10 3月1日(火) 初めの一歩
(………ん?)
「あの……。」
隣を歩く彼女に尋ねたくなった。
「どうして……?」
質問の意味を測りかねた彼女が首を傾げる。
「その…、どうして今、俺にそんな話を……?」
そう。
俺が気付かなかったことにほっとしたと彼女は言った。
なのに、それを俺に話したのはどうしてなんだろう?
あの学校の知り合いには会いたくなかったはずなのに。
「どうしてかなあ……?」
彼女も不思議そうに首を傾げた。
と思ったら、こっちを向いてにっこり笑った。
「最後だから、かな?」
(最後、だから?)
何かが胸にちくりと刺さった。
「野村くんには知っておいてほしいと思ったの…かな? うん。野村くんなら分かってくれるような気がするから。」
(俺、なら……?)
彼女の言葉で胸がいっぱいになる。
自分が選ばれたことが嬉しくて。
彼女に信用されたことに感動して。
そして、俺も “彼女なら” と思ったことを思い出した。
(魂が近い……って……。)
あのとき感じていたこと。
俺だけじゃなく、彼女もそう感じてくれていたのだろうか?
「あ…、ええと、ありがとう。」
心臓が急に元気一杯に動き出す。
せっかく冷めた頬に、また血が上る。
「いいえ。つまらない話ですが。」
彼女はふざけてお辞儀をした。
俺は自分の状態に気付かれないように、急いで次の話題を探した。
「あ、あのマフラー。」
俺の記憶に一番残っている彼女は、なんと言っても図書室で編み物をしている姿だ。
けれど、その話題を口にした途端、気分が落ち込んだ。
あのマフラー。
誰かへのクリスマスのプレゼント。
嫌な話題だと思っても、もう彼女には聞こえてしまった。
俺の次の言葉を待って、じっと顔を見ている。
「その…、喜んでもらえた?」
気持ちがずんずん沈んでいく。
痛いほど。
彼女が彼氏にプレゼントを渡したときの話を聞かなくてはならないなんて。
彼女はふっと前を向き、少し口をとがらせて不満げな顔をした。
その様子に彼女が相手の反応に不満だった気配を感じ取り、少し気持ちが和らいだ。
「色が若すぎるって言うの。」
「はあ?」
自分の間抜けな声にびっくりした。
けれど。
あのマフラーは綺麗な水色だった。
紺の制服にも、普通の服にも、似合わないことはないと思う。
なのに……。
(「色が若すぎる」? 彼氏って、いったい何歳なんだ?)
俺はよっぽど変な顔をしていたに違いない。
黙って考え込んでいる俺を見て、彼女は吹き出した。
「やだなあ、野村くん。勘違いしてるでしょう?」
「え?」
笑われたのは顔ではなかったらしい。
「あれはお父さんのだよ。わたし、言わなかったっけ? 家で編んだらバレちゃうからって。」
「あ……。」
確かにそう言っていた。
でも、女子高生が家族にバレたら嫌だと思うのは好きなひとのことだと思ったから……。
(じゃあ……。)
いないのだろうか?
彼女には。
落ち込んでいた気持ちが一気に上昇していくのが分かる。
さっきから上がったり下がったり、まるで高速エレベーターに乗っているみたいだ。
(こんなはずじゃなかったのに。)
彼女のことを好きなわけじゃないと、何度思ったことか。
なのに。
「あ。」
何かに気付いたような彼女の声にドキッとする。
うろたえつつ彼女を見ると、少し睨むように見上げられた。
「野村くん、 “父親に手編みのマフラーかよ?” って思ってるでしょう?」
「い、いや、そんなことないよ。」
見当違いの指摘にほっとしながら否定する。
それを聞いても少しの間、彼女は疑わしそうな顔をしていたけれど、ふっと表情を緩めて言った。
「うちのお父さん、職場が遠いの。」
父親のことを語る彼女は、とても優しい目をしている。
「あのときにやっと見付けた仕事でね、朝早く出て、夜遅く帰って来るの。だから、感謝の気持ちを伝えたかったの。」
そこまで言って、彼女はまた口をとがらせた。
「なのに、気に入らないなんて。……まあ、あんまり上手に編めてなかったんだけどね。うふふ。」
彼女のお父さんは、本当は喜んでいたのだと思う。
でも、それを言葉にするのが照れくさかったんだろう。
「彼氏にあげるなら、もっといいものにする。」
前を向いたまま、彼女はきっぱりと言い切った。
いったいどんなものを思い浮かべているのだろう?
