3 5月10日(金)
もしかして、お客さんが増えてる……?
図書委員のお当番で昼休みのカウンターで作業をしながら、ふと気付いた。
なんとなく、カウンターに来る人が途切れない気がする。
列をつくるほどじゃないのだけど、一人終わったな、と思うと、「あ、どうぞ。」という感じで。
前は、ぼんやりと室内を見回している時間があったのに。
……って思っても、もう終わりか。
残っている生徒は、自由席で雑誌を読んでいるのが3人、新しいコーナー(テーマで本をピックアップしてある場所。今月は『スポーツ』。)に1人、奥の本棚の間に……3人?
いや、もう一人いるみたい。木の丸椅子に座っているらしい足が見える。
おとといはなかった丸椅子が、今日来てみたら、本棚の間に何脚か置いてあった。
どうやらこれも雪見さん(新しい司書さんの名前。さっき、ネームプレートを確認した。)のアイデアらしい。
邪魔じゃないかと思ったけれど、もともと利用者が少ないから、苦情を言う人もいないみたい。
もしかして、おととい裕司が立って本を読んでいたことで思い付いたなんてこと、あるのかな?
「智沙都。返却本を戻すのはお願いしてもいい? わたし、手が……。」
「うん、もちろんいいよ。じゃあ、日報をお願いね。」
一緒に来ている美羽ちゃんと図書委員を一緒にやるのは2年目。
彼女は昨日の部活で手首を捻挫してしまったので、しばらくは力仕事は無理だ。
戻す本をワゴンに分類番号順に並べ、ゴロゴロと押しながらカウンターを出る。
たいした量ではないから、すぐに終わってしまうはず。
ワゴンの滑らかな動きが気持ち良くて、楽しい気分で通路を本棚に向かい、ぐるりと左側にまわり込む。
そういえば、このあたりの通路の奥で椅子に座っていた人がいたけど、ワゴンは通れるかな……?
スピードを落として通路をのぞき込むと、そこにいたのは………裕司?
(またなの?! どうしたの?!)
本を読んでいる姿を見るのは二度目なのに、やっぱり驚いてしまう。
見回すと、おとといと同じ場所。ってことは、同じ本?
気配を感じて裕司が顔を上げた。
「あ、通るのか?」
そんなに普通の顔で言うの?!
わたしがこんなに驚いているのに!
「え、あ、うん。あ、いや、まだ……。」
返事が変だ。
わたしが慌てる必要なんてないのに。
そうだ。
わたしが慌てる必要なんかない。
おかしな行動で永岡くんに心配かけてるのは裕司なんだから。
永岡くんに心配かけてる裕司が悪いんだから。
一言言わなくちゃ、と決心して、ワゴンを引っ張って裕司の前まで進む。
「ねえ裕司。部活、出てないんだって?」
それほどのつもりはなかったのに、どういうわけか、高飛車な態度になってしまった。
裕司に嫌な顔をされてちょっと心がぐらつきながらも、悪いのは裕司なんだからと自分に言い聞かせて続ける。
「永岡くん、心配してたよ。今までこんなことなかったのにって。」
そう。
わたしが心配しているわけじゃない。
永岡くんが心配しているから。だから……。
「永岡? あいつから聞いたのか?」
睨むような視線。
そんな顔したって、負けたりしないんだから。
「そうだよ。裕司、……何か始めたの? バイトとか?」
さすがに、いきなり「飽きちゃったんでしょう。」とは言えない。
「……バイトじゃないよ。」
うつむき加減に視線をそらす裕司。きっと後ろめたいんだろう。
それを見たら、自分が正しいことをしているのだと勢いがついた。
「じゃあ、何? 部活よりも大事な用事って、どんなこと?」
そう言った途端、後悔した。
裕司の、唇をきゅっと結んだ顔を見て。
こんな言い方、しなくてもよかった。
こんなふうに畳みかけるように言わなくても……。
「智沙都には関係ないよ。」
――― ごめん、言い過ぎた。
って、言おうと思ったのに。
たった一言が出て来ない。
もう一年以上、ちゃんと話していないから。
「あの……、バスケ部の人たち、心配してるみたいだよ。」
言い訳だ。
わたしがこんなことを言ったのはバスケ部の人たちのためだって、言い訳をしてるんだ……。
「理由をちゃんと話しておけば、みんなきっと…」
「いやだ。」
強い口調で言葉を遮られ、今度は自分のお節介を後悔した。
裕司が嫌がるのは当然だ。
わたしと裕司は近所に住んでいるだけ。
昔みたいな友達じゃないんだから。
「……そっか。仕方ないね。」
なるべく軽く聞こえるように、表情も明るくして肩をすくめてみせる。
「じゃあね。仕事があるから。」
早く離れよう。
こんなにみっともないわたしを見られたくない。
昔馴染みの気分で、偉そうにお説教しようとしたわたしを。
もう、裕司とは関係ないのに。
ワゴンを押して、窓の方から順番に本を片付けて行く。
裕司と交わした言葉が、裕司の顔が、何度も頭の中に浮かんできて、その度に苦しくなって深呼吸をする。
余計なことを言ったわたしの方が悪かったのに、自分が傷ついたように感じるのは何故なんだろう?
片付けながら移動して行くと、さっきの場所にはもう裕司はいなかった。
午後の授業の間も、バイトでレジを打っているときも、お風呂に入っているときも、昼休みのことばかり浮かんでくる。
裕司の表情や交わした言葉だけじゃなく、図書室の景色も、自分の胸の痛みも、あのときのことが全部。
そして ――― 。
後悔。
後悔。
後悔。
言わなければよかった。
放っておけばよかった。
もう、昔みたいな関係じゃなかったのに。
あのとき裕司は、何の屈託もなく声を掛けてくれた。
なのにわたしは永岡くんに言われたからって、あんな言い方で……。
(やっぱり、謝ろう。)
一日の終わりにベッドに入って、ようやく決心する。
謝ったからって、わたしたちの関係が変わるわけじゃない。
謝っても、謝らなくても、わたしと裕司が昔のように気軽に会話できる関係には戻らない。
今はもう、二人ともそれぞれ違う居場所を持っているから。
だけど、余計なお節介をして、裕司に不愉快な思いをさせたのは間違いない。
だから、謝らなくちゃ。
そうやって、やっと決心したのに、土日には実行に移せなかった。
斜め向かいの裕司の家まで10メートルくらい?
行くのも、家の前で呼び止めるのも簡単なこと。
なのに、できなかった。
裕司の家の呼び鈴を押すなんて論外。それだけは、絶対にできないと思った。
バイトに行く以外の時間は、道路に面している自分の部屋の窓から裕司の家を見張っていた。
そんなところで見張っていても、呼び止めるほど大きな声を出せるとは思えなかったし、間に合うように外に出られるわけではないのに。
隣のおばさんが門のあたりを掃いているのを見て “その手があったか!” とやってみたけれど、お母さんにものすごく驚かれただけで、裕司は出て来なかった。
携帯の番号もメールアドレスも知っている。
でも、アドレス帳の裕司の名前を選択する指が止まってしまう。
(わたしなんかから連絡をもらっても、迷惑なだけだよね……。)
それはたぶん間違いないと思うけど、その一方で、自分に対する言い訳でもある。
本当は、謝る決心がつかないだけなのかも。
何かの偶然を期待しつつ過ごした土日は、あっという間に過ぎてしまった。