフランセット女王の望んだ条件から不適切に過ぎる者を省いてリストを作るしかない。数日の猶予があれば作れるだろう。
「そうですね。アンジェリカ王女のように、イルクナー宰相代理のような方を……と言っても居ませんよね」
「……陛下がご明察の通りです」
そのような逸材が居ればとっくに配偶者候補として推挙した上で、副宰相に引き上げてオルランド自らが国を統治するための政治教育を施していただろう。
それと並行してその者の家柄や家族構成に関わる問題を排除し、ラリサ宮廷司祭などフランセットの外堀を埋め、始動から2年後には恙無くディボー国王が誕生しているはずだ。
だが戦場の勇者は軒並み戦死しており、ガストーネ王やオルランドが長年政治を握っていた結果として国全体を見渡せる政治家は育っておらず、相応しい候補が居ないのだ。
候補者一覧の提出は当面先になりそうだった。
「イルクナー宰相代理が4人と結婚していなかったら、あの方を候補者に挙げても良かったかもしれないですね」
それはそれで妙案である。
もしもベイル王国とディボー王国が全面的に協力できるのであれば、オルランドが宰相である必要すら無い。かの宰相代理は、ベイル王国を引き上げる片手間にディボー王国も引き上げてしまうだろう。
5人目との結婚は不可能だが、協力に関しての問題は特にない。
「陛下は競争では無く協力をお望みなのですか」
「……ええ。良い事の方が大きいでしょう。リーランド帝国がジュデオン王国に獣人を引き込んだ今なら、脅威に対抗する意識で手を結べるのではないかしら。だってこちらはリーランド帝国と隣接していないから、少し良い条件でしょう?」
成人したフランセット女王の初めての政治方針表明は、オルランドにとって感心に足るものであった。
オルランドは自身に対する自己評価を2段階引き下げ、フランセット女王に対する評価を3段階引き上げた。
「懐妊中のアンジェリカ次期女王が10月に出産予定です。関係改善にはちょうど良い頃合いですな」
今からでは交渉内容を詰める時間がとても足りない。オルランド自身がベイル王国へ赴きながら、その途上で内容を検討する必要がありそうだった。
だが、フランセットは意外な言葉を口にした。
「では、わたくし自身が参ります。可能ですか?」
女王と共に内容を詰めるのであれば、劇的な方針転換が可能となる。
ルイーサ女王がアンジェリカ王女に出した手紙は有効なはずで、フランセット女王自身が赴けば無碍にされる事は無い。祝辞を述べに行くという建前を隠れ蓑にしてどんな極秘条約でも結べる。
どうやらベイル王国に続いてディボー王国にも歴史の転換期が訪れたようであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
近年目覚ましい発展を続けるベイル王国。その地には数多の者が数多の肩書で潜入していた。とりわけ多いのは南のディボー王国からの潜入者である。
ディボー王国が過去に求めていたのはベイル王国内での政策誘導権であり、それらは金でベイルの役人を籠絡させる事によって容易に叶っていた。
だが苛烈とも言える厳罰による綱紀粛正、造反者の処断、内部告発者の優遇、商人達を使った官製談合の内偵調査、捕縛者に他役人の手口を供述させる事による減刑などが導入されて籠絡が厳しくなると同時に、役人の権限や体制自体の見直しまで図られてそれらは全面的に難しくなった。
特にディボー王国との交易にはイルクナー宰相自身を長とした外務省の数百人規模の監視が入って不規則にあらゆる点を調べられ、逆にディボー王国に対しても相当数の潜入者が入っており、あからさまな事は出来なくなってしまった。
よって現行の指示では潜入者に専ら情報収集を行わせ、収集した情報を自国の利益に反映する事が中心となっている。とりわけ錬金術に関しては、政治の中枢を調べるに等しいほどの力の入れようである。
アクス錬金術学校で特殊繊維の精練を学ぶ特待生リコリット・ホーンとその父親ジェンマ・ホーンも、オルランドがベイル王国へ撒いた潜入者たちであった。
「刀身が殆ど通らない布に、衝撃を吸収する防御力を付与した特殊繊維だと…………馬鹿な、あり得ん。どういう理屈でそうなるのだ」
