18 8月11日(月) 雪見さんのお誕生会
土曜日にお会いした広瀬くんのお母さんは、明るくて楽しい方だった。
わたしは聡美と二人でお邪魔して、たくさんのことを教えてもらった。
広瀬くんの家には絵本がたくさん並んでいる本棚があった。
ボランティア仲間の高梨さんと一緒にその場で何冊も読んでみせてくれて、今までにやったイベントのプログラムも教えてくれた。
絵本の選び方だけじゃなく、会場の作り方や演出などのヒントももらった。
帰るときにはわたしと聡美が気に入った絵本を貸してもらい、
「何かあったらいつでもどうぞ。」
と、笑顔で見送ってくれた。
今日は朝一番で聡美と一緒にその報告をし、午前中はみんなで本を読み合って、候補の本を絞ってみた。
でも、午後になったら、みんなそわそわ。
3時から雪見さんのお誕生会をする予定だから。
お弁当を食べ終わったころから何となく落ち着かなくて、話し合いは同じことを確認してばかりで進まない。
仕方がないので、早めに準備を始めることにした。
トントントン。
被服室の戸のガラスを叩く音。
時計は午後3時3分。
それまでおしゃべりしていた部員全員が、ハッと息をひそめた。
二つの机の上には飲み物とお菓子。
並んだ顔に静かに頷きながら、わたしとユキナが急いで叩かれた戸の両側に陣取る。
ガラ ――― 。
ゆっくりと開けられる引き戸。
「こんにちは。」
雪見さんが恐る恐るという感じに、戸口から中を覗き込んだ。
「「「ハッピー・バースデイ、雪見さん!」」」
部員たちの揃った声に驚いた顔をして、雪見さんの動きが止まった。
すぐに左右からユキナとわたしが雪見さんの腕を取り、背中を押して真ん中の席へ連れて行く。
それを迎える拍手。
「え? あれ?」
雪見さんは、事態が理解できないらしい。
おろおろと周りを見回しながら、ユキナとわたしに連れられて行く。
「ええと……、なんで……?」
椅子に座りながら、驚いたというよりも困った顔で、雪見さんが尋ねる。
もちろん、わたしの席は雪見さんの隣だ。
向かい側の席から、雪見さんの問いににこやかに答える聡美。
「だって、雪見さんのお誕生日、今日ですよね?」
「え、まあ、そうだけど……。」
聡美の勢いに押された雪見さんが、身を引きながら答えた。
それを見たほかの部員たちが一気にしゃべり出す。
「雪見さん、一人暮らしで彼女もいないんですよね? お誕生日なのに淋しいじゃないですかー。」
「担任も顧問もしてないから、誰もお祝いしてくれないですよね? だから、わたしたちで用意したんです。」
「そうそう。わたしたち、これからもお世話になるし、ねー?」
「「はーい、そうでーす♪」」
一年生も楽しげに加わって、雪見さんを包囲。
ひとの良い雪見さんがこういうときに強引に拒否することができないことは、みんな承知の上だ。
「あ……、そう、なんだ? ええと、どうも、ありがとう……。あの、文化祭の相談っていうのは……?」
「あ、絵本とおはなしの候補をいくつか決めたので、その中でどれがいいかアドバイスが欲しいんです。」
素早くわたしが答える。
もちろん、用意しておいた答えだ。
「そう。じゃあ、見せて ――― 」
と、さっさと仕事を済ませようとする雪見さんに、菜穂ちゃんがお菓子を盛った紙皿を差し出す。
「あ、まずはお菓子をどうぞ。飲み物はどれがいいですか?」
それに応えて一年生がプラカップを雪見さんの前へ。
淀みない連係プレーに、心の中で拍手を送る。
「え、じゃあ、お茶を…。」
「雪見さん、チョコレートは好きですか? これ、菜穂が北海道で買ってきたチョコなんですけど。」
「あ、ああ、ありがとう。」
「たまちゃんも北海道って言ってましたよね? 雪見さんは夏休み中に旅行は行かないんですか?」
「え、ああ、旅行っていうか、合宿みたいなものが……。」
「合宿?! え、何の何の?!」
「フットサルって ――― 」
「ああ、知ってる〜!! サッカーのちっちゃいのみたいなやつですよね?!」
はしゃいだ部員から次々に繰り出される質問に笑顔……とは言い切れない引きつった顔で答える雪見さん。
こういう雰囲気が苦手だとよく分かる。
適当なタイミングを見計らって、雪見さんを助けるべく、わたしは本来の話を持ち出した。
「雪見さん、絵本なんですけど……?」
その途端、雪見さんがほっとした顔でわたしを見た。
その表情には、わたしへの信頼と優しさが浮かんでいて、一瞬見惚れてしまった。
(やった!)
