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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『傘をさしたマトリョーシカ』
24/95

16  6月25日(水) 変化


雅さんと距離を置こうと決めたけど、それは思ったほど簡単なことではなかった。

翌日以降も4人一緒の登校は続いたし、雅さんをあからさまに避けるようなことは、僕にはできなかったから。


雅さんは僕にも佐倉にも慣れて、朝の通学時間をとても楽しんでいるようだった。

天園と一緒に僕たちをからかったり、隣に並んでいるときには内緒話をしてくすくす笑ったりもした。

教室でも、ちょっとしたときに振り返って、僕に何かを尋ねてきたりする。

そういう彼女といるとどうしても心が浮き立ってしまい、僕の決意は、すぐにアイスクリームのように溶けてしまう。


そのまま劣等感も消えて無くなってしまえばいいのに、そう都合良くは行かなかった。

話している途中で急に虚しい気分になったり、会話が終わると余計に悲しくなってしまったりする。


(僕はいったいどうなっちゃうんだろう?)


雅さんと話せば話すほど、彼女のことが好きになる。

一緒にいる時間が大切になる。

そして………期待してしまう。


部活でパソコンを分解してみても、前ほど夢中にはなれなかった。




水曜日の朝、僕が雅さんを好きだと気付いている佐倉は、僕と雅さんの様子を見て「告っちゃえよ。」とアドバイスをしてきた。

雀野駅から学校へと歩く道で、天園と雅さんは僕たちの前を歩いていた。

戻って来た梅雨の雨の中、天園の赤い傘と雅さんのピンクの傘が楽しげに揺れている。


「いいんだよ、べつに。」


前を向いたままそう答えた僕に、佐倉は言った。


「どうして? お前、彼女といるとき、すごく楽しそうだぜ。彼女だって、お前のこと、拒否ってるわけじゃないのに。」


そんなことは分かっている。

だけど。


「……いいんだよ。」


「なんで?」


「『なんで?』って………、僕じゃあね。雅さんとは釣り合わない。絶対ダメだよ。」


「はあ? まだそんなこと言ってんのか?」


「だって、見て分かるだろ? 僕なんかダメだ。だから、いいんだよ。」


はっきりと口に出したらますます落ち込んで、視線が足元に下がってしまう。

すると、隣で「はぁ……。」と大きなため息が聞こえた。


(佐倉がため息をつく必要なんてないのに。)


