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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『傘をさしたマトリョーシカ』
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17  6月27日(金) 苦悩


席替えをしたら教室では雅さんとの接点がなくなると思った僕の予想は、それほど正しくなかった。

天園と雅さんは二人で連れだって、よく僕の席に立ち寄ってくれるから。

そんなとき、二人が僕を仲間だと思ってくれていることが実感できて、とてもほっとする。

ほかに大勢の仲良しの生徒がいても、僕を忘れずにいてくれるということが、やっぱり嬉しい。

それに、天園が一緒にいると、僕の雅さんへの想いはちゃんとブレーキがかかって、安心していられた。


困ってしまうのは、ときどき雅さんが、通りすがりにちらりと笑顔を送ってくれたりすること。

友達として当たり前の範囲内だとは分かっているけれど、どうしても平常心ではいられない。

気付かないふりなんてできないし、どう返したらいいかも分からない。

その結果、僕は赤くなったり、物を落としたりするので、みんなに僕が雅さんのことを気にしていることを発表しているような気がしてしまうのだ。


もちろん、僕に話しかけてくれるのは雅さんと天園だけじゃない。

僕の席は教室の出入り口に近いから、通りすがりに声を掛けてくれるクラスメイトもいる。


親しくなっていた男子が話しに来てくれることもある。

僕の後ろは気さくな女子で、彼女に話しかけられることも多かった。彼女と話している生徒に話しかけられることも。

今までになく教室で誰かと話している時間が増えて、自分でも不思議な気がしている。



雅さんは雅さんで、新しい人間関係を築いている。


彼女と天園の席の間には槌田という男子がいる。

彼はクラスの人気者だ。

スポーツが得意で、話すと面白い。ルックスもまあまあ。

隣の天園とは前から気が合っていて、よく一緒に大きな声で笑っている。


槌田も天園も友達が多いから、二人の席の周りにはいつも何人もの生徒が集まるようになった。

もちろん、雅さんもそこにいて、楽しそうにしている。

今朝の電車の中での会話にも、槌田の名前が何度か登場した。


僕はそれを見たり聞いたりしながら、「よかったね。」と心の中で言う。

雅さんには、僕なんかよりも頼りになる友達がちゃんとできたんだから。



けれど、そう思っても、やっぱり辛い。

この二週間、一緒に過ごして来た時間を思うと。


特に今朝はこんなことがあって……。



雀野駅からの道で、今朝は僕と雅さんが並んで歩いていた。

駅の階段を下りたとき、天園と佐倉がさっさと行ってしまったから。


雅さんと二人で話すのは久しぶりで、僕はひどく動揺してしまった。

そのせいか、並んで傘をさして歩いていたら、ふいに最初の金曜日のことを思い出してしまった。


あの日の僕は雅さんとちゃんと話すのは初めてで、ひたすら舞い上がっていた。

一緒にいられることが、ただただ嬉しかった。

雅さんのために、何かしてあげたかった。


(それは今も同じだけど……。)


自分の現実を思い浮かべると、やっぱり悲しくなってしまう。


「どうしたの?」


すっかり聞き慣れた声に我に返ると、傘の下から雅さんが僕を見上げていた。

僕がちゃんと話を聞いていないことに気付いたのかと思ったら、それだけではなかった。


「向風くん、ときどき……心配そうな顔してるよ。」


(見られていたのか……。)


そう言えば、雅さんはいつも見てしまうのだった、と思ったら可笑しくなった。

それで、笑顔になれた。


「何でもない。ちょっと考え事してただけ。」


「そう……?」


大きな瞳で見つめられて、僕の胸はまた苦しくなる。

そんなふうに心配されたら、僕は雅さんを思い切ることができない ――― 。


「……向風くん。」


「なに?」


雅さんの真剣な瞳に見入らないように、さり気なく瞬きをして視線をそらす。


「困っていることがあったら、相談してね。」


(雅さん ――― 。)


