24 9月9日(火) 不安と癒し
「あの雪見さんの顔!」
図書室を出たところで、聡美がくすくす笑い出した。
たった今、調理実習のカップケーキを雪見さんに渡してきたところ。
「素直に『嬉しい』って言えないんだもん、なんか可愛いよね!」
聡美はさっきの雪見さんを思い出して笑っている。
その隣で、わたしは複雑な気分だ。
放課後になって、わたしたちは図書室に足を運んだ。
雪見さんにあげるケーキは通学バッグに入れずに手に持ち、どうやって渡すか相談しながら廊下を歩いた。
本当は一人で渡せるのがベストだったけど、差し出したときに雪見さんがどんな顔をするかと二人で想像したら、きゃあきゃあと盛り上がってしまった。
わたしが聡美の気持ちに気付いているのと同じように、聡美もわたしの気持ちを知っているのは間違いないみたい。
図書室に入ると、もう生徒がたくさんいた。夏休みのあと、図書室に来る生徒が増えているのだ。
待っていても生徒がいなくなるわけじゃないので、雪見さんがカウンターのあたりで一人になったときに声を掛けた。
雪見さんは、いつもと同じ笑顔で迎えてくれた。
わたしたちは、最初はケーキを後ろに隠しておいて、びっくりさせるつもりだった。
いよいよ渡そうと思ったそのとき、児玉先生が図書室にやって来た。
その途端、雪見さんが緊張したのが分かった。
わたしたちに気軽に声を掛けた児玉先生に、聡美が
「これを雪見さんにあげようと思って。」
と、ラッピングしたカップケーキを見せた。
わたしも一緒に見せると、児玉先生が少し呆れながらも感心してくれた。
聡美は気を良くして、笑顔でケーキを元気に雪見さんに差し出した。
「はい! 雪見さんは手作りのお菓子なんて、なかなか食べる機会がないと思って。」
と。
出遅れた! と思って、わたしも急いで笑顔を作って差し出した。
雪見さんはとても慌てた顔をして、誰か渡したい相手がいるんじゃないか、と尋ねた。
その間、視線はおろおろと、わたしたちとケーキと児玉先生の間を行ったり来たり。
笑って彼氏を否定する聡美の隣で、わたしは雪見さんは児玉先生に遠慮しているのかも知れないと思った。
だから、そんなことで断られたら嫌だと思い、急いで
「いつもお世話になっているお礼ですから。」
と付け加えた。
きちんとした理由があれば、雪見さんだって断る必要はないはずだ。
児玉先生も「せっかくだから」と言ってくれて、ようやく雪見さんは受け取ってくれた。
でも、雪見さんのおどおどした様子は、最後まで変わりなかった。
よほど女子高生にプレゼントをもらうのが恥ずかしいのか、児玉先生に気兼ねがあるのか。
そんな雪見さんの態度を、聡美は「可愛い」と笑っているのだ。
でも、わたしは何となく笑えないでいる。
雪見さんの困った様子には、確かに萌えっぽい要素はある。それは認める。
けれど、さっきの雪見さんの態度の中に、何か不安なものを感じてしまう。
わたしたちの行為は、それほど雪見さんに迷惑をかけているのだろうか……?
昇降口への階段を下りる前に図書室の入り口の方を振り返ると、児玉先生が廊下に出てきたところだった。
会釈をしたら、先生は「気を付けてねー!」と手を振ってくれた。
いつもの明るい笑顔と態度に気持ちが明るくなる。
(こんなにほっとさせてくれる児玉先生に、どうして雪見さんはあんなに緊張するの?)
