10 7月28日(月) 雪見さんのお弁当(2)
(雪見さん、お弁当なんだ。しかも、あれだと手作りだよね……?)
閉めた戸の前で、一瞬しか見えなかった雪見さんの姿を、繰り返し頭の中で確認してみる。
給湯室から出て来た雪見さん。
黒いエプロンはしていなかったけど、背の高い姿は間違いない。
その手にあった黒い箱。
あの大きさだと、たぶん二段重ねのお弁当箱だ。見間違えるほどの距離ではない。
(自分で作ってるの……?)
彼女はいないって言ってた。
自炊している、とも。
最近は自分でお弁当を作る男の人が増えてるって聞いたことはあるけど……、ああ、どんな中身なのか見たかった!
「どうしたの?」
「わ!」
真剣に考え込んでいたので、足音に気付かなかったらしい。
振り向くと、白衣を着た保健室の先生だった。
「誰か探しに来た? 呼んであげようか?」
保健室の先生はお母さんみたいな人で、普段から生徒によく声を掛けてくれる。
「あ、いいえ。用事は終わったんです。」
「そう?」
そう言ってにっこりする姿に不思議と安心感を覚えて、わたしも笑顔を返す。
会釈をして被服室に行こうと思ったとき、ふと思い出した。
――― 『毎日、保健室で体重を計ってるんだって。』
「あ、あの。」
向き直ると、先生が戸に手を掛けたままこちらを向いた。
「と…、図書室の雪見さんって、ダイエットしてるって聞いたんですけど……?」
それを聞くと、先生は「ああ。」と言って笑った。
「そうだよ。4月に来たときの体型見たら黙っていられなくてね。あれじゃあ、生活習慣病まっしぐらだもんね。そう言って脅してやったのよ。あはははは!」
「ああ……、それで……。」
と言うことは、ダイエットはこの先生の勧めなんだ。
「今はだいぶすっきりしたでしょう? 雪見さんは運動も料理も、素直に助言に従うからねー。」
じゃあ、自炊もこの先生の勧めで……。
「そうなんですか……。今、お弁当箱を持ってたみたいですけど……?」
「ああ! あれが一番効いたんじゃない?」
「お弁当が……ですか?」
「そう!」
先生は「うふふふ。」と笑いながら、うんうんと頷いている。
「雪見さんのお弁当は栄養のバランスが取れてるし、なにしろ美味しくてね。」
「へえ……。」
美味しいのか……。
先週、料理の腕前はそれなりだと言っていたけど、ここまで褒められるってことは相当なものなんだ。
「なに? あなたもまさかダイエットしたいとか?」
「あ、ええ、まあ。」
「ダメよ、そのくらいの体型でダイエットなんてしたら! 体壊すからね!」
ちょっと怖い顔で言われて、笑顔を取り繕う。
「う、う〜ん、このくらいでも太ってませんか?」
「太ってるどころか、痩せ過ぎギリギリくらいだよ。」
「じゃあ……やめておきます。」
「そうよ。心配になったら、まずは保健室に体重を計りに来なさい。」
「はーい。」
頷いて職員室に入って行く先生を見送って、被服室へと足を向ける。
歩きながら、今の情報を整理してみる。
(雪見さんって、料理が上手なんだ……。)
保健室の先生が「栄養のバランスが取れてる」って言うのだから、知識もそれなりにあるんだろう。
その上、美味しいなんて、わたしの出る幕ナシだ。
「あーあ。」
残念な気持ちが声に出てしまう。
見た目は普通。
成績も普通。
図書委員だって、特別な優秀さをアピールするほどの仕事はない。
お弁当を作る必要は、まったくない。
(やっぱり、ストーリーテリングしかないね。)
うん。
雪見さんが驚いて感心するような出来栄えにしたい。
それにはまず、いいおはなしを選ばなくちゃ!
(よし!)
気合いが入る。
被服室に向かう足が速くなる。
(そういえば……。)
わたしが職員室に行ったとき、雪見さんと児玉先生、二人とも給湯室にいたのかな……?
見当たらなかったってことは、そうなんだろうな。
でも……二人だけで?
給湯室がどのくらいの広さなのかは分からない。
もしかしたら、ほかにも誰かがいたかも知れないし。
それに、扉が無いようだったから、職員室からも見えるはず。
(雪見さんと児玉先生……?)
――― いや、無いね。
あの児玉先生に “恋” とか、考えられない。
確かに “大人の女性” ではあるけど、何て言うか…… “誰とでもお友達” みたいな性格だから。
彼氏とイチャイチャしてるところなんて想像できない。
恋人関係を飛び越えて結婚したって言われたら納得できるけど。
普段からよくほかの先生をからかっているし、特に伊藤先生とは前から仲がいい。けど、恋人同士じゃない。
球技大会のときだって、雪見さんと特別親しいようには見えなかった。
(そういえば、住んでいるところが近いんだっけ……。)
うーん……。
だとしても、それが恋に発展するかどうかはまた別だ。
近くに住んでいて好きになるって言うなら、みんな近所の誰かと結婚してる。
(そうだ! それに……。)
児玉先生の方が年上だ。たった1歳だけど。
女性が年上のカップルもあるけど、全体的に見れば男性が上の方が多いと思う。
児玉先生と雪見さんだと……姉と弟みたいになりそう。絶対に、児玉先生の方が強いと思う。
(うん。まあ、児玉先生が雪見さんを好きになったとしたら、雪見さんは断れないんじゃないかと思うけど。)
「ぷ。やだ……。」
自分の想像で笑ってしまった。
雪見さんの優しい雰囲気では、押しの強い女の人を断れそうにないのは確実に思えて。
(わたしも強く出た方がいいのかな?)
……そんなの嫌だな。
わたしからじゃなくて、雪見さんから言ってほしい。
わたしを見て、好きになってほしい。 わたしが雪見さんを好きだから、つられて好きになるのではなく。
それに、『押しの強い女性は苦手』なんだよね。
やっぱりいいところを見せて、好きになってもらわなくちゃダメだ。
あ。
雪見さんが積極的な女性は苦手で、わたしもそういう恋をしたくないってことは、わたしと雪見さんって、気が合うんじゃないかな?
うん。きっとそうだ。
前に本を並べたときに「センスがいい」って褒めてくれたことも、要するに、わたしと雪見さんの美的感覚が同じってことだよね?
そういうのって、恋人同士には大切だよね?
やった!
可能性は十分にある。
わたしが雪見さんを好きになったのは、当然のことなんだ。
機会があれば、雪見さんだって、きっとわたしを好きになってくれるはず。
(うん! 頑張ろう!)
「戻ったよ〜。」
ガラリと被服室の戸を開けると、みんなのお弁当のにおいがした。
「あ、お疲れさま〜。」
「サトリ、早くおいで。ほら、ここ。」
みんなの笑顔に迎えられるとほっとする。
それぞれ個性があるけれど、お互いを認めて受け入れてくれる心の広い仲間たち。
このメンバーだから、わたしは部長をやっていられるのだ。
「こんなに借りて来たんだ?」
後ろの机に絵本が山積みになっている。
「あはは、そうだよ! 午後はみんなで手分けして読まなきゃって言ってたの。」
「そうだね。」
みんなで頑張ろうね。
そして、文化祭でいいおはなし会をやろうね!




