『桜と涙とハックルベリイ』 (2)
なるべく声を出さないように、それでもかなり激しく泣いた。
ふと気付いて時計を見ると11時を過ぎたところ。
久しぶりに会ったのに、一時間足らずで振られてしまうなんて。
(こんな顔じゃ、人の中に出て行けない。)
まだしゃくりあげながらも、このままここに居るわけにもいかないと気付く。
とりあえず落ち着くために、休憩所のベンチへと移動。
鼻をかみ、頬の涙を拭って顔を上げると、遊歩道から一段高いベンチからはさっきよりも広く海が見えた。
太陽の光にキラキラと輝く波は、龍野くんと一緒に見た雨上がりの海を思い出させて……。
(ダメだ……。)
またしても、涙。
止めようと思っても、あの日から今日までの思い出が次々と浮かんできてしまう。
バッグの中のスケジュール帳のことも。
龍野くんにもらったメモは、言葉を全部覚えるほど繰り返し見た……。
目をこすると赤くなるので、あふれる涙をハンドタオルで押さえるように目を覆う。
それでも、いつまでたっても涙は止まらない ――― 。
カサ ――― 。
どれくらいの時間が経ったのか。
耳が、枯れ葉を踏むような音をとらえた。
一気に体が緊張する。
(まさか……痴漢……?)
来るときに見た看板が頭に浮かぶ。
音はまだそれほど近くはなかったけれど……。
(どうしよう? 怖い! でも、普通の散歩の人かも知れないし……。)
分からないけど、ぐずぐずしていて襲われたら怖い。
どちらにしても、泣いているのを見られたくないし。
(もう、顔なんてどうでもいいや!)
慌てて決心し、急いでタオルを外してバッグに手を掛けながら立ち上がると、もうすぐそこに、こちらを向いた足が!
「ひ……!」
(つかまっちゃう!!)
恐ろしさのあまり両手を胸の前で握り合わせて身構えた途端、目の前の靴に見覚えがあることに気付いた。
(もしかして……?)
足元から上へと相手の姿をたどってそうっと視線を上げる。
最後に目に入ったのは、バツの悪そうな顔をした龍野くんの顔だった。
ほっとすると同時に、恐怖が一気に怒りに変わる。
「もう……、なんで?!」
さっきのショックも加わって、気持ちが押さえられない。
「びっくりするじゃないの! 帰るなら、さっさと帰ればいいでしょう?! わたしのことなんか、ほっといてよ!!」
一息に怒鳴って、龍野くんを睨み付けた。
わたしの勢いに半歩下がりつつ、龍野くんが両手を上げてなだめるように言う。
「あ……、ごめん。途中まで行ったんだけど……、さっき、痴漢の看板も立ってたから……その、一応見に行こうと思って……。」
こんなときにまで、心配してくれたのだろうか?
でも、この人はわたしのことを好きなわけではない。
その優しさがわたしを余計に苦しめるとは気付かない。
「あの……、駒居……泣いてた……?」
その質問に、また怒りが燃え上がる。
「そうよ! だから何?! わたしが泣いてちゃ変だって言うの?!」
わたしの剣幕に、龍野くんが慌てて「いや。」と否定。
「わたしだって女の子なんだから、振られて泣くぐらい、したって当然でしょ!」
喰ってかかったわたしの前で、龍野くんが驚いた顔をした。
どうしてここで驚かれるのか、さっぱり分からない。
まさか、わたしを男だと思っていたとか?
「『振られた』って……?」
「はあ?!」
龍野くんの意味不明の質問に、また腹が立つ。
さっき自分が何を言ったのか、もう忘れたのだろうか?
呆れながら、何て言い返そうかと迷っているうちに、信じられない言葉が。
「俺……、駒居が断りたいんだと思ったから……。」
(自分の言ったことをわたしのせいにするなんて!)
「何それ?! わたしがいつ、そんなことを言ったっていうの?!」
「いや……、言わないけど……。」
龍野くんは、いったい何を考えているんだろう?
全然分からない。
考えることを諦めて龍野くんを睨む。
そんなわたしから視線をそらしたまま、龍野くんが言った。
「断りたいとは言わなかったけど……、返事をくれなかったから……。」
「……返事?」
もしかして、わたしの…返事?
「何度訊いても『今度』って言われてばっかりだったし……。」
だって。
だって、それは……。
「いつまでも返事をくれないってことは……断りたいんだなって……。駒居は気を遣うから、俺に言い出せないんだなって……。だから……。」
(だから、龍野くんが言ったの……?)
「そ、んな……。」
そんな。
そんなことって。
でも。
じゃあ。
両手を伸ばして龍野くんの腕にそっと触れる。
そのまま袖をぎゅっと握ると、龍野くんがわたしを見た。
「わたし……クリスマス・プレゼントも、バレンタインのチョコもあげたのに……。」
こんなに間近で見上げるのは初めて。
龍野くんの顔に淋しげな表情が浮かぶ。
「うん……。だけど、ああいうのは…友達同士でもやるだろう?」
そうだけど。
「でも……、受験があるんだもの。手作りのものとかは時間がないって、分かってくれると……。」
「そんなことじゃないよ。そうじゃなくて。」
龍野くんが苦しげにわたしの言葉を遮った。
「じゃあ……?」
「ただ……保留のままになっていた返事が……欲しかったんだ。」
返事が……。
「わたし……分かってると思ってた……。」
もうずっと前に答は出ていたのに。
分かってくれていると思って ――― 照れくさくて、言わなかった。
「そうかも知れないと思った。最初のころは確信してた。だけど……だんだん不安になって……。」
不安に?
