11 広瀬勝吾 7月28日(月) 午後(1)
本を読んでいたつもりだったのに、頭がガクッと傾いてハッとした。
(眠くなってきた……。)
ほどよく冷房の効いた図書室の自由席。
目をこすりながら周囲に座っている友人たちを見回すと、一緒に来た5人のうち3人が眠っている。
金曜日はちゃんと起きていられたのに。
(午前中いっぱい部活で走りまわって、昼飯のあとに静かで気持ちのいい場所にいたら当然か……。)
時計を見ると、2時になるところ。ここに来てから約一時間。
そっと振り向いて学習コーナーに目を移すと、勉強している先輩たちの中にも居眠りをしている姿がちらほらと見える。
カウンターでは雪見さんが、積み上げた本に真剣な顔で目を通している。
昨日あたりどこかに遊びに行ったのか、腕と顔が日に焼けて赤くなっていた。
「眠くなるよな。」
向かい側からささやき声が。
視線を正面に向けると、根本がニヤリと笑った。
「うん。」
頷いて、手元の本に目を戻す。
上側から確認すると、本の残りは3mmくらい。
今までのペースで行けば、今日中には読み終わるだろうか?
隣の石井がゆっくりと俺の方に倒れてきて、途中で姿勢を戻した。
でも、起きてはいないようで、目を閉じたまま静かに座っている。
「く。」
「フフッ。」
控え目に笑って、根本と目を見交わした。
他人が寝ている様子を見るのは面白い。
面白いけど、このまま座っていたら、俺も眠ってしまいそうだ。
こんな環境で眠ったら、いつ目が覚めるか分からない。
「少し散歩して来ようかな。お前はどうする?」
身を乗り出して小声で根本に尋ねると、「俺はあとで。」と返って来た。
「じゃあ、荷物頼む。」
本を机に置き、足元のバッグからタオルとペットボトルを取り出して、出入り口に向かう。
カウンターの前を通るとき、鼻の頭が赤い雪見さんが「行ってらっしゃい。」と言うように笑顔で手を振ってくれた。
「う…あ〜〜〜〜〜〜〜……。」
廊下に出て、まずは伸びをする。
それから肩を回して、次は背中を前後左右に曲げて。
「ふう。」
(さて、どこに行こう?)
散歩と言っても、そんなことを普段はしないから、どうしたらいいのか分からない。
(とりあえず、校舎の中を歩いてみるか?)
それもいいかも知れない。
入学したときに担任のたまちゃんが一通り案内してくれたけど、授業で使ったことがない部屋はもう忘れた。
中庭が校舎で囲まれてるってことは、ぐるりと一周できるはずだから、このまま行ってみよう。
左右に伸びる廊下。
左に行けばA棟で、上の階には各クラスの教室がある。2階は職員室。
(右だな。)
4月以来行ったことがないD棟に足を向ける。
突き当たりを右に曲がると、少し先の部屋から生徒の声が聞こえて来た。
北側になっている廊下は電気が点いていなくて薄暗い。
声がしていたのは物理実験室だった。
どこかの部活で使っているらしいけど、漏れてくる声は運動部と違う落ち着いた低い声で、思わず見つからないように足音を殺して速足で抜けた。
その次は人のいない化学実験室。
なんとなく薄気味悪くて、ここもまた速足で抜ける。
突き当たりを右に曲がろうとして、足を止めた。ずっと先に2人の先生が見えたから。
(べつに悪いことをしているわけじゃないけど……。)
そういえば、このまま2階を回って行くと、突き当たりにあるのは職員室だ。
用もないのに職員室の前を歩きたくない。
先生たちは何か話しながら、どこかの部屋に入って行った。
それを確認して、斜め前にある階段へ。
(上? 下?)
