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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『ハックルベリイとわたし』
37/95

10  7月6日(日) やっぱり、ありがとう


更衣室で熱めのシャワーを浴びながら、胸の中でいろいろな感情がぐるぐると渦巻く。

腹が立つ、恥ずかしい、可笑しい。

結局、最後に勝ったのは、 “可笑しい” だった。


(だって、あのときの顔!)


ほんとうに、何度思い出しても笑ってしまう。

池の中でわたしが立ち上がったとき、龍野くんは心底驚いた顔をしていた。目をまん丸にして。


その理由を思うと恥ずかしくはあるけれど、まあ、セクシーな下着だったわけじゃない。(だからと言って、見られてもいいわけじゃないけど。)

それに、そのあとの龍野くんの行動は、誠実だったと言えると思う。

だから、龍野くんの失敗は、あそこでわたしが怒ったことでおしまい。


けれど、あのときの驚きようと慌てぶりは、どうしても忘れられない。

何度思い出しても、笑いがこみ上げてくる。

ほんとうに、よっぽどびっくりしたんだろう。あんな龍野くん、見たことない。

わたしをここに誘ったときも、午前中に手を差し出してくれたときも、わたしを女として考えていないようだった。

普段でも、あんまり男子とか女子とか気にしないタイプみたいだし。

そんな龍野くんでも、さすがにあれはダメだったらしい。


「く…ふふふ………。」


頭からシャワーのお湯をかぶりながら、また笑ってしまう。


(あのときは、わたしが怒ったことに驚いているのかと思ったけど。)


よく考えると、少し気の毒でもある。


あの筏に乗ろうと言ったのは、わたしだ。

なのに、上手く乗れないからと言って怒られて、予想外のものまで見せられて、急いで更衣室まで連れて来なくちゃならなくて。

きっと今ごろ、次は何を言われるかと心配しているんだろうな。


(悪いことしちゃったな……。)


そもそも今日は、元気がないわたしを心配して、龍野くんが誘ってくれたんだものね。

調子に乗ってはしゃいだ自分が悪いのに、失敗した龍野くんを怒るなんて間違ってる。


(謝って、お礼を言わなくちゃ。)


シャワーを終えて服を着るころには、穏やかな気持ちに戻っていた。




そうは言っても、顔を合わせるのはちょっと恥ずかしい。

更衣室のドアから覗いてみると、休憩コーナーのベンチに、こちらに背中を向けて座っている龍野くんがいた。

恥ずかしいけど、あんまり待たせるのは申し訳なくて、そうっと更衣室から出る。

龍野くんの肩越しに、スポーツ飲料のペットボトルを両手でもてあそんでいるのが見えた。


「お待たせしました。」


決心して明るく声を掛ける。何事もなかったように。

それに反応して、龍野くんが慌てて立ち上がって振り返る。


「ああ、あの、さっきは」

「あの、さっきはごめんね。あと、どうもありがとう。」


龍野くんの言葉を遮って、お詫びとお礼を一気に言いながら頭を下げる。


「あ、ええと、その、」


上から龍野くんの困った声が聞こえる。

その様子を想像して、頭を下げたまま、また笑ってしまう。

もういいかな、と思って起き上がろうとしたとき。


「ええと、俺の方こそ、ごめん!」


という声がして ――― 。


ガツッ!


「うっ。」

「いてっ!」


頭のてっぺんあたりに衝撃が……。


「いたたたたた……。」


「痛え……。こんなに近いとは思わなかったのに……。」


わたしは後頭部の上の方、龍野くんは額の上あたりを押さえて、向かい合うベンチに座り込む。

痛いというよりも、衝撃でクラクラする。


(龍野め! どんだけの勢いで頭を下げたのよ?!)


