表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『運命のひと。』
65/95

22   広瀬勝吾 8月12日(火) 夜


(やっぱり……、いい感じかも……。)


机に宿題を広げたまま頬杖をついて、今日何十回目かという幸せなため息をつく。

頭の中に広がるのは数学の解き方ではなく、梨奈先輩と過ごした一時間の記憶。

繰り返し思い出しているうちに、ますます鮮明になってきた。

その分、午後から始めた宿題の進み具合は、限りなくゼロに近いけど。


(だって、仕方ないよな〜……。)


梨奈先輩と一時間も一緒にいられたのだから。


最初は5分か10分と思っていたのに、結果的には一時間。

先輩が俺と一緒にいることを楽しんでくれたのだという解釈は、間違っていないと思う。


(それにさ……。)


先輩は優しかった。

俺ががっかりしたりちょっと拗ねたりすると、慰めて、機嫌を取ってくれて。

それが嬉しくて、……それを期待して、わざとそんな態度を見せたりもしてしまった。

でも、俺が機嫌を直したときの先輩の嬉しそうな顔はまた格別で。

どんなに落ち込んでいても、先輩に慰められたら、あの笑顔を見るために元気になってみせる。


(でも、あんなにショックを受けるとは思わなかった。)


自分でも驚いた。

合宿のお土産を、先輩が受け取ってくれないと思ったとき。

心臓がキューっと痛くなって、息が一瞬止まった。

呼吸が戻ったら今度は鼻の奥がツンとして、自分が泣きそうになっていることに気付いて焦った。


梨奈先輩の前で泣くなんて、そんなみっともないことはできない。

そう思って、慌てて受け取ってもらえるように説明したけど、涙が出ないようにするために声が震えそうになって困ってしまった。

先輩は気付いたかな?

気付いていなければいいんだけど。


(だとしても、あの後だって、ずっと優しかったし。)


“優しかった” というか、 “俺をからかって楽しんでいた” という方が正しいかも知れない。

母親たちから聞いたらしい俺の小さいころの話や呼び名のこと、食べ物の好き嫌いの話、絵本の話。

いろいろな話題の間に先輩はちらりちらりと俺をからかい、俺が驚いたりショックを受けたりすると笑う。

笑われて、俺が傷付いた顔をすると(半分はわざとだ)、今度は機嫌を取ろうと優しくしてくれる。

優しくされて機嫌を直すと、あの笑顔だ。

だから、何度でも先輩の挑発に乗ってしまった。


傍から見たら、呆れられてしまうかも知れない。

俺だって、隣の席でそんな場面が繰り返されていたら、冷たい目で見てしまう気がする。

でも、本人たちは……まあ、先輩がどの程度かはわからないけど、楽しいのだ。

楽しくて、嬉しいのだ。


相手が自分のことを気に掛けてくれているということが。

自分の行動に、相手が反応してくれるということが。

その反応が肯定的なものであるということが。


だから何度も繰り返してしまう。

そして、その嬉しい思い出を、何度でも再生して確認してしまう。


(子ども扱いされているのは分かってるけど。)


俺がおごると言ったら、「そんなことを考えなくていい」と笑われた。

つまずいた先輩を俺が支えたときだって、先輩は平気な顔をしていた。

俺をからかうこともそうだ。


それでも、期待せずにはいられない。

先輩が、楽しそうに笑ってくれるから。


“いつかは俺を男として好きになってくれる” 。


その期待が大きくなることをどうしても止められない。

何も確実なものはないのに。


(それにしても、俺の口下手はどうにもならないな……。)


もとからではあるけど、先輩と向かい合っていることが照れくさい、ということも原因の一つだ。

電話で話すのはかなり慣れて来たんだけど。


(あれだって、もっとちゃんと言えれてばなあ……。)


先輩が俺をからかって、ボラ部の2年生みんなで俺を「ショウくん」と呼ぼうと思っていると言ったとき。

俺は


「先輩だけなら、そう呼んでくれてもいいです。」


と言いたかった。

でも、なかなか口に出す勇気が出なくて、それなのに、せっかくのチャンスだと思うと諦めきれなくて、結局タイミングを逃してしまった。

タイミングが遅くなった上に、恥ずかしがって言葉が足りなかったから、先輩は俺が何のことを言ったのか分かってくれなかった。

あんなに恥ずかしい思いをしながらようやく言えたのに、全く伝わらなかったなんて、大きな損をした気分。

頭の中には「梨奈先輩」「ショウくん」と呼び合う景色がほぼ完璧にできあがっていただけに、余計にがっかりした。


(でも、いつかは。)


俺がもう少し自信を持って話せるようになったら。

そのときは、ちゃんと言おう。


“いつか” と言っても、次に会うときはまだ無理かな。

だって、次の約束はたったの一週間後だから!


「ふっ、くくくくくく……。」


次の約束のことを思うと、幸せのあまり笑いがこみ上げてくるのを止められない。


会うと言ってもデートの約束をしたわけではない。

俺が渡した合宿のお土産のお礼に、先輩も家族旅行のお土産を買ってきてくれると言ってくれたのだ。


もちろん、俺は遠慮した。俺が買って来たのは、小さいお菓子1つだったから。

それに、今日だってドーナツをおごってもらってる。


けれど先輩はすでに買ってくることに決めていて、せっかくだから、いつ渡すかも決めてしまおうと言った。

お互いのスケジュールを確認した結果、学校や図書館の “ついで” は無理だと分かった。

それに、梨奈先輩は塾の夏期講習が午前午後に入っている日が多かった。


その時点で、俺はもう一度遠慮した。

残念ではあるけど、そもそもお土産をもらうことも悪いような気がしていたし。


でも、俺が遠慮すればするほど、先輩はむきになって日程を調整しようとした。

もしかしたら、俺よりも先輩の方が、こういうところは子どもっぽいのではないかと思う。頑固というか。

で、俺はその場で烏が岡に買い物に行くという出まかせの用事を作った。先輩の塾が烏が岡にあると聞いたから。

それに、烏が岡は乗り換え駅の大きな街で、大きな店がたくさんあるから。


決まった待ち合わせは来週の火曜日、午後4時。

東口地下街への階段の下。

そして、お土産をもらう……だけじゃない。

一緒にクレープを食べる約束をしたのだ!


待ち合わせの場所の前にはクレープ屋があるらしい。

俺は何度もその前を通ったことがあるけど、気付かなかった。


俺がその店を知らず、さらにクレープを食べたことがないと言うと、先輩が


「じゃあ、一緒に食べようか?」


と誘ってくれた。

俺がシュークリームにこだわったから(本当にこだわったのはシュークリームじゃなかったんだけど)、甘いものが好きだと思ったらしい(それは本当だ)。


「男の子一人でクレープは食べにくいもんねー。」


と言って、俺のサポートをしてくれるつもりでいる。


合宿のお土産を買って来たことが、そんな約束に発展するとは思ってもみなかった。

人生にはどんなことが待っているか分からない。


(来週は何を着て行こう?)


今まで服のことは特に考えていなかったけど、これからは少し買い足した方がいいかも知れない。


(梨奈先輩は、何を着てくるかな?)


俺に会うために、少しは服装に悩んだりしてくれるだろうか?

そうだといいけど。



また先輩との会話を思い出して、幸せな気分に浸る。

こんなことがあったら、どうしてもこれからのことを期待せずにはいられない。

いつか先輩の目に、今日よりももっと……何か違うものが……俺と同じ気持が、現れることを。



………楽しみだ。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