4 アンティークショップ
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「ここ?」
先ほどの猫が轢かれていた大通りに面したシックな雰囲気のアンティークショップに、雅はつれてこられた。
「ああ、ここの二階に住んでるんだ。遠慮は要らないから、入れ入れ」
「でも、親御さんは?」
「死んだ」
雅は目を見開いて、直樹の整った顔を見やった。
そんな雅に気づいてか気づかないか、
「今は婆ちゃんとここに住んでるんだ。流行らない店だけどな」
直樹は何事もないようにそう言って、ドアを押した。
カランコロン、と来客を知らせる鈴の音が響いた。
西洋の陶器の人形、重そうなペン立て、古ぼけたティディベア、その他古今東西から集められた、正体の知れないものが、所狭しと店の中に並んでいた。
店の奥には、大きな古時計。
その時計を背にして、銀色の髪をきれいに撫で付けた、上品な感じのおばあさんがロッキングチェアに腰掛けていた。
「あら、直樹、お帰りなさい。どうしたの、その格好? 泥だらけじゃない」
あらあら、と大してあわてた風もなく、優しい笑みで直樹を迎え入れる。
「うん、ちょっと道で、死んだ猫を拾ってきて、公園に埋めにいってた」
おばあさんは「そう」と呟くと、直樹の後ろに隠れるように立っている雅に目を向けた。
こんにちは、と頭を下げると、おばあさんはにっこり微笑んだ。
「あらあら、可愛らしいこと。こちらのお嬢さんは、直樹の彼女さん?」
「え……? ち、ちがいま」
「ちがうよ、クラスメイトの相沢雅さん。猫を埋めるのを手伝ってもらったんだ」
狼狽する雅をそっちのけで、直樹は事実のみを話した。
あらあら、それはそれは、とおばあさんは鷹揚な笑みで頷いた。
「二人とも泥だらけね。シャワーを浴びてらっしゃいな。制服のほうは、洗濯機にかけて乾燥機に入れておくから。相沢さん……とおっしゃったかしら? 大きいかもしれないけど、直樹、トレーナーかなにかを貸してあげなさいな」
「うん、そのつもり。相沢、案内するから先にシャワー浴びちゃってくれ」
「え? 相馬君のほうが汚れてるし、相馬君から先に入って」
「鈍いな。これでも俺は紳士で通ってるんだぜ? レディーファーストは当然のことだ」
雅は自分より泥だらけの直樹を差し置いて、人の家のシャワーを先に借りることを気後れしたが、おばあさんの口添えもあって、しぶしぶながらも了承した。
一階にある、小さな風呂場に案内され、さっとシャワーを浴びる。
熱いシャワーが冷たい雨で硬くなった心の暗い部分まで洗い流してくれるようで、雅は目を細めた。
シャワーを上がると、脱衣所には、雅にはぶかぶかのトレーナーと、これまた足の丈の長いズボンが置いてあった。
ぶかぶかな部分を二つ折り三つ折にしてたくし上げると、脱衣場を出る。シャワーから上がったことを報告するのにはどこに行かなくてはいけないかわからなかったので、雅はとりあえず店のほうに顔を出してみることにした。
「すみません、シャワーいただきました」
ロッキングチェアに座るおばあさんにぺこりと頭を下げる。
おばあさんは、あらあら、と相貌を崩すと、
「よかった、綺麗になったみたいね。ちゃんと暖まれたかしら?」
そういうと、自分と向き合う風に用意された椅子を指し示す。
「はい、いいお湯でした。おまけに着替えまで。ありがとうございます」
椅子に腰掛けながら、雅は礼を言った。
おばあさんは「いいのよ」というと、古ぼけたレジの脇にある、ティーポットを取り上げた。
「直樹がシャワーを浴びてる間、少しお話しましょうか?」
「あの、相馬君に、シャワー浴び終わったこといわなくていいんでしょうか?」
「いいのよ、あの子はそういうところは聡いから」
上品に笑って、2つのティーカップに紅茶を注ぐ。
「アールグレイしかないけど。よかったかしら」
「あ、おかまいなく」
紅茶の葉の種類などわからない。謙遜して見せたが、突き出されたカップをうけとった。カップは素人目に見ても店の売り物にしてもいいくらい見事なもので、脇に角砂糖が2つ乗っていた。