「はい、お父様。今作っている物は魔物の身体の一部など生物由来のタンパク質等を抽出して溶かしたものを原料とし、それに人工的に作った薬品を混ぜて半合成繊維として固める工程に地力を備えた土色の輝石の力を注ぎます」
「その効果は、一体どれほどだ」
ジェンマはディボー王国軍の副騎士隊長であって学者では無い。冒険者ではあるが、錬金術に関しては全く専門外である。
リコが説明した内容の半ば以上を理解できなかったジェンマは、理論の理解を諦めて要点を確認した。
「基礎素材と薬品、そして輝石の力をどれだけ抽出して注げるかによって大きく変わります。一番良く出来た布で、祝福18の戦士系冒険者である教師が剣を使って全力で貫こうとしたところ、その布が伸びただけで傷が一切出来ませんでした」
「衝撃の吸収はどの程度だ」
「着ている所を試した訳では無いので、分かりません」
「よし、その特別な布を調達できるか。誰にも発覚しない事を大前提にして、お前が調達できる最も効果の高い布で良い」
「あ、はい。私が作る物でしたら、調合に失敗したと言ってわざと失敗した物を同時に捨てておけば誤魔化せます。私が作った物も結構良く出来ていて、先週は特殊繊維担当のカリーニ錬金術師から卒業後は助手にならないかと誘われて…………げほっ」
ジェンマの握り拳がリコの腹を打ち、リコは腹を押さえながらうずくまった。
ジェンマは全力で殴った訳ではない。大祝福を越えるジェンマが全力で殴れば、一般人のリコはろっ骨が折れ、下手をすると肋骨が内臓に突き刺さるか破裂する。ジェンマは相当の手加減をしているのだ。
だが、暴力による教育自体はそれで終わらなかった。うずくまったリコに対し、今度はジェンマの足が伸びて蹴り飛ばした。
「馬鹿かお前は」
ジェンマの足がリコの身体を踏みつけるように蹴り、硬い床の上を何回転か押し転がしてリコの身体を壁へぶつける。
ただし痕が残らないように、目立たないように、衣服で隠れる腹や背だけを蹴っていた。なぜならジェンマとリコはベイル王国へ潜入しているディボー王国のスパイである。
本来ならば暴力は最低限で済ませなければならない。だが潜入から2年が経過し、同世代の多数の者たちと学ばせる過程においてリコへの潜入教育が解けかかっているのではないかとの懸念がジェンマにはあった。
リコはスパイとしての動機が弱い。
出自が使い捨てに出来る他国からの難民であり、ディボー王国への帰属意識は後付けしたものでしかない。飢えに関してもベイル王国は錬金術学校生たちへの安定した進路を提示しており、もはやリコを束縛する理由にはならない。
助手として誘われた事を報告しなかった点を鑑みるに、スパイとしての積極的意識が明らかに欠けている。
もしディボー王国内であればスパイとして再教育を施させるか、あるいは不適格として口封じを検討する所だ。
ジェンマにとってリコは道具に過ぎない。これまでも憐みの様な余計な感情を持ち合わせて自身の判断を鈍らせる事が無いようにしてきた。斬るべき時は斬るつもりでいる。
だが、ベイル王国の難民受け入れ終了や錬金術学校への入学試験の年齢制限などによってディボー王国はスパイの追加投入が殆どできず、現時点でリコは容易に変え難い任務を果たしている。
「ふん」
ジェンマはトドメとばかりに蹴り飛ばし、リコに自らの立場を再認識させた。
大祝福を越えた冒険者であるジェンマに対し、一般人のリコが敵うはずもない。また、国家を敵に回して追手から逃げ延びられるはずもない。ジェンマはリコに再教育を施すと、無言でその場を後にした。
ジェンマ大尉がリコの姿を見たのはその日が最後である。翌日彼は死体で発見された。
酒に毒を混ぜた犯人は娘として登録されていた人物で、彼女は自ら出頭して全ての事情を話すと同時にベイル王国に対して保護を求めた。
リコが暴発したもう一つの引き金は、イルクナー宰相代理である。
バダンテール歴1261年8月、彼は義手を得るためにアクス錬金術学校の研究棟に立ち寄っており、その姿をリコは目撃していた。
リコの狙いは見事に的中し、彼女はアクス侯城に居たイルクナー宰相代理に即日引き合わされた。