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第八話 かけがえのないもの

  深夜、樋口鴎はこっそりと女子寮を抜け出していた。目的地は螺旋図書館。彼女の目的は、もう一人の自分を取り返すことだった。

「……?」

 螺旋図書館の表の自動ドアは、彼女を待ち構えていたようにすんなりと開く。

 深夜、螺旋図書館が開いているのを彼女は知っていた。けれども、これほどまでに不用心でいいのだろうか。誰か、徘徊している警備の者がいてもおかしくはない。

「罠なのかな」

 当然その考えが思い当たる。だが、彼女は、歩みを止めなかった。

 そのままエレベーターへと向かい、スイッチを押す。すると、なぜか職員用のエレベーターの扉が開いていった。

 確信した鴎は乗り込む。

「やっぱり、待っているんだね」

 エレベーターは、彼女が乗った瞬間に動き出した。どんどんと上昇してゆき、やがて、51階へと到着した。

 ドアがスライドしてゆく、そこに鴇田瑠璃が、広大な広間の中、ポツンと椅子に腰をかけていたのが目に入った。

 鴎は、右腕を薙ぎ払うように振る。腕の振りに合わせるように、瑠璃に向かって刃物のようなものがとてつもないスピードで放たれた。

 瑠璃は座ったままだった。刃物のような物体は、瑠璃の顔面に当るや否や、粉々に砕け、宙へと姿を消した。呆れたように、深い息を瑠璃は吐く。

「物騒な挨拶だな」

 瑠璃は椅子を蹴飛ばし、立ちあがった。

「残念だが、おれにその類の手品は通用しない」

 右手中指にはめてある指輪を見せる。鴎は、静かに頷いた。

「なるほどね。無益無償の理、かぁ」

「さすがに知っているのか」

「うん。あと、勘違いしないでね。私はただ、そこにカモメちゃんがいるのか確認しただけなんだ」

「お前らは、二つで一つらしいからな。やっぱり、近くにいないと何もできないのか」

「そうだね。だけど、私は力を使うつもりなんかない。それが、私の性格でもあるから……でも今は、かけがえのない私を取り返すために使う必要があるかもしれないね」

「まぁ、おれには効かないけどな……それよりも、奥の部屋で樋口鴎が助けを求め、泣いてるぞ」

 鴎は歩き出し、瑠璃の元へと近づいた。

「一つ、聞いていい?」

「あぁ、答えられることには答える」

「君は、私を偽物だと思う……?」

 瑠璃は迷うことなく、即座に返事をした。

「いや、お前が本物だ。少なくとも俺の目には、そう写ってる」

 銀色のリングが光る。自己主張しているようだ。

「でもそれは、君の意見じゃないよね。君はどう思う? それが聞きたいんだ」

「どうでもいい、お前が本物でいいんじゃないか?」

「ふふ、随分と適当なんだね」

「だってそうだろ? 普通は、他の奴のことなんか対して気にしないんだ。まして、それが他人のことならなおさら。どうでもいい。それなら、今ここにいるお前が樋口鴎の姿をしているのならば、お前が樋口鴎で間違いない。世の中ってそんなものだろ。存在しないものを本物だというほうがおかしい」

