15 6月22日(日) 雅さんとの距離
広彰さんと姉さんが戻って来たのは、それから10分くらいしてからだ。
録画を見終わってから、雅さんと僕にダイニングキッチンにいるおばさんも加わって、のんびりとおしゃべりしているときだった。
「駿ちゃーん。待たせちゃってごめんねー。」
口では謝っているけれど、姉さんの顔は明らかに楽しそう。
心の中ではまったく悪いとは思っていないと思う。
「駿介くん、悪かったね。」
「あ、いえ、そんなことは。」
広彰さんに謝られるのは、全然意味が違う。
思い返してみれば、二人が出かけていたから、僕には雅さんと一緒に過ごせる時間ができたのだから。
「車で家まで送るから、ちょっと待ってて。」
「え、でも……。」
広彰さんの申し出を、僕は慌てて辞退しようとした。
けれど、姉さんと広彰さんとの間ですでに話は決まっていたようで、二人で頷き合って、広彰さんは奥へ行ってしまった。
「車で帰るなら、野菜を持って行ってもらおうかしら。」
そう言って立ち上がったおばさんに、今度は姉さんも遠慮しようとすると、雅さんが横から言った。
「規格が合わなくて出荷できなかったものだから、気にしないでください。うちには野菜だけはいっぱいあるので。」
「でも、お昼もおやつもいただいたし、梅だってこんなに……。」
僕の言葉に微笑んで、雅さんはすでに勝手口から出て行ったおばさんのあとについて行ってしまった。
姉さんと僕は急いで荷物を持ち、玄関から出てそちらにまわる。
「え? 段ボール……?」
「うん。有り合わせのだけど。」
勝手口の前では、雅さんとおばさんが段ボール箱を二つ組み立てていた。
いったいどれくらい持たせてくれるつもりなんだろう?
「向風くん、一緒に来て。」
笑顔の雅さんと一緒に納屋に行くと、奥の方に広げてあった莚を彼女が持ち上げた。
そこには大きなジャガイモがたくさん置いてあった。その隣には玉ねぎが。
「ね? いっぱいあるでしょう? 好きなだけ詰めてね。」
そう言われても、物をもらって帰るという経験がない僕は、どの程度が丁度いいのかと悩んでしまう。
山盛りにしたら欲張り過ぎだと思われそうだし、第一、持ち上がらないだろう。
かと言って、少なすぎると逆に失礼な気がする。
ほんとうに、こんなことにさえ悩んでしまう自分の情けなさに呆れる。
「遠慮しないでもっと入れて。」
迷っている僕の隣にしゃがんだ雅さんが、横からどんどん入れてくれた。
僕も見ているわけには行かなくて、慌てて手を動かす。
箱の上にかがむと雅さんと肩が触れたり、頭がぶつかりそうになったりする。
僕の手がさっと雅さんの手を掠めることも何度か。
そのたびに、僕の心臓は跳ね上がり、息を止めた。
ジャガイモを詰めることよりも、雅さんとの近さに、どうしたらいいのか分からなくなる。
近さと……自分の気持ちに。
近くて困っている。
それはいつもと同じ。
でも……。
その一方で、 “もうちょっとだけ” と思う僕がいる。
(そんなの変だ。図々しい。)
この前までは、見ていられるだけで満足だった。
今だって、雅さんが僕を友達だと認めてくれただけで十分に幸せなのに。
「これでよし!」
山盛りになった段ボールを前に、雅さんが満足気に立ち上がった。
(いや、無理だろ……。)
僕もあらためて段ボール箱を見て、心の中で思う。
とても持ち上がるとは思えない。
でも、雅さんの決然とした様子を見たら、そうは言えなかった。
「じゃあ……、ありがとう。」
(どうか、一瞬でも持ち上がりますように!)
覚悟を決めて、 “えいっ” と力を入れると………、ありがたいことに、底が抜けた。
二人で大笑いして箱を組み直し、今度は少なめにジャガイモと玉ねぎを入れながら、また彼女に偶然触れることを期待している自分に嫌気がさした。
もう一つの段ボール箱には、長ネギとナスが入っていた。
おばさんと、農協の会合から帰って来たおじさんにお礼を言って、広彰さんの車で出発したのは5時過ぎ。
うちまでは一時間ちょっとだと広彰さんは言った。
出発すれば、僕は雅さんへの図々しい気持ちから解放されると思っていた。
けれど、それは甘かった。
広彰さんと姉さんは僕に悪いと思ったのか、それとも邪魔だったのか分からないけれど、雅さんにも一緒に行こうと言ったのだ。
そして、姉さんが当然のように助手席に座り、雅さんは僕と一緒に後ろの席へ。
僕はまたどうしたらいいのか分からなくなって、リュックを膝の上に抱えているしかなかった。
だって、手をシートの上に置いたりしたら、何かの拍子に雅さんの手に触ってしまうかもしれないじゃないか!
