31 9月28日(日) 全部洗い流して
午後のプログラムが終わったあと、雪見さんは、司会が終わりの言葉を言っている間に教室から出て行ってしまった。
児玉先生に「昨日よりもずっと上手くなっていた」という伝言を残して。
みんなが「直接お礼を言いたかったのに。」と不満を言うと、児玉先生は笑って
「じゃあ、言いに行っておいでよ。司書室か職員室にいるはずだよ。」
と言った。
その笑顔にも言葉にも、嫌味や嫉妬は微塵も感じられず、わたしがさっき感じたことは単なる誤解だと思いそうになった。
けれど、そうじゃないことは自分でよく分かっていた。
児玉先生は、わたしたちに焼きもちなど焼く必要がないのだ。
雪見さんの心の中には児玉先生しかいないと知っているから。
でも雪見さんは、児玉先生の前でわたしたちにちやほやされるのが気になるらしい。
今日、さっさと出て行ってしまったのもそのせいに決まっている。
と言うか、お誕生会のときも、ケーキを渡しに行ったときも、雪見さんが緊張していたのは同じ理由だったのだ。
本当は、ケーキを渡したときに気付いていた。
けれど、知りたくなかったから、違う理由をこじつけて、真実が見えないように蓋をしておいただけだ。
けれど、もう、見えないふりをするのはおしまい。
目の前にはっきりと突き付けられてしまったから。
それに、そんなことをしたからと言って、自分の想いを雪見さんに受け止めてもらえるなんてことはないのだから。
「ねえ! 打ち上げやろうよ。」
お客さんが帰ったあとを片付けていた教室に、ユキナの明るい声が響いた。
端に寄せてある机を戻したり、窓の飾りを剥がしたりしている手を止めずに、みんながユキナを見る。
「だってさあ、みんなで頑張って発表したんだもん、やったっていいじゃん。」
「はい! 打ち上げ、やりたいです!」
元気な橋本さんがすぐに同意。
(そうか……、打ち上げか……。)
去年はボラ部での打ち上げはなかった。
文化祭にあまり力を入れていなかったから、そんなことを考えなかったのだろう。
でも、今年はみんなで協力して、頑張って練習して、 “おはなし会” というものを作り上げた。
「いいかもね。」
ゴミを詰めたビニール袋の口を結びながら見回すと、教室のあちこちで、部員が笑顔で頷いた。
「じゃあ、あたし幹事やるから。デザートバイキングとか、どう?」
「あ〜! さんせ〜い!」
素早く幹事に立候補してくれたユキナの提案に、橋本さんが雑巾を振り回しながら答える。
机を運ぶほかの部員からも、楽しそうな賛成の声があがる。
(本当は雪見さんにも来てほしいけど……。)
今日の午前中までだったら、「雪見さんも誘ったらどうかな?」と提案していたと思う。
でも今は、それは空しいことだと知っている。
(まあ、誘っても断られてしまうだろうけど。)
見られないように下を向いてゴミの袋を並べながら、自分で自分を笑った。
「サトリ……。」
呼ばれて起き上がると、いつの間に隣に来ていたのか、聡美が元気のない顔でわたしの肩に頭を乗せてきた。
「聡美?」
机を並べ終わった教室の後ろで、ユキナと部員たちが打ち上げの相談をしている。
その楽しそうな笑い声が響く中、聡美が大きなため息をついた。
肩に聡美の頭を乗せたまま、そっと窓に寄り掛かる。
彼女が何故わたしのところに来たのか、その理由が分かったから。
「……見た?」
あのとき目が合った聡美がわたしに問いかけていたのはこのことだ。
わたしも一つため息をついてから、「うん。」と答えた。
すると、聡美もまたため息をついた。
「間違いないよね……?」
「たぶんね……。」
もう一つ、ため息。
今度のため息は重なった。
「ふふ。」
失恋が確定したのに、笑えるなんて不思議だ。
「みんなは…気付いたと思う?」
聡美の問いに、集まっている部員たちを見る。
「さあ……、どうだろう?」
