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はじまりは、図書室。  作者: 虹色
『傘をさしたマトリョーシカ』
13/95

5  6月14日(土) 雅さんの悩み


(やっぱり僕じゃダメなんだ……。)


さっきまであんなにニコニコしていた雅さんが泣きそうになるようなことを言ってしまうなんて。

僕はほんとうに役立たずだ。


もう声をかけることすら申し訳ない気がして、黙って隣に座っていることしかできない。

それさえも彼女を傷つけているのではないかと思ってしまう。

今、僕にできるのは、心の中で謝ることだけ……。



何分か過ぎて、雅さんが顔を上げた。

そのまま悲しそうに僕を見る。

自分が彼女にそんな顔をさせてしまったことに胸が痛くなる。


「あのね……、困ってることって、そのことなの。」


そのことって……?


「ええと、その……アイス屋に行ったことがないこと?」


僕の言葉を聞いた雅さんは、なんとも言えない表情でしばらく僕を見てから、「くっ。」と吹き出した。

びっくりしたけど、ちょっと安心した。


「違うの。そこじゃなくて……ふふ。」


そりゃそうか。

アイス屋に行ったことがないのが悩みなら、今は解決しているはずだ。


「じゃあ……?」


笑いをこらえながら下を向いていた雅さんが、ようやく落ち着いた表情でこちらを向いた。

間抜けな僕の言葉が彼女の気持ちを明るくさせたのかなと思うと、少し気が楽になった。


「あのね、みんな誤解しているの……。」


「誤解って……何を?」


「あの……、わたしがお嬢様だってこと……。」


「え? 違うの?」


「うん。」


じゃあ……?


「ウソをついたわけじゃないの。でも、わたしが言ったことが、みんなには違うイメージで伝わったみたいで……。」


「言ったことって、家の土地が広いとか、車が5台あるとか、お父さんが社長さんだとか……?」


「そう……。だって……、あの……、うち、農家なんだもの……。」


そう言って、雅さんはまた下を向いてしまった。


農家?

農家って……。


「あのう……、野菜とか果物とかを作ってる農家?」


「そう。」


「じゃあ……、お父さんが社長っていうのは……。」


「わたし……、 “個人事業主” って言ったの。」


個人事業主。

うん、確かにそうだな。


「……農家だって言うのが恥ずかしくて。中学生のとき、友達との間では、『うちは個人事業主だから』って言ったら農家だっていう意味だったから。」


恥ずかしい……って言った?


「恥ずかしいの? 農家が?」


「だって……、みんなと違うんだもの。学校のみんなのおうちは、普通に会社に勤めているでしょう?」


ああ……そうか。

みんなと違うから。


「だけど雅さん。農業ってちゃんとした職業だし、日本全国にたくさんいるよね? うちのお母さんなんか、野菜とか肉とか、国産に超こだわってるよ。」


「そうなんだけど……。」


下を向いてため息をつく雅さん。


「じゃあ……広い敷地の家っていうのは……。」


「家の土地の境目はよくわからないって言ったら……。だって、家の周りは畑につながってるんだもの……。」


ああ、農家ってそういうものなのか。


「じゃあ、車が5台でそのうち2台は普通の家にはないって……。」


「ああ……。一台は家族のワゴン車で、一台はお兄ちゃんの車、もう一台は軽トラック。」


軽トラック……。


「あとは……トラクターと小さいショベルカーが……。」


「ショベルカーもあるの?! すごいね!」


自家用のショベルカーなんて、ものすごく羨ましい!


「そ、そう? でも、ちっちゃいよ。」


「小さくてもすごいよ! いいなあ。あ、じゃあ、蔵があるっていうのは?」


「それは納屋よ。」


「なや?」


「やっぱり分からないでしょう? 作物とか道具をしまっておく建物なの。作業小屋も兼ねてるんだけど……。」


納屋……。


「農家って、なんだか田舎者みたいで……。確かに鷹野山は田舎なんだけど。」


「笑われるんじゃないかと思った?」


「うん……。こんなことになるなら、普通のサラリーマンだってウソをつけばよかった……。」


「そう……。」


僕から見るとそれほど深刻には思えないことも、彼女にとっては大きな負担だったのかもしれない。


そう言えば、僕だってそうだ。

昨日、あの人形のことであんなに落ち込んで。


(鷹野山か……。)