階段を下りながら不思議に思ってしまう。
単に “顧問を差し置いて” とか “年上だから” という理由だけでは足りない気がする。
まさか、いじめられているわけでもないだろうし……。
「まるで、たまちゃんに許可をもらうみたいだったよね? うふふふふ。」
( ――― あ。)
隣を歩く聡美の「許可をもらう」という言葉にドキッとした。
さっきの雪見さんの様子は、まさにその言葉どおりだった気がする。
それに、児玉先生の口添えのあと、ようやく受け取る決心をしてくれたのだ。
「……本当にね。」
1階に着いて昇降口方向へ曲がりながら、不安が大きくなる。
その不安を否定してほしくて、聡美に質問してみた。
「どうして許可をもらわなくちゃいけないのかなぁ?」
わたしの質問に、聡美は笑った。
「そりゃあ、雪見さんはうちらの顧問でも何でもないんだもん。当然だよ。」
「やっぱり……?」
「そりゃそうでしょう。顧問のたまちゃんの前で『お世話になってるから』なんて言われたら、焦って当然だよ。」
「そう、か。そうだよね……。」
うん。
やっぱり当然なんだ。
「それにさあ。うふふふ……♪」
「……何?」
(ほかにも理由があるの?)
「雪見さんてさあ、たぶん、恥ずかしがり屋なんだよ。」
「あ……、そうだね……。」
女子生徒に詰め寄られるのが苦手なのは、きっとそのせいだ。
仕事のときは何でもないのに。
そういうところって……可愛いな。
「だから、人前でプレゼントされたりしたら、どうしたらいいのか分からなくなっちゃうんじゃない? あそこに来たのがほかの先生でも同じことだよ。」
何て理路整然とした理屈だろう!
雪見さんへの想いで嫉妬や僻みに捻じ曲げられたわたしの思考は、悪い方へ、悪い方へと進んでしまうらしい。
「あ! 先輩!」
昇降口を出ようとしたら、この一か月で聞き慣れた声が。
振り向くと、Tシャツにハーフパンツ姿の広瀬くんがいつもの大きなバッグを肩に掛け、靴を中途半端に履いたまま走って来る。
「危ないよ。」
呆れて笑うわたしに、広瀬くんが照れた笑顔を見せる。
その後ろで、根本くんがちょっと頭を下げた。
「もう帰るんですね。」
特に意味のない会話。
でも、広瀬くんとはいつもこうして通りすがりに言葉を交わしている。
「そうだよ。広瀬くんはこれから部活だね。」
「はい。今日は日直だったから、ちょっと遅めだけど。日誌を届けに行ったら、児玉先生がちょうど廊下にいたので助かりました。」
そう言って、根本くんに「な?」と振り向いた。
わたしは「児玉先生」と聞いて、カップケーキのことを思い出した。
妹に持って帰るつもりだったもう一つのケーキ。
これから運動する広瀬くんの方が、妹よりも必要だろう。
「そうだ。これ、あげるよ。今日の家庭科で作ったの。」
つぶれないようにバッグの上の方に入れていたケーキを掌に乗せて差し出すと、広瀬くんは驚いて、すぐに、さっきよりももっと嬉しそうな笑顔になった。
「ありがとうございます!」
大袈裟に頭を下げてからケーキを取り、にこにこと上下左右から眺めまわす。
その様子が本当に嬉しそうで、あげてよかったと心から思った。
「デコレーションは失敗してるけど、味は普通だよ。ちゃんと食べてみたから大丈夫。」
広瀬くんがにこにこ顔のまま頷く。
つられてわたしも笑顔になるのはいつものこと。
「キミの分はないよ。あたしは食べちゃったから。」
聡美が笑いながら根本くんに一言。
「あ、いえ、いいです。」
おとなしい根本くんは、わたしたちにはほとんど単語しか話さない。
「そうだよねー。木場さんに怒られちゃうもんねー。」
「いえ、べつに。」
困って下を向く根本くんと笑顔のままの広瀬くんに「じゃあね。」と手を振って中庭に出た。
「あの子たちに会うと、ついからかいたくなるよねー。」
歩きながら、聡美がそう言って笑った。
同意するわたしも一緒に笑う。
さっきの不安はすっかり消えてしまった。
広瀬くんが喜んでくれたことが、わたしの気分を明るくしてくれたのだ。
広瀬くんには笑顔が似合う。
ふて腐れている姿も可愛いけれど、広瀬くんにはいつも楽しい気持ちでいてほしい。
(本当に可愛いよね。)
電車に乗ってからも広瀬くんの嬉しそうな顔を思い出して、何度も一人で微笑みそうになって困った。




