10 6月16日(月) 朝の電車で
「あ、ムカイ! よかった! こっちこっち!」
月曜日の朝、つぐみ谷の駅で電車を待っていたら、あとからやって来た天園と佐倉が僕をホームの端へと引っ張った。
「え? なんで? 乗り換えはこっちが……。」
「いいから。」
移動しているうちに電車がホームに入って来て、僕たちは後ろから2番目のドアから乗り込んだ。
一番後ろの車両はどこの駅でも出口に遠いので、いつもすいている。
もちろん、朝は座れるほどではないけれど。
と。
「あ、いたいた。おはよ〜。」
「おはよう。」
天園とあいさつを交わす鈴を転がすような声。
そんな声の持ち主と言えば……、
「おはよう。」
「あ……、おは…よう。」
雅さんしかいない。
(ど、どうしよう?!)
びっくりしたのと、恥ずかしいのと、緊張と……、とにかくどうしたらいいのか分からない。
おとといはたくさん話せたけれど、今になってみると、それがあるから余計に恥ずかしい。
それに、天園と佐倉が一緒にいるから。
ほかの人の前で、雅さんとどのくらいの距離を保てばいいのかよく分からない。
一番端のつり革につかまっていた雅さんの隣に天園が行き、その隣に佐倉が並んだので、僕はその奥に入った。
雅さんと離れていられることにほっとした。
「打ち合わせてあったの?」
隣の佐倉に訊いてみる。
「そうらしいよ。」
佐倉は僕よりも少し背は低いけど、肩幅が広くてガッチリした体格。スポーツマンらしい短い髪が似合うくっきりした目鼻立ちをしている。
天園と口喧嘩をしていた中学生のころは口が悪くて攻撃的な性格に見えたけど、同じ電車で通学するようになって、そうじゃないことが分かった。
いろいろなことをはっきり言うのは間違いない。でも、聞いていて不愉快になるようなことは言わないのだ。
中学生のころよりも大人になって変わったのかも知れないけれど、佐倉には本当に嫌いな相手というのがいないんじゃないかと思う。
だから僕は、口の悪い佐倉と一緒にいても緊張しないし、疲れない。
「それよりムカイ、あの子とデートだったんだって?」
人の悪い笑みを浮かべながら、佐倉がこっそりと言った。
「そういうわけじゃないよ。」
どうせ天園が、面白可笑しく話したんだろう。
だけど、そんなふうに言われたら、雅さんが気の毒だ。
「何言ってんだよ。結構いい雰囲気だったんだろ? 頑張れよ。」
「そんなこと言ったって……、僕じゃあね。」
肩をすくめて笑ってみせると、佐倉は呆れた顔をして、
「馬鹿だなあ、ムカイは。」
と言った。
(馬鹿じゃないよ。)
心の中で反論する。
(馬鹿じゃないから、ちゃんと自分をわきまえてるんだ。)
調子に乗って突き進んで、あとでがっかりしないように、最初から現実をちゃんと見ているのだ。
「ねえ、ムカイ。」
「え、なに?」
天園に呼ばれてそちらを見ると、佐倉の向こうから天園と雅さんが僕を見ていた。
雅さんと視線を合わせることがためらわれて、天園だけに視線を固定する。
「今度の日曜日、空いてる?」
「日曜日? ……うん、空いてるけど。」
「よかった! ミヤちゃんのうちに行くから、ムカイも来るんだよ。」
「え?」
雅さんの家に……?
事情がよく飲み込めなくて雅さんを見ると、にっこり笑って頷いてくれた。
それだけで自分の顔が赤くなったことが分かって、ちょっと頷いてすぐに窓の方を向く。
でも、耳も熱いってことは耳まで……たぶん首も、赤くなっているだろう。
顔だけそむけても、意味がない。
「昨日、電話で話してね、ミヤちゃんの誤解を解くのって意外に難しいかもってことになったの。」
「そうなの?」
ちらりと視線を向けたら目が合って、またうろうろと車内広告などを見ているふりをする。
「だってね、中にはミヤちゃんがわざとウソをついたって思う人がいるかも知れないじゃない?」
「そう……?」
「分からないけど……もしかしたらね。ほら、女子はいろいろ難しいから。ね?」
顔を見合わせて頷き合っている雅さんと天園を見て、女子である二人がそう言うならそうなのだろうと思った。
二人というか、雅さんが、だな。
「だからね、思い切った方法でオープンにしようってことになってね。」
天園の言葉に雅さんが頷く。
「日曜日に、みんなでミヤちゃんの家に行くことにしたの。」
「みんなで?」
「そう。クラスの人に声をかけて……、まあ、仲がいい女子が中心だけど、ムカイも来なくちゃダメだよ。」
「ああ……うん……。」
いいんだろうか?
