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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『HAPPY MAGIC』
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4  回想(3)


家に帰ってから、児玉先生に言われたことをよく考えてみた。

言われたこと以外にも、家族の気持ちや、自分の将来のこと。

そして、何度か浮かんでいた疑問。

“これでいいのか?” ……。


眠りにつくまでいくつかの考えがぐるぐると頭の中をめぐっていた。

でも次の朝、カーテンを開けて朝の景色を見たら心が決まった。勉強くらいはちゃんとやってみよう、と。

両親はほっとするだろうし、俺が勉強しても誰の迷惑にもならない。

それに、児玉先生の「身に付けた知識は裏切らない」という考えが気に入った。



勉強するなら図書室に行こう、と、自然に思った。

あの中学では、図書室で勉強するのは普通のことだったから。


ところが。


放課後に行ってみて驚いた。

図書室はあまりにも閑散としていた。

学習コーナーにいたのは、3年生が二人だけ。


その頃の図書室は左側のカウンターと右奥の本棚の間に学習コーナーが横たわっていた。

3年生は窓側の6人机をそれぞれ一つずつ使っていたので、俺は廊下側の4人机を使うことにした。


本を借りに来ている生徒が帰ってしまうと、図書室はとても静かになった。

二人の3年生の威圧感もあって、ノートをめくる音をさせるのも怖いほどだった。


それでも、俺は図書室に通い続けた。

夏休みも冬休みも、図書室が開いている日はずっと。

家族に勉強をしている姿を見せるのが照れくさかったというのが理由の一つ。

もう一つは、俺のことでお金がかからないように。


べつに、うちが貧しいわけじゃない。

どちらかと言うと、余裕がある方だと思う。

でも、俺は中学は私立だったし、その受験のために小3から塾に通っていた。

それにかかったお金を全部無駄にしてしまった。

だから、それ以上は余分なお金をかけさせたくなかったのだ。


図書室なら冷暖房付きだ。

それに、半年分ずつ買っている通学定期も無駄にならない。

そう思って、一人で図書室に通った。

そして、誰とも話さない放課後を過ごした。



結果はすぐに出た。

9月の期末テストでは、どの科目も大きく順位が上がった。

そのことが思っていた以上に嬉しくて、自分で驚いた。

その後も順調に成績は上がって行った。


児玉先生は、俺が図書室で勉強していることをちゃんと知っていた。

そして、成績が上がったことを、廊下で会ったときに褒めてくれた。

「すごいね! よかったね!」と、まるで小学生を褒めるように。そして、自分のことのように嬉しそうに。

そんなふうに褒められたことが、成績が上がったことよりも嬉しかった。

……喜んでいる自分がちょっと恥ずかしかったけど。


クラスでは相変わらず一人で過ごすことが多かった。

もう俺の位置付けは決まっていたし、他人と付き合うコツも忘れてしまっていたから。


でも、肩の力が抜けたことで、秋の修学旅行ではそれなりに楽しめた。

ある女子には「表情が穏やかになったね。」と言われた。

そんなことがあるたびに、児玉先生のお陰だな、と思った。




3年生になって担任が変わったときは淋しかった。

でも、それで余計に図書室通いを続けようと思った。

児玉先生に背中を押してもらった勉強を続けることが、先生との絆のように思えたから。


放課後になって図書室に行くと、知らない男の人がいた。

背が高くて、太り気味で、 “大きな人” という印象だった。

図書室のレイアウトが変わっていて、入り口で立ち止まった俺に、笑顔で「こんにちは。」と言った。

それから「新しい司書の雪見です。」と自己紹介をして、新しいレイアウトと、フタ付きの飲み物はOKになったことを教えてくれた。

それを聞きながら、この人の声が好きだな、と思った。


学習コーナーは窓に沿って、本棚から司書室の壁まで並んでいた。

窓を横に見る向きで、本棚側から10人席が2列、6人席が一つ、4人席が二つ。

俺は一番端、司書室側の4人席の窓側の席を選んだ。図書室の本当の隅っこだ。

座って前を向くと、図書室全体が見渡せた。


