20 広瀬勝吾 8月12日(火) 朝
朝8時55分。
雀野駅のコンビニの前で、梨奈先輩を待っている。
先輩がシュークリームをおごってくれることになっているから。
駅前のコンビニと言っても、ここは学校とは反対側。
こっちは学校側に比べるとロータリーも小さめで、通る人が少ない。
梨奈先輩に雀野駅で待ち合わせと言われたとき、知り合いに邪魔されないように、こちら側を指定したのだ。
「おごってあげる」と言われたとき、本当はもっとデートっぽいことを想像した。
けれど、梨奈先輩の考えはほぼ “買ってあげる” に等しい内容で、図書館か学校に行く “ついで” だった。
電話で話しながら、だんだんとそれが分かってがっかりした。
それでも会って話ができることには変わりないのだと思い直して、楽しみにしてきた。
そう。
とにかく、先輩と会えるということが大切なんだ。
蒸し暑い中、コンビニ前の短い日陰で改札口に続く階段を見守る。
先輩と私服で会うのは初めてだ。
肩越しに振り向いて、店のガラスに映る自分の姿をチェック。
オレンジ系のチェックのシャツにロールアップで足首を出したジーンズ、スニーカー、ワンショルダーのリュック。
いつもふわふわしてまとまりにくい髪は、今日はスタイリング剤でセットしてみた。
俺にしてはかなりオシャレをしたつもりだけど、梨奈先輩は気付いてくれるだろうか?
少しでもカッコよく見えるように、両手をポケットに突っ込んでみる。
(片足に重心を掛けた方が、脚が長く見えるのかな……?)
足の位置を試したり、前髪を直したり、気になるところはいくらでもある。
「おはよう。」
(!!)
急に後ろから聞こえた声に、飛び上がるほどびっくり!
「せ、先輩……。」
いつの間にか、梨奈先輩が後ろに立っている。
まさか自分がそこまでポーズの研究に没頭しているとは思わなかった。
(恥ずかしい……。)
「おは、よう、ございます。」
顔が熱いのは、気温のせいだけじゃない。
自分がカッコつけてるところを見られたなんて、最悪だ。
この前の踊っていたところを見られた(かも知れない)ことよりも悪い気がする。
どうして俺はいつも、先輩と会うときに変なことをしているんだろう?
「今日も暑いね。」
そう言って微笑む梨奈先輩の後ろで、いつものポニーテールが揺れる。
「そうですね……。」
ドキドキしながらも、目はしっかりと先輩を観察。
白い半袖のパーカーは袖口と裾にオレンジ色の縁取りがあって、俺のシャツと色が合っていることに、心の中で万歳をした。
ブルーのミニスカートとレギンスの足元は、素足にサンダル。
少し踵が高いサンダルはなんだか大人っぽくて、少し気後れしてしまう。
「あ、の…、わざわざすみません。」
電話ではおごってもらう話ができたけど、先輩が目の前にいると、どうしたらいいのか分からなくなる。
あんなことを言った自分が、ひどく図々しいような気がしてきた。
「いいよ。気にしないで。」
先輩はにこにこしたまま腕時計を見た。
図書館に行く時間を気にしているのだろうか?
「あの……、図書館に行くんですよね……?」
残念な気持ちを拭いきれずに確認すると、梨奈先輩は笑顔で頷いた。
「そうなの。」
(ああ…、やっぱり……。)
時間は少ししかないのだとため息をつきかけたとき、先輩が続けて言った。
「さっき貸し出しカードをよく見たら、開館が9時半だったんだよね。まだ30分もあるの。」
(30分?!)
5分くらい…、引き延ばしても10分が限界だと思っていた。
でも……30分!!
「じゃあ、じゃあ、あのっ、先輩も、一緒に…、あの……食べて…行きませんか。」
「うーん、そうだよねー。」
焦っている俺とは対照的に、先輩は落ち着いた表情で周囲を見回す。
もしかして……。
「ねえ、シュークリームじゃないとダメかな?」
尋ねられた言葉に期待が高まる。
「い、いえ、何でも。」
「じゃあ、ドーナツにしない? あそこで。」
先輩の視線の先は、階段の反対側にあるドーナツ屋。
中で食べられるようになっている店だ。
(やった〜〜〜〜〜!!)
