第01話 サマーキャンプの夜
「……ここは、どこだ?」
見知らぬ森で目覚めた俺が、周囲をしばらく歩きまわった後に出した言葉がそれだった。
見知らぬと断言したのは、この森のおかしな生態系だ。
例えば先程飛んでいった深緑色のトンボのような生き物は、その6枚羽の長さが1mくらいあった。
ギュリギュリ……ギュリギュリギュリギュリ……
そいつはそんな怪しげな鳴き声で飛んできて、バサバサバサと木の枝を揺らして俺の眼前で滞空飛行を続けた。
俺は鳴き声が聞こえた辺りから木の傍に立ち、じっと動かずにそいつの様子を観察した。ちなみに相手も、その複眼で俺を観察した。
2つの瞳で見つめる俺と、4万個の個眼で見つめてくるそいつ。
そして俺は、どうやら振られたらしい。
イケメーンでない俺は、彼女?の4万個もある厳しい審美眼には合格できなかったようでアッサリと飛び去られた。
(あれが卵を産んだら、森の生態系が壊れるんじゃね?)
決して負け惜しみではない。断じて俺はツンデレでは無い。
人は理解できない状況に陥った時、果たしてどの部分までなら理解できるのだろうかと考えるのではないだろうか。
そして何もかも理解できなかった時、『全く分からないという事が分かった』と結論付ける。そう、それこそまさに今の俺の状況だ。
「順番に明確化しよう。そもそも俺は誰で、一体どこでどんな生活をしていた?学生か?社会人か?と言うか、まず俺の名前は?」
俺はジャポーン人男性だ。それで……
「……ぐがっ」
考え出すと頭痛がした。
これは精神的なものだろうか?頭が混乱していて、変な言葉も響いて来た。
『ハインツ、ついに俺達のエリアを管理するアルテナが転生を促してきた。他のエリアの神々は残った連中に対して、とっくに強制転生を始めているぞ。俺達はもうここには居られない。俺は行く事にした。みんなも行く。だからお前も来い』
『いや、俺は残るよ。ずっとここにいる』
『そうか、お前らしいな。気が変わったら来い』
「うぁああっ!……はぁ、はあっ」
一瞬、とても耐えきれない頭痛があって頭を抱えてしゃがみ込んだ。
だが同時に、いくつかの事を思い出した。
そうだ、俺はハインツという名前だった。
ハインツ・イルクナー。『NPCのハインツさん』なんて呼ばれていた。
(あの時、それでも俺は残る事を選んだんだ。どうなるかも分からなかったのに……ああ、俺は何を言っている。意味が分からない)
森に居た記憶は無い。森の生態系も明らかにおかしい。
とりあえず分かった事は、ここがジャポーンでは無いらしいと言う事だけだ。
「……まさか、ここは異世界なのか?」
Ep01-01
バダンテール歴1258年。
季節は初夏へ移り変わろうとしていた。
今日は太陽が朝から輝きを放ち続け、盛大に熱気を振り撒いて地上の人々を辟易させていた。
押し売られずとも、ここ最近は日差しが充分に強いのだ。
だが、サマーキャンプを行うのにちょうど良い時節でもある。
都市フロイデンの中等校は、都市外の生活体験として毎年この季節にサマーキャンプを行っている。
アルテナの加護を外れた世界がどういうものかを体験する事は、加護の恩恵を理解するのに極めて有意だ。『学問なき経験は、経験なき学問に勝る』と言うことわざのとおりである。
もちろん中等生たちの安全には万全を期しており、教師だけではなく、都市の治安騎士も1小隊6名が随伴している。
キャンプ場は都市にもかなり近く、人を見たら逃げ出す程度のモンスターしか目撃されないこの森では過剰な戦力だ。
「リーゼ~?リーゼロット~?もう、一体どこにいるのよっ?」
そう呼び掛ける少女の周囲には、同じような背丈の同級生が131人もいた。
夕食のシチューは中等生自身が作る事になっている。
各自が小川に水を汲みに行ったり、薪に使う小枝を拾いに行ったり、あるいは野菜を切ったりと自由に動き回っている。
教師たちは生徒が間違えて毒キノコでも入れない限り、料理には一切の口を出さない。
このサマーキャンプの目的は『経験せよ』である。
もちろん盛大に失敗するような料理では無いが、それでも男子の一部は調理内容がかなり怪しい。その結果から大いに学ぶことだろう。
「あっ、やっと発見!リーゼ、探したんだよっ」
「ミリー、どうしたの?」
小川で野菜を洗っていた少女が、そのブロンドの髪をふわっと揺らして振り返った。
ブロンドと言うにはやや茶色がかった髪は、その毛先が腰に届く位に長い。