 瑠璃は言葉を詰まらせることは無かった。

「なるほど、そういう見方もできるんだね」

 鴎は深く頷く。本当になるほど、と思っているんだろう。

 そして、周防あやめがおかしい部類に属する人間であると再認識した。

「もう一つ。じゃあなぜ君はここにいるの?」

「お前を消すためだ。おれの主は、お前のような奴を嫌っているからな」

「簡単な理由だね」

「あぁ、そんなもんさ」

 二人は赤い絨毯の上を歩きだす。すると、黒塗りの仰々しいドアが独りでに開いてゆく。

「おれからも一ついいか」

「うん、もちろん。わたしは喋ることが大好きだし」

「なぜ、ここに来た?」

 瑠璃は足を止め、鴎に尋ねる。鴎は、歩きながら答えた。

「それは、私にとって私が一番だから。それが役割であることには違いないんだよ。だから、私が消されることになろうとも私は、私の役割を果たさなければいけない」

「意外と律儀なんだな」

「違うよ」

 一度だけ振り返り、瑠璃の目と視線を合わせる。瑠璃は、鴎の目に曇りのない、清々しい純粋さを感じ取っていた。

「私はあくまでも身代わりなんだよ」

 そのまま鴎は、螺旋図書館の管理人が待ち受ける部屋と進んでいった。瑠璃も遅れて、部屋へと入る。

 ドアが閉まってゆく。何者の出入りも許さぬように。





「ごきげんよう」

 二人を出迎えたのは、部屋の主であるメルシス・レイフォースであった。いつものように、ソファーに優雅に腰をかけていた。

 一つ違うのは、千草茉莉が直立不動で側に立っていたことだった。

「忌々しいレメシスさん……」

 声のトーンに激しい差があった。先程までは、歓迎するようであったかのように思えたが、今の声を聞くと、それが間違いであったことに気付かされる。

「随分なあいさつなんだね」

 樋口鴎は、異様な気配に包まれた少女に臆することはなかった。

「君と私は、同じ歪んだ存在なのに」

「一緒にしないで。私はあなたとは違う」

「同じだよ」

 鴎は部屋を見渡す。それだけで何もかも手に取るようにわかってしまうようだ。

 部屋を覆う正方形の壁は、一面が本でびっしりと埋まってしまっている。見れば見るほどに気がおかしくなりそうなほどに本がびっしりと、遥か上方の天井までへ続いている。

 果たして天井まで続く本を、どうやって手にするのかは、この部屋の設備を見ると不可能であると認識できる。

「こんな場所に閉じ込められて、役割を果たすことだけを許された存在。そんな君とわたしは、一体何が違うのかな?」

「瑠璃」

 メルは無視をし、瑠璃を自分の近くへと呼ぶ。その際に、鴎も動こうとしたのだが。

「そこで立っていなさい」

 その言葉に反応したように、ぴったりと動きは止まった。

「はい」

 メルは近づいてきた瑠璃に、地味な少女の人形を手渡した。人形は既にうんともすんとも言わない。

 瑠璃はメルから離れ、対面のソファーの横で、人形を手にし待機する。

「千草茉莉」

「はい」

「あとは手筈通りにお願い」

「はい」

 茉莉は、腰にかけていた木刀ではない、一つの刀を鞘ごと抜きとった。

 鞘は黒く、柄も同様に黒い。

「【因果断絶の太刀】、だよね。その刀を私に、突き刺すのかな?」

 茉莉は刀を鞘から抜く。見事な刀身が姿を現した。茉莉は表情を一層固くし、鴎を見つめる。

 それに対して鴎の表情は柔らかいままだった。

「いいよ、壊して。私はいつも、覚悟しているんだ」

「……随分あっさりしてるんだな。自分は、身代わりだからってことか?」

「それもあるけど……」

 瑠璃の方へと向きを変える。にっこりとほほ笑んでいた。

「私は消えたあとも、またこの世に生まれ変われるんだ。私を望む者がいる限り、私は、身代わりのマリオネットとして、身代わりとしてあり」

「――残念だけど、あなたはここで終わりよ」

 メルは、カップに入った紅茶を飲んでいた。意味がわからず、鴎は喋るのを止めて、少女の言葉に耳を傾ける。

「この世から消え去るのは、樋口鴎と身代わりのマリオネットの双方」

 刀を手にした茉莉は、瑠璃の方へと向き直した。

 ようやく、鴎は三人が何をしようとしているのか予想できた。しかしもう遅い。この部屋に足を踏み入れた瞬間、結末はどうあれ、身代わりのマリオネットがもうこの世に姿を現すことが叶わないという結果は決定していた。 

「さぁ、死になさい、樋口鴎。愚かな自分に後悔するといいわ」

 茉莉は、瑠璃が手にする人形を斬るために、素早く距離を詰める。鴎は何かを叫ぼうとしたが、メルによって言葉を発することを禁じられているばかりか、指の一本も動かすことのできない状態に陥っていた。

