『桜と涙とハックルベリイ』 (1)
おまけのおはなし一つ目です。
卒業した龍野と胡桃の関係は……?
『桜を見に行かないか?』
龍野くんから電話が来た。
3月は間もなく終わり、大学の入学式が間近に迫っている。
わたしは県内の大学に、龍野くんは山岳部のある少し離れた大学に進学が決まっている。
『姫ヶ崎に少しだけどあるんだよ。林の中だから、花見ができるほどじゃないけど。』
姫ヶ崎といえば、初めて二人で出かけたアスレチックがあるところだ。
高校時代の最後の思い出に相応しい気がして、すぐにOKした。
翌日、前の晩から迷いぬいて決めた服に身を包み電車に乗った。
大学進学にあたり必要になるからと母と一緒に買いに行った服は、少し大人っぽいものが多い。
その中からピンクがかったグレーの綿のトレンチコートを選んだ。
中には白いワイシャツの上に桜の色に合わせたピンクのセーター。
歩くことを想定してジーンズとスニーカー、そして茶色の革製のショルダーバッグ。
髪型を変えてイメチェンしようかと思っていたけれど、決まらないまま、今でもショートボブ。
でも、服が変われば雰囲気も変わるかな……、と電車内にある鏡でちらりと確認。
(まあ、こんなものか。)
龍野くんとのバランスがあるから、あんまり気取らない方がいい。
待ち合わせは、姫ヶ崎駅に10時。
渡り浜駅で急行から各駅停車に乗り換えるときも、姫ヶ崎駅で降りるときも、あの日のことが頭の中によみがえる。
部活のことで悩んで、辛くて、龍野くんの申し出にすがるような気持ちでやって来たこの駅。
龍野くんの私服姿を初めて見て、自分の着て来た服が気になってしまったのだった。
今日は……?
ホームに龍野くんの姿はなく、一人で改札口に向かう。
改札口から5メートルくらいのところで、前方で手を振っている龍野くんが見えた。
(うん。大丈夫みたい。)
龍野くんはGジャンにグレーのパーカー、ダークグリーンのカーゴパンツというラフな服装だった。
髪を以前よりも短く刈ってあって、そのほんの少しの違いがわたしに気遅れを起こさせたけれど。
「お待たせしました。」
自分の服も気に入ってもらえるか少し心配で、それを隠すために丁寧に頭を下げてみる。
何も言わない龍野くんが気になって、おずおずと顔を見たら、いつもと同じ笑顔だった。
(よかった!)
並んで歩き出しながらほっとする。
「前に行ったアスレチックの右側の方に、見晴らし台がある遊歩道があるんだ。」
駅の屋根から出ると、春の日差しが温かい。
龍野くんの視線を追って前方を見ると、駅の前を横切る国道の向こうに、姫ヶ崎の岬へと続く上り坂が延びている。
「林の中を通ってこの国道の先につながってるから、下からでも上からでも行けるけど、どうする?」
「じゃあ……、上りながら見る方がいいかな。ゆっくり歩けるもんね?」
「ああ、そうか。駒居は体力がないからな。」
ニヤリと笑った顔に、言葉を返す。
「龍野くんだって、受験勉強で前みたいには歩けないでしょ? もしかしたらわたしの方が元気かも知れないよ。」
「それはないな。俺、ジョギング始めたから。」
「え? そんなこと聞いてなかったよ。いつから?」
「10日前くらいかな。」
(そうなのか……。春休みになってから、電話で一度話しただけだったから……。)
なんとなく淋しい。
そりゃあ、何でも話してもらわないと気が済まないというわけではないけれど……。
国道を右に何分か進むと、歩道の横に『姫ヶ崎遊歩道入口』という看板が立っていた。
丸太を模した道標風の看板は汚れてはいなかったけど、そこから山の中に延びる道はかなり寂れた感じ。
葉が落ちない木が多い林は、晴れている今日でも少し暗い。
「昔はもうちょっと明るかったんだけどなあ……。」
わたしの隣で龍野くんがつぶやく。
きっと、龍野くんが小学生のころの記憶なのだろう。
2、3歩下がって斜面を見上げると、奥の方に桜の花の色がちらりと見えた。
「あそこに桜が見えるよ。それに、道はちゃんと管理されてるみたいだから大丈夫じゃない?」
(何かあっても、龍野くんが一緒だし。)
微笑みながら龍野くんを見ると、わたしを見てうなずいた。
そして、先に立って遊歩道へと踏み込んだ。
遊歩道は斜面を斜めに登りながら、ゆったりと続いていた。
わたしたちはポツリポツリと話をしながら、ゆっくりと歩いた。