「どうして……?」
わたしの質問に、龍野くんが目をそらす。
「俺が……一歩進みたいと思ったから。」
「一歩……?」
「駒居……『触っちゃいけない』って言っただろう? 俺だけ一方的に思ってるのかと……。」
言いながら視線を戻した龍野くんと間近に目が合って……。
( “触っちゃ…” って……。)
龍野くんの言葉の意味と今の自分の姿を確認して、たちまち首から上が熱くなる。
(やだ、どうしよう?! こんなときに赤くなるなんて、そんな……。)
これでは気持ちを口に出しているのと同じだ。
焦れば焦るほどパニックになって、そんな自分を見られたくなくて……。
「やん。見ないで。」
慌てて顔を隠そうと額を押し付けたのは、龍野くんの服……というか、胸。
一番近くにあったのがそれだった。
どすっとぶつかった衝撃で自分が何をしているのか気付く。
しかも、わたしにはあまりにも不似合いな、あんな甘えた声が出てしまうなんて!
「あ、あれ? 駒居? え? うそ?」
龍野くんのおろおろした声が聞こえる。
(どうしよう〜〜〜〜!)
パニックになっているのか、両手は龍野くんの服をますます強く握りしめる。
顔を隠しても、絶対に耳まで赤くなっているのは間違いない。
ドキドキするし、恥ずかしいし、顔を見られたくないし、言い訳しなくちゃいけないし!
(だけど…とにかく一番重要なことを言わなくちゃ。)
「ああ、あのあのあの……、あのね、へん、返事はっ、いいいい…イエスです。終わり終わりっ!」
あまりにも恥ずかしいので、一気に言って、問題を終了させることにした。
「え? あ……、ホントに……?」
ゆっくりの問いかけにうんうんと頷く。
それ以上は恥ずかしいので尋ねないでほしい。
龍野くんが大きく深呼吸をしたのが胸の動きでわかった。
それからわたしの背中と頭を抱えるように、そっと腕がまわされた。
「戻って来てよかった………。」
聞こえた言葉のあとに、ぎゅうっと体が締め付けられる。
(やーん、恥ずかしい! 苦しい!)
龍野くんの力が強くて、肺の空気が全部出てしまう。
動いても、龍野くんの力は弱まらない。
緊張して握ったままだった袖を放し、もがきながらどうにか両手を二人の間に移動させる。
そのまま無理矢理体を反らせて、文句を言うために龍野くんを見上げた。
「あの、あのね ――― 」
……それ以上は言えなかった。
龍野くんが、あんまり優しい目をしているから。
「……いい。何でもない。」
また恥ずかしくなって、顔をそむけて龍野くんの胸に頭をつけた。
(だって、力を緩めてくれないんだもん。どこにも逃げられないし……。)
ふっ、とため息と一緒に力を抜くと、低く笑う声が、胸に押し付けた耳に聞こえた。
それから、またぎゅうっと抱き締められたと思ったら、こんな言葉が。
「こんなに可愛い駒居って初めてだ。」
(「可愛い」って……、いや〜ん、もう!)
また自分の顔が赤くなって行くのが分かる。
もう絶対に顔を上げられない。
「俺、やっと分かったよ。」
龍野くんの胸を通して聞こえる声に、ほっとした響きが混じっている。
それがわたしの言葉と態度によるものだと思うと、照れくさいながらもほっとして、幸せな気分になった。
けれど、やっぱりいつもの強気な態度が表に出てしまう。
「……何が?」
「駒居って、気が強そうに見えるけど、本当はすげえ恥ずかしがり屋なんだろ?」
(………。)
「だから、これからは俺が積極的になることにする。」
(せ、積極的にって……?)
驚いて体を緊張させたわたしの髪を撫でながら、龍野くんがつぶやく。
「うーん……、胡桃? くーちゃん? うん、 “くーちゃん” だな。」
(まさか……。)
「これからは駒居のこと、『くーちゃん』って呼ぶ。」
「え、あの、それは。」
わたしには似合わないからやめてほしい……と、言うつもりだった。
でも、龍野くんの顔を見上げたら、その言葉は勝手に変換されて……。
「誰もいないときなら……いいけど。」
恥ずかしくてちらりとしか視線を合わせられなかったけど、龍野くんがにっこり微笑んだのはわかった。
そんな笑顔を見せられて嬉しくて、でも素直に笑顔を返せずにいるわたしを、龍野くんはまた抱き締めた。
「くーちゃん、可愛い♪」
(やっぱり恥ずかしい!)
龍野くんがこんなに気持ちを行動に出すひとだとは思わなかった。
今まで手だってつないだことがなかったのに……というのは、わたしが返事をしなかったせい?
頭の上では龍野くんがくすくす笑っている。
わたしはどうしたらいいのか困り果てながらも、腕の中の安心感と居心地の良さにほっとして、そっと頭を預けてみる。
それから心の中で一言。
(大好き。)
早とちりのところも。
心配になると、じっとしていられないところも。
本当は、今まで何度も心の中で言ってきた。
今度はいつか……、いいえ、近いうちに、声に出して言おう。
でも……、やっぱり恥ずかしいな。
無理かな。
『桜と涙とハックルベリイ』 おしまい。
次はあの二人です。




