15 7月10日(水) 簡単に一件落着というわけには
(「ダメかな?」って……。)
彼氏に立候補すると言われても、わたしにだって意地がある。
「ダメだよ。」
「なんで?!」
龍野くんはとても驚いたらしい。
そりゃあ、先週からのわたしとのやり取りを考えれば、断られるとは思わなかったのかも知れないけど。
「龍野くん、彼女と別れたの?」
そう尋ねると、龍野くんは不思議そうな顔をした。
「彼女って……そんな必要はないけど……。」
(別れる必要はないっていうの?! 信じられない!)
「二股かけようってこと?!」
「え、そんな。なんで?」
わたしが知らないと思っているんだろうか?
だとしても、知られているのをとぼけ通そうなんて、許せない。
「ああ、そうだよね。男の人って、昔から奥さんが何人もいたり、愛人を囲ってたりするもんね。で、みんな本気で好きだとか言っちゃってさ。」
「いや、ちょっと待てよ。なんで俺がそんな男の実例みたいに言われて ――― 」
「わたしはそんなの嫌ですからね。そんな………あ。」
龍野くんの後方に人が見えた。
階段から出て来たらしいその人は佐川くんで、パッとこちらを向くと一気に駆けて来た。
「うちの部長に何やってんだ、コラ!」
佐川くんの手が、ベチンと龍野くんの頭を叩く。
「いて! え?!」
龍野くんが頭を押さえて振り返る横を抜けて、佐川くんがわたしの前に立った。
「駒居、大丈夫か? 何もされなかったか?」
味方が登場したと認識し、わたしはここぞとばかりに龍野くんの不条理を訴える。
「龍野くんが、わたしに二股をかけようとする。」
佐川くんが目を丸くして、龍野くんを振り返った。
「お前……、そんなこと、真面目な駒居がOKするわけないだろう?!」
(ざまあみろ!)
「違うって! そんなことしてないよ! だいたい誰と二股をかけるんだよ?」
佐川くんは、今度はわたしを見た。
その顔には「ああ言ってるけど?」と書いてある。
「だって、見たもん。仲良くしてるところ。」
「『仲良く』って?」
佐川くんがわたしに尋ねる。
わたしがただの友達関係の相手を誤解していると思ったのかも知れない。
「腕組んで楽しそうに話してた。」
「人違いだ。」
すかさず龍野くんが否定。
「違わない。なんでそんなにウソつくの? そんなウソ、二股より酷いよ。」
「ウソじゃ ――― 」
「それ、妹じゃないのか?」
また会話がヒートアップしそうになった瞬間、佐川くんの落ち着いた声が。
「妹?」
「あ。」
口が止まった二人を交互に見ながら、佐川くんが言う。
「それ妹だろ、たぶん。どこで見たんだよ?」
「あの…、昇降口のところで。」
妹……?
「だけど、兄妹っていうにはちょっと仲が良すぎるっていうか……。」
「ああ……、そうか……。」
龍野くんがため息をつきながら片手で額を押さえた。
それを見て、佐川くんが説明してくれた。
「うちのクラスでは有名だぜ、龍野の妹。今年入学したんだけど、萌え系妹キャラを地で行く、超ブラコンのマサミちゃんって。」
萌え系…妹キャラ……? 超ブラコン……?
本気でそんな人が存在するわけ?