って言うか、女子が中心だと浮いてしまう気がする。
いや。
男子がいても、メンバーによっては浮くのかも……。
「みんなって……何人くらい? そんなにお邪魔しても平気なの?」
僕の言葉に、雅さんがにこっと笑って頷いた。
それを見て、天園が説明する。
「あのね、農業体験をさせてもらうの。」
「農業体験……?」
「半分は遊びだよ。ちょうど梅の実の収穫時期なんだって。ね?」
「うん。」
「あの……、そんなに簡単にできるの?」
不安になって尋ねると、今度は雅さんが説明してくれた。
「大丈夫。うちの裏にある梅なんだけど、今は出荷してないの。自家用だから傷がついても構わないし、採れたのはみんなが持って帰ってくれればいいからって、お父さんが言ってた。」
「へえ……。」
「ね? イベントみたいにして、ミヤちゃんのお家にご招待しちゃうの。そしたらみんな、ミヤちゃんがわざとウソをついたなんて意地悪は言わないでしょう?」
「うん。そうだね。」
「お母さんがお握りをたくさん作るって張り切ってるの。」
そう言って嬉しそうににこにこしている雅さんがとても眩しかった。
それを見たら、僕も幸せな気分になった。
「だからね、ムカイも一緒に考えるのよ。」
「え?」
もうお役御免なのかと思っていた僕が驚いていると、天園の向こうから恥ずかしそうに雅さんが言った。
「佐倉くんも、一緒にお願いします。」
「え、俺も?」
顔を見合わせる佐倉と僕に、天園が笑いながら言った。
「そう。あたしたち4人が今回の主催者ってこと。わかった?」
4人。
雅さんと天園と、佐倉と僕。
通学ルートが一緒の4人。
もしかしたら天園は、一人で通学している雅さんを気遣って、佐倉とも仲良くなれるようにと考えたのかも知れない。
「ねえ。みんなにはどうやって声をかけたらいいと思う?」
天園の言葉を合図に、4人で計画を練り始めた。
最初は佐倉に遠慮していた雅さんも次第に緊張が解け、烏が岡で乗り換えるころにはかなり話せるようになっていた。
雀野駅から学校まで歩くときも4人で話が弾み、教室に入ったときは、先週よりも教室が広くて明るく見えた。
机に荷物を置きながら、こんなに気持ちよく教室に入れたことがものすごく久しぶりだという気がした。
学校に来るのが嫌だと思ったことはなかったけれど、僕が劣等感の塊になったのは、何年前からだったのだろう?
立ったままぼんやりと考えていたら、前の席の雅さんがくるりと後ろを向いた。
教室という大勢の知り合いがいる場所で目が合って、また緊張がぶり返す。
自分の顔が赤くなったことが分かった。
「あの、これ……、ありがとう。」
そう言っておずおずと差し出されたのは、金曜日に貸した折り畳み傘だった。
「あ、ああ、どうも。」
みんながいる場所で、雅さんから何かを渡されるということが ―― ただの傘でも ―― 恥ずかしい。
けれど、せめてもう少しちゃんと会話しないと!
「ええと……あの、ごめん。」
「え?」というように、雅さんが首を傾げた。
「あの、ここまで…持たせちゃって……。その、土曜日にでも 」
まで言ったところで気付いた。
ここで「土曜日」なんて言ったら、土曜日に会ったことがみんなに知られてしまう!
一層、顔が熱くなる。
いったい朝から何度めだろう?
(ああ、どうか、みんながよそ見していますように!)
「い、いや、その、もっと早く、渡してくれれば、その、荷物にならなかった…のに。ええと…。」
僕がへどもどしながらようやくそこまで言うと、雅さんがほっとしたように微笑んだ。
そして、
「どうもありがとう。」
とゆっくりと言いながら、丁寧に頭を下げてくれた。
「い、いや、べつに、そんな。」
それを身振りで制止しながら周囲が気になってそっと視線を巡らすと、やっぱり見られていた。
そしらぬ様子で目をそらした女子もいれば、僕と目が合ってニヤッと笑った男子もいる。
用事が済んで前を向いた雅さんの背中にほっとして、椅子にドサリと座り、熱くなった顔を下敷きであおいだ。