 泣こうが喚こうが、止めようが。樋口鴎は、樋口鴎という人形に刺さる刃を止めることはできない。

 人形は動かない、表情も変えない。しかし、樋口鴎は確実に人形になってしまっている。一体、どういう心境なのだろうか。

 おそらく、そんなことを考える暇も無かったのだろう。

 音もなく、人形へと刃が突き刺さっていった。







 昼休みが終わる直前のことだった。螺旋図書館42階司書室に、来客者がいた。

「司書さん!」

 息を切らし切らしに、あやめは飛び込んできた。

「なんだ、よ」

 瑠璃は最初、やかましい奴がやってきた、と頭を抱えたくなっていた。だが、様子がおかしいことをすぐに認知した。

「お願いします! ひーちゃんを助けてください!」

 あやめは、目に涙を貯めていた。もう周防あやめに、ほとんどやれることは無く、自身の無力さを嘆きながらも、最後は泣き寝入りに近い真似を実行していた。

 ほとんど無意識に近かった。彼女には、他に方法がなかったから。

「何度もいうが、あいつが自分で自ら望んだことなんだぞ……? それに、二年の奴らもどうせ、気付いていなかったんだろ?」

「……それは」

「だろ。もうあきらめろ、どうせ手遅れだ」

 鴨は二人の会話を、書斎机の椅子の上で聞いていた。

(そうだよね……期待もしてなかった。いつもそうだったんだ)

 あやめの位置からは、人形を目視することはできなかった。ちょうど上手い具合に隠れてしまっている。

「それでも、鴎ちゃんを助けたいんです!」

「いくらなんでも、自分勝手じゃないか? その要望は、一体誰のためなんだよ」

 言葉に詰まってしまう。それは、あやめ自身が受け入れたくない事実であったからだ。

 彼女の理想はあくまでも、彼女の弟、勇人が実行していた無垢な天使のようなお節介。対してあやめのこれまでと、これから実行することは、いざ蓋をあけてしまえば自分の要望を叶えたいがための独りよがりなお節介。並べて比べてしまえば、天と地ほどの差がある。

 そして、容認してしまえば最後。彼女がこれまでしてきたお節介を、自身が偽物であったと認めなければいけない。それも他人ではなく自分が。これほどまでに、むなしいことはないだろう。

「わたしのためですッ!!」

 司書室に、あやめの決意に満ちた声が鳴り響いた。

「わかってます、自分勝手だって……でもわたしは」

 もう、何かに逃げることはできなかった。

「自分勝手でもいい! 自分のためでもいい! 偽物でもいい!」

 そうしなければ、瑠璃は動いてくれないと思っていた。逆に、全てを認めさえすれば、あの時のように手を差し伸べてくれると信じていた。しかし、瑠璃の対応はどこまでも冷ややかなものだった。

「そうか……だけど、無理なもんは無理だ。おとなしく帰れ」

「そん、な……」

「ほら、帰った帰った」

 瑠璃はあやめを無理やり追い出し、鍵を閉めた。

「司書さん!」

 外から、ドアを必死に叩く音がする。その音に入り混じって、あやめの悲痛に満ちた叫び声が聞こえていた。

(周防さん……どうして、そんなに)

 二度目に聞く会話に、鴎は心を打たれてゆく。

(今朝聞いたように、私が私で無くなっちゃっただけで、周防さんは……)

 ついに鴎は、本格的に後悔をし、自覚を始めていた。 

(私、どうしてこうなちゃったんだろう……あんなにやさしくていい人を、ここまで心配させちゃって。私、バカだよ……こんなことになるなら、ちゃんと周防さんと向き合ってみるんだったなぁ)

 それは彼女にとって考えてはならない仮定。その考えは、もう一人のかけがえのないはずの自分を否定してしまう明確な意思表示。

 そして、ついに鴎は、禁断の言葉を心に浮かべた。

(戻りたい。樋口鴎に戻って、やり直したい)