広彰さんも姉さんも話上手なので、車の中は楽しかった。
雅さんも楽しそうに笑ったり話したりしていたし、僕も気兼ねなく話ができた。
でも、話しながら、常に隣の雅さんを気にしている。
笑いながら顔を見合わせたとき。
カーブで体が傾いたとき。
視界に入っていなくても、彼女の存在を熱のように、僕の右半分がじんわりと感じとる。
(どうしたらいいのか分からない。)
家に着くまでの一時間余りは、とても楽しくて、……同時に、落ち着かない時間だった。
サヨナラをするとき、必要以上に雅さんには近付かないように、細心の注意を払った ――― 。
寝る前に洗面所ですれ違った姉さんは上機嫌だった。
もちろん、当然だ。
広彰さんはカッコいいし、落ち着いてしっかりした性格も申し分ない。
姉さんとも話が弾んでいたし、見た目だってお似合いだ。
うちに着いたときにあいさつされた母さんも、一目で気に入ったようだった。
母さんは、雅さんのことも褒めていた。
礼儀正しくて、着飾っていなかったところが好印象だったらしい。
まあ、雅さんなら、どこの大人にでも気に入られるのは当然だろう。
「駿ちゃん、今日はありがとね♪」
洗面所から出て行きながら、姉さんが言った。
帰ってからも、ずっと僕のことを「駿ちゃん」と呼びっぱなしだ。
少し気味が悪い。
「……うん。」
確かにお礼を言われるべきだろうな。
高校生の集まりに無理矢理入り込んで念願のショベルカーと対面し、みんなに僕の情けなさを強く印象付け、彼氏候補 ―― いや、ほぼ彼氏だ ―― を手に入れた。
きっと、姉さんみたいに積極的な人間は、幸運の神様に気付いてもらいやすいに違いない。
「でも、アンタも星歌ちゃんとたくさんお話しできたんじゃない?」
「……え?」
姉さんの「ちゃーんと知ってるんだから。」という顔つきにドキリとする。
「お昼にお皿を拭いてるとき、駿ちゃん、すごく楽しそうだったよ。だから、あたしたちを待ってる間も、それから帰りの車の中も、星歌ちゃんとお話しできて楽しかったんじゃないかと思って。」
当てこすりのような言葉に、僕の鼓動が速くなった。
頬が赤くなったのが分かったけれど、どうしようもない。
「ああ……、うん、楽しかったよ。……友達だから。」
胸がドキドキする。
自分が口にした「友達」という言葉に、一瞬、鳩尾のあたりが痛くなった。
「そうね。お友達だよね?」
意味ありげに姉さんはくすくすと笑い、「おやすみ。」と言って階段を上って行った。
残された僕は、洗面所の鏡でぼんやりと自分を見つめてみる。
ひょろりとした体に乗っている色の白い顔に、どうにもならない髪。
メガネを掛けても外していても、優柔不断だと宣言しているような顔。
この姿に宿る性格も、とてもじゃないけど男らしいところなんて一つもない。
(せめて、広彰さんの一割でもいいのに。)
どこか、何か、自信が持てることがあればよかったのに。
姉さんと広彰さんはお似合いだ。
あのとき誰かが言ったように見た目もそうだし、明るい性格の二人は、話していても話題に事欠かない。
雅さんも、見た目も性格もすごく可愛くて、おとなしいけれど慣れれば元気なひとで、みんなの輪の中にちゃんと入れる。
でも、僕は ――― 。
楽しい一日だったのに、今は悲しい。
この前までは何も期待していなかったから、雅さんと話せるようになって、嬉しくて舞い上がっていた。
友達として話ができて、同じ時間を過ごせたら、それで満足できると思った。
でも……。
僕の心は欲張りで、もう少し、もう少し、と思ってしまう。
“もしかしたら” と思ってしまう。
そして……、自分の現実を思い出して、崖から突き落とされたような気持ちになる。
虚しさが膨らんで行く。
あの日の図書室でのできごとのあと、雅さんに嫌われたと思って落ち込んだときよりも、今の方がずっとキツい。
もしかしたら、今のうちに、雅さんと距離を置いた方がいいのかも知れない。
今日の様子では、雅さんがみんなから仲間はずれにされたりすることはないだろう。
僕が近くにいなくても、雅さんは気付かないんじゃないかな。
うん。
それがいいかも知れない。
これ以上、雅さんがいる日々に慣れてしまう前に。
ベッドに横になって、一日のことを思い出してみた。
雅さんにお別れを言うような気分で。
一番くっきりと覚えているのは、みんなを見送ったあとに隣に立っていた普段着の彼女、そして、写真。
たぶん、もう二度と見ることはない雅さん。
今回の一連の出来事を最初の図書室まで遡ってみて、気付いた。
(あの写真……。)
あの写真を見たとき、赤ずきん役の雅さんが、何かに似ていると思った。
それは、図書室の人形だった。




