12 6月22日(日) いよいよ
当日。
午前8時半。
天気は曇り。
境山の山上線の改札前に集まり始めた女子の集団と、そこから1、2歩下がって立っている佐倉と僕。
女子は、天園を中心に、甲高い声で話したり笑ったりしている。
みんな大きめのバッグを持ち、スニーカーと帽子以外は思い思いのスタイル。
バッグには作業用の服が入っているらしい。
佐倉と僕と姉さんはジーンズにTシャツに半袖シャツという、同じような服装。
僕たちは、作業は半袖シャツを脱いでこのままやってしまうつもりでいる。
もちろん、作業後に着替える服は持って来ているけど。
姉さんは、高校生の女子の集団にさっさと馴染んでしまった。
男みたいな服装で一番背が高いから目立つけど、長い髪をポニーテールにしているので、一応、女だと分かる。
駅に着いて最初に会ったのは天園で、僕があいさつをすると、姉さんは紹介される前に
「向風穂乃香です♪ 急にお願いしちゃってごめんね〜。」
と自己紹介し、いつもの強引なノリでさっさと天園と仲良くなってしまった。
天園と仲良くなれれば、あとはもう問題なし。
次々とやってくる女子にもすぐに馴染み、
「びじ〜ん!」
「ほそ〜い!」
「かっこいい!」
なんて言われて上機嫌。
佐倉にもとっておきの笑顔で話しかけ、僕は初めて佐倉が赤くなったのを見た。
あとで天園に仕返しされたらどうしようと不安になった。
そのうえ、優しい姉を演出しようとしてか、嫌がらせか分からないけれど、僕のことを「駿ちゃん」なんて呼ぶ。
それを聞いた女子たちが、笑いをこらえて顔を見合わせていた。
もう、なるようになれ、だ。
鷹野山駅に着くと、改札口の前で雅さんが待っていた。
水色のTシャツにデニムのオーバーオールを履いている。たぶんそれが作業服なのだろう。
髪を左右二つに結び、ぶかぶかのオーバーオールを履いてにこにこしている雅さんはいかにも農家の娘さんらしく、素朴で可愛らしかった。
「あ〜、ミヤちゃ〜ん! おはよ〜!!」
「みんな、おはよ〜!」
女子の集団が改札を出て、雅さんに駆け寄って行く。
「や〜ん、かわいい!!」
女子から見ても、やっぱり雅さんは可愛いのだ。
一通り女子のあいさつが済むと、雅さんが僕たち3人の前に来て頭を下げた。(姉さんも今は遠慮していた。)
「今日はよろしくお願いします。」
雅さんの丁寧な態度に僕があたふたしている横で、佐倉は毎朝と同じようにあいさつし、姉さんは自己紹介をした。
「駿介の姉の穂乃香です。無理矢理参加することになっちゃって、ごめんなさい。」
姉さんの殊勝な言葉にちょっと引きつつ、僕も雅さんにお詫びを言うと、彼女は笑って言った。
「気にしないで。お兄ちゃんがちょっと動かしてくれるって言ってたし。」
「え? ホント? いいの?」
テンションの上がった僕の質問ににこにこと頷いて、雅さんは女子のグループに戻って行った。
それを見ながら姉さんが言った。
「あの子、すごくいい子だね。」
それは、雅さんの態度や心配りを言っているのか、単にショベルカーを動かすことをお兄さんに頼んでくれたことを言っているのかよく分からなかったけど、僕も
「うん。」
と答えた。
姉さんを含めた女子9人が賑やかに前を行き、佐倉と僕がそのあとを歩く。
駅前の閑散としたロータリーを離れていくつかのお店を過ぎると、その後は、景色が緑色っぽくなった。
舗装された道路の両側には水田や畑が広がり、前方には山がいつもよりも近く見えている。
畑のところどころに白い軽トラックが止まっている。木に囲まれてぽつんと立つ家も見える。
何も植えられていない畑はくっきりとした黒。温室らしい透き通った建物もある。
空気が瑞々しく感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
姉さんと天園がときどき振り返って佐倉と僕に話しかけ、次第に女子グループとの会話もスムーズになって来た。
人見知りしない姉さんを連れて来たのは、案外良かったのかも知れない。
天園の彼氏として顔を知られている佐倉だって、クラスが違うから、初対面の女子が多いのだ。
「ここだよ。」
10分ほど歩いたところで、畑の間の舗装されていない道へと入る。
左右の畑の奥の方に、灰色の瓦屋根の家が建っている。
いよいよかと思ったら、おとといの雅さんとの電話を思い出して、なんだか緊張してきてしまった。
「こっちはトマトで、こっちはナスだよ。」
雅さんが、両側の畑の支柱で支えてある作物を指差しながら教えてくれた。
彼女は今、どんな気持ちなのだろう?
「あ〜、トマトなってる〜。」
「ナスに花咲いてる〜。」
立ち止まって覗いた女の子たちが楽しそうに声を上げる。
僕も屈んでのぞいてみたら緑色の小さいトマトがなっていて、なんとなく感心してしまった。
「あ。」
雅さんの声がしたので立ち上がると、雅さんが家の方に大きく手を振った。
家の前にはエプロンを掛けた女の人が立っている。
「お母さーん! ただいまー!」
雅さんの大きな声!
