1 6月13日(金) 図書室にて
高校一年生の向風くんの恋の顛末記です。
(やった! 今なら大丈夫だ!)
放課後の図書室。
貸出時間が終わった午後4時。
残っているのは、学習コーナーで勉強中の3人と司書の雪見さんだけ。
さっきまでカウンターにいた図書委員も、もう帰ったみたいだ。
このチャンスを待っていた。
一週間前からずっと……。
さり気なく本を探しているふりをしながら自由席に近付く。
この自由席は今は誰もいないけれど、学習コーナーよりも人気があって、昼休みも放課後も必ず何人か座っているのだ。
月替わりで雪見さんが本をピックアップしている場所から適当に一冊を取り、学習コーナーに背を向けて自由席に座る。
そして……。
視界の中心に据えるのは、本ではなく……人形。
ちょうど僕の手の大きさくらいの高さで、ほっそりしただるまのような形の木でできた人形だ。
頭に赤いスカーフをかぶり、黄緑色のスカートに白いエプロンをかけた女の子の絵が描いてある。
ぱっちりした目と赤い頬が、いかにも民芸品らしい趣。
この人形が、ずっと気になっていた。
5月の末に、授業でここに来たときにはなかった。
でも今月になって、社会科の中間テストのために新聞を読もうと来てみたら、いきなり置いてあった。
こげ茶色の本棚と茶色い床と机、そんな地味な景色の中に、鮮やかな赤と黄緑色。
突然現れたことも、どうして図書室にそんな人形が来たのかも気になったけど、とにかく近くで見たかった。
でも、その人形が置いてあるのは自由席でいつも誰かが周りにいたし、試験前の図書室は、僕と同じく新聞を読みに来る生徒や勉強をしに来る生徒で結構混んでいた。
そんな中で人形に興味があるところを見せるなんてことは、僕にはできない。
きっと、 “男のくせに変なヤツ” と思われてしまう。
「ふ……。」
ため息が出てしまった。
この竹林高校に入学して2か月が過ぎた。
僕のイメージは、きっと “オタクっぽい” だ。
いや、すでに “ぽい” は取れているかも。
なにしろ、ひょろひょろと背ばかり高くて色が白い。
髪は猫っ毛でやたらとすべすべしていて、どうしたら男らしく見えるのかまったく分からない。
黒縁のメガネ、運動音痴、そして人見知り。
そんな外見でパソコン部なんかに入っているから、男子には、怪しいサイトを見ているんだろうと言われたりする。
当然、女子なんか誰も近寄って来ない。
同じ体型でも女だったら二重丸らしくて、姉は何度かモデルにスカウトされているけれど、男では……。
そんな僕が人形なんか触っていたりしたら、絶対に! 永久に! 「変なヤツ」のレッテルを貼られてしまう!
だけど ――― 気になるんだ!
色と形だけじゃない。
あれを見付けた次の日、僕は見たんだ。
女子の先輩たちがきゃあきゃあ笑いながら、人形をパカッと割って、中から次々と小さい人形を出していたのを!
いったい何個入っているのか。
全部が同じ模様なのか。
フタと本体の継ぎ目はどうなっているのか。
どうしても見たい!
僕はいろんな物の中身がどうなっているのかが、小さいころからとても気になる。
車とか電車とか時計とか、そういった機械類が好きだし、それをいじるための工具類も好きだ。
パソコン部に入っているのも、使うためというよりは、分解して遊べるからだ。
というわけで、その人形が気になって気になって、毎日図書室に通ってしまった。
新聞を読むっていう口実があったからよかったけれど、いつ来てもこの自由席には誰かがいて、人形に近付くことはできなかった。
でも。
とうとうこの瞬間が!
念のため、ふと気付いたような様子を装い、不思議そうな顔を作りながら人形に手を伸ばす。
(やった……。)
滑らかな木の肌触り。
手になじむ形。
とても懐かしい感じがする。
(たしか、上下に開くようだったけど……。)
少しずつ力を入れながら、回すようにひねってみる。
と、「すほっ」みたいな掠れた音がして、上半分が抜けた。
その中には、一回り小さい人形が。
(おお……、ホントに入ってるよ……。)
中から人形を取り出してそっと振ってみると、コトコトと音がする。
この中にもやっぱり人形が入っているんだ。
次を開ける前に思い付いて、継ぎ目の手応えを確認しつつ、最初の人形に蓋をした。
2番目を開けると3番目、3番目を開けると4番目、と現れて、5番目でおしまいだった。
一つひとつの人形は、スカーフとスカートは同じ色だったけど、表情や模様が少しずつ違っている。
五つの人形を大きい順に並べたら、満足感に満たされた。
あんなに気になっていたものを自分の目と手で確かめたんだから、当然だ。
並んだ人形をながめて間違い探しのように見比べていたところで、急に、ここが公の場だったことを思い出す。
(しまった! 思わずニヤニヤしちゃったかも……。)
一人で人形を並べてニヤニヤしていたなんて、みっともない。
こんなところを誰かに見られていたら………。
今さら無駄かと思いつつ真面目な顔を作り、片付けるために人形を手に取る。
慌てていることを誰にも悟られないように気を付けながら、誰もいないはずのカウンターに何気なく目を向けると ――― 。
(なんで?!)