ほんの少しだけウェーブがかったストレートで、その髪の一房には干した青草のような薄い色のリボンを付けている。
翠色の瞳は少しだけ垂れ目。顔つきは整っているが、与える印象は穏やかだ。そよ風がふわりと舞った程度の自己主張が精一杯に見える。
そして衣服も、穏やかな印象をさらに強調していた。
瞳と同じ翠色の地味なロングスカートは膝下まであり、飾り気にも乏しい。
上着も白を薄い草色で染めたような地味な色で、肘の長さの袖口や裾にある茶色の紐がわずかに装飾を兼ねている程度で、紐は丁寧に結ばれていた。
「地味!まったく、なんでそんなに大人しい植物色の服なの?森に溶け込んで見つけ難いわよっ!」
「……目立たない服でって、サマーキャンプのしおりに書いてあったから。これくらいで良いかなと思ったのだけれど」
「しおりの注意書きなんて、季節の挨拶みたいなものじゃない。『初春の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます』って。リーゼは本当に冗談とか通じないんだから」
「えっ、先生は冗談で書いていたの!?」
そうダメ出しをするのは、同じブロンドでも明るくハッキリとした金色の髪と瞳の少女だ。
小顔でキラキラと輝く瞳からは強い意志と生命力が感じ取れる。
髪形はミディアムでセンターパート。内巻きにし、襟と顔周りだけはリバースカール。
服装は上着がレースのAラインブラウス。二枚襟とリボンタイが付いたライトブルーのドット柄で、袖口がシャーリングカット。
下はティアードキュロットで、スエード素材の中では色合いがかなり明るいオフベージュ。裾には星を模した小さな型抜き。
サイハイソックスはグレーで足を綺麗に見せ、やや丸みを帯びたロングブーツはライトブラウンで実用性がありながら女性らしさも強調されている。
先程のリーゼと呼ばれた少女とはまさに正反対で、ミリーと呼ばれた少女はとてもエネルギッシュな印象だった。
だが二人とも、あまりキャンプ場に来るような格好ではない。
落ち着いた感じのリーゼは、教会で手伝いでもしている方が似合っている。
逆にミリーは、街でも歩いていればナンパでもされることだろう。
これにバックや手袋などの小物類が加われば、二人の姿にはもっと大きな差が出てくる。
だがこの凸凹な二人は、一番の親友同士でもあった。
「ええとっ、男子が包丁で自分の指をグサッ。サクッじゃなくてグサッ。骨も見えていたよ。腱は無事だと思うけど、リーゼ治せる?」
じっと見つめるミリーに対して、リーゼは少しだけ考えてから答えた。
「それなら、なんとか大丈夫かな?」
「よしっ、じゃあ行こう。今こそ男子に恩を売る時よっ!」
「恩だなんて。わたしが治さなくても普通に治るよ?」
「えーっ?治癒魔法を使わないと、治るまでずっと痛いんだよ?この中等生の間に一度しかないサマーキャンプ中で。そんなのもったいないじゃない。パンの代金にはなるでしょう?リーゼは何にする?」
「学校の前のパン屋さん?」
「そう。あたしはサンドイッチボックスね。一番高いやつ!」
「そんなの可哀想だよ。わたしはミリーが貰ったパンを一つ分けてくれれば良いよ。そしたら少しは……」
「もうっ、それじゃあ格安じゃないの。じゃあ、あたしはおまけしてサクサクのアップルデニッシュにしておくよ。そしたらリーゼは何にする?」
「それなら、トマトレタスサンドかな?」
「よし決まりっ!さあ、お仕事のお時間です。治癒師のリーゼロット・ルーベンスさん」
「はいっ、探索者のエミリアンヌ・フアレスさん」
そう言った二人は顔を見合わせて笑い合い、とてもささやかな仕事を果たしに行った。
今回キャンプに来た中等生の中では、この二人だけが冒険者だった。
そう、世界には冒険者と呼ばれる者たちがいる。
冒険者になれる条件はただ一つ、『アルテナの祝福を得る事』だ。
人間は200人に1人くらいがアルテナから『祝福』を得られると考えられている。
『祝福』は、本人の意思とは無関係にある日突然得られる。
得られれば、その時点で祝福1だと見做される。
それ以降は、魔物などを倒して一定の経験値を獲得するごとに祝福2……3……と高くなっていく。
祝福が上がると、身体能力や魔力や加護がその度に大きく上がる。さらに時折『スキル』を授かる。
さらに祝福30、60、90など30回ごとの祝福は『大祝福』と呼ばれ、能力が劇的に上昇する。
力を主とする戦士なら戦闘力、魔術師なら魔力など、その者に最も必要とされる能力が大祝福を受ける前の2倍以上になり、その他の能力も大きく上がる。
