8 仲直りは花火で
うちの門に手を掛けて、まっすぐにわたしを見つめる裕司。
門灯のやわらかい明かりの中で、裕司の表情も穏やかに見える。
「仲直り…って……、べつに喧嘩とか…してないけど……。」
言いながら、視線が下にさがってしまう。
心の中では分かっていた。
高校に入ってからの一年間、お互いにお互いを避けていた。
最初はほんのちょっとの気まずさから。
でもそれが、だんだんと大きく膨らんで、意地になって……。
「うん、まあそうだけど、なんか、高校に入ってから話しにくくなっちゃっただろ? だから、一緒に花火でもしたら元に戻れるかなって思って。」
元に……。
裕司はわたしと前みたいに話したいと思ってくれていた?
一緒に楽しいことをして笑おうと。
「うん……、そうだね。確かに花火はいいね。」
嬉しい気持ちが心を満たす。
でも、それを素直に表すのが照れくさくて、強気な笑顔を作って見せる。
目が合うと、裕司もニヤリと笑った。
そんな、ただの笑顔のやりとりで、少しだけ泣きたいような気分になった。
「あーあ。」
突然、裕司はもう一方の手も門に掛け、のけぞるようにして空を仰いだ。
リラックスしたその姿に、昔の裕司が重なる。
「なあに?」
「仲直りしようと思っていたのに、結局、先に智沙都に謝られた。ダメだな、俺は。」
予想外の反省の言葉に心がふわりと和らいだ。
「そんなことないよ。」
裕司は家族のために頑張れるひとになった。
ちゃんと前に進んでる。
「クラス替えで別れちゃったから、少しでもチャンスを作ろうと思って図書委員にもなったのにさー。」
「え……?」
「智沙都は絶対に図書委員になると思ったから。一緒に仕事をすれば話すきっかけができると思ったのに、当番がローテーションでバラバラになってるとは思わなかったよ……。」
「ああ……そう、なんだ……。」
そうか。
イベント関係の委員会は、みんなで一緒にやるものね。
図書室に行ったことのない裕司は、図書委員がどんなものなのか、まったく知らなかったのか……。
でも……。
わたしと仲直りするために?
ガラにもない図書委員を?
「ふふ……。」
笑いがこみあげてくる。
初めての図書室も図書委員も、裕司には困惑の連続だったに違いない。
「何だよ?」
「いや、べつに……。」
その直後、裕司がふっと不満気な顔に。
「だいたい智沙都が悪いんだぞ。一人で高校デビューなんかするから。」
思いもかけない裕司の言葉。
高校デビューって……。
「そんなこと、してないけど……?」
「しただろ? メガネをコンタクトにして、髪型も変えて。」
え……?
「俺には何にも言わないで。入学式にいきなり見せられたら、びっくりするだろ?」
それくらいで?!
「そんな。だって、わたし、中学の時から言ってたよね、高校生になったらコンタクトにするって。それに、髪だって結ぶのをやめただけだよ? 今どき高校生になって、髪を二つに結んでるような女の子、いないでしょ?」
そんなの高校デビュー以前の問題だよ! ……と思ったけれど、裕司にはそうじゃなかったらしい。
拗ねた顔をして、「だって。」と言ったきり、黙ってしまった。
「びっくりしたからって、無視することないじゃない。」
入学初日のことを思い出して、わたしもあのときの気持ちを口にしてみる。
「無視なんか……。」
「したよ。入学式の日、わたしが教室に入ったとき、目が合ったのに知らんぷりしたじゃない。次の日だって、そのあとだって、まるっきり避けてるみたいで。」
「智沙都が先に話しかけてくれればよかったのに……。」
ぼそり、とつぶやかれた言葉を聞いて、ここ何日かぶりに呆れて笑ってしまった。
つまり裕司は、わたしの雰囲気が変わったために気後れして、話しかけて来なかったのだ。
気遅れと……わたしが黙って高校デビューしたと思い込んで、ふてくされて。
(やっぱりお子様だ。)
そう思った途端、自分もだ、と気が付いた。
無視されたと思って、意地になっていた。
しかも、仲直りをしようと思ってくれた分、裕司の方が素直で優しい。
「……裕司。花火、誘ってくれてありがとう。」
「……うん。」
ちらりと見上げたら目が合った。
照れ隠しに笑ってみる。裕司も。
「あの……おやすみ。」
わたしが言うと、裕司は気付いたように門から手を離した。
「うん。おやすみ。」
頷いて門を抜けるわたしに後ろからもう一言。
「また明日な。」
また明日 ――― 。
懐かしい別れの言葉に、胸の中が温かくなった。
翌朝、自転車を押して家から出ると、裕司が自分の家の前で自転車にまたがって待っていた。
(「また明日」って、これのこと……?)
