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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『傘をさしたマトリョーシカ』
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6  6月14日(土) よろしくね。


天園(あまぞの)が僕のことを安心できるヤツだって雅さんに言ったのには理由がある。

中学生のとき、僕が天園の愚痴を聞いてあげたことがあるからだ。

愚痴を聞いてあげた……っていうか、それを話しながら、彼女は泣いてしまったのだ。



あれは中2の最後のころだった。

その日の佐倉と天園の言い争いも、普段と変わらないように見えた。


いつも、きっかけはほんの小さなこと。授業中の一言とか、何かドジなことをしたとか。

それをお互いに茶化したり、揚げ足を取ったりしているうちにエスカレートして行く。

二人とも気が強くて絶対に引かない性格で、言い争いにピリオドを打てるのは先生かチャイムだけだった。


けれど、その日は違った。

佐倉の言った一言で、天園が黙った。

普段は絶対に口が止まらない天園が、その日は唇を噛んで、教室から出て行ってしまった。

見ていた生徒はみんな驚いたけど、彼女は次の授業には戻って来たし、その後も仲良しの女子と騒いでいたからすぐに忘れてしまった。


その日の帰り道、僕は天園を見かけた。

それは、部活がある生徒が歩いている時間帯じゃなかった。つまり、彼女は部活に出なかったのだ。


一人でとぼとぼと歩く後ろ姿を見て、僕はその日に彼女が教室を出て行ってしまったことを思い出した。

それまで僕は彼女とは特に親しくはなかったけど、放っておけない気がして、追い付いて声を掛けた。


最初、彼女は怒った顔をして、佐倉のことを罵った。

けれど、そのうち声を詰まらせて、僕が気付いたときには泣いていた。

気の強い天園が泣くとは思ってもみなかった僕は、どうしたらいいのか困った末に、


「言っていいことと悪いことがあるよなっ。」


なんて、分かったような分からないようなことを口にした。


すると、何の役にも立たないと思ったその一言が効果を発揮した。

彼女はまさか口下手な僕に慰められるとは思っていなかったんだろう。

涙目のままぎょっとしたように僕を見て、それから笑い出したのだ。


その反応に僕はほっとした。

笑ってくれている方が、泣かれているよりもずっといい。

それに、笑えるってことは、元気になった証拠だと思ったから。


僕はそのことは誰にも言っていない。

でも、それ以来、天園は僕によく話しかけるようになり、今でもかなり親しい友達だ。

友達って言っても、僕が彼女に世話になっている、と言った方が正しいんだけど。


親しくしていても、天園が僕のことを褒めるのは聞いたことがない。

いつも僕の要領の悪いことをからかってばかりいる。

でも、彼女はあの日のことを覚えていたのだ。

だから、雅さんに僕のことを「優しくて信用できる」なんて言ってくれたんだろう。



「あーあ。」


ぼんやりしていた僕の耳に、雅さんの声が聞こえて我に返った。

隣を見ると、両手を上にのばして伸びをしている。

そんな屈託のない様子は思いがけないものだったので、思わず見つめてしまった。


「なんだか、少し気が楽になったみたい。」


さっきよりもすっきりした笑顔で、雅さんが僕を見る。


「本当のことを誰かが知っててくれるって、ほっとする。」


「そう……?」


人懐こい笑顔で「ほっとする」なんて言われて、今度は僕の胸が急に落ち着かなくなってしまった。

顔と耳が熱いのが気のせいだったらいいんだけど。


「うん。ずっと一人で悩んできたから。家族には『農家が恥ずかしい』なんて言えないし。」


「ああ……、そうだよね。」


雅さんがもう一度微笑んで、今度は前を向いて話し出した。


「うちの中学からはね、だいたいこの近くの高校に進学するの。境山にも高校があるし、山上線でもっと南に行けば2校あるしね。浜山線に乗り換えても、わりと近いところに私立と公立があるでしょう?」


「うん。僕の中学でも同じだよ。基本は近いところ……と学力だよね。たぶん、雅さんの同級生と同じ学校に通ってる友達もいると思うな。」


「あ、そうだよね。でも、わたしはせっかくの高校時代を、自分の知っている場所だけで過ごすのは嫌だなって思ったの。遠くても、賑やかなところに行きたかったの。」


「賑やかって言ったって、雀野のあたりは住宅街で、静かなところだけど?」


「そう! そこがポイントなの。」


そう言って、雅さんがくるりと僕に視線を向ける。

その動きさえも可愛らしくて、僕はまた見惚れてしまった。


「学校があるのは静かな場所の方が安心なの。でも、途中の烏が岡で乗り換えるでしょう? 烏が岡って大きな駅じゃない? 人がたくさんいて、お店とか映画館とか、遊ぶところがたくさんあって。」


「うん。確かに。」


「そういうところを通るだけでもいいの。だから、中学の友達は一人もいないけど、あの学校を選んだの。もしかしたら、そのうちに新しいお友達と寄り道できるかも知れないし。」


