7 6月14日(土) 本当の雅さん
雅さんの悩みには、とりあえず一つの解決の方向が見えた。
ということは……?
今日はこれでおしまい……だよね?
用事が終わってしまったんだから。
駅前広場の中央にある時計を見ると、11時25分。
会ってから、まだ一時間半も経っていない。
でも……まあ、いいか。
一緒にアイスクリーム屋に行ったっていう思い出ができたから。
それに、雅さんと友達になれた。
うん。
これはすごいことだ。
「ええと……。」
どうやってサヨナラを言ったらいいのか迷いながら雅さんを見ると、彼女は腕時計を見てからそうっと僕を見た。
「これから…どうする?」
「あ……。」
ためらいがちに発せられた予想外の質問に、頭が混乱する。
しかも、雅さんの目つきと言ったら!
( “これから” って……、 “これから” があるの? バイバイじゃなくて?)
「え……と……。」
言葉が出て来ない!
(こういうとき、普通は何をするんだ? 映画…なんかじゃデートみたいだし、第一、この周辺には映画館なんかないし……。)
あやふやに首を傾げてしまい、自分の頼りなさに落ち込む。
こういうときの選択肢の少なさが、あまりにも僕っぽい。
いつまでも黙っていたら、雅さんに「じゃあバイバイだね。」って言われてしまうかも知れない。
とにかく何か提案しなくちゃと、焦って周囲を見回してみる……けど、候補にできるのはゲームセンターと大型スーパーくらい。
2つのショッピングセンターはいかにも女の子向けの雰囲気で、僕には敷居が高すぎる。
(あのスーパーに本屋と文房具屋があったはずだけど……。)
ゲームセンターで変なヤツに絡まれたりしても困る。
気が利いているとは言えないけど、とりあえず言ってみるしかない。
「ええと、本屋に行ってみない?」
よし、言えた!
…けど、緊張で顔が引きつっているような気がする。
僕の不安を拭い去るように、雅さんがにっこりと笑って答えた。
「うん。」
(やった……!)
重要なミッションをクリアしたような気分。
体が浮き上がるような達成感!
並んで歩く足取りが軽い。
本当はスキップしたり、くるくる回ったりしたいのだ。
だって、これといった用事がないのに、雅さんと一緒にいられるんだから。
口下手な僕ではあるけれど、本屋からの連想で、どうにか話題をひねり出す。
もしかしたらちょっとした興奮状態で、思考スピードがアップしているのかも。
お互いにまだ遠慮しつつも、昨日の電車の中よりは、格段に会話が続いてる。
スーパーの大きなガラス張りの自動ドアの横に貼ってある派手なポスターも、なんだか楽しげに見える。
二重の自動ドアを抜けると、左側にフードコート。
まだお昼前なので、三分の一くらいしか椅子は埋まっていない。
右側に自転車売り場を見ながら、フードコートの後ろのエスカレーターへ。
エスカレーターの手前にまたさっきのポスターがあった。
尽きかけた話題を補充しようとそこに目を走らせると、大きな文字の日付は『6月14日(土)午後1時〜』。
(今日? 何?)
思わず足を止めると、それはヒーローショーのポスターだった。
派手なポーズを決めているヒーローらしきキャラクターと怪人たちの写真に、『当店屋上にて』と添えてある。
名前が書いてあるけれど、僕にはまったく分からない。
もしかしたら、どこかのご当地ヒーローなのかも。
それでも話題に使えるのは間違いない。
「ヒーローショーだって。雅さん、このヒーローって知ってる?」
「え?」
僕の質問に、雅さんが驚いたように顔を上げた。
それを見て、「知らないよね。」と言おうと口を開けた僕よりも先に、雅さんが言った。
「知ってるよ。」
恥ずかしそうに頬を染めてそう言って、彼女は続けた。
「去年、テレビでやってた戦隊もののレッドだよ。こっちは敵の将軍。」
そうして、ちょっと得意そうに僕を見上げた。
「え? そんなにメジャーなヒーローなの? 知らなかった……。」
僕が雅さんの意外な知識に驚いていると、彼女は「ふふっ。」と笑って付け加えた。
「うちのお兄ちゃんが今でも好きなんだもの。毎週一緒に見てるの。」
「へえ……。」
雅さんが戦隊ものを……。
不思議な組み合わせだ……。
「あのね、お兄ちゃんは戦隊ものが好きなんだけどね……、」
そう話し始めた雅さんは、言葉を一度止めて少し迷うような様子をしてから、そっと打ち明けるように言った。
「わたしはね、仮面ライダーの方が好きなの。」
「くっ……!」
声が出そうになったのを慌てて我慢した……けど、やっぱり面白い! って言うか、可愛い!
雅さんの表情も、言い方も、何もかも全部!
