第六話 身代わりのマリオネット
「無様な姿」
樋口鴎が51階の管理人が住まう部屋に入室するや否や、あどけなさと妖艶さを兼ねそろえる少女は、侮辱の言葉を口にした。
「その状態は、自らが生み出したのよ。拒否することだってできたのに」
瑠璃は、抱えていた鴎を、ソファーへと座らせた。もう彼女に体を動かせる力はほとんど無いらしく、両腕と両足だけではなく、自由に動かせるのは首から上だけだった。
「わかっているの?」
「その辺にしとけよ。今はどうするか、何がこいつに取りついているのかを調べるのが先だろ」
勇敢にも、さらなる叱咤を抑えようとした瑠璃だったが、睨めつけられて一蹴されてしまったようだ。だが、少なからず効果はあった。
「で、何があったのかしら?」
「……か、カモメ……くん」
それだけ喋ると、鴎は口をつぐんでしまった。メルはため息を吐く。
「この後に及んで、庇おうとするなんて」
呆れるメルに対して、瑠璃は驚いていた。
(この場所で、メルに問いかけられて答えないなんて。よほど詮索されたくないつらいことがあるのか、それとも、よほど庇いたい何かがあるのか……)
その何か、とはきっと。
(レメシス。それほどに、この生徒の弱みに付け込んだのか)
瑠璃は改めて、レメシスの恐ろしさを思い知っていた。こんな、自分で歩くことも、手を動かすことも、何もできない状態にまでなってでも、彼女の心を支配してしまったことに。
「仕方ない。それじゃ、何が原因でこうなったと思う?」
「…………」
「答えなさい。命令よ」
ガチガチと歯がかみあわさる不快な音が聞こえる。
鴎は必死に、喋るまいと口を閉じようとしていた。それでもなお、どうしようもなく開こうとしてゆく。体が動かなくなってしまったのと同様に。
「し……」
瑠璃は眼を背けた。鴎が、痛々しい表情を浮かべながら、涙まで流している様を直視できなかった。
「答えなさい」
「しゃ、べる……」
「答えなさい」
「喋る、にん、ぎょう」
それだけ話終えると、鴎はだらしなく嗚咽を上げて泣き始めた。
「Tips」
メルの呼びかけに応じ、彼女の目の前に青い球体が姿を現した。
「search 話す、人形」
ぐるぐると回りながら、青い球体はうねりだす。その様子を横目で見ながら、瑠璃は鴎の顔をハンカチで拭いていた。
青い物体は動きを止めた。メルはその結果を見て、一瞬止まる。
「search 話す、人形……体の自由」
再び球体は動き出し、動作を止める。
「瑠璃」
メルは瑠璃を呼び出した。
「それを外して」
瑠璃は頷いて、指輪を外した。すると、青い物体に3つのレイシス、レメシスが浮かんでいるのがわかった。
(なるほど……)
瑠璃が、その浮かんだものに注意を向けると、その詳細が頭に入ってくる。その中で、これだという核心に近いものがあった。
「どう……?」
瑠璃は言葉なく首を縦に振る。
「なら、つけなさい」
言われたとおり、瑠璃は一度首輪に着けていた南京錠を取り外し、指輪を中指にはめてから、再度南京錠を取りつけた。
「身代わりのマリオネット、だろ」
至極簡単だった。浮かび上がったものに、レメシスは一つしかなかったからだ。これほどまでに、体の自由を奪っているのはレメシスに違いないと瑠璃は初めから確信していた。
「正解、お利口ね」
メルは口先だけの褒め言葉を発し、鴎に向きあった。
「あなたに取りついているのは、身代わりのマリオネットというレメシスよ」
泣きやんでいた鴎は、うつろな目をしていた。
「これからあなたは、全身の自由を奪われたあと、マリオネットの身代わりに人形になってしまう」
メルは真っ直ぐに鴎を見据え、不気味な笑みを浮かべた。
「どういう結末を望むのか、あなたに選ばせてあげる」
第六話 身代わりのマリオネット
「ひーちゃんは大丈夫なんですか!?」
瑠璃が司書室へ戻ってきた際に、出迎えたのは周防あやめの悲痛に満ちた声だった。
「とりあえず、そこをどいてくれ」
「あっ、すません……」
入口をふさいでいたあやめは退いて、瑠璃が抱き上げている鴎を心配そうに見つめていた。鴎は眼を閉じていた。
「寝てるだけだ、心配しなくていい」
あやめに告げた後、瑠璃はソファーへと鴎を寝かせた。
「それで、どうだったのだ」