うっとうしい気分でそちらを見ると、佐倉は呆れたように僕を見ていた。


「馬鹿だなあ、ムカイは。」


「………。」


何も言えなかった。


この言葉を言われるのは二度目だ。

先週も、同じような場面で言われたのだ。


「お前は将来、結婚してほしい相手に『あなたなら情けない僕に丁度いいから結婚してください。』って言うのかよ? 失礼だろ、そんなの。」


「う……、そうかも知れないけど……。いいよ、べつに結婚なんかしないから。」


「じゃあ、お前のことはいいとして、ムカイは俺と天園のことを、 “それなり同士でお似合いだ” とか思ってるのか?」


「そんなこと思ってないよ! 佐倉だって、天園だって、いいところがあるじゃないか。」


僕の言葉に、佐倉はまたため息をついた。


「馬鹿だなあ、ムカイは。」


その朝二度目の「馬鹿だなあ」に少しムカッと来て、僕にしては珍しく、人前で不機嫌な顔をした。

けれど、振り向いた雅さんの笑顔を見たら、そんな顔は太陽の前の霧のように消えてしまった。




「おはよう。」


今週になってから、僕の教室での立場……というか位置が、少し変わった。

認知度が上がった、とでも言うのか。

今までにない展開で、僕は戸惑いっぱなし。


「あ〜、おはよう、ミヤちゃん、駿ちゃん。今日も仲良く登校?」


そう。

クラスの女子に、「駿ちゃん」と呼ばれているのだ。

それに、やたらとからかわれる。

名前のことも、僕をからかうと面白いということも、日曜日の農作業で一緒だった女子から広まったのは間違いない。


「そんなんじゃないよ。天園も佐倉も一緒だし。」


何でもない顔で答えたいけれど、この手の冗談にはどうしても顔が赤くなってしまう。

見られないように下を向いて、カバンから教科書やペンケースを出す作業に没頭するふりをする。

前の席で、雅さんがその女子に何かを言って二人が笑った。

その笑い声を聞いたら、雅さんはもう大丈夫だ、とあらためて思った。


「ムカイ。数学の宿題ってどこだっけ?」


右隣の席から声がかかる。

女子だけじゃなく男子にも、気軽に話しかけられるようになった。

何人かが、僕のことを「ムカイ」と呼ぶようになってもいる。


彼らとは最初からポツリポツリと、教室の移動や体育の授業のときに言葉を交わしてはいた。

けれど、僕は口下手だし、共通の話題も少なくて、会話はどうしてもぎこちなかった。


それが、今週になって女子が僕を「駿ちゃん」と呼び始めると、一気に遠慮がなくなったらしい。

僕があまり自分から話さなくても、気にせずに声を掛けてくれる。

思い切って僕が口にしたツッコミに大笑いして、クラスの注目を浴びたりもした。

昨日は「聞いてくれよー。」なんて、愚痴を言いに来た。


そんな相手ができたら、肩の力がすうっと抜けた。

その感覚を味わったとき、今まで自分がどれほど緊張していたのかということに気付いて驚いた。

そして、これなら雅さんと距離を置いても、自分はそれほど辛くないだろうと思った。





「せんせー。席替えしたいでーす。」


その日の帰りのホームルームの最後に、一人の女子が言い出した。

たぶん、彼女の周囲には根回し済みだったのだろう、すぐに何人かの同意の声が上がった。


特に反対する意見もなく、先生は教室を見回していくつか確認すると、


「じゃあ、座席表を作って教卓に貼っておいて。」


と言い残して、職員室に戻って行った。


席替えは誰でも少しは緊張するイベントかも知れない。

けれど、僕にとっては緊張くらいでは済まない。ひたすら憂うつだ。

席の周りのクラスメイトとの関係を新しく築かなくてはならないと思うと、胃のあたりが重くなってくる。


黒板の前では、何人かの生徒とクラス委員が集まって、大急ぎでくじや座席表を作っている。

それを見ながら、僕は机に乗せたカバンに隠れてため息をついた。

そのとき、カバンの向こう側で、雅さんがおずおずと後ろを向くのが見えた。


(あ……。)


彼女の顔を見てハッとした。

僕に「どうしたらいいの?」と訴えているように見えたから。


(不安なんだ。雅さんも。)


もしかしたら、僕よりもずっと不安なのかも知れない。

ようやく家の誤解が解けて、ほっとしたばかりでもあるし。


「天園と近くになれるといいね。」


そう言ってあげると雅さんは頷いて少しだけ微笑み、クラス委員が持って来た袋から、たたんだ紙を一枚引いた。



くじを引いた生徒が黒板に書かれた座席表の該当する番号に自分の名前を書いていく。

部活に出る生徒はそのまま行ってしまい、急がない生徒は最後まで見守っている。

天園は行ってしまい、雅さんが不安そうだったので、僕もなんとなく残ってしまった。


僕が引いたのは廊下側の後ろから2番目の席。

ここならたぶん、背が高いから移動しろとは言われないだろう。


雅さんは教卓の前の前から2番目の席だった。

僕からは遠い。

けれど、一つ置いた左に天園がいるし、前の席は日曜日に家に呼んだ女子だ。

これなら心配することはない。


僕と席が離れたら、教室で雅さんと僕が話す機会はなくなるだろう。

雅さんと距離を置こうと決めた僕には、この結果はちょうどよかった。


全部の座席が書き込まれたあと、僕を見た雅さんはほっとした顔をしていた。

仲の良い女子が近くになったので安心しているのだ。


「よかったね。」


雅さんのほっとした顔を見たら、僕も心底ほっとした。

今まで何度も緊張の席替えを経験したけれど、誰かの心配をしたことなんてなかったし、自分の不安を棚上げにしたこともなかった。

なのに今、雅さんの不安が軽くなったことだけで十分で、自分はどうにでもなるような気がしていることに気付いた。


そう。僕はどうにでもやっていける。

今までだって、どうにかやって来たんだから。


「うん。」


雅さんは微笑みながら頷いたあと、ためらいがちに僕を見上げて言った。


「……向風くんとは、離れちゃったけど。」


(うわ……。そんな言い方されたら……。)


鼓動が速くなる。

呼吸が乱れそうになる。

頬に血が上る。


「でも……、朝は…今までどおりだから……。」


(それでいいのか? 距離を置くんじゃなかったのか?)


頭の中で声がする。


(距離を置く……、もちろん。教室では、もう今までみたいには話せない……。)


頭の中で、答えが出る。


「うん。そうだよね。」


にっこりと笑う雅さんを見て悲しくなる日が来るとは、思ってもみなかった……。







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