あまりの可愛らしさに、顔がどうしてもにやにやしてしまうのが止められなくて、それを見られないように手で口元を隠しながら横を向く。
「そんなに変……?」
雅さんの言葉で視線を戻すと、雅さんは怒ったような、困ったような、傷付いたような、複雑な表情をしていた。
どうやら自分が笑われたと思ったらしい。
それは、僕にはとっても新しい雅さんで……。
「ふ…あ、あの、ごめん……。」
僕にそんな顔をしてみせる雅さんに、なんだか胸が締め付けられるように苦しくなってしまう。
もしかしたら、よく「胸がキューンとする」っていうのは、こういう状態のことなのかも……。
「向風くんだから話したのに……。」
(わーん、嬉しすぎる〜!)
いやいや、嬉しいのは間違いないけど、雅さんをがっかりさせたままにしちゃいけない。
僕の評価を復活させなくちゃ。
「ええと、ごめん。可笑しくなんかないよね。前にうちの姉さんが言ってたよ。ヒーロー系の番組には、若手のかっこいい俳優が出てるって。女の子にも人気があって当然だよね。」
一気に言うと、雅さんの表情が少し和らいだ。
機嫌を直してもらうまでもうひと押し?
「雅さんが仮面ライダーが好きってことは、そっちの方がカッコいい人が出てるってこと? あ、もしかして、戦隊ものは団体だから、一人ひとりの個性が強すぎるとか?」
「えぇ? やだ、向風くん。そんなんじゃないよ、もう……。」
雅さんが呆れたように肩の力を抜いてそう言って、「うふふふ。」と笑い出した。
「わたしは役者さんじゃなくて、ストーリーが好きなの。仮面ライダーはね、主人公が何か宿命的なものを背負ってるってところがいいんだよ。」
「ああ……、ふうん……。」
どう反応したらいいのか、よく分からない。
「俳優さんはね、いつも役の名前でしか覚えられないの。ほかの番組で見ても、ずーっと見たときの役の名前のままで家族の中では通じるし…っていうより、その名前じゃないと通じないの。」
「え? じゃあ、新しいドラマに出たらどうなるの?」
「最初のままのときが多いけど、印象が強い役をやると、そっちの名前も通じるようになるよ。」
「ふうん……。」
「あ、でも、学校のみんなには内緒だよ、わたしがそういうものを見てるっていうことは。」
「どうして?」
「恥ずかしいもん。」
「ああ…そう。うん、わかった。」
エスカレーターに乗りながら、雅さんには恥ずかしいことがいっぱいあるんだなあ、と思った。
しかも、自分のうちが農家だっていうことも、ヒーロー好きだっていうことも、そんなに隠す必要なんてなさそうなのに。
だけど……。
学校では僕だけしか知らない、本当の雅さんか。
ああ、農家だってことは、ちゃんとみんなに知ってもらわなくちゃいけないんだっけ。
お嬢様だと思っていた雅さんは、本当は農家の娘さんで、ヒーロー好き。
内気ではあるけれど、慣れてくると普通に話せるし、くるくる変わる表情はほんとうに可愛い。
「ねえ、雅さん。あのショー、見に行く?」
「え?」
「さっきのポスターの。1時からだったら間に合うよ……ええと、お昼を食べてから行けば。」
言いながら、またしても顔が熱くなる。
少しでも長く一緒にいたい僕の気持ち、分かってくれないかな?
「うーん……。」
口をすぼめて首を傾げる姿も、やっぱり可愛い。
「やめておく。」
「ああ……、そう。いいの?」
がっかりした気持ちが出ないように、無理矢理笑顔を作る。
雅さんは僕の表情には気付かずに、エスカレーターから降りながら説明した。
「きっと小さい子ばっかりだもん。それにね、ああいうのには変身前の人は来ないんだよね。」
「あ、そう、なんだ。」
「知らない? 悪い人たちが先に出てきて暴れたりして、危なくなったところに変身済みのヒーローが出てくるんだよ。」
“変身済み” って……。
そんな言われ方をすると、ヒーローがまるでインスタント食品みたいだ。
「雅さんて…… 」
「え?」
「なんか……面白いね。」
不思議と遠慮も照れも何もなく、ポロリと口から言葉が出た。
「え?!」
本屋の前の通路で、雅さんが目をまん丸にして僕を見た。
「あ、その………。ごめん、変な意味じゃなくて、あの……。」
不用意な発言だったから言い訳もしどろもどろで意味を成さない。
そんな僕を大きな目で何秒か見つめてから、雅さんは嬉しそうににっこりした。
「そう言われると、嬉しいな。」
「え? そう?」
今度は僕が目を丸くする番。
「うん。 “お嬢様” って思われるよりも、 “面白い子” って思われる方がいい。」
その笑顔を見て、僕は気持ちが柔らかくなったような気がした。
(雅さんはそういうひとなんだね。)
「うん、そうだね。」
僕も、お嬢様よりも、農家の娘さんでヒーロー好きな女の子の方が、ずっと親しみやすく感じるよ。