反対側で腰をかけていた茉莉は立ち上がって、ポットのお湯を使ってお茶を入れていた。
「あぁ、それだが……」
湯呑みを受け取りながら、瑠璃はあやめに視線を動かす。あやめは、じっと鴎を見ていた。
「それよりも、よくここに連れてきたな」
「……あっ、はい。最初、保健室に連れて行ったんですけど、保健室の先生が何かのレンズで見たあと、ここに連れて行った方がいいって言われたんですよ」
「そうか、面倒をかけた」
「いえ……」
瑠璃は時計を見る。もう昼休みは終わり、午後の授業は始まっていた。
(だけど、このまま一人でこの生徒を置いてくわけにはいかないしなぁ)
本当は、これ以上あやめを関わらせたくなかったのだが、他に信頼できる者が近くにいない以上、彼女に頼るしか手段はなかった。
「一つ、頼まれてくれないか」
「で、どうだったのだ」
瑠璃はあやめに鴎の世話をお願いし、快くあやめは引き受けた。瑠璃は安心して、再びメルの元へと向かっていた。さっきと違う点は、千草茉莉を同行させていることだった。
「すぐに応えなかったところを見るに、あまりよくない事態だと予想できるのだが……」
「あぁ、実は――」
司書室から中央の螺旋状の階段を経由し、40階にあるエレベーターへと移動する。その途中、51階であったやり取りを茉莉に説明していた。
「それで、あの生徒はなんと?」
「それが……」
二人は、職員用のエレベーターへと乗り込んだ。
「一緒にいられるならそれでいい、とさ」
「……あの方は何と仰った?」
「そう、とだけ言った」
明らかに茉莉の表情が曇ってゆく。
「一体どうしたいというのだ。今が最も安全に処理できる、絶好の機会だというのに」
エレベーターが動き出す。51階へと着々に近づいてゆく。
「さぁ、おれにはさっぱり。あいつの考えてることがわかるなら、そいつは既に人間じゃないだろうよ……だけど、一つだけならわかる」
「……僕にも、それはわかる」
ほとんど同時に、上方にある液晶の表示が51と表示された。二人は、答え合わせをすることはなかった。
「久方ぶりだ。ここに足を運ぶのは」
茉莉の目に、部屋を覆いつくす水だけの円錐上のタワーが見える。次に、その芸銃的なタワーが割れてゆき、赤い絨毯現れてゆく。その赤い絨毯が、メルの待ち構えている部屋への道筋となる。
「君には、これらが見えないのだな」
「まぁな」
「教えてくれ」
言葉足らずではあったが、教えてくれというのは、どうなっているのかなのだろうと理解し、瑠璃は簡単に教えることにした。
「別になんてことない広間だ。左右に二つずつ部屋があって、その辺に高級そうな置物や絵やらが飾ってあるだけだ」
「そうか……いつか、見てみたいものだ」
二人は足を進めてゆく。すると、重々しい黒塗りの扉が目に入ってくる。そして、ほぼ同時に二人を歓迎するように開いていった。
「さて、おしゃべりは終わりだ」
「そのようだな」
二人は慣れた様子で部屋へと入っていった。二人が部屋へ入ると、何者の侵入も許さぬと言わんばかりに、大きな音を立てて扉は閉まっていた。
二人はまだ知らなかった。
「あの子を殺しなさい」
容赦のない残酷な言葉が、かわいらしい口元から飛び出してくることを。
30分後、二人は司書室へと戻ってきた。話は、ほとんどメルの一方的なもので終わりを告げていた。
「司書さん、どうなったんですか!」
「別に、どうなったとかこうなったとか……なぁ?」
「あぁ、そのようだ」
二人は半ば無視をし、瑠璃は椅子へ、茉莉はソファーへと腰をかけた。二人とも、先刻のメルの話が実際問題どうであるのか個人個人で考えていた。
二人の様子を見て、さすがのあやめでも何か問題が生じているのだと察することができた。さらに、できれば今は口を挟んでほしくは無いのだろうということも。それでも、彼女は。
「司書さん!」
自分が蚊帳の外にいるのは耐えられなかった。できることなら、鴎を救う手助けをしたいと考えていたから。
「一体、どうなっているんですか! ひーちゃんは今、どんな状態なんですか!」
あやめは書斎机を回り込み、直接瑠璃に詰め寄る。瑠璃は、小さく息を吐いた。その行動は、あやめをさらに駆り立ててゆく。
「答えてください!」
「……簡単な話だ。樋口鴎は、レメシスを扱う代償に、体を動かせなくなっているだけだ」
