3 猫と直樹と雅と
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公園の比較的柔らかい地面を選んで、木や石をスコップ代わりに使いながら、直樹は黙々と穴を掘り続けた。
一応、雅が直樹の横から傘をさしているものの、制服はすでに泥だらけだ。
いまさら気づいたことだが、道具もなく、猫一匹が埋まる穴を掘り起こすのは、かなり大変なことだった。
「ふーい、休憩」
直樹が立ち上がって、腰の辺りをとんとんとたたいた。
「相沢」
直樹をぼんやりと眺めていた雅は、直樹の言葉で我に返って、
「な、なに?」
とどもりながら返した。
「付き合ってくれてありがとうな。ここまで大変な作業だと思わなかったから、いてくれて助かった」
「――私、何もしてないけど?」
俯いて、目をそらす。
「いやいや、お前のおかげで雨にぬれずにすんでいる」
既に地面からはじく雨と泥と猫の血でべとべとになっているのに、直樹はそういって微笑んだ。
雅がリアクションに困っていると、おもむろに直樹は、猫の死骸を見やって、ポツリと呟いた。
「この、猫さ……」
「ん?」
「死ぬ前は、どんなことを思っていたんだろう。幸せだったのかな? 自分が死ぬこととかわからなくて、ただ日常が毎日――平和じゃないかもしれないけど、とにかく毎日続くことを考えて、車道を渡ったのかな?」
直樹の声は雨音にかき消されることなく、しっかりと雅の耳に届いた。
「……何も考えてなかったんじゃない? ……猫なんだから」
突然の哲学的なその話題は、十分に雅を狼狽させるものだったが、雅は努めてそっけない振りを装って、言った。
直樹は、「そうだよな」と軽く頷いた。
「でも、もし、自分が死ぬことがわかっていたら、もっと有意義に自分の人生を楽しもうとしたんだろうか? 猫の生活に幸せと不幸があるかわからないけど、それでも、残された人生を精一杯生きようとしただろうか?」
直樹が何を言おうとしているかわからない。ただ、それは自分に何か言い聞かせているように聞こえた。
「死は生と隣り合わせに存在している。死の意味を知ったとき、生物は精一杯生きようとするのかもしれない。ま、死んだら終わりだけどな。でも、それまでの過程を必至で生きていこうとすることは、決して無駄なんかじゃないよな」
直樹は自分で言ったことに、肩を竦めた。
「なんか、語っちゃったな。悪い。人が周りにいても、哲学をやってしまうのが俺の悪い癖だな。忘れてくれ」
だが雅は、直樹の一つ一つ考えながら発していたような言葉に、狼狽を通り越して、硬直してしまっていた。
まさか、こんな話の流れになるとは思っていなかった。
――人は、死の意味を知ったとき、精一杯生きようとする。
――それなら。
「相馬君は、自分が死ぬとしたら、生きているうちに死ぬことを知ったほうがいい?」
不意に、親友だった少女の恐怖に怯えた顔がフラッシュバックした。
――私は、また繰り返そうとしているのだろうか?
――あの、恐怖と不安と絶望に満ちた時間を。
直樹は、んーと腰を伸ばすと、
「他の人はどうだか知らないが、俺は自分のことはちゃんと知っておきたいと思う。残された時間を大切にしたいし、今までふざけて生きてきた人生に清算をつけなければいけないからな」
と言って、再び穴掘りを始めた。
「ごめんな、もう少し待っててな」
猫の頭を小突くと、石をスコップ代わりに、穴をさらに大きいものにしていく。
雅は手が白くなるまで傘の柄を握り締めると、意を決して口を開いた。
「――相馬君」
「相沢」
二人は同時に言葉を発し、続く言葉を霧散させてしまった。
「なんだ、相沢?」
「あ、いいえ、相馬君のほうからでいいよ」
直樹はああ、と曖昧に頷くと、穴を掘りながら言った。
「別に俺のほうはたいしたことじゃない。まだ転校してきたばっかりだけどな、相沢を見てると、なんか、危なっかしいというか、無理して強がっているように見えるんだよ。クラスの女子連中とも打ち解けようとしないし、むしろ自分から遠ざけているように見える。もしかして、前の学校で何かあったのか?」
――前の学校。確かに、雅の心をくじけさせるような出来事に出会った。出会ってしまった。さっきの会話といい、相馬君はどこまで私のことをわかっているのだろう? 穴掘りを続けるその広い背中に、雅は驚きの視線を投げつけた。
「――なにもないわ。なにも。ただ、人付き合いとか、疲れるだけよ」
親友だった少女の顔を思い浮かべる。
「ねえ、雅。――もしかしてあなた、私の――」
「嫌! 嫌よ! まだ何にもしてないのに! 私、まだ15歳だよ? ……それなのに……何で私なのよ!」
「雅! 助けてよ、雅!」
親友の悲痛な叫びが今も耳に残り響いてきて、思わず雅は耳をふさぎそうになった。
「何もないのならいいけどね。おせっかいかも知れないけど、人生は楽しんだものの勝ちだぞ。おまえ美人だから、男子の中じゃけっこう人気あるし、クラスの奴らも気のいい奴らばかりだぞ。何をふさぎこんでいるのか知らないが、自分から一歩踏み込んで、心を開くっていうのも悪くないと思うぞ」
直樹の言葉は押し付けがましくなく、むしろ優しく雅のことを気遣った話しぶりだった。
「とまあ、偉そうに言って見せたが、所詮は人の人生である、好きなようにすればいいさ、と相馬直樹は語るのであった」
おどけて言うと、肩を竦める。
背中越しに、直樹の暖かさが伝わってきた。
雅は、「――うん」と頷くと、
「私も穴掘るの手伝う。早くしないと真っ暗になっちゃうよ」
といって、手近にあった石をとりあげると、傘を首に引っ掛けて、しゃがみこんだ。
「制服、汚れるぞ」
心配そうに、直樹が言う。
「――うん」
「雨にぬれたら、風邪引くぞ」
「うん」
「猫の死骸なんて、不衛生だぞ」
「汚くなんかない」
「強情だな」
「うん」
「――お前、優しいな」
「相馬君ほどじゃないよ」
それから二人は、協力し合ってほどほどの深さの穴を作り、猫を埋葬した。