つい、恨みのこもった目つきで見てしまう。

その視線に気付いて、頭を押さえていた龍野くんがしゅんとなった。


「ごめん……。」


いつになく小さな声。

その声と態度は、大きな体とはあまりにもミスマッチで……、怒りはあっという間に消えてしまった。

その代わりに浮かんできたのは……。


「ふっ、うふふふふふ……。」


こらえようとしてもこらえきれず、笑いが漏れる。


「あれ、ごめん、その…うふふ、あの、何でもない。ごめん。」


笑いを止めようとしながらちらりと様子を窺うと、龍野くんは困った顔をしている。

そんな顔を見たらまた気の毒になって、わたしはどうにか笑うのをやめた。


「……ごめんね。」


機嫌が悪くなっていませんようにと願いつつ、顔をのぞきこんで謝る。

ちらっとわたしの様子を見て少し迷うようにしてから、ようやく龍野くんが背筋を伸ばした。


「……いいよ、べつに。」


それから小さく息を吐いて、照れくさそうに笑った。

つられてわたしも微笑みを返す。

ほっとした空気が流れて、龍野くんが何かに気付いたようにこちらを見た。


「駒居。髪の毛、ちゃんと乾かして来なかったのか?」


「え?」


続けて「これで大丈夫だよ。」と言おうとした。

けれど、すっ、と龍野くんが身を乗り出して手を伸ばしてきたのを見て、息を止めてしまった。


心臓がドクンと打つ。


一瞬後、龍野くんの右手が、左の耳をかすめて髪の先をつまんだ。


「なんだか濡れてるみたい…だ……け・ど……。」


硬直しているわたしと目が合って、途切れがちになった言葉と一緒に手も止まる。

そして、今日二度目の驚いた顔。


「ごめん!!」


言うと同時に、龍野くんは手を勢いよく引っ込めて後ろへ回した。

それからあたふたと視線をさまよわせ、最後に斜め下に。

その間、わたしは動けないまま、ずっと龍野くんを見ていた。

彼の首から上が真っ赤になったところも……。


(うそ……。)


髪に触れられたことよりも、龍野くんが赤くなったことにびっくりしてしまう。

池に落ちたときだって、驚いて慌ててはいたけど、赤くなんてなっていなかったのに。


(うわ、やだ。なんか………かわいいかも。)


龍野くんには似合わない評価だと思うけど、浮かんできた言葉はそのままわたしの胸に居座る。

だって、ほかに表現のしようがない。


(とにかく、この場をなんとか収めないと。)


急に主導権が自分に回って来たことに気付いて、 “しっかり者” 的な自分が目覚めた。


「龍野くん?」


少しからかい気味の口調で声を掛けると、龍野くんがわたしにちらりと視線を向ける。


「恥ずかしいでしょう?」


それを聞くと、また視線を斜め下に向けてしまう。

横を向いた龍野くんの耳はまだ赤い。


「だからね、男の子は女の子に気安く触っちゃダメなんだよ。」


「……うん。わかった。」


頷きながら、低い声が返ってくる。


後悔しているのか、反省しているのか、それとも今後のことを考えているのか、龍野くんは動かない。

この様子だと、まだしばらくは何も言ってくれそうにない?


(もうちょっとからかった方がいいのかな。)


「でもね。」


そう言って立ち上がる。

“え?” という顔でわたしを見上げた龍野くんの頭を、右手で一気にぐちゃぐちゃっとかき回す。


「女子はやってもいいんだよ。」


「うわ、やめ……。」


驚いた龍野くんが手で払いのけたときには、もうわたしは手を引っ込めていた。


「なんだよ、ちゃんとセットしたのに!」


文句を言いながら、急いで両手で髪を直している龍野くんが可笑しい。


「そう? あんまり変わらないよ?」


と言うと、怒った顔をしてわたしを見たけど、全然怖くなんかない。

龍野くんが、こんなことで怒るわけがないもの。





駅までの道を、たくさんおしゃべりしながら気持ちよく歩いた。


駅前のハンバーガーショップで一息……という提案はなかった。

そのことをちょっぴり残念に感じている自分を、肯定したい気持ちと否定する気持ちが交互に浮上する。

龍野くんはそんなことには気付かない様子で、いつもと変わりなく話して、笑う。


姫ケ崎から一駅でサヨナラする龍野くんにもう一度お礼を言って、急行へと乗り換え。

一人になってしばらくして、自分の心の中が、楽しかったことでいっぱいになっていることに気付いた。


(楽しいことが、こんなにいっぱいある……。)


そのことに、素直に感動した。


わたしの生活は、嫌なことばかりじゃない。

辛くて悲しいことはあるけど、楽しいことも、ちゃんとある。


そう思ったら、部活のことにも、新しい気持ちで向かい合うことができるような気がしてきた。


(そうだよ。今まで一緒にやってきた仲間なんだもの。)


みんなと対立することが怖くて、はっきりした意見を言わなかった。

嫌われたり、仲間外れにされたりすることが怖かった。

わたしには、必要なことをするための “覚悟” が足りなかったのではないだろうか……?


(よく考えてみよう。)


どうするのが一番いいのか。

どうしたら、上手く行くのか。


一緒にやってきた仲間のこと。

誰に、どう言えばいいのか、よく考えよう。

わたしの言葉に耳を傾けてくれることを信じて。


上手く行かなかったら……。

また龍野くんに愚痴を聞いてもらえるかな……。







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