4 7月24日(木) いよいよ、というときに
「サトリちゃん。菜穂ちゃん。」
本棚へと向かう途中で左側の学習コーナーから声が。
少し先の通路横の席で、引退した坂川先輩が手を振っている。
「あ。おはようございます。」
慌ててあいさつをするわたしたちに、先輩が嬉しそうに微笑む。
「おはよう。久しぶりだね。元気だった?」
「「はい。」」
坂川先輩はフレンドリーで元気な先輩だ。
現役のときは副部長で、部長だった濱田先輩と、いつも漫才のような掛け合いで笑わせてくれた。
「今日は活動日なの? 今年も文化祭はアレ?」
坂川先輩の微妙な表現に笑いそうになりながら、少し得意な気分で答える。
「違うんです。今年はおはなし会をやるんですよ。」
隣で菜穂ちゃんも笑顔でうなずく。
「え?! おはなし会?!」
大きな声を出した先輩が慌てて口元を押さえた。
「はい。雪見さんが教えてくれることになっていて、今日、お手本を見せてもらうんです♪」
「見せてもらうの? いいなー。」
「ねえねえ、おはなし会って、この間の?」
向かい側に座っていた女子の先輩が、身を乗り出して坂川先輩に尋ねた。
「うん、きっとそうだよ。今日、ボラ部でもやるんだって。」
「え〜、あたしも聞きたい。ねえ、おはなし会だって。ほら、5組の…… 」
「河西くん、おはなし会って見たくない? ほら、5組と2組でやったって…… 」
(次々と話が広まって行く……?)
先輩たちの間でつながって行く話に割り込めず、かと言って、そのまま立ち去るのも失礼な気がする。
仕方なくその場に立っていると、そのうち坂川先輩が、机の間をまわり始めた。
(まさか全員に話をするつもりでは……。)
不安は的中し、坂川先輩はあっという間に自由席にも話を通して戻って来た。
「ねえ。みんな聞きたいっていうから、ここでやってもらおうよ。」
「え、あの……。」
それじゃあ、質問の時間がとれないんですけど……。
「今の部員は10人でしょ? ここに9人しかいないんだから、広さは問題ないよ。」
「はあ……。」
「あたしからお願いするから。ね?」
坂川先輩にこうまで言われたら断れない。
以前から自分の要望を通すのが上手な先輩だったから。
「はい……。」
わたしと菜穂ちゃんは、顔を見合わせてうなずくしかなかった。
それを見て、先輩は張り切って雪見さんのところへ。
わたしたちも仕方なくあとに続く。
「雪見さん。ボラ部でおはなし会をやるって聞いたんですけど……?」
カウンターの中にいる雪見さんに、先輩が話しかける。
雪見さんは、いつもの優しい笑顔でうなずいた。
「うん、そうだよ。」
「この前、3年5組でやったのと同じですか?」
「5組っていうと…、倉本先生のクラス? うん、同じだよ。」
「雪見さん! あたしたちも聞きたいんですけど!」
坂川先輩は両手を胸の前で握り合わせて、カウンターに乗り出すようにして言った。
その勢いに、雪見さんが一歩下がる。
それを見たら、ボラ部で質問攻めにされる雪見さんの様子が簡単に想像できた。
「え、ええと、ボランティア部の先輩……なんだよね? 11時から被服室でやるから、そっちに……」
「そうじゃなくて、ここで。」
「え? ここで? だって、勉強してる邪魔になっちゃうよ。」
「大丈夫。今、みんなに訊いたら、全員、聞きたいって言ってますから!」
「え? 全員?」
雪見さんが驚いている。
確かに坂川先輩の素早さには驚くだろうと思う。
「3年生のあいだで、面白いってウワサになってたんですよ。2組と5組だけしかやらないなんて、ずるいじゃないですか!」
ますますカウンターに乗り出す先輩に、じりじりと雪見さんが後退。
「ずるいって言われても、担任の先生からの依頼で……。」
「この子たちも、部員をこっちに連れて来るって言ってますから、お願いします!」
「ええと……。」
雪見さんがちらりとわたしたちを見たあと、
「いいのかな……?」
と、室内を見回す。
わたしたちもつられて見回すと、学習コーナーにいる何人かが雪見さんの視線に応えてうなずいている。
「…わかったよ。じゃあ、11時から。」
時計を確認しながらそう言った雪見さんが、すぐに言い直した。
「11時半からにしようか? そうすればみんな、そのままお昼の休憩に入るだろ? きみたちはどう?」
わたしたちを見た雪見さんに、 “本当はボラ部だけにやってほしいんです!” という意味を込めて答える。
「わたしたち、見せてもらったあとで、相談に乗ってほしかったんですけど……。」
「ああ、そうだよね。ええと、その前か……、午後は3時からなら空いてるけど……。」
午後3時から?
(その方がゆっくり時間がとれるかも!)
「3時からにしてもらう?」
菜穂ちゃんと小声で相談。
わたしの中では、既に「3時から」に決まっているけれど。
「そうだね。見てから訊きたくなることもあると思うから。」
菜穂ちゃんはあくまでも真面目だ。
「じゃあ、3時からお願いします。」
「それでいい? 悪いね。」
「いいえ、いいです。その方が、雪見さんが来てくれる前に、みんなで見た感想や、質問をまとめたりできるので。」
「そう? じゃあ、まずは11時半に、ここで。」
「「はい。」」
午前も午後も、楽しみだ!
11時半。
図書室でおはなし会が始まった。
机を端に寄せて、ひとかたまりに椅子を出し、雪見さんはホワイトボードを背にして高めの椅子に寄り掛かるように腰掛けた。
生徒は椅子に自由に座り、中には机に腰掛けている男子もいて、それぞれくつろいだ雰囲気。
電気は雪見さんの上だけを残して消してあり、カーテンを引いた室内は少し薄暗い。
読んでくれた本は、絵本が2冊とストーリーテリングが1つ。
最初は特に意味のない、でも楽しい、言葉遊びの絵本。
次が悲しいけれど感動する絵本。
最後が笑い話のストーリーテリング。
普段の話し方とは違うゆったりしたリズムで、深みのある声が図書室内に響く。
大きな声を出しているわけではないのに、わたしたちの耳にはっきりと聞こえる。
その声に導かれて、おはなしの世界に入り込んで行く……。
ときどきハッと我に返り、周囲をそっと観察してみた。
最初は「ふうん。」という様子だった人たちが、絵本のページが進むうちにだんだんと引き寄せられていくのが分かった。
聞き手全体が息をひそめて次を待っているような、まるで一体化しているような瞬間もある。
特に目に留まったのは、最後の笑い話のときに笑っていた一年生の男子2人。
楽しい場面では遠慮なく笑い、その合間もくすくすと隣と囁き合いながら笑っている。
その様子があどけなくて、わたしも思わず微笑んでしまった。
(なんだか可愛い。高校生でもあんなふうに聞くんだな……。)
文化祭での自分たちの姿を想像しながら、雪見さんの声に聞き入った。




