11 7月7日(月) 転がる方向が変わったみたい
翌月曜日。
朝、麻美と会ったとき、「佐川くんと話すことにした。」と言うと、「一緒に行こうか?」と言ってくれた。
それを聞いて、わたしは自分の心の狭さを反省した。
麻美は麻美なりに、わたしを心配してくれていることに気付いたから。
けれど同時に、一番の仲良しであっても、立場が違えば考え方も違うのだとあらためて心に刻んだ。
麻美は麻美、わたしはわたし。すべてを解り合えるわけではない。
そして結局は、自分の役割は自分で果たさなくてはならないということを。
お昼休みに、佐川くんのいる5組へ向かう。
麻美の申し出は断って、一人で。
麻美の申し出は嬉しかったけど、一人で行くことにしたのには理由がある。
女子二人に詰め寄られたら、佐川くんは反感を抱くだろう、というのが一つ。
もう一つは……5組には龍野くんがいるから。
できれば龍野くんに、昨日のお礼を言いたい。
……というか、ちょっと会えたらいいな、と思っている。
でも、それを麻美には知られたくない。
いくら龍野くんの “良心の問題” だとしても、二人で出かけたというのはそれなりの憶測を呼ぶ。
けれど、わたしの気持ちは今のところ不確かで、友達として好きなのか、それ以上なのか、よく分からない。
そんなときに、周囲にあれこれ言われたくはないから。
クラスの友達には、「ちょっと5組に行ってくる。」と言ってきた。
5組は廊下の並びだし、ウソをついて、後でバレる方が始末が悪い。
たぶん、誰か友達のところに行ったと思ってくれていると思う。
佐川くんにどう言うかは頭の中で何度も繰り返してきたけれど、上手く行くかどうか分からないから緊張してる。
けれど、龍野くんに会えるかも知れないと思うと、行くのが楽しい。
廊下を行き交う生徒の間を縫って、二つ先の教室へ向かう足は滑らか。
(いるかな?)
開いている後ろの戸に手を掛けて中を覗いてみる。
何箇所かに固まっている生徒を、後ろから順番に確認していくと……。
「あれ? 駒居?」
後ろで声がした。
この声は。
「あ、龍野くん。」
(やった♪)
振り向きながら、自分が笑顔になっているのが分かる。
今日はラッキーな日だ。
これなら佐川くんのことも上手く行きそう。
「昨日はお世話になりました。」
小声で言ってきちんと頭を下げたら、龍野くんが「あ、いや。」と言いながら慌てている。
顔を上げると、なんとなく落ち着かない様子で尋ねられた。
「ええと、何か……?」
「うん。佐川くんはいるかな、と思って。」
「え? 佐川?」
意外そうな顔。
わたしがお礼を言いに来ただけだと思った?
「うん、そうなの。ようやく決心がついてね。」
そう言って教室を覗きこむと、龍野くんが教室に入って佐川くんを呼んでくれた。
こちらを見てちょっと嫌な顔をした佐川くんに、手を振って合図する。
嫌々出て来た佐川くんをなだめながら、誰も通らなそうな場所へと向かった。
「また俺の口の利き方をどうにかしろって言うわけ?」
A棟からC棟へ曲がった廊下で止まると、佐川くんが切り口上で言った。
両手をポケットに突っ込んで、面倒くさそうに、まさに不機嫌だと示すための態度。
でも、これはもちろん予想の範囲内だ。
「この前は、ごめん。」
そう言って、頭を下げた。
まずは謝ること。
これは一番に決めた。
前回の言い方が悪かったのは本当のことだから。
顔を上げ、佐川くんときちんと向き合って、わたしの気持ちを伝える。
「あのときは、上手く説明することができなくて。あんな言い方しちゃって、悪かったなって思ってる。」
わたしの言葉を聞いて、佐川くんの表情が警戒するように変わった。
そんなに信用がないのだろうか?