彼女のこんなに大きな声は初めて聞いた。
向こうで女の人が手を振り返している。
「え? ミヤちゃんのお母さんなの?」
「え? お手伝いに来てくれたの?」
驚いて顔を見合わせている女子たちに、雅さんが向き直ってぴょこりと頭を下げた。
「ごめんね、みんな! うちのお父さん、お金持ちの社長じゃなくて、農家なの!」
「農家って……? え? もしかして、ここって、ミヤちゃんのうち?」
「そうなの……。」
天園がしょんぼりとうなずく雅さんに駆け寄って、慌ててとりなそうとする。
どうやら雅さんの行動は予想外だったらしい。
「あ、あのね、みんな、あたしが早とちりしちゃって、勝手な解釈しちゃったから。ミヤちゃんは悪くないんだよ。ほら、ウソをついたわけじゃないんだもん。」
「違うの。テンちゃんは悪くないの。わたしがちゃんと、うちは農家だって言えばよかったんだから。ホントにごめんね。」
何秒か沈黙が続き、僕も何か言った方がいいのかとドキドキし始めたとき、一人の女子が笑った。
「やだも〜、そんなことで謝らないでよ! 何かと思うでしょ!」
「そうだよ。じゃあ今日は、ミヤちゃんの家に遊びに来たってこと?」
「テンちゃんとそっちの二人は知ってたんだ? 確かに向風くんは口が堅そうだもんね。」
僕にも話が振られてまた慌ててしまう。
焦って何も答えられない僕を見て、姉さんが横から言った。
「駿ちゃんは口が堅いんじゃなくて、ぼんやりしてて話題に乗り遅れてるんだよ。」
いつもながらの思いやりのない言葉にムッとしたものの、女の子たちが笑って場が和んだので許すことにした。
それに、雅さんがほっとした表情で僕を見てくれたので、たちまち僕の気分も和んでしまった。
雅さんのお母さんが、到着した僕たちを笑顔で迎えてくれた。
「雨が降らなくてよかったわねえ。」と言った声は、雅さんと少し似ていた。
エプロンの下はジーンズで、ショートカットの髪が似合っていて、全体的に、想像していた “農家のおばさん” という雰囲気よりずっとかっこよかった。
「お昼はおにぎりとお味噌汁くらいしかないけど、たくさん用意するからね。」
と言われ、お土産を持って来たことを思い出した。
急いでリュックを下ろし、母親に渡されていた包みを出す。
「あの、これ、うちの母親からです。お…、お口に合うといいのですが。」
慣れない言葉に舌がもつれそうになった。
僕の隣で姉さんも慌ててあいさつをする。
「す、すいません。あの、これ、母の手作りで、パウンドケーキなんですけど……、たぶん上手く出来てると思うんですけど。」
あまり上手いとは言えないフォローだったけど、雅さんのお母さんは嬉しそうに受け取ってくれた。
あいさつが済んで見回すと、家が建っている土地はほんとうに広々としていた。
家そのものも絶対にうちよりも大きいし、家と前の畑までの間はバレーボールができるくらいの幅がある。
家の左側には屋根つきの車庫にワゴン車と小型車が入っている。
その向こうから家の裏側まで高い生垣のように木が並んでいる。
右側も、子どもが自転車の練習をできるくらいの場所があり、その向こうに木造の建物があった。
建物と言っても床はなく土のままで、2つの屋根が横につながっていて、2つの広い入り口があった。
大きい庇の下には軽トラックが停めてあり、右側の戸口からは中のトラクターが見える。たぶん、これが納屋だろう。
「やっぱり広いじゃん。うちなんか、家と車庫だけでいっぱいだよ。」
女子の一人が感心して言うと、ほかのみんなも口々に同意しながら冗談を言い合って笑った。
「ねえねえ、普通の家にはない車って、あそこに見えるやつ?」
「うん……、そうなの。」
雅さんが恥ずかしそうに答えて、「見る?」と言いながら僕たちを案内してくれた。
薄暗い納屋を覗くと、手前に赤いトラクターがあり、その奥に……緑色の小さいショベルカーがあった!
「お、来たのか?」
誰もいないと思った納屋で声がして驚いていると、ショベルカーの後ろから男の人が出て来た。
頭にタオルを巻いて、白っぽいつなぎの作業服を着ている。
お父さんかと思ったけれど、明るいところに出て来たらとても若い男の人だった。
「お兄ちゃんです。」
と雅さんが紹介したので驚いた。
僕は、雅さんからの “ヒーロー好き” という情報で、勝手に10代だと思い込んでいたのだ。
「星歌の兄の広彰です。いらっしゃい。」
目の前にいるお兄さんは落ち着いていて、大人の男らしい余裕があった。
雅さんにこっそり訊いてみたら「25歳だよ。」という答が返って来た。
どうりで!
とにかく、ものすごくかっこいいお兄さんだった。
笑顔であいさつしてくれたお兄さんに、佐倉と僕も含めて全員が見惚れた。
日に焼けた顔に引き締まった頬、目尻の上がった目元は鋭い雰囲気だけど、笑うと優しい。
大きな手と捲りあげた袖から出ている逞しい腕は、どんな力仕事でも軽々とこなしてしまいそうだ。
その笑顔と言葉遣いからは、明るさと自信が感じられた。
(僕が持っていないものを全部持っている人だ……。)
「男は二人? 力仕事、頑張れよ。」
と笑顔で言われ、一気に自信がなくなった。
お兄さんが想像しているような働きが、僕にできるわけがない。
女子の一団が着替える間、佐倉と姉さんと僕はショベルカーとトラクターを見せてもらうことにした。
休憩のときにでも、実際にお兄さんが動かして見せてくれるという。
けれど、さっきまであんなに楽しみだったショベルカーが、今はそれほどでもない。
頭の中の大半を占めているのは、ひたすら大きな劣等感。
雅さんの男の基準がお兄さんだとしたら、僕はあまりにもかけ離れ過ぎている。
ショベルカーと感動の対面を果たしながら、心の隅で落ち込んでいる自分をひしひしと感じていた。