 思い込んだ途端、世界はバラバラに崩壊していった。









第八話 かけがえのないもの









「……ふぅ。さすがに先週と違って、今回は色々と疲れたな……」

 ひとしきりの騒動が終わりを告げ、事後処理を終えた瑠璃は螺旋図書館51階へと訪れていた。

「ふふっ」

 部屋の主である少女は、指を鳴らし瑠璃に紅茶を入れてあげた。

「私は疲れていないけど」

 ソーサーごとカップを持ち上げ、優雅にお茶を楽しんでいるようだった。確かに、二人の疲れ具合には歴然の差があるように見える。

「そりゃあ、メルは座ってただけ――」

 無言で威圧されていたのに察知し、即座に訂正をした。

「冗談だって。一番疲れるようなことをしたのはメルだよなぁ~、うんうん」

 と、らしくもないフォローを入れた。

 それに対して、少女は何も言わず立ち上がり、瑠璃の方へと歩み寄ってきた。続いて、いつものように寄りかかるように膝に腰を下ろした。

「ねぇ」

 色っぽく囁かれ、不覚にも瑠璃の心臓は高鳴る。

「どうして余計なことをしたの?」

(どうして余計なことを、か)

 瑠璃は、少し前の樋口鴎と、身代わりのマリオネットの結末を思い浮かべていた。








 人形へ、刃が突き刺さった。茉莉は、余韻に浸る間もなく、刃を引き抜き鞘へと刀を戻した。

 時を一呼吸ほど置いたあと、すぐに異変は訪れた。樋口鴎と、樋口鴎をモチーフにした人形がまばゆい光を発し始めた。

「瑠璃!」

 叱咤に近いメルの声に、瑠璃は迅速に自分がすべき行動を開始した。

 まず、人形の腕にはめた指輪、無益無償の理を取り外し、自身へといつも通りの手順で装着し、人形を床へと静かに置いた。

 すると、光を発していた人形はどんどんとその姿を変え、大きくなってゆく。反対に、樋口鴎は光とともに小さくなってゆく。

 瑠璃は二人の様子を見届けることは無く、人形に戻りつつある身代わりのマリオネットの元へと移動した。

「なるほどぉ」

 瑠璃の目に入ったのは、金髪のかわいらしい少年をモチーフにした人形だった。カクカクと、首を縦に頷かせている。

「樋口鴎を因果断絶の太刀で破壊し、殺しちゃったのかぁ。だけどぉ、結局僕の結末はいつも通り、世界へと旅立ってゆけるんだねぇ」

 厭味ったらしい物言いに、本来ならば説明する必要もなかったのだが、瑠璃は間抜けな人形に教授してやることにした。

「残念だったな。樋口鴎は、まだ、死んでいない」

「へ……?」

 人形は呆けたような声を出した。

「この指輪をさっき、あいつを受け取った時につけておいたんだ」

 そうだった。瑠璃は、メルの言いつけに従い、さっきまで存在していた人形に指輪を取りつけていた。

 無益無償の理。レイシスの中でも特異中の特異に属するもので、その能力はあらゆる因果に影響されない、しないという能力を持っていた。

 だから、茉莉の太刀によって、本当なら破壊されたはずであったが、傷一つもなく無事であるというわけだった。

「でもぉ、それならどぉして……」

 どうして。それは、今の二人の状態に陥っている理由のことだろう。瑠璃は答えた。

「あいつは、刃物で刺されたと勘違いして、ショックで仮死状態になっているんだろう」

 もちろん、確実にそうするために下準備もしていた。瑠璃は、何度も脅すように鴎に対し、殺すという言葉を重ねた。茉莉は、因果断絶の太刀にそっくりの日本刀を見せ、その切れ味を披露した。メルは、冷酷に何度も、どうやってこれから死んでいくのかを鴎にやんわりとねちねち説明をしていた。

 積み重ねた下ごしらえは、しっかりと鴎に具体的な死の概念をしみ込ませ、自分は刺されたら死んでしまうのだと、誘導させることに成功していた。

「本当なら、あいつは刃物でなんか死ぬことは無い。あいつは、お前と入れ替わり、身代わりのマリオネットというレメシスに生まれ変わっていたから」

 もう一つ、そうなってしまった理由があった。

「だけどあいつは、そうだとは思っていなかった。まぁ、無理もない。まだたった一日。さすがに人間だったやつが、自分がレメシスだってことを定着させるには無理があるだろう」