「陸上部のジャージを着てたけど……? 長い髪の……?」
「ああ、じゃあ間違いないな。入学して2、3日は、何度も龍野のところに来てたよな? で、龍野が『来るな』って怒ったら泣きそうになっちゃって。」
「あのときは、俺の言い方が酷過ぎるって、みんなに責められてまいった。だけど、教室に来なくても、会ったら同じだからな。」
「あんな妹、羨ましいっていうヤツの方が多いんじゃないのか? あははは!」
ため息をつく龍野くんを、佐川くんが笑った。
和やかな雰囲気になり、なんとなく一件落着に見えたけど。
「じゃあ、連絡先を教えてくれないのはどうして?」
わたしには納得できないことがほかにもあるのだ。
「一緒に出掛けたのに、メールアドレスも電話番号も教えてくれないなんて、変だと思わない?」
味方になってもらうため、佐川くんに言うと。
「あれ? もうデート済み?」
予定外の質問をされて焦る。
けれど、わたしの答えを待たずに “どうなんだよ?” と言うように、佐川くんが龍野くんを見た。
「それも妹がらみで……。」
龍野くんが言いにくそうに下を向く。
「マサミのやつ、俺の携帯を見るんだよ。」
「「え?」」
「いくらパスワードを変えてもダメなんだ。メールを見られたこともあるし、アドレスを消されたこともある。24時間肌身離さずってわけにもいかないだろ?」
まるっきり、焼きもち焼きの彼女みたいだ……。
「そんなの、名前を変えて登録すればいいじゃないか。」
「そういうのは嫌なんだよ。こそこそしてるみたいで。」
そう言って、龍野くんがちらりとわたしを見る。
「それに……、アドレスを訊いたりしたら、別の目的があるって警戒されるかも知れないと思って……。」
(こそこそしたくないっていうのは、龍野くんらしいし、嬉しいけどね……。)
簡単に機嫌を直して……っていうのは嫌だ。
この状況では、なんとなく引っ込みがつかない。
「そ、そういえば、佐川くんはどうしてここに来たの?」
逸らせる話題を見付けて、ほっとしながら尋ねてみる。
「ああ。木之下が音楽室に駆け込んできて、大きな男が駒居を待ち伏せしてたって。心配だから見に行けって言われて。」
(麻美……。心配してくれたんだ……。)
「待ち伏せ……。」
龍野くんがショックを受けている。
たしかに「待ち伏せ」なんて言われたら、まるでストーカーだ。
「俺はいいんじゃないかと思ったけど、駒居が怖がってるように見えたし、何かあったらどうするんだってしつこく言うから来てみたんだ。そしたら、駒居が怒ってる声がして、ヤバいのかと思ったよ。」
「……どうもありがとうございました。」
あとで麻美にもお礼を言わなくちゃ……。
「ははは! 駒居があんなふうに怒ったことって、今までになかったからなあ。けど、もういいよな?」
「え? あの?」
逸らしたつもりの話が戻って来た?
「だって、問題は解決したよな? 話はまとまったんだろ?」
「いえ、あの、でも。」
焦ってしまう。
なんだか鼓動が激しくなるし。
龍野くんは優しくわたしを見ているし。
「わ…、わかんないよ。」
自分の気持ちは隠しているはずなのに、知られているようで恥ずかしい。
それを隠そうとしてまた慌てて、何を言えばいいのか分からなくなる。
「いっ、今すぐ答なんか出せないよ。もう、……疲れちゃったもん。」
声がいつになく小さい。
佐川くんが小さく吹き出した。
それを見たら、また腹が立った。
「うー……、龍野が悪いんだ! わたしが混乱するようなことばっかり、言ったりやったりするから!」
「うん。ごめん。」
龍野くんは落ち着いて微笑んだまま。
わたしは声を出さないように笑い出した佐川くんを前に、ますます焦る。
「本のことなんか持ち出して説明するし! 平気だったり、優しかったりするし! 妹のことは教えてくれないし!」
「うん。ごめん。」
「失恋したと思ったのに!」
言った途端、失敗に気付いた。
慌てて両手で口元を覆っても、もう遅い。
本気で笑い出した佐川くんと、思いっきり嬉しそうな龍野くんの前でどうしたらいいのかわからなくなって、思い切り睨んだ。
「今は……好きかどうか分からないもん。」
「はいはい。」
佐川くんが笑ったままわたしと龍野くんの肩をバンバンと叩いて、階段に向かって歩き出す。
その後ろ姿を見送って、龍野くんを見上げると、見慣れた笑顔があった。
「返事は……保留、だから。」
(絶対に、にっこりしたりしないんだから。)
不機嫌な顔を崩さないまま斜め下を向く。
怒っているからだけど、本当は、頬が赤いことを隠すため。
「それでいいよ。今日は。」
龍野くんの低いハスキーな声が、わたしを優しく包んでくれる。
これでは不機嫌な顔も続かない。
「でも。」
(でも?)
「俺を断るまでは、ほかのヤツとは出掛けないで欲しいんだけどな……?」
顔を覗き込んで機嫌を取るように下手に出られて、胸の中が波立つ。
悔しいんだけど……、だけど……。
「わたしを誘うひとなんて、い、いないもん……。」
「いたら?」
「………行かないよ。」
「よかった。」
すっ、と、わたしの前に小指を立てた右手が差し出された。
大きな手の小指は、わたしの人差指くらいの長さがありそう。
「指きり?」
ちらりと見上げると、龍野くんがニヤリと笑う。
「そう。気安く触っちゃいけないから。」
「……そうだよ。」
絡めた小指は温かくて力強くて……ドキドキした。
次回、最終話です。