砂糖を入れて、スプーンでかき混ぜると、雅は遠慮なく紅茶を口に含んだ。
「美味しい」
素直に感想を言うと、おばあさんは嬉しそうな声を出した。
「よかったわ。時々、こうしてお客さんと話しこむのよ」
「そうなんですか」
「お客さんは少ないけれどね。私はこの空間が大好き。なにか、「時間」とか、「時代」に囲まれているような感じがするでしょう?」
「そうですね」
そういって、雅は店を見わたした。まるで時が止まったような空間。柱時計のカツカツという音以外には、動くものはない。夜になったら、品物が勝手に動き出して、楽しい秘密のパーティーを開いているのだ、と聞かされても疑わなかっただろう。
そんな心休まる、暖かい店構えだった。
「変わっているでしょ?」
「え?」
不意に話しかけられ、店の調度品を見わたしていた雅はおばあさんに向き直った。
「直樹よ。道で轢かれた猫を拾って、埋めてあげるなんて。普通はいい人でも、保健所に連絡して終わりなのだけれどね」
「はい。ちょっとびっくりしました」
おばあさんはうなずくと、紅茶を一口すすった。
「昔からなの。あの子は、生きることとか、死ぬことにすごく敏感なのよ。今回猫を拾ってあげたのは、かわいそうだったからだけじゃないの。死んだままでほうりだされてることで、生きてきた過去の尊厳をないがしろにされていたのを守ってあげたかったからだと思うわ。死は生きることの終着地点じゃなくて、延長線上にあるものだと思ってるのよ。だから、放っておけなかった。死んでしまえば、それで終わり、なんて、悲しすぎるでしょう?」
「――なんとなく、わかります」
雅は頷いた。
「あの子は、飄々としてるから分かりづらいけど、しっかりわかってる。生きることを愛しているの。だからこそ、死の意味も、十分に受け止めて生きてきた。あの子の両親が飛行機事故で7年前に死んで、それから直樹は死というものと真剣に向き合うようになった。無駄に歳を重ねた、私なんかよりもずっとね。時々驚かされるわ。この子は、生きることを、そして死ぬことを、どこまでわかっているんだろう、ってね」
それは雅も思い知らされていたことだった。
しばらく、無言の時間がすぎた。
カツカツ、古時計の時を刻む音が聞こえる。
アンティークの古い時代の臭いに包まれ、柔らかく、暖かい沈黙に包まれながら、雅はその静寂に身をゆだねた。
おばあさんは、紅茶を一口飲むと、続けた。
「あれは、10歳のころだったかしら。飼い犬が死んだの。その時、直樹は悲しんだけど涙は流さなかった。どうしてだと思う? あの子、私に言ったわ。『死んだのは悲しいことだけれど、こいつは僕の中に残っている。僕が死なない限り、ずっと生き続けるんだ。だから泣いちゃいけない。泣いたら、こいつ、すごく悲しむから。心配するから。こいつが死んでも、毎日笑ったり泣いたりして僕は過ごす。でも、それはこいつが一人ぼっちだという意味じゃない。こいつが生まれたこと、死んだことには意味があって、こいつはそのことを僕の中に残していったんだ。死ぬことを受け入れるのと、生きることに一生懸命になるのは、同じことだ』って。とても10歳の発言とは思えないでしょう? でも、それがあの子にとっては普通なの」
雅はうつむいたまま、直樹のことを思った。
両親をなくして、かわいがっていた飼い犬をなくして、それでも強く生きている直樹。
省みて、自分はどうだろう。
ひとつの死にこだわって。
そこから抜け出せないでいる。
「――おばあさん……」
「ふぃ~、あたたまった! 相沢、制服を乾燥機にかけてるから、乾くまで俺の部屋に来い」
言いかけた言葉は、いつの間にか風呂を上がった直樹ののんびりとした声にかき消された。
「え、でも、相馬君の、男の子の部屋に、一人で? いいの?」
「いいって。散らかってるけどな。それと、変なことしようとか、そういうんじゃないから。少しは俺を信用してくれ」
困っておばあさんのほうを見ると、おばあさんは「いってらっしゃいな」と微笑んだ。
雅はなんとなく気恥ずかしさを覚え、頬を赤く染めながらも、「それじゃ」と、頷いた。