「俺はもらえたら嬉しいけど。」
(何言ってんだ、俺は?!)
浮かれてるのか?
まるで催促しているみたいに。
恥ずかしい!
でも、彼女は面白そうに俺を見て言っただけ。
「手編みのマフラー? そうなの? 野村くんて、意外と古風なのね。」
「ああ、うん……、そうかな……。」
気付かれなくてよかったような、気付いてほしかったような……。
(こんな複雑な気持ちになったのは初めてだ……。)
また “初めて” だ。
人生には、なんてたくさんのことがあるんだろう………。
「そう言えば!」
駅への信号を渡るとき、彼女がぽんと手を叩きながら言った。
「野村くん、進路は決まった?」
少しは気にしていてくれたのだろうか?
そう思うと嬉しい。
「私立は合格してるけど、国立は結果待ち。」
俺が答えると、彼女は「ああ。」と頷いた。
「国公立のひとはみんなそうね。発表の前に卒業させられちゃうなんて、ちょっと淋しいよね?」
「うん。まあね。」
でも仕方ない。
両親のころもそうだったと聞いた。
「そうか。残念。 “おめでとう” って言おうと思ったのに。」
彼女の心遣いに胸が温かくなった。
と、同時に。
(チャンス……なのか?)
「あの。」
迷う前に声が出た。
そんな自分に驚く。
心臓は信じられないほどの暴れようで、頭がくらくらしてくる。
彼女は問いかけるように俺を見上げている。
(言わなきゃ終わりなんだぞ!)
心の声が叫んでる。
「あ、その…、よよよよ…よかったら、結果、を、連絡、しても、その。」
(落ち着け〜!!)
こんなに大変なことだとは思わなかった!
だけど。
「あの、連絡しても…いいかな?」
(言えた〜〜〜!!)
言いたいことを言ったから、もう倒れてもいい。
本当にめまいがするし。
「結果を? わたしに?」
大きな瞳で問いかける彼女に、汗だくで頷く。
そこでハタと気付いた。
(もしかしたら、よく分かってないのかも。単に結果を連絡して終わりだと思っているのかも。)
また緊張が高まる。
めまいが治まらない。
「あ、あの。」
「はい。」
彼女は妙にかしこまった返事をし、それを聞いたらちょっと力が抜けた。
「あの…、また話せたらいいな、と、思って……。」
(とりあえず、これで俺の希望は通じる…よな?)
「ああ。そうね。ありがとう。」
彼女が笑顔になる。
断られなかったことに心の底からほっとした。
連絡先を教えてほしいと言うと、彼女は真新しいスマートフォンを出した。
「お姉ちゃんが買ってくれたの。大学に入ったら必要だからって。お姉ちゃんは来月から社会人になるのよ。」
嬉しそうに、誇らしげに話す彼女。
きっとお姉さんも、彼女のようにしっかりしたひとなのだろう。
連絡先を交換してから、彼女の乗るバス停でバスが来るまで話した。
彼女の乗ったバスを見送りながら腹が鳴って、気付いた。
(一緒に何か食べればよかった……。)
今さら思っても仕方ない。
コンビニで買い食いするのは初めてだから、もしかしたら変な失敗をしてしまうかも知れないし。
(それに……。)
彼女とは、今日が最後ではない。
……まあ、あれが社交辞令じゃないとは言い切れないけれど。
(彼女は「野村くんなら」って言った。高校最後の日に、俺を待っていてくれた。)
もちろん、彼女が俺に好意を持っていると考えるほど図々しくはない。
でも、 “普通よりはプラス側” …って思ってもいいのでは?