「はいっ。」
「よかった。暑いもんね? わたしも冷たいものを飲むから。」
「はい。」
先に歩き出した梨奈先輩の隣にササッと並ぶ。
俺の鼻先を、いつものレモンの香りがかすめた。
(先輩と並んで歩いてるんだ! それも私服で!)
自分の足取りが弾むように軽い。
たぶん、今、俺はものすごく嬉しそうな顔をしているだろう。
すれ違う人にちらりと見られて恥ずかしい気はするけれど、嬉しい気持ちがそれを上回って、誰にどう思われても構わないと思った。
「先輩、俺、おごります♪」
浮かれた口から出た言葉に、先輩が笑う。
「えぇ? うふふ、いいよ、そんなことしなくて。」
「でも。」
(そういうこと、やってみたいのに。)
「いいの、広瀬くんはそんなことを考えなくても。」
ゆっくりと、言い聞かせるような口調。
先輩はまた俺を子ども扱いしているらしい。
「でも……。」
「ふふ。そういうことは、彼女にやってあげなさい。」
(「彼女に」って……。)
暗に自分は俺の彼女にはならないと言っているのだろうか?
元気がなくなった俺を見て、先輩がまた笑う。
それから俺の前に回って後ろ向きに歩きながら、機嫌を取るように、首を傾げて俺の顔を覗き込んだ。
(あ〜……、そんなことされたら……。)
すぐに機嫌を直すのが照れくさくて、ちらりと先輩の顔を見てすぐにまた下を向く。
その額を、先輩の人差し指が軽くつついた。
「ほら。拗ねた顔しないの。」
「…ん。」
笑うわけにも、怒るわけにもいかず、額をさすりながら顔を上げると、先輩が拳を口元に当てて笑っていた。
――― と思ったら、後ろ向きのままつまずいた。
「あ。」
バランスを取って伸ばされた腕を咄嗟につかまえる。
そのまま横にまわって、もう一方の手で背中を支えた。
またふわりとレモンの香りがして、ポニーテールの先がするりと俺の腕をなでた。
(うっわ、触っちゃった……。)
自分でもびっくりしていると、同じように驚いた顔の先輩とすぐ近くで目が合った。
二人ともパチパチと瞬きをして……。
「や、やだ〜。ありがとう。ごめんね。」
先輩が慌てた様子で姿勢を直した。
その動きでハッとして、俺も手を戻す。
今さらながら、心臓がドキドキしてきてしまった。
「いえ……。」
赤くなる顔を見られたくなくて、少しうつむいてしまう。
俯きながらも、先輩が今のことをどう感じているのか知りたくて、こっそり様子を窺ってみる。
けれど、先輩は俺なんか眼中にない様子で、自分のサンダルを確認していた。
「ヒールが高いサンダルって初めてだから、上手く歩けないのかな……。」
いつもと同じ口調。
声が震えていたり、どもったりしていない。
俺があんなに近付いても、背中や腕に触れても、先輩は何とも思わないらしい。
(やっぱり男として見てもらえないのかなあ……。)
なんだか悲しくなってしまう。
でも、そこで気付いた。さっきの先輩の言葉が意味することを。
(初めて履いたサンダルなんだ……。)
新しいサンダル、しかも、履き慣れない踵の高いサンダルを、今日、履いてきた。
行き先は市立図書館で、わざわざお洒落をして行くような場所じゃない。
(ということは……。)
俺のためにお洒落をしてきてくれたって考えてもいいのかな……。
「行こう。」
声をかけられて顔を上げたときには、梨奈先輩はもう歩き出していた。
後を追って隣に並んだ俺をちらりと見て、
「おごるのはドーナツだけだからね。飲み物は自分で出してよ。」
と言った。
そっと表情を確認すると、先輩の横顔は微笑んでいたので安心した。
先輩はそのまま俺の方は見ずに、先に自動ドアを抜けて行く。
後ろで揺れるポニーテールが目に入り、また楽しい気分が戻ってきた。
(一緒にいられるんだ。9時半まで。)
先輩が俺のことを男として意識していなくても、今は構わない。
俺のことを嫌いじゃないってことは間違っていないから。
だって。
嫌いな相手といるときに、あんな顔ができるはずがない。