これでわたしの評価はばっちりアップ!
ほかの部員たちとの差がはっきりしたはず。
密かにガッツポーズをしながら、隣の机に用意しておいた紙に手を伸ばしたとき。
「こんにちはー。みんな、どう?」
ガラリと戸が開いて、笑顔の児玉先生が入ってきた。
「あ、たまちゃん! いらっしゃーい!」
聡美が楽しげに手を振る。
隣で雪見さんが、近付いてくる児玉先生に何かを言おうとしたまま固まってしまった。
顧問の児玉先生を差し置いて、自分が誕生日を祝ってもらっていることが後ろめたいのだろう。
「ああ、雪見さん、どうもありがとう。」
雪見さんの様子には気付かないのか、児玉先生は笑顔で話しかけた。
それから机の上のお菓子に気付いた。
「どうしたの? 今日はおやつが豪華だね。」
「児玉…先生、あの。」
雪見さんが説明しようとした。
焦ってしどろもどろになっている。
だから、ユキナの方が早かった。
「雪見さんのお誕生会なんでーす♪ ねー?」
「「そうでーす♪」」
「え? お誕生日?」
部員たちの説明に、児玉先生が目を丸くした。
「はい。誰にもお祝いしてもらえないのは気の毒なので、わたしたちがお誕生会を開いたんでーす♪」
児玉先生は驚いた顔のまま雪見さんを見た。
それに応えて雪見さんは片手を顔に当てながら、申し訳なさそうに下を向いた。
まるで謝っているように見える。
「そうなんだー。よかったねぇ、雪見さん?」
児玉先生が空いているスペースに椅子を引き寄せながら、楽しそうに言う。
何となくからかっている口調?
「は、はい……。」
大きな体を小さくしながら、頼りない声で答える雪見さん。
もしかしたら、女子高生にちやほやされて喜んでいると思われたら困ると思っているのかも。
「あ、あの、ちゃんと文化祭の相談があるんですよ。お誕生会はそのついでで。」
雪見さんの弁護をするため、用意しておいた絵本のリストを児玉先生に渡す。
その間に一年生が、児玉先生に麦茶を注ぐ。
「どれどれ? わあ、すごいね。選ぶのは大変だった?」
「はい。図書館で何十冊も借りたよね?」
「そうなんです! しかも、どれを読んでも面白くて、全然選べないんですよ〜。」
わたしたちはみんな、気さくな児玉先生が好きだ。
だから、先生が顔を出してくれたときも、普段の活動と変わりなくおしゃべりする。
「でも、楽しいならいいじゃない? 雪見さんにおはなし会のことを教えてもらってよかったねぇ。」
小さくなっている雪見さんに気を遣ったらしい。児玉先生が雪見さんに笑顔を向けた。
「あ、はい。」
それでも雪見さんは緊張した様子で小さく返事をするだけ。
もしかすると、 “教師” と “司書” には、上下関係でもあるのだろうか?
(あ。そう言えば、児玉先生の方が年上だっけ。)
“上下関係” という考えで思い出した。
ずっとサッカー部に所属していた雪見さんは、先輩後輩の関係に厳しい中で大人になったのかも知れない。
(やっぱり彼女は年下じゃないと…ってことだよね♪)
嬉しくなって、雪見さんにクッキーをとってあげた。
困った様子でわたしにお礼を言う雪見さんに胸がときめく。
(わたしが癒してあげますから!)
それから絵本や北海道旅行の話題に花が咲き、10分も経たないうちに児玉先生は職員室に戻った。
雪見さんも会話に参加していたけれど、ずっと緊張したままだったのは手に取るようにわかった。




