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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『5月の花火』
5/95

5  5月14日(水) (1)


翌朝、寝不足気味で階段を降りた。

お母さんが作ってくれたおかずをお弁当箱に詰めながら、さり気なくお母さんに尋ねてみる。


「ねえ。裕司のうちのおじいちゃん、最近はどうなの?」


「裕くんのおじいちゃん? そうね、かなり大変みたいよ。」


「おばさんが仕事を辞めても?」


「緑さんが辞めてから……3年、よね? 昼間はデイサービスに行ってるけど、帰ってからは目が離せないみたい。去年までは夕方に買い物に出ることくらいはできたけど、今は無理だって言ってたわ。」


「そうなんだ……。」


「緑さんは、『きっと、寝たきりのかたはもっと大変よね。』って笑っていたけど、目が離せないっていうのは、やっぱり大変だと思うな。」


「そう……。」


やっぱり大変なんだ。

でも、裕司はそれを誰にも言ってないの……?


そう思ったら、また淋しくなってしまった。



今でも謝りたいという気持ちはあるけれど、自分のことしか考えていなかったことで落ち込んで、今日は何もする気が起きない。

と言うよりも、裕司に合わせる顔がないような気がする。


朝は普段どおりに家を出て、昼休みと放課後は図書室を避けるようにしていた。

廊下の先に裕司が見えたときには、見られないように身を隠した。

友人たちの前では、何事もないように振る舞った。

何もしなかったのに、家に帰り着いたときには、いつもの倍くらい疲れた気がした。

バイト先のスーパーが近いことが、とても有り難かった。






「お先に。」


「気を付けてね〜。」


今日は8時に仕事が終わり、残っているバイト仲間に手を振ってお店を出る。

従業員の出入り口は裏にあるけれど、そっちは暗くなると少し気味が悪いので、お店が開いている間は女の子たちはお店の出入り口から帰っている。


自動ドアを出たところで足を止めた。

このお店は道路よりも、わたしの身長分くらい高いところにある。

建物に沿って、前に3メートルくらいの幅のコンクリートの通路があり、そこのベンチで休んでいる人がときどきいるけど、今は誰もいない。

下にある道路を走っていく車も、この時間になるとそれほど多くはない。


暗くなった空を見上げてみる。

空は真っ黒だけど、お店のガラス越しの明かりのせいか、星は見えなかった。

自動販売機の陰で腕を伸ばして深呼吸をしたら、冷えた空気が気持ちいい。

忙しくて体は疲れたけれど、バイト中は何も考えなくて済んだから、心配ごとが少しだけ軽くなったように感じる。


(お腹が空いたな。早く帰ろう。)


よく考えたら、寝不足気味でもある。


裕司のことはまだ気になる。

でも、今はとりあえず食事と睡眠だ。

何て言ったって、わたしは健康な高校生なんだから!


急ぎ足で階段を降りて、歩道を左に ――― 。


(え……?)


前から歩いて来る人影が街灯に浮かび上がった。

その姿に、思わず足が止まってしまう。


(裕司……。)


ジーンズにパーカーを羽織った裕司がこっちに歩いて来る。

ポケットに手を突っ込んで、うつむいて、大きな歩幅で。

あまり幸せそうには見えないその姿を見たら、心の隅に追いやられていた罪悪感が一気に表に出てきた。


(どうして、今?)


何も覚悟をしていなかったのに。

何を言おうか、考えていなかったのに。



でも……。


今を逃したら、もうチャンスはない。

こんなに真正面から向かって来る裕司から逃げたり、無視したりしたら、もう二度と……。



裕司が近付いて来る。

まるで自分の靴のつま先を見つめるように下を向いて。

わたしはそれを立ったまま待ち受ける。


あと7歩。


あと5歩。



「裕司。」



声は震えていなかった。

裕司のちょっと驚いた顔を一瞬確認してすぐに頭を下げる。


「ごめんなさい!」


鼓動5つ分くらいしてからそっと顔を上げると、裕司が困った様子で立っていた。


当たり前か。

広い道沿いで、いきなり謝られたりしたら……。


「あの……それだけ。じゃあね。」


申し訳ない気分で視線を逸らし、一歩踏み出そうとしたとき。


「もうバイト終わり?」


裕司の声。

怒っているでもなく、辛そうでもなく、普通の……以前と同じ調子の。


その声と言葉が胸にしみ込む

怒っていなかった。

嫌われていなかった。


「うん……。」


うなずくと、裕司もうなずいた。


「じゃあ、ちょっと待ってて。ノート買うだけだから。」


そう言うと、わたしの返事を待たずにコンクリートの階段を駆け上がっていった。






「父ちゃんが帰って来たから、出て来られたんだ。」


戻って来て、並んで歩き始めた裕司が言った。

裕司の「父ちゃん」という呼び方を聞いたのも久しぶりだ。

裕司は小学校のころから、自分の両親を「父ちゃん」「母ちゃん」と呼んでいる。

二人ともそういう雰囲気の人たちではないのに。


「おじさんが帰って来たって……、おじさんがいないと、裕司は家を出られないの? ……あ。もしかして、おばさん、具合が悪いの?」


「ああ、いや、そうじゃない。母ちゃんは元気にしてる。だけど……。」


だけど……?