「ああ……、うん、そうだね。」


雅さんが「もしかしたら」と言ったことで、少し胸が痛んだ。

自分から言い出すことができず、誰かが誘ってくれるのを待っている彼女を連想してしまったから。


「だけど、いざ入学してみたら、怖気づいちゃって……。」


そう言って、彼女はまた淋しそうな顔に戻ってしまう。


「どうして?」


「自分だけが田舎者だっていう気がして……。」


「え……? べつにそんなことはないと思うけど。」


雅さんにはみんなと違うアクセントがあるわけじゃないし、着ているものは全員同じ制服だ。

特別違うと言えば、特別に可愛いということだけ。


「ううん、絶対にみんなとは違うの。教室に行ってみたら、みんな綺麗で可愛いんだもの。気遅れなんかしないで自然に話していて、会話のテンポも違うし、笑い声まで違うんだよ。」


「そうかなあ?」


「ホントだもん! 向風くんは男の子だから、女子の微妙な雰囲気って分からないかも知れないけど、絶対にあるんだよ、そういうの。わたし、きっとみんなが自分のことを辺鄙なところから来てるって気が付くに決まってるって思った。」


「えぇ? いくらなんでも、それはないよ。」


笑いながら指摘した僕に、雅さんが肩をすくめる。


「まあ……、そうだったんだけど、やっぱりみんなとは雰囲気が違ったんだよね、きっと……。」


そうか。

だから “お嬢様” なんていう誤解をされてしまったんだもんね……。


「テンちゃんが話しかけてくれたときは嬉しかったなあ……。」


そうだろうな。

自分が一人ぼっちだと感じているときに、誰かに声を掛けてもらうのはとても嬉しい。

ましてあの天園は、普段でも周囲を元気にさせるようなパワーがある。


「それにね、向風くんも。」


「僕?」


何かやってあげた記憶はないけど……。


「そう。ほら、入学式の日って、いろんなものが配られるでしょう? あのとき、わたしが向風くんに何かを回すとね、そのたびに『ありがとう。』って言ってくれたよ。」


「あ……、そうだっけ?」


よく覚えていない。

たぶん、雅さんに見惚れていたからだ。


「うん。プリントを回したくらいでお礼を言ってくれる人ってそんなにいないよ。 “いいひとだな” って思って、すごくほっとしたの。」


「ええと……、それならよかったけど……。」


なんだか恥ずかしい。

あの日の雅さんが、そんなふうに思ってくれていたと思うと。

ああ、またしても頬に血が上ってきた。


(そうだ! 恥ずかしがってる場合じゃないんだっけ。)


「雅さん。誤解を解く方法を考えないと。」


「あ。そうだった。」


……とは言っても、いい考えが右から左へと簡単に現れるわけはないよな。


「今思い付くのは、天園に話すことくらい……だけど……。」


「テンちゃんに? できる?」


「うん、まあ、大丈夫だと思う。」


天園との会話の進め方のコツは掴んでいる。

途中で話の腰を折られても諦めずに、そして、自分が話したい内容を忘れない、ということが大切なのだ。


「よかった! テンちゃんに上手く伝えてもらえたら、とっても嬉しい。だって、仲良くしてるのに、全然別なところから知らされるなんて傷付くでしょう?」


「あ、うん、そうだね。」


僕は “全然別なところ” じゃないってこと?

僕は天園とだけじゃなく、雅さんとも友達ってこと?


新しい感覚に少し緊張して、また鼓動が速まる。


「向風くんが言ってくれるなら、きっと大丈夫だよね。ありがとう!」


やたらと瞬きをして、緩みそうになる表情を必死で隠そうとしても、きっと隠し切れていないだろう。

胸元で両手を合わせて喜ぶ雅さんを見ても真面目な顔を保っていられる男がいたらお目にかかりたい。


「だ、だけど、それだけで解決するかどうかは分からないよ?」


あまりにも喜んでくれている雅さんをあとでがっかりさせるのが怖くて、保険をかけるような気持ちで付け加える。

雅さんはちょっと考えてから微笑んだ。


「うん、そうだよね。でも、いい。本当のことを知っててくれる人が増えたら、勇気が出るような気がするから。」


彼女のすっきりした笑顔がまぶしい。


「それに、もし上手く行かなくても、向風くんは……。」


そこまで言って、雅さんの言葉がふっと途切れた。

僕は、彼女の表情に迷いと不安が混じったことに気付いた。


「大丈夫。僕は雅さんの味方だから。…… “味方” って変かな。ええと……、友達?」


「うん。」


頷いた彼女に笑顔が戻る。


「友達で、わたしの誤解を解いてくれる仲間、だよね。」


(仲間……。)


共通の目的を持った仲間。

“友達” よりも、もう一歩近い?



気付いたら厚い雲が切れて、太陽が顔を出し始めていた。

雅さんの心の中も、こんなふうだったらいいな、と思った。







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