同じクラスの雅さんと、バッチリ目が合った。
それから5分間くらいのことは、よく覚えていない。
とにかく人形は片付けた。
立ち上がろうとして床に落とした本を、元の場所(たぶん、そうだと思う。)に戻した。
カバンを持っていたのに、そのまま昇降口に降りないで、教室に戻ってしまったらしい。
気付いたら、窓から2列目の一番後ろにある自分の席に座っていた。
(よりによって、雅さんに見られるなんて……。)
最悪の中でも最悪だ。
雅さんは僕の前の席の女子、そして ――― 片思いの相手なのに。
雅さんは、ものすごく可愛い。
ぱっちりした目とふっくりした桃色の頬、小さな口。
目の上で切りそろえた前髪と肩までの髪をハーフアップにした髪型は、真面目で清楚な彼女にぴったりだ。
たまに笑うと満開の桜のように艶やかで、黙っているときは桜の花びらのように儚げで可憐。
おとなしくてあまり大きな声は出さないけれど、声は軽やかで鈴を転がすよう。
「雅 星歌」という名前も、彼女にしか似合わないだろう。
噂ではお父さんが社長で、広い土地に建つ家と車が5台(しかも、2台は普通の車ではないらしい)、それに蔵もあるという。
彼女の控え目な性格とときどき見せる困ったような表情は、きっと大切に育てられてきたお嬢様の証なのだと思う。
僕は入学初日から彼女の虜。
配られたプリントを回してくれた雅さんに一目惚れしてしまったのだ。
けれど、自分から話しかけたことは一度もない。
こんな自分では彼女に似合わないと分かっているから。
それに、雅さんは僕よりもさらに人見知りで、女子にも自分からは話しかけられないようだった。
幸い、うちのクラスには面倒見のよい天園という女子がいて、雅さんが一人にならないように気を配ってくれている。
この天園は僕と同じ中学の出身で、実を言えば、僕がクラスにどうにか馴染めているのも彼女のおかげなのだ。
――― なんてことは、もうどうでもいい。
たった2か月で、僕の片思いは悲惨な最期を迎えた。
もちろん、最初から何も望んではいなかった。
でも。
席が前後になっているから、雅さんとの接点はあったんだ。
プリントのやりとりや、床に何かを落としたときに拾うとか、「おはよう。」って言うことくらいは。
そういうときに、雅さんの笑顔を見ることもできた。
けれど、もうおしまいだ。
きっと、明日からは僕のことを気味の悪い男という目で見るだろう。
あからさまに態度に出さないとしても、もう笑いかけてくれることはないに決まってる。
そりゃあ、彼女を好きでいるのは僕の自由だ。
べつに、何か無理強いしているわけではないし。
だけど、雅さんに嫌悪感を持たれていると思うと……辛いよ……。
ハッピーエンドは望めなくても、せめて普通のクラスメイトとしての位置は確保しておきたかったのに……。
(……もう帰ろう。)
ここでうじうじ考えていたって、何も変わるわけじゃない。
部活は休んでしまおう。
こんな気分で誰かと顔を合わせるのも嫌だ。
パソコン部の友人にメールを送り、立ち上がる。
窓の外は雨で、それが僕の気持ちを代弁してくれているような気がして少し慰められた。
昇降口で靴を履き替えて、傘立てから傘を取ったところで足が止まった。
中庭に向かった広い出入り口の屋根の下、端の方に立つ人影。
小柄な女子生徒。
半袖のワイシャツに白いニットベスト、紺のスカートと紺のソックス。
そして……いつも見ている後ろ姿。
(雅さん ――― 。)
胸が痛くなる。
そのまま離れた場所から外に出ても、正門に向かうには必ず彼女の視界を通過しなければならない。
思い切って歩き出すことができなくて、屋根の下に出る手前でまた止まってしまった。
そっと彼女を見たら、空と門の方を何度も見比べている。
(もしかして、傘がないのか?)
今朝は晴れていた。
僕は天気予報を見て大きい傘を持って来たけど、通学の途中で見た中では、傘を持っているのは少数派だった。
学校から最寄りの雀野駅までは徒歩10分。
結構しっかり降っている雨だから、傘なしで駅まで歩いたらびしょ濡れになってしまうだろう。
(仕方ないな……。)
本当は、顔を合わせるのは辛いけど。
「あの。」
近付いて声を掛けると、振り向いた雅さんが目を丸くした。
「これ、使って。」
彼女の声を聞くのも耐えられないような気がして、押しつけるように傘を差し出す。
「あ、でも……。」
可愛らしい声が、胸に突き刺さる。
傘を借りるのを拒みたいほど、僕のことが嫌なのだろうか。
でも、この中途半端な時間に、ほかの誰かが通りかかって傘を貸してくれる可能性はとても低い。
「どうぞ。僕は……置き傘があるから。」
一瞬、「このまま帰れるから」と言おうと思ったけれど、それでは彼女が遠慮してしまうかも知れないと気付いた。
それに、この時間に帰ったら、電車が一緒になってしまう。
雅さんに無理矢理傘を渡し、もう一度教室に向かった。