「なるべく母ちゃんを、じいちゃんと二人だけにしたくないんだ……。」


おばさんを……?


そこまで言って、裕司は黙ってしまった。

ぼんやりと何かを考えるように前を向いて。

穏やかなその横顔を見たら心のつかえが取れて、すんなりと言葉が出て来た。


「わたしね、あの本を読んだよ。」


「あの本?」


「先週、裕司が読んでいた本。介護の。」


「ああ……。」


ゆっくりと歩調を合わせて夜の道を歩いていると、今までのわだかまりが闇に溶けて行くような気がする。

不思議な安らぎを感じる時間。


「智沙都は……どう思った?」


「どうって……、あのね、『順番なんだな』って。」


「順番?」


「うん、そう。みんな歳をとって、そういうときが来るんだなって思った。」


「ああ…そうか。そうだな。俺は……。」


そこまで言って、裕司は悲しそうな顔をした。


「無理しなくてもいいんだって思った。」


「無理……?」


横顔に問いかけると、裕司はふうっとため息をついて、前を向いたまま続けた。


「母ちゃんが、洗濯物の中に座ってたんだ……。」


おばさんが、洗濯物の中に座ってた……?


今少し、状況がつかめない。

首をかしげているわたしを見て裕司はクスリと笑い、もう少し詳しく話してくれた。


「春休みに仲間と映画を見に行って、その日は5時過ぎごろ帰ったんだ。『ただいま。』って言っても返事がないし、何の音もしないから、誰もいないと思ったんだ。」


小学生のころに何度も行った裕司の家を思い出してみる。

玄関から奥に伸びる廊下があって、左側手前に和室の居間、その奥にダイニングキッチンがあった。

右側には洗面所やお風呂場、階段があって、突き当たりにおじいちゃんの部屋があったはず。


「普段はじいちゃんがいるから、夕方に母ちゃんがいないことなんてないんだ。でも、その日はじいちゃんは施設に泊まりの日で、それで母ちゃんも息抜きしてんのかなと思って……。」


「うん。」


「そうしたら、いたんだ。」


「……おばさんが?」


「うん。台所に行こうと思ったら居間の戸が開いてて、薄暗い部屋に洗濯物がいっぱい散らかってて……、」


その光景が目に浮かんで来る。

障子のある和室。

ちゃぶ台と座布団。

部屋いっぱいにまき散らされた洗濯物……。


「障子の前に母ちゃんがぼんやり座ってたんだ。俺、びっくりして、恐くなって ――― 。」


わたしも恐い。

でも、裕司はもっとショックだったはず。

いつもニコニコして楽しそうなおばさんが、……自分の母親が、そんな状態だったら……。


「脅かさないように、そうっと声を掛けたんだ。そしたら、何でもないみたいに俺を見て『あら、おかえり。』って言うんだよ。」


裕司は辛そうな顔で深呼吸をした。

きっと、今でもそのときの気持ちを忘れられないに違いない。


「うちの母ちゃんがどんなだか知ってるだろ? いつもとぼけてて、変なこと言って、ふざけてばっかりいるんだ。そのときも普通に笑って、『お小遣いがなくなったから、早く帰って来たんでしょう?』とか言うんだよ。だけど、俺、やっぱり恐くて……もしも、母ちゃんが変になってたらどうしようって……。それで、何でもないふりをしながら電気を点けて、『どうしたんだよ、この部屋?』って訊いたんだ。」


「うん。」


「そしたら母ちゃん、平気な顔をして言ったんだ。『たまには散らかしたら気分が晴れるかと思って。』って。」


散らかしたら気分が晴れる……。


「『さすがに食器を投げ散らかすわけにはいかないけど、洗濯物なら音もしないし、何も壊れないもんね。』って、冗談っぽく言うんだよ。そのときは、俺も冗談言いながら洗濯物たたむのを手伝って終わりにしたけど、春休みの間、それとなく母ちゃんのこと見てたんだ。」


「うん。」


わかるよ。

わたしだって、きっとそうする。


「それで気付いたんだ。母ちゃんがじいちゃんを看るのはもう限界なのかも知れないって。」


限界……?


「だから、裕司がおじいちゃんを看ようと思ったの? それで部活を休んでたの?」


そう尋ねると、裕司はこっちを向いて、ようやく微笑んだ。







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