「でもね、わたしだって言いにくかったんだよ。佐川くんが、演奏を良くしたいから言ってるって分かってるし。だから、あんな言い方になっちゃって。ごめんね。」
「……いや。まあ……、いいけど……。」
落ち着かな気に足を踏み替えながら、佐川くんが答える。
その顔からとがった様子が消えたことを確認して、話を先に進めることにした。
「だけどね、わたしが困ってるのは本当なの。『なんとかしろ』って責められるんだもの。」
佐川くんがカッとなった。
「そんなの、あいつらがもっと努力すれば ――― 」
「ほらね?」
「……え?」
わたしに言葉を遮られて、佐川くんがぽかんとする。
「佐川くん、すぐにポンポン言うから。」
「……え?」
「ホントだよ。誰かがミスすると、すぐに言うでしょう?」
「それは……、だって、ミスは指摘しないと分からないじゃないか。それにだいたい、練習が足りないんじゃないのか?」
「練習は、みんなちゃんとやってるよ。だけど、完璧にやるのは簡単なことじゃないよ。それにね、佐川くんは早すぎるんだよ。」
「早すぎる?」
佐川くんが訝しげな顔をする。
「うん、ミスを指摘するのが。だって、佐川くんは打楽器で、いつでも口が利けるから。」
「は?」
「ほら、木管も金管も、練習中は吹いてるか、吹く準備をしてるか、でしょう? みんな口が塞がってるんだよ。だから、何か言おうと思っても、すぐには言えないの。」
「……ああ。」
「それにね、打楽器って、みんなの後ろにいるじゃない? 後ろから大きな声で言われたら、嫌な気分になると思わない?」
「う……、まあ……たしかに。」
佐川くんが落ち着いた。
そして、少し考えてから口を開いた。
「で、俺にどうしてほしいわけ?」
諦めたような口調。
もう敵意は感じられない。
ほっとして、緊張が解けた。
「助けてほしいの。」
「え?」
「だって、佐川くんは副部長でしょ? わたしが困ってるんだから、助けてくれないと。」
「そりゃそうだけど……、どうやって?」
「一緒に考えてよ、どうしたらいいのか。」
「……副部長だから?」
「そうだよ。この前は、わたしが一人で動いて失敗したし。」
「ああ、うん……。」
わたしは困惑している佐川くんを黙って見ていた。
不思議だけれど、ここまで話せばもう大丈夫だという気がした。
「駒居。」
「ん?」
佐川くんの真面目な顔に、やっぱり大丈夫だと確信しながら返事をする。
「今すぐには何も思い付かないから、後でもいいか?」
「うん。すぐには無理だよね。話を聞いてくれてありがとう。」
「いや。」
教室の方へ並んで歩きながら、佐川くんがわたしを観察しているのが分かった。
「なんか駒居……変わった?」
「そう?」
変わっただろうか?
先週とは気持ちの持ちようが変わったのは間違いないけれど。
「うん。何て言うか……力が抜けたみたいな。」
「ああ。うん、そうかな。ふふ。」
それは当たってる。
「それに、素直になったな。」
「え。何それ?」
「素直って言うか、なんか可愛くなった。」
(うっわー。褒めすぎだよ。)
佐川くんにそんなことを言われるとは思ってもみなかった!
照れくさいのを隠すために、大袈裟に気味悪がっている顔をしてみせる。
「やだなあ、どうしたの? 彼女に怒られるよ。それに、そんなこと言っても奢らないからね。」
「あははは! そんな意味じゃないけど。でも、あんなふうに『助けてほしい』って言われたら、断る男は鬼だな。」
「へえ、そうか。じゃあ、これからは、男子に頼みごとをするときは、ああすればいいんだね。」
「恐ろしいな。いつの間にか、学校中の男が駒居の家来になってたりして。」
「あはは! さすがにそんなことはないでしょ。あ、じゃあ、放課後にね。」
「おう。」
昼休みの残りが少なくなっていたので、急いでトイレに向かう。
歩きながら、佐川くんとの関係が修復できた達成感で、背筋が伸びて、足取りが軽くなった。