ただのサヨナラのあいさつだと思ったのに……。
「おはよう。裕司……早いね。」
鼓動が速まったことを悟られたくなくて、話題を見付けて話を振る。
頬が熱いような気がするけれど、初夏の日差しが隠してくれることを祈って。
「まあ……、今までだって、この時間には出られたんだけど。」
「ホントに〜? いつも遅刻寸前だったし、月曜日も火曜日も、だいぶ遅かったみたいだよ。」
そう。
わたしが裕司が出てくるのを待っていたのに、会えなくて。
「あれは、お前がなかなか出発しないから。」
え?
「まさか……、わたしが行くのを待ってたの? なんで?」
「うー……。気まずいからに決まってるだろ!」
「ああ……そうなの……。ごめん。」
まあ、気まずいのは分かるけど……。
男の子って難しいね。
「いや、謝るようなことじゃないけど……。」
もごもごと言って、裕司が走り出した。
その後について裕司の背中を見ながら、つらつらといろんな考えが浮かんでくる。
たくさんの思い出 ―― 脳裏に焼き付いている景色、声、会話、そして心も。
裕司のことを好きだった……と思っていた小学生時代。
いいえ。
好きだと信じていたなら、好きだったのだ。
勘違いだとしても、そうと知ったそのときまでは。
裕司を子ども扱いしながらも、口喧嘩や冗談を交わす仲間同士だった中学生時代。
裕司は常に、わたしの生活に付随する存在だった。
そして、疎遠になっていた高校での一年間。
裕司が拗ねていたように、わたしも拗ねていた。
その証拠に、いつも裕司たちのグループを気にしていた。
自分が仲間になれそうもない人たちの、楽しそうな笑い声を。
けれど、その時間の中で、裕司はわたしを忘れたわけではなかった。
前のように話したいと思ってくれて、花火を用意してくれていた。
実行するまで半年以上かかったってところが、笑えるけど。
――― そして今、一緒にいる。
(これからどうなるの?)
心の中でそう尋ねたら、いきなり裕司が振り向いた。
気付かないうちに声に出してしまったかと慌てて口をふさぐ。
でも、もちろん裕司には聞こえていなかった。
「どうしたの?」
道路わきの公園に少し入って止まった裕司の横に、わたしも自転車から降りないまま並ぶ。
裕司は肩越しにわたしを見ながら、困ったような顔をしている。
「ねえ、そんなに余裕のある時間じゃないよ?」
それでも裕司は言い出しにくそうにしているだけ。
困ったな、と思ってふと顔を上げると、すぐ前にコンクリートの四角い建物が。
――― あ。
「トイレ? じゃあ、わたし、先に行くから。」
「え? あ。」
「大丈夫。誰にも言わないよ。あ、ティッシュ持ってる? こういうところって紙がないことが…」
「ち、違う。智沙都、違うから。」
慌てて否定する裕司に、
「じゃあ、なに?」
と問いかけると、ようやくちゃんとした言葉が聞こえた……けど。
「智沙都って、永岡のこと好きなのか?」
聞こえた言葉に驚いた……というか、呆れたというか、なんともせつない気分になってしまった。
裕司はそんなことを気にしていたのだろうか?
その途端、思い出した。
もしかして、あの日、わたしを睨んだのは永岡くんの名前を出したから……?