「だけって……なんでそんなに冷静なんですか。これって、明らかにおかしい状態ですよ!?」
「ちょっと黙ってろ、考えをまとめてるんだ」
ないがしろにされ、一人何も分からず、どんどん焦燥感が募っていく。
(どうして、二人はそんなに落ち着いてるんですか。どうしてわたしは、二人に比べてこんなにも焦っているの。わたしは、司書さんの助手なのに、どうして、こんなにも違うんですか……)
簡単に、その答えに行き着いた。あやめは、特別司書でもなく、風紀員でもなく、ただ一回の不思議な体験をした、自称特別司書助手を名乗っている、他の生徒とと変りもしない普通の生徒だからだ。
「…………」
瑠璃は、知らず知らずのうちに拳を握りしめていたあやめの姿に気付く。
「おれと、ち――茉莉が冷静に見えるのは、レメシスがどういう代償を要求してきたか、少しは知っているからだ」
瑠璃は続ける。
「前にも言った通り、レメシスは因果という使用者との結びつき以上の何かを要求する。その何かに一定の理屈なんてものは存在しない。だから、こいつがこれから人形になるとしても、おれたちはそういうレメシスだと納得できる」
「人形に、なる……?」
「あぁ。こいつは、自ら進んで自分の体を投げ出した。自分から、身代わりのマリオネットに体の自由を明け渡そうとしている」
「本当なんですか!?」
鴎の方を向き尋ねるが、鴎は目をつぶったまま微動だにしない。
「……それで、司書さんたちはどうするんですか? まさか、このまま見逃す、なんてことはしませんよね……?」
瑠璃は口を閉じたまま視線をそらし、一呼吸置いた。そして、椅子に腰をかけたままあやめを見上げた。
「いや、見過ごす。樋口鴎の、望むままにさせてやる」
「どうしてですか!」
あやめの激昂は、彼女にとっては当然だった。
「どうしても何も、こいつはそれを望んでいるんだ。それに、身代わりのマリオネットは、実のところそこまで害は無い。ただ、マリオネットは鴎の代わりの人生を歩んでいくだけだからな。単に、性格が変わるだけで、傍からすると気付くことはないんじゃないか」
轟音が部屋を駆け巡る。あやめは、机を思いっきり叩いていた。
「そういう問題じゃないでしょ!」
瑠璃は、少し驚いていた。他人のために、ここまで本気になれる人がいたことに。
改めて感心していた。感心していたが、瑠璃は冷たく言い放つ。
「そういう問題だ。周防あやめが、真実の鏡を受け入れたよう時のように、樋口鴎は、身代わりのマリオネットを受け入れる。おれたちも、学園と生徒に危険が無く、風紀や秩序が乱れず、世の理に違反しない限り、最大限その者の望みを叶える。周防あやめにしたように、樋口鴎もそうする」
「人形になってしまうことが、危険じゃないんですか……? ひーちゃんが人じゃなくなってしまうことが、世の理に違反しないんですか……?」
「あぁ。そうあいつが判断した。そしておれたちは、あいつの判断に従う」
あいつ、すぐさまあやめの脳裏に想い浮かぶ少女の姿があった。
「それって、おかしくないんですか……?」
「おかしくなんてない。なぁ、茉莉」
茉莉は二人の方を向かず、そのまま頷いた。されど、あやめは止まらない。
「おかしいんですよ! 人が人で無くなっちゃうんですよ? それって、絶対おかしいことなんですよ……だって、人じゃなくなるって、死んじゃうことと同じなんです。司書さんだって、わかってますよね?」
訴えるように、あやめは嘆いた。
「わかってるのに、おかしいって。それなのに、どうして……」
「じゃあお前は、こいつが望む何かを叶えてやれるのか?」
「えっ?」
「叶えられるわけないよな。その望みを、樋口鴎がお前に教えることは無いだろうし、お前も知ることはない……当然、おれたちも例外なく」
あやめにとって、とても冷酷な言葉に聞こえた。有無を言わせないような迫力もあった。
「それでも、あいつが望む何かを、マリオネットは満たすんだろう。そういう契約だから」
見上げていた瑠璃の目が、嫌に冷たいものに感じられる。
「周防。お前に、樋口鴎が抱えるすべてを理解し、こいつの望む何かを満たすことはできるのか……?」
あやめは、挑戦的に瑠璃を見続けていたが、初めて視線をそらし地面を見る。
(わたしに、ひーちゃんが望むことを……?)