あらためて室内を見回してみると、今までよりも明るくなったように感じた。

単純に、それまで俺が座っていた場所が廊下側だったせいかも知れないけれど。


図書室の窓は東向きで、南側には5階建ての校舎が建っているから、実際にはほとんど日の光は入らない。

けれど、新しい司書のもとで新しいレイアウトになったことが、新鮮な空気を呼び込んでいる気がした。

児玉先生との接点がなくなった淋しさが、その新鮮な雰囲気でなんとなく慰められた。

そして新しい気分になって、やる気が出た。




雪見さんは図書室の改革をしようとしていた。

あまりにも閑散としている図書室に、生徒の目を向けさせようと。

それを児玉先生にも相談していたときに、カフェ風エプロンの話が出たのだった。


ほかには、学習コーナーとは別に “自由席” という場所ができていた。

次の週には、昇降口の廊下に『待ち合わせには図書室をどうぞ!』というポスターが貼ってあった。

5月になると、月替わりの特集コーナーができた。

6月になったら、自由席に民芸品みたいな人形が置いてあった。

夏休みの終わりには、自由席が綺麗な薄緑色の机に変わった。


改革と一緒に、図書室に立ち寄る生徒が増えていった。

本を借りる生徒。

自由席で雑誌を読んだり、おしゃべりをしたりする生徒。

新聞を読みに来る生徒。

勉強しに来る3年生もだんだんと増えて、俺も帰りに誰かと話しながら駅まで歩くこともあった。

来る人数が増えても、不思議とうるさいと思ったことはなかった。



そう言えば、一度、図書室がとても混んだことがある。


あれは10月の初めごろのこと。

雪見さんと児玉先生が恋人同士だという話が学校中の噂になったのだ。

俺は、同じように図書室に通っていた同級生から聞いた。


放課後に図書室に行ってみると、いつもより大勢の生徒がいた。

廊下から覗いて囁き合っている生徒も。

学習コーナーに行くには、生徒の間を縫うように歩かなくてはならなかった。


雪見さんは十人以上の生徒に囲まれて、赤い顔をしていた。

困っているように見えたけど、本当は幸せいっぱいのはずだ。

俺はいつもの席からこっそりとそれを見て、心の中で祝福してあげた。



図書室に来る生徒が増えても、隅っこの席はいつも空いていた。

まるで俺の席として予約してあるみたいに。

俺はその席でときどき顔を上げて、そっと図書室を見回すのが習慣になった。


顔を上げて周りを見回してみるのは、高校に入ってから初めてのことだった。

いつも机か、前の席の椅子を見ているだけだったから。

ゆっくりと見回すと、ほかの生徒たちがいろいろな表情でいろいろなことをしていた。

それらがちょっと不思議で、とても興味深く思えた。


生徒だけじゃなく、雪見さんのことも見ていた。


前の司書はあまり存在感のある人ではなかったし、司書室にいることが多かった。

でも、雪見さんはいつも図書室にいる。

やって来た生徒に声を掛けたり、本を見たり、整理したり。

大きな雪見さんは、どこにいてもすぐに目に付いた。


でも、俺が見ていた理由は、体が大きくて目立つからではない。

あのエプロンのやり取りを見てから、俺は雪見さんと児玉先生がどうなるのか知りたかったのだ。


“どうなるか” と言うよりも、あの日の雪見さんを見て応援したくなった、というのが本当のところ。

たぶん、俺は最初から雪見さんのことが気に入っていたのだと思う。

声だけじゃなくて、穏やかな雰囲気とか、俺への接し方とか、……はっきり言葉にできないけれど。

この人なら、俺にとっては恩師とも言える児玉先生と結婚してもいいと思った。

いや。

“結婚してもいい” というよりも、 “結婚してほしかった” という方が正しいかも知れない。


「この人は児玉先生を好きなんだ。」と思いながら雪見さんを見ると、胸の中が温かくなった。

恋をしている雪見さんがいる場所、触れたところが、なんとなく楽しげに見えた。

まるで雪見さんが魔法をかけているみたいに。

そして、図書室全体がふんわりと優しい場所に感じられた。


児玉先生は、あれからほとんど図書室に来なかったけれど。


ふんわりと優しい図書室にやって来る生徒たちも、みんな楽しそうに見えた。

楽しそうな生徒たちを見ている俺も、穏やかに、優しくなっていくような気がした。







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