「そりゃあ、永岡くんはカッコいいもんね。」
意地悪半分で言ってみせる。
けれど、しゅんとした裕司を見たら、すぐにそんな気持ちは消えてしまった。
「女の子なら誰でも憧れるんじゃない? 目の保養ってやつ?」
「目の保養……?」
「彼氏になってほしいっていうのとは、また別ってこと。」
「ふーん……。」
裕司が嬉しいのを懸命に隠そうとしている。
平気な顔をしようとしているけれど、口元が緩んで。
あまりにも顔に出る裕司が可笑しい。
けれど、それを見て心が浮き立っているわたしも変 ――― ?
「あ……、小学校のとき、ゴメンな。」
裕司がふいに言った。
「小学校のとき?」
急に謝られても、どれのことなのか分からない。
裕司とは一緒に過ごした時間が長かった分、泣かされたことも何度もあったから。
「あの、バレンタインのとき。6年の。」
「……ああ。」
朝、みんなに言いふらした “あれ” ね。
「俺、嬉しくて調子に乗っちゃって……、あとで謝らなくちゃと思ったんだけど、できないままになっちゃって……、ごめん。」
「もういいよ。」
そうやって後悔して覚えていてくれたなら、それで十分。
「あ、だけど、あの後輩のことは酷いと思うよ。」
「後輩?」
驚いた顔で、裕司が尋ねる。
「中学の陸上部の後輩だよ。バレンタインにもらった手紙をみんなに見せびらかしたんでしょう? 男子にからかわれて泣いちゃったって聞いたよ。」
「え……? あ! それは違ってるぞ!」
「え? 違うの?」
「違うよ。あれは本人が落としたんだよ。俺は受け取ってないよ。」
「そうなの?!」
今さら出て来た真実にびっくりだ!
「どこかで落とした手紙を陸上部の1年男子が拾ったんだ。その女の子は普段は気が強くて、よく男子と口喧嘩なんかもしてたから、からかっても平気だと思ったらしいけど、すぐに泣いちゃったみたいでさあ。」
そりゃあ、ラブレターのことでからかわれたら泣くよね……。
「あのときは大変だったんだぞ。ほかのヤツから『手紙はお前あてなんだから、お前が慰めろ。』とか言われてさあ。慰めるって言ったってよく分からないし、優しくして誤解されたら困るし……、って言うか、智沙都は誰からその話聞いたんだよ? 間違った情報なんて酷いぞ。」
「ホントだね……、ごめん。」
じゃあ、わたしは何年も、裕司のことを誤解していたわけ?
なんてことだろう?!
「あ。時間は?」
腕時計を見ると、けっこうギリギリの時間。
「あ、そうか。行こう。」
「うん。」
自転車で裕司を追いかけながら、心の中が今朝の空気のように晴れやかになっていることに気付いた。
それは、幼馴染みと元どおり仲良くなれた嬉しさにしては大き過ぎるような気がして……。
(これからどうなるの?)
胸がズキンと響く。
痛いような……でも、不快ではなく、むしろ楽しいような。
裕司はこれからも、辛いことや困ったことを話してくれる?
ほかのひとに言えないことでも、わたしには。
そして、わたしが辛いときには話を聞いてくれる?
おばさんに付いていてあげたように、わたしのそばにいてくれる?
訊いてみたい。
裕司は何て答えてくれるんだろう?
半分怒ったような顔で「ふん。」って言うだけ?
それとも……?
ねえ、裕司。
また気まずくなることもあるかな?
うん、きっとあるよね?
でも、そのときはまた仲直りしようね。
裕司が思い付いてくれたように、花火を買って。
だから裕司。
わたしが花火に誘ったら、絶対に断らないでね。
明るい光の中でぐん! と力を込めて自転車を漕いだら、ピカピカの新しい自分に生まれ変わったような気がした。
『五月の花火』 終わり。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
後半でほっとしていただけていたらよいのですが。
次のおはなしは一年生の向風くんが主人公です。
もう少しかわいいストーリーになる予定です。