 人形に戻ってしまったレメシスは首をガタガタ揺らしながら、嘆いている。

「じゃあ、どうしてなんだよぉ。どうして、カモメちゃんと離れることができないんだよぉ!」

 その問いに対しては、愉快そうに見下している少女が答えた。

「同様に、樋口鴎がまだ、死んでいないからよ。死んでいないから、まだ二人を結ぶ因果は途絶えていないの……それが、あなたたちの契約でしょ?」

 少女は続ける。

「でもその結びつきは、もはや一方通行。レイシスを扱うのと遜色無い因果関係」

 レイシスは、あくめで所持者が因果力を用いる一方的な関係。対してレメシスは、所持者とレメシスが契約を結ぶことにより用いることのできる相互的な関係。

 レメシスは、お互いの因果の力が結びつき、レイシスよりも強固な関係となるために、使える力も代償も大きくなる。

 当然、レメシスほどの因果の結びつきになってしまうと、外部からその関係を断つことは困難となる。

「瑠璃。その憐れなレメシスと樋口鴎の因果を断ち切ってあげなさい」

「や、やめろぉ!」

 マリオネットは懇願する。その願いは叶うずは無かった。

 左手は、首輪に付けている南京錠を。右手は、転がっているマリオネットを。双方に触れ、瑠璃は命じる。

「【断罪する賢者】の名において、身代わりのマリオネット、樋口鴎を結ぶ因果――」

 瑠璃が身につけている黒塗りの南京錠が、光り輝いてゆく。ほとんど同時に、樋口鴎と身代わりのマリオネットとの間に一本の光が現れた。

「ここに断つ」

 すると、細長い光は、中央付近から切断され、そのまま姿を消していった。

 残されたのは、樋口鴎と、因果を結んでいない身代わりのマリオネット。

 間髪を入れずに、メルは行動を起こした。

「the box」

 彼女の呼びかけに答えるように、壁と一体化しているように見える本が、一様に白い光を発した。

「inward」

 言葉とともに、壁の一角に指を示すと、導かれるように断末魔を上げる人形が光となり一つの本へと吸い込まれていった。

 レメシスの回収を終え、メルは小さく息を吐いた。そして、二人に労いの言葉をかけようと目を向けた時だった。

「茉莉!」

「あぁ、わかっている!」

 二人は代わる代わる、樋口鴎に対して心臓マッサージを始めていた。

「そんなこと、命令していないのに」

 呆れたように呟き、メルは不満そうに二人を眺めていた。









「確かに、余計なことだったかもしれない」

「そう思うのなら、なぜしたの?」

 メルは振り向いた。

(目だけはやけに、大人っぽいんだな)

 質問に関係のないことを考えながら、瑠璃は答えた。

「なんとなく……じゃ、納得しないんだよな?」

 何も言わずに小さく頷く。

「まぁ、簡単な話だよ。歩いていた道に、小石が落ちていたから、避けることもつまずくなんてへまもしないで、ただ単に拾った。それだけだ」

「ふぅん……」

 信じていないのか、目を細めている。しょうがなかったので、瑠璃は補足をし、納得させることにした。

「もちろん、道を安全に歩くことを最優先にしていただろ? ただ余裕があったから拾っただけで…………いい加減その目はやめてくれよ」

「しょうがないわね」

 メルは立ち上がり、反対のソファーに座った。それが合図だった。

「じゃ、おれは眠いからそろそろ帰る」

 去り際、少女は瑠璃に一つ質問をした。

「瑠璃。あなたはどうして樋口鴎が、この世に戻ってこれたと思う?」

 瑠璃は振り向いて答えた。

「あいつがこの世界で生きたいと思えるような、あいつの身代わりを、見つけたからじゃないか?」

 質問に疑問で返したまま、瑠璃は重い扉を閉めた。











 世界が崩壊した先に待ち受けていたのは真っ暗な闇だった。しばらくは樋口鴎は、当てもなくさまよっていたが、やがて延々と続く暗闇に嫌気がさし、体育座りをして膝に顔をつけていた。