気付かなかったのか、気付いても気にしないのか。
「噂になるかな?」
なんとなく口にした疑問に、聡美が頭を上げてわたしを強い視線で見た。
「だとしても、わたしは絶対に言わない。そんなこと、自分から認めるのは嫌だもの。」
「ああ…うん。わたしも同じだな……。」
自分が失恋したと分かっても、心で認めるのと、口に出すのは違うのだ。
それに、そんな噂を流して雪見さんと児玉先生に嫌な思いをさせたくないし、それではまるで、失恋した腹いせをしているみたいだ。
「サトリ! 聡美! 雪見さんにお礼を言いに行こうって。」
声の方を見ると、菜穂ちゃんが笑顔で手招きしていた。
その後ろの部員たちの笑顔を見たら、なんとなく元気が出て来た。
失恋してしまっても、わたしにはボラ部の仲間がいる。
「行っちゃう?」
「当然でしょ。」
聡美と顔を見合わせたら、なんだか可笑しくなって吹き出してしまった。
雪見さんは司書室にいた。
図書室は関係のない人が入り込まないように鍵がかかっていた。
でも、司書室に電気が点いていたので廊下からの戸をノックすると、雪見さんの返事が聞こえた。
「おじゃましまーす!」
開けてもらうのを待たず、戸を開けて踏み込んだのは橋本さん。
そのあとから全員がわらわらと続く。
大きな作業机の奥にある事務机から立ち上がっていた雪見さんが、わたしたちの勢いに驚いて立ち止まった。
「あ、あれ? どうしたの?」
警戒して近付いて来ない雪見さんを、わたしたちが一気に取り囲む。
「今までありがとうございました!」
「雪見さんのお陰で、思い出に残る文化祭になりました!」
「ボラ部であんなことができるとは思わなかった〜!」
部員たちの熱心な感謝の言葉に、雪見さんは少し困りながら微笑んで頷く。
雪見さんのこの表情は、夏休みから今までの間に何度も見て来た。
そんなことを思ったら、急に涙があふれてしまった。
(わたしはずっと、この人が好きだった。)
おはなし会をやろうと思ったことも、半分はそのためだった。
色々なことを画策して、親しくなろうと思って……、でも、それも今日でおしまい。
雪見さんは児玉先生しか見ていないんだから……。
――― と。
「行くよ。」
耳元で囁き声。
「え…?」
振り向こうと思った瞬間、背中を思いっきり押されて ――― 。
(え? え? え?)
ドスン!
「うわ!」
(うそ?!)
前にいた一年生を押しのけるようにして、わたしは雪見さんの胸に飛び込んでいた。
(聡美ーーーーーー!!)
ほかにこんなことをする部員はいない。
すぐに離れようとしたけれど。
「あー! サトリ、ずるーい!!」
(「ずるい」って、聡美!)
「雪見さーん! ありがとうございましたー!」
わたしが離れる前に、叫び声と一緒に聡美が隣に抱きついてきた。
わたしは腕を上から押さえつけられて、そのまま離れることができなくなった。
「え、あの。ちょっと待って……。」
雪見さんが慌てている。
「あ。じゃあ、あたしも!」
「え? じゃあ、わたしも。」
「いや、ちょっと。」
本人の静止を無視して、部員が次々と雪見さんに抱き付く。
感極まって泣いている子もいる。
“雪見さんに抱き付く” と言っても、後ろの人が抱き付いているのは前にいる部員だ。
わたしの背中にも頭にも、誰かの腕が巻き付けられている。
(苦しいし、きついんだけど……。)
とは言え、わたしは正面の特等席。
しかも、ずっと好きだった人だ。
今の状態では、どうせ離れられない。
(最初で最後ってことで……いいか。)
今までのことを順番に思い出しながら、雪見さんの胸に顔を押し付けた。
本当にこれで終わりなのだと思ったら、今までのできごとや想いが頭に浮かんできて、今度は思い切って泣いた。
雪見さんにまわした腕にぎゅうっと力を入れたけど、雪見さんは誰にやられたのか全く分からなかったと思う。