(いや、俺だって、彼女のことを好きだって決まったわけじゃ……ないし。)
そう。
まだ分からない。
だって、話したのはたった3回なんだから。
(だから……また会いたい。)
もっと話したい。
一緒の時間がほしい。
(……そうだよな?)
うん、そうだ。
コンビニの自動ドアを通りながら、スマホのアドレス帳を開いて彼女の名前を確認してみる。
(霧原 杏。霧原さん。)
次は「霧原さん。」と呼びかけてみよう。
俺が呼んだら、笑顔で応えてくれるだろうか?
さっきの雪見さんみたいに。
(雪見さんの……魔法。)
ぽっかりと浮かぶ言葉。
(雪見さん。俺にもかかったみたいです。雪見さんと児玉先生の幸せのおすそ分け、ちゃんといただけたみたいです。)
「お、野村じゃん。珍しいなあ。」
顔を上げると同級生が二人。
レジの横にあるケースの前で「ちょっとちょっと。」と手招きしている。
不思議に思いながら行ってみると、「唐揚げ派? 肉まん派?」と訊かれた。
「え?」
戸惑う俺に、二人が説明する。
「俺はさあ、腹が減ったら肉まんだと思うんだよ。ちゃんと主食とおかずって感じだろ?」
「肉まんじゃあ、 “ちょっとつまむ” って感じにならないじゃないか。おやつに食べるんだから唐揚げだよなあ?」
(単なる好みの問題では……?)
争うほどの問題ではないけれど、そこに引き込まれたことが妙に嬉しい。
少し真面目な気分で総菜の並ぶケースの中を覗いてみる。
「あ。俺はこれ。メンチカツ。」
腹が減っているせいか、衣とソースが美味しそうに見えた。
「なんだよー。」
「新しいな。」
隣で二人が脱力している。
3人でそれぞれ目的のものを買い、店の前で一緒に食べた。
これも初めてで、そして、楽しいということが分かった。
(これからも、きっとたくさんあるんだ。)
初めてのこと。
楽しいこと。
嬉しいこと。
もちろん、嫌なことや悲しいことも。
失敗したり、間違ったことをすることもあると思う。
でも、目をそらさずに、自分をちゃんと見ていようと思う。
経験と、知識と、感情と、行動と……とにかく逃げないで、ちゃんと。
いろんなことを積み重ねて、成長できたらいい。
彼女……霧原さんみたいに。
そしていつか、霧原さんに認められたい。
今はまだ頼りにならないけれど。
(必ず。)
明るい日差しの下に友人たちの笑い声が響いた。
その声も俺を励ましているような気がして心強かった。
改札口で二人と別れたあと、4月からの大学生活がとても楽しみになった。
----- 『HAPPY MAGIC』 おしまい。 -----
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
5つのおはなし、いかがでしたか?
どのおはなしも、楽しみながら書きました。
一つでも、一か所でも、「好きだなあ。」と思っていただけたら光栄です。
短いおはなしは難しいです。
書いていて一つ気付いたのは、シリーズにすると学校の建物の設定をそのまま使えて便利だということです。
今まで書いたどの学校も、似たような配置になっていますけれど…。
書きながら『児玉さん…』を何度も読み返しました。
そこで気付いたのですが、あちらは文章が読みにくかったですね。特に前半が。すみませんでした。
にもかかわらず読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
修正は…最初に読みに来てくださった方に悪いような気がするので、書き換えはしないようにしています。その時点での未熟な実力そのままで…。(恥ずかしいですが。)
お詫びというわけではありませんが、このあとに、何話かおまけのおはなしを入れるつもりです。
そちらもどうぞお楽しみください。