自分のことを思い出していた。自分が何年も自分の中にため込み、誰にも言えなかった散りに積もった想いがあったことを。
(できるわけ、ない。わたしが、誰にも何も言えなかったように。きっと、ひーちゃんも何かを抱えていて、だから、私のように魅入られてしまって)
そう考えると、彼女が望むとおりにさせてやるのが一番だと思えた。しかし、あくまでもほんの一瞬。
(それでも、わたしは……)
彼女を駆り立てているものは、助手としての義務感ではなく、個人として、友達を救いたいというかけがえのない想いだった。
「ひーちゃんは、どう思ってるか知りませんけど……それでも、わたしにとっては大切な友達なんです!」
渾身の力を振り絞った声だった。上ずっていたが、確かな意思を瑠璃は感じていた。
「あきらめろ。お前を、レイシスやレメシスに必要以上に関わらせることはできない。そういう規則だ」
けれども、瑠璃は決めていた。このおかしな出来事に、必要以上に関わらせるわけにはいかない、と。あやめはあくまでも一般生徒で、自分は特別奨励生徒。きっちりと、ラインは退いておかなければならない。
「とりあえず、今日は帰れ。帰らないなら、おれの権限で、螺旋図書館への出入りを禁じる」
まだまだ言い足りないことはあった。抗議もしたかった。
「わかり、ました……」
だけど、ここの出入りを禁じられてしまったら元も子もない。交渉する権利を失ってしまうわけにはいかない。
一旦あきらめ、瑠璃の言いつけ通り寮に戻ることにした。ドアノブに手をかける。
「司書さんは、そんな人じゃないと思っていました。あの時――」
あやめの言葉に、瑠璃は重ねた。
「周防」
「……なんですか?」
「今回のことで嫌になったのなら、もうここへは来なくていい。おれたちの与えられる仕事は、お前が持つ当たり前という概念と相反することがよくある。その理由は、おれたちの一番の役割は、レイシス及びレメシスの回収、または破壊だからだ」
「……」
「それに……おれは別に、一人でも問題なくやっていける」
あやめは、握る手を強めていた。自身の無力さを痛感していた。
「だけど、お前がこれからもおれの助手なんてものを続けたいなら、お前は、お前にしかできないことをやれ」
振り返ることなく、あやめは去って行った。あやめがいなくなると、司書室は沈黙に包まれた。
「今時、珍しくいい子なのだな」
沈黙を破ったのは、茉莉だった。
「あぁ。それより千草、どさくさに紛れて名前で呼んで悪かった」
「気にするな、君の意図はわかっているつもりだ。それに、これからは名前で呼んでくれていい。僕もそうするのでな」
茉莉は立ち上がり、横に置いていた長物二つを手に取った。
「……わかった。じゃ、明日また来てくれ」
茉莉が去った後、瑠璃は横になって目をつぶっていた鴎に話しかけた。
「さて、樋口鴎。お前、起きてるんだろ?」
瑠璃と茉莉は、鴎が目を覚ましていたのを知っていた。それは、冷静に観察すればわかることだった。だが、あやめは気が動転していたので、気がつかなかったのだろう。
「……はい」
「本当にいいのか? 明日にはもう、お前は樋口鴎じゃなくなるんだぞ?」
周防あやめは重大な勘違いをしていた。まだ、鴎は大丈夫であると。本当は、体のほとんどを浸食されているのにも関わらず。
「いいのか?」
その問いかけに、鴎は答えることは無かった。瑠璃もそれ以上問うことは無く、一日司書室で待機することになった。