「わたしじゃ、役に立たないかも知れないけど……、でも………。」


彼女の気持ちが嬉しかった。

けれど、同時に痛かった。


「ありがとう。でも、何でもないんだよ。本当に。」


笑顔でそう答えて、僕は急いで楽しい話題を探した。

何分か後にクラスの女子が追い付いて来て、仲間に加わってくれたのでほっとした。




そんなことがあったので、僕は今日は特にぼんやりしないように気を付けている。

けれど、気を付けていると、今度は雅さんをどうしても見てしまう。

席の配置上、仕方がないけれど。


「ねえ、駿ちゃん。槌田くん、頑張ってると思わない?」


休み時間に、後ろの女子が身を乗り出すようにして囁いた。


「『頑張ってる』って?」


「ほら、ミヤちゃんのこと。」


雅さんの名前が出て、ドキリとする。

教室の真ん中では、ちょうど槌田が何かを言って、周囲の生徒が笑ったところだった。

もちろん、そこには雅さんもいる。


「……そうなんだ?」


槌田が話を続けながら、雅さんの方に顔を向ける。

僕からは後ろ姿しか見えない雅さんの背中が揺れて、笑っているのだと分かった。


「前から気にしていたみたいよ。でも、ミヤちゃんって恥ずかしがり屋で、なかなか話ができないでしょう? 今回の席替えはチャンスだと思ってるんじゃない?」


「ふうん……。」


(槌田か……。)


あいつならお似合いだ。

槌田のことを嫌いな生徒なんていないだろう。

雅さんだって、あんなに笑ってるし。


「いいよな、槌田は。」


思わず、ひがみっぽい言葉が出てしまって焦る。

いつもなら、こんなことを口に出したりしないのに。

いや。

口に出すどころか、ひがむこともなかった気がする。ただ、ダメな自分にがっかりするだけで。

自分で距離を置こうと決めたのに、いざお払い箱かと思うとこんなふうに感じるなんて。


「え? なあに?」


彼女には聞こえなかったらしい。

自分の言葉にうろたえていた僕にとってはラッキーだった。


「ううん、何でもない。」


そう言って、トイレに行くふりをして席を立った。





昼休みには、槌田と雅さんが話しているところを見ていたくなくて教室を出た。

けれど、どこにも行くあてなんかない。

迷った末に、図書室に行ってみた。


昼休みの図書室は、放課後よりも人が多い。

自由席の2つの机は、今日も埋まっている。


「可愛いよねー、これ。」


3人の女子の先輩が、あの人形を囲んで、なでたりつついたりしていた。


「 “マトちゃん” って呼ばれてるの、知ってる?」


(マトちゃん?)


先輩の言葉に、思わず耳をそばだてる。名前が付いていたなんて、初めて知った。

壁際の本棚の本を探すふりをしながら、さりげなくその席に近付く。


「ああ、 “マトリョーシカ” の?」


(マトリョーシカ……?)


「それ、なに?」


「あれ? 知らない? このお人形、ロシアの民芸品で、 “マトリョーシカ” って言うんだよ。」


(そうなんだ!)


「へえ。民芸品かー。この赤いほっぺがいいよねー。」


「そうそう。それに、やっぱり楽しいし♪」


(赤いほっぺで、楽しい……。)


その言葉で雅さんを思い出してしまう。

ピンク色の頬で、にこにこしている雅さんを。


(マトリョーシカ……か。)


素朴な木彫りのマトリョーシカは、やっぱり雅さんに似ていると思った。

日曜日の、普段着の雅さんに。


「はあ……。」


大きなため息が出てしまった。

教室の雅さんから逃げてきたら、ここにも彼女を思い出させるようなものがあるなんて。


最近は、一人で帰る電車の中でも、雅さんのことばかり考えている。

これ以上仲良くならないようにしようと思っているのに、朝や教室でのやりとりが全部記憶に残ってしまう。

思い出がどんどん増えるばかりだ。


(仕方ないのかな……。)


よく考えたら、最初に戻るだけだ。

ただ見ているだけだったころに。


もともと自分の気持ちを伝えるつもりはなかったし、希望だってなかった。

雅さんのために役に立てるなら嬉しいという気持ちは、今でも変わっていない。

彼女が喜んでくれるなら、これからも、何でもしてあげるつもりだ。


(そうだよな。何も変わらないんだ。)


前よりも、話す回数が増えただけ。

彼女が僕に慣れただけ。


そう思ったら、気持ちが楽になった。

自分の立ち位置がきちんと納まった気がして。





そんな僕の心を乱す電話がかかってきたのはその夜。

相手は雅さんだった ――― 。







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