一般人は祝福を得られない。魔物を倒してもずっと0のままだ。
一般人が得られるのは『加護』だけで、これは瘴気や病気などからある程度守ってもらえる。
加護には多少の個人差があり、加護が大きいほど得られる効果も大きい。
冒険者は祝福が上がるごとに加護も上昇し、一般人と冒険者との差はあまりにも大きい。
祝福を得られたかどうかは、マナに反応して光る鉱石を触れさせて確認する。
その鉱石はアルテナの輝石と呼ばれ、各国はその方法で検査を定期的に行い、国民から冒険者を探す。
リーゼもミリーも検査で祝福が発覚した。
そして身分証明となるアルテナの輝石を埋め込んだ冒険者資格証を持たされ、祝福を高めていくことを期待されている。
なぜなら、祝福3でしかない駆け出し冒険者のリーゼが男子に使う予定の『単体治癒ステージ1』と言う治癒スキル。
この治癒師が祝福を得た時点で得られるスキルですら、患者の傷病次第では祝福を受けていない国一番の名医すら超える治療が可能だ。
その一事だけでも、冒険者がどれだけ有用かを簡単に証明してくれる。
冒険者には、大きく分けて8系統の道があると目されている。
系統ごとの人口比率はかなり偏っているが、一番多い戦士系ですら国はいくらでも欲しい。なぜならそれが国の戦力とほぼ同義だからだ。
そもそも、アルテナとは何なのか?
神ではない事だけは知られている。神魔は世界に多数存在しており、それらはアルテナではない。
賢者に問えば、「未だ解き明かされていない、世界の法則である」と答える者も居る。
酔っ払いに問えば、「んなこと言ったってお前、そこにあるでねぇか」と説教される。
その両者の結論に違いはない。
酒場に行けば、野生の賢者に出逢える所以である。
あるいは、賢者が酔っ払いの就職先と言われる由縁でもあった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
やがて辺りは、すっかり暗くなった。
サマーキャンプに付き合っている治安騎士6名のうち半数は、少し前に不自然な灯りが行き来しているのが見えた大街道の様子を見に行った。それ以降、特に変わった事はない。
リーゼとミリーを含むグループの調理は、食材を洗っていた途中に治癒活動で作業を一旦中断させられたものの、最終的にはとても良い味へと仕上がった。もしかすると、怪我をした男子の傷を綺麗に治せた満足感で、より美味しく感じられたのかもしれない。
食器の後片付けを終え、キャンプファイヤーの灯りを眺めながら暫し雑談する。
1日目は、心構えや設営が中心で、森の植物採取も行った。
2日目は、川魚を捕ったり軽いハイキングを行った。
3日目は、教師が特に指示を出さず、事前に自分たちで計画した事を行っている。キャンプファイヤーもそのうちの一つだ。
とても大切な時間だった。その暖かな雰囲気の中、男子のグループからにぎやかな声が届いてくる。
「まず、黒いブラジャーを頭に付けます。すると、黒い耳の生えた獣人が出現します。豹柄とかもありです!」
「なんだとっ、その獣人はまさかっ!?」
「ぐへへ、旦那、言うまでもありませんぜ?目の前の子羊さんを襲うに決まってるじゃありませんか」
「おおっ……馬鹿なっ!子羊さんは、一体どうなってしまうんだっ!?」
「基本的にはおいしく召し上がられます。ですが稀に、子羊さんの中に冒険者が混ざっています。具体的には、200人に1人くらいです」
「なんだと!冒険者だとっ!?」
「そう。子羊さんな冒険者は、胸元にたわわに実った二つの果実を揺らして獣人の視線を釘付けにしつつ、反撃して黒い耳を剥ぎ取ります。獣人の右耳は討伐証明です。報酬は、最低でも1匹50Gは下らないでしょう」
「ぐああっ、耳を奪われては、獣人のアイデンティティーがぁ。しかし、それでも目を逸らせないっ!」
「冒険者には勝てませんぜ旦那」
「男子死ねっ」
「というか、ミリーとリーゼに倒されろっ」
「なんだとっ!?……いや、よし!かかって来い冒険者っ!」
「「サイテー」」
「ふっ、ただでは倒されん。反撃に転じた獣人は、薄い森の茂みを掻き分け進む!その先には湖がふっ」
それは、突然の出来事だった。
立ちあがって話していた男子の口から、話の続きの変わりに血の塊が溢れ出た。その腹からは、血に染まった剣先が貫き出ていた。
護衛の治安騎士たちが慌てて各々の武器を手に動き出す。
キャンプ場に響く沢山の悲鳴が、すぐに戦闘音に飲み込まれていった。