途中、『痴漢注意』という看板が出ていて、 “人が来ないから痴漢が出るのか、痴漢が出るから人が来ないのか、どっちだろう?” なんてくだらない議論もした。
それくらい鬱蒼としていて誰もいない、ということなのだけど。
斜面のきついところは木で土止めをした階段になっていて、そういう場所では無言になった。
ちらりと “手を引いてくれないかな?” と思ったけれど、自分から言い出すことはできなかった。わたしはそういうことが苦手だから。
桜の枝が屋根のように道に掛かっていたり、赤や白の椿が咲いていたりすると、明るい気分で足を止めた。
のんびりと30分ほどで登り切ると、いきなり目の前に海の景色が。
「わあ……、綺麗だね……。」
木の手すりに走り寄り、身を乗り出すようにして海を眺める。
左隣に龍野くんが来て、同じように海を見る。
手すりの少し先からは崖に近い斜面のようで、途切れた地面の向こうには海しか見えない。
遊歩道は左に延びていて、少し先に木の屋根がかかった休憩スペースがある。
その先に進めばアスレチックなのだろう。ときおり、子どもの甲高い声が聞こえてくる。
遮るものがなくなった春の日差しの中、暖かさと波が砕ける音に身を委ねて目を閉じる。
「駒居。」
心地よい龍野くんの声。
この声に、何度も支えてもらった。
「なあに?」
目を閉じたまま答える。
今の幸福感を壊したくなくて。
「俺、バイトすることにしたんだ。」
「そうなの?」
(いつ決めたの……?)
何も知らなかったことにショックを受けて、龍野くんを見た。
でも、自分の感情は隠して。
「うん。アウトドア用品の店で。土日に。」
土日……。
「龍野くん……、大学で山岳部に入るんでしょう? じゃあ……、ちょうどいいね……。」
(違う。)
わたしが言いたいのは「ちょうどいい。」じゃない。「あんまり会えなくなるね。」なのに。
「うん。新しい製品も見られるし、勉強になるから。」
「そう……。」
悲しい顔を見られたくなくて、海へと顔を向ける。
(龍野くんが好きなことを応援してあげなくちゃ……。)
笑顔で「よかったね。」と言ってあげようと思ったとき、龍野くんの言葉が胸を貫いた。
「それで……、もう……終わりにした方がいいかと思って。」
驚いて龍野くんを見たわたしは、笑顔も言葉も出なかった。
(「終わりに」って……?)
突然の言葉に頭がくらくらする。
体を支えるため手すりにつかまったまま、龍野くんの方に向き直る。
「お、終わりって……龍野くんと……わたし……?」
「うん。」
さらりと返事が帰って来る。
その早さと真面目な表情に、決意の固さを感じた。
「そう……、わかった。」
もう一度海の方に向き直り、手すりに両手でつかまる。
ショックのせいか、何の感情も湧いて来ない。
ただ、龍野くんの言いたいことが分かり、彼に言うべき言葉を絞り出すだけ。
「今まで……ありがとう。」
そうだ。
わたしが伝えたいのは感謝の気持ち。
あの日からずっとわたしを支えてくれた龍野くんに。
でも、龍野くんの顔を見て伝えることはできない。
動いたら涙があふれてしまいそうで。
「わたし……迷惑ばっかり掛けちゃってたね。……ごめんね。」
迷惑ばっかり……。
いつもわたしは威張っていて、怒ったり、わがままを言ったり、とても自分勝手だった。
龍野くんが何でも受け止めてくれると思って、甘えていた。
でも、龍野くんは、もっと早く断りたかったのかも知れない。
それを、受験が終わって落ち着くまで待っていてくれたのかも……。
「本当に、ありがとう。」
どうにか涙を止めて、微笑むことができた。
優しい龍野くんがこんな話を持ち出すのは、大きな決断が必要だったはず。
だから、ここでわがままを言っちゃダメだ。
少し悲しそうに視線を落としている龍野くんに、明るく聞こえるように言う。
「ここでサヨナラしよう。わたし、一休みして行くから、龍野くんは先に帰って。」
「駒居……。」
顔を上げた彼に、最高の笑顔を送る。
「心配しなくていいよ、帰り道は分かるから。じゃあね。」
すぐに顔を背けて、手すりにしがみつくように海へと体を向ける。
何秒かして、龍野くんが道を向こうへと歩き出した。
その後ろ姿を視界の隅で見送り、カーブで見えなくなってから、腕に顔をうずめて泣いた。
次へ続きます。