ここから山上線で北側に2駅。


僕が住んでいるつぐみ谷はここから東側に2駅。

住宅地として開発された街だけど、もともとは県の西側にある小さな山脈の裾野にあたる。

今でも開発された一帯以外は丘や森みたいなところだ。


この境山駅だって、駅前は2つばかり大きなショッピングセンターがあるけれど、行き交う人の数は多くない。

ロータリーのタクシー乗り場に並んでいるタクシーは4、5台だし、バスの路線は3本だけだ。


そして鷹野山は。


もう少し山に入り込んだ場所。僕は降りたことがないけれど。

鷹野山より3つくらい奥の駅には、温泉の名前がついていたはず。


竹林高校の生徒で、鷹野山から通っている人はほとんどいないと思う。

僕の方がもう少し学校には近いけど、それでもうちの学年の中ではかなりの遠距離通学だ。

だからみんな、彼女が鷹野山に住んでいると言っても、「遠いね」以外のことは思わなかったんだろう。

鷹野山がどんな場所か知っていれば、彼女がこれほど誤解されることもなかったか、でなければ何か話のきっかけが出たんじゃないのかな。


「あの……、相談っていうのは……。」


「みんなの誤解を解きたいの。」


「ああ、もちろん、そうだよね。」


今のままだと彼女がウソをついたように思われて、後々辛いことにもなりかねない。


「今までも何度か言おうと思ったんだけど、なかなか言えなくて……。」


「恥ずかしいから?」


「それもあるけど……、わたしのテンポが遅いから……。」


テンポが遅い……。

ああ。


「うん、分かるよ。僕もそうだから。」


「向風くんも?」


「うん。話しているときに、会話の波に乗れないんだよね。何か言おうと思っても出遅れて、タイミングを逃しちゃって。」


自信がないから口に出す前に迷ってしまい、その一瞬で、発言の機会は消えてしまうのだ。


「そう! そうなの!」


雅さんが勢いよく同意する。


話を聞いて、よく分かった。

農家だって言えないばかりに曖昧な説明になって、さらに周りの会話の速さについていけなかったため、訂正するタイミングも逃してしまった。


――― それだけじゃないな。

雅さんのおっとりした雰囲気が、みんなの想像力に拍車をかけたんだ。

そして、最初の勘違いが次々と誤解を呼んで。


なんだか……、周囲の勘違いが笑える。

雅さんにとっては自分がウソをついたような結果になってしまって、とても困った状況には違いないけれど。


「わたしね、一番いいのはテンちゃんに話すことだと思ったの。」


そう言って、雅さんがため息をついた。


テンちゃんと言えば天園(あまぞの)のことだ。

中学時代も女子には「テンちゃん」と呼ばれていた。

男子からは……彼女の男勝りの性格ゆえに「アマゾン」というあだ名が付けられていた。

僕は恐ろしくて、そんなあだ名で呼んだことはないけれど。


「それは正しいと思うよ。雅さんとは一番仲良くしてるみたいだし、天園に話せば、ほかの人たちにも伝わって行きそうだよね?」


「だけど……タイミングがつかめなくて……。」


雅さんががっかりした様子で肩を落とす。


(ああ……、確かに。)


僕にはすぐに想像できた。


天園は、とにかくガチャガチャした性格だ。

相手がいれば常にしゃべっているし、しかも早口。

話を途中までしか聞かないで返事をしたりする。

だから、天園に込み入った事情を説明したりするのは、とても根気のいることなのだ。

それに、明るくて人付き合いがいい彼女は忙しいし、たいてい大勢の生徒に囲まれている。


「通学の途中とかはどう? 同じ路線を使ってるんだし、ゆっくり話せないかな?」


「わたしが部活に入っていないから一緒に帰れないし、部活がないときは佐倉くんがいるから……。」


そうだった。佐倉がいる。

天園の彼氏。


中学のとき、天園のことを一番からかっていたのは佐倉だった。

「アマゾン」というあだ名を付けたのもあいつ。

天園と佐倉は、しょっちゅう言い争いをしていた。


なのに。


卒業式の日に佐倉が天園に告白し、いきなりカップルになってしまった。

それまでの二人の言い争いを周りで見てきた僕たちは、みんなびっくりした。

二人の言い争いには部外者にはわからない暗号みたいなものがあったのかも知れないと、今は思っている。


僕と一緒に竹林高校に入った佐倉と天園は、朝も帰りも二人一緒。部活も同じ卓球部だし。

朝は僕も一緒にいることがあるけれど、それは僕が佐倉とも親しいから。

そういう下地がない雅さんは、二人の間に入れるはずがない。

それに天園に、彼氏をほったらかして自分と帰ってくれとも言いづらいだろう。


(結構難しい状況かも……。)


雅さんのお嬢様説は、もうクラス中の生徒が知っている。

なにしろ僕が知っているくらいなんだから。

それを、雅さんの立場が悪くならないように誤解を解かなくちゃいけない。


(僕にできることって……なんだ?)


クラスで浮いているほどじゃないにしても、人間関係が狭い僕。

自信がなくて、みんなの会話にも遅れがち。

そんな僕に、広まってしまったウワサを修正するほどの情報発信力なんてあるわけがない。


「あれ?」


思わず声が出た。

だって ――― 。


「ねえ雅さん。どうして僕に相談しようと思ったの?」


“僕なんか役に立ちそうにないのに。” という言葉は寸前で飲み込んだ。

それを言ってしまったら、雅さんの頼みを断っているみたいに聞こえてしまうかも知れないから。


でも、本当にどうして僕なのか?


昨日、一緒になったのは偶然だったことに間違いない。

けれど、僕が「困ったことがあったら」と言ったとき、雅さんはほとんど迷わなかったのだ。


「あの……、テンちゃんが言ってたの……。」


雅さんが恥ずかしそうに微笑む。


「仲良くなってすぐのころ。向風くんは、優しくて信用できるひとだって。わたしがなかなかみんなに馴染めないのを心配してくれてたみたいで。」


「あ、そ…、そうだったんだ。」


天園〜〜〜〜〜〜!


ありがとう!

もう絶対に天園の失敗談を誰かに話したりしないよ!



中学時代の小さなことが、こんな形で返ってくるとは思ってもみなかった……。







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