「カモメちゃん」

 どれくらいの時間がたったのだろうか、なじみのあるあの声が耳に入ってきた。

「カモメちゃん」

 再度の呼び掛けに、顔を上げてみるとそこには、身代わりのマリオネットがいた。

「カモメくん! ここはどこなの! 何がどうなってるの――」

 人形の無機質な目に反射しているのは、自分自身、樋口鴎だった。

(私、確か刺されて……)

 思い出してゆく。あの不思議な空間で、自分が刀を刺され意識を失ったことを。

「そうだよぉ。カモメちゃんは刺されて、僕は封印されちゃったんだぁ」

「そうなんだ。そっか私、死んじゃったんだぁ」

「そうかもしれないねぇ」

「でもカモメくん」

 樋口鴎は安堵していた。

(周防さん、悲しんでいるのかな)

「これからも、一緒だよね? 私たちは私で、ずっと一番だって誓ったんだから……」

 現世に自分を悲しんでくれる人がいたという事実と、これからも人形と一緒にいられるということ。2重の意味で、彼女は安堵していた。

「それは無理だよぉ」

 マリオネットは、鴎に背を向けた。

「えっ……?」

 予想外の言葉と、かけがえのない大事なマリオネットが自分の体から離れていく。

「どうして!」

 鴎は立ち上がり、必死に追いかける。しかし、距離は縮まらない。

「それを、カモメちゃんが望んでいないからだよぉ」

「そんな……私は、ずっと!」

「大丈夫だよぉ」

 どんどんと離れてゆく。もうほとんど目視することは叶わない。

「周防あやめはきっと、私にとってのかけがえのないもう一人の友達だって、私も思えたから」

 最後に見えたのは、微笑む自分の姿だった。



「はっ――!?」

 意識が戻った鴎は、辺りを見渡す。

「はぁはぁ、はぁ…………わたしの部屋だ」

 自分の部屋であることを認識した鴎は、カーテンを開け、全身に日光を感じる。久しぶりに思えた。

(全部、夢だったのかな)

 そう思える人間なら、きっと彼女はこうなっていなかった。

「カモメくん……!」

 気がつけば、カーテンを力いっぱい握りしめていた。

 彼女は、本当にあの人形を大切に思っていた。それこそ、自分の命を投げ出してもいいと思ったほどに。しかし現実は、身代わりに自分だけがこの世界に留まっていた。

(カモメくん、どうして私を連れて行って……)

 何度も何度も、心の中で悔んでいると、玄関から呼び出し音が耳に入ってきた。

 鴎は、特に何も考えず、机に置いてあったメガネをかけて、玄関へと向かった。

「あっ……」

 そこには息を切らした周防あやめがいた。

「周防さん――わっ!?」

 あやめは瞬く間に距離を縮め、体中を触り始めた。鴎はウブな生娘のような初々しい反応を見せる。

「メガネかけてるし、ひーちゃんで間違いないようっすね!」

 その判断の仕方はどうなのだろうかと物申ししたくなるところではあるが、あやめらしいといえばあやめらしいのだろう。

「どうして……」

「実はですね」

 あやめは今朝の出来事を鴎に説明した。

 先ほど、あやめは司書室へ訪れ、朝っぱらからひたすら頼み込む作戦を実行しようとしていた。だが、開幕直後の土下座を見せたあやめに、瑠璃は一言だけ話した。

「もう戻ってるぞ、樋口鴎に」

 それだけ言うと瑠璃は、あやめを追い返した。あやめはしばらくそのままの体勢で呆けていたが、やがて居ても立っても居られなくなり、その足で女子寮の鴎の部屋へと急いできた、というわけだった。

「本当に良かったです……」

 一通り喋り終えると、あやめは鴎に抱きついた。鴎はそのまま為されるがままになっている。

「心配したんだよ、ひーちゃん」

 落ち着かない。息は苦しい、動機も激しくなってゆく。人を避けたいと思う拒否反応が、最大限に現れてゆく。

「ごめん、なさい……」

 でも、胸の奥に宿っていく温かさは本物で、鴎は、本当に生きていてよかったと思っていた。

(ありがとう)

 そして、秘かにお礼を言った。

 そのお礼が誰に向けられていたのかは、彼女自身、知る由も無かった。



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