上には音楽室と書道室があったはず。
行ったことがないのは下だ。
それに、上からは楽器の音が聞こえてくる。吹奏楽部がいるのだ。
関係のない場所で人に見られるのはなんだか気まずい。
(うん、下だな。)
1階に下りると、廊下の窓から中庭と昇降口が見えた。
間近に中庭を見ながら、少しほっとした気分でA棟側に向かって歩き出す。
向かい側にある図書室を見上げると、その棟は2階までしかなかったことに気付いた。
(そういえば、あそこの階段って、上に向かうのがなかったな。)
昇降口に近い階段は毎日使っていたのに、何も疑問に思わなかった。
新しいことを知ったようで得した気分♪
頭の中で鼻歌を歌いながら(さすがに声に出す勇気はない)、体でリズムを取って歩いてみる。
誰もいない気安さで、ステップを踏んで、くるりとターン ――― 。
ガラ。
ターンして足を着くのと、前方左側の戸が開いて出て来た女子が俺を見たのがほぼ同時だった。
「きゃっ?!」
(えええええぇ?! 見られた?!)
お互いに動けないまま相手を確認すると……。
(佐藤先輩……?)
と思う間に、先輩の後ろから女子生徒がわらわらと ――― 。
「どうしたの?!」
「何かいた?!」
「虫? 虫?」
「え? 虫なの?! 変な虫?!」
(変な虫……。)
逃げるわけにもいかずその場に立ち尽くす俺を、部屋から出て来た女子の集団が佐藤先輩の後ろに固まって見つめた。
「あの、ええと……。」
(散歩中だったって説明して、分かってもらえるのか?)
踊っていたところも見られていたら、 “虫” ではなくても “変なヤツ” に違いない。
今朝に続いて、またしても格好悪いところを見られてしまうなんて。ああ、落ち込む……。
「ああ、ごめんね、みんな。誰もいないと思ってたから、びっくりしただけなの。」
佐藤先輩が振り向いて説明する。
その後ろ姿のポニーテールが弾む。
それをぼんやりと見ながら、何もできない自分の情けなさにがっくりと肩を落とす。
「大丈夫、大丈夫。騒がせてごめんね。」
佐藤先輩の言葉に、女子たちは部屋に戻って行く。
何の部屋なのか確認すると、戸の上の札には『被服室』と書いてあった。
「びっくりさせてごめんね。」
思ったよりも近くで声がしてハッとした。
気付いたら、佐藤先輩が目の前に立っていた。
「あ、いや、ええと……すみません。」
(ああもう! 「驚かせてすみません。」だろ!)
言わなくてはならないことと、口から出てくる言葉の量の差に呆れてしまう。
「でも、どうしたの、こんなところで? あ、木場さんに用事?」
「え? いや、べつに……。」
木場?
木場がいるってことは。
「あの……、ここ、部室…ですか?」
「ん?」
佐藤先輩が不思議そうに首を傾げる。
右手の人差し指をあごに添えたその様子がなんとも可愛らしい。
「うん、そうなの。ボランティア部の部室、被服室なの。」
にっこり笑ってバスガイドのように部屋を示すその姿も、ものすごく可愛い!
それに、俺のことを変なヤツだとは思っていないみたいだし。
(あ〜、こっちに来てよかった!)
俺も笑顔満開だと思う。
ここで真面目な顔なんて、できるヤツいないだろ!
「それにしてもちょうど良かった! 広瀬くんがいるかどうか、図書室を見に行こうと思ってたの。」
佐藤先輩が俺を探しに?! そんなに嬉しそうに?!
しかも「広瀬くん」って!
(名前を覚えててくれたよ〜!!)
先週、頑張って伝えた甲斐があった。
もしかしたら、先輩も俺のことを気に入ってくれてるのかも!!
(どうしよう、本当にそうだったら? 俺から告っちゃった方がいいかな? やっぱ男だし。)
思考がものすごいスピードで活動開始。
鼓動も速くなって、全身にパワーが漲る感じ。
(いや、まだ早いか。でも、ちょっと試してみてもいいよな? たとえば「リナ先輩」って呼んじゃうとか?)
“下の名前で呼ぶ” という思い付きに、自分で恥ずかしくなってしまった。
俺の呼び掛けに恥ずかしそうに返事をする先輩を思い浮かべて、ますます自分の空想の世界に迷い込む。
(うわ、これってもう……!)
自分の未来がバラ色に見えた。




