星のような明かりがひとつ
ウソだウソだウソだウソだ。絶対ウソだ。こんなのウソに決まっている! じゃなければ、神か悪魔のどっちかが僕をハメようとしているんだ。
だけど、そうは行かない。上手く乗せられて、たまるもんか。
「……って言ってもねえ。選ばれちゃったんだから仕方がないよね。半田クン、いい加減にあきらめたらア、ッとオウッ」
アンダースローで放られ、水面を飛んでいく石つぶて。ポチャン、ポチャンと二回、突き刺さるように離着水を繰り返したあと、三回目にボッチャンと川底に沈んだ。
「あーあ、失敗だ。っかしーな。すっげー久々だから、手元が狂っちゃったのかなあ」
投石を終えた実人が、不思議そうに首をかしげる。
――こんちくしょう。他人事だと思って、KYなヤツめ。
僕の恨めしい視線を気にもかけず、ヤツはコキコキ肩の骨を鳴らした。関節の具合を確かめるかのように大きく右腕を振りかぶっておろす。
風を切って空気を分断し、ヒュンと音がした。この間までギプスをしていたとは想像できないほどの力強い音だ。
「オイ、治ったからって乱暴にしていいのか。また痛めても知らねーぞ」
「心配するな。オレの肩はそんなに、ヤワじゃねえ」
僕に向かって、ヤツはニッと笑い、Vサインをした。
辺りは、すでに夕暮れ。雲が薄く棚引いていたけれど、真っ赤な夕日が川の上に架かっている橋の影をくっきり落とした。
僕たち二人は、橋の下にある河原で時を過ごしていた。
部活帰りの日でも、そうでない日でも、土手の下まで駆け下りて石を拾い、飛ばしっこ競争をするのを常としていたのである。
小学生時代からずっと同じ学校、同じ部活、同じ範囲を縄張りにしていたので、牽制というか、強さを誇示するとでもいったような、そういう意味合いがあったのだと思う。
とにかく、僕と実人は今でも変わらず、ガキだったのだ。
「治ったんなら、おまえが出ればいいじゃん。ヤダよオレ、一人で行進するの」
三日前に降った雨の影響だろう。今日の川の流れは速かった。このまま僕も流されていってしまうような気がする。
「情けないこと言うなよ。ぜいたくなんだよ、おまえ。オレだったら、よろこんで出場するぞ」
やはり気になるらしく、実人は何度も右の肩をさすった。ピッチャーをやるために鍛えてきた身体だ。それなのに肩を痛めたせいで、今大会は補欠だった。言葉のウラにある悔しさが本物であることを僕は知っている。
「そうかな」
「ああ、ぜってーそうだよ。だって、あの甲子園なんだぜ。代表じゃなくてもイイじゃん。テレビに映るんだし」
「それはそうだけどさ。だけど……」
実人の言いたいことはわかっている。昨年度の優勝校なのだから、胸を張っていけばいい。でも、それは僕たちの実力じゃない。センパイたちがやっとの思いで勝ち取った栄光と優勝旗だ。
センパイに続けとばかりに猛練習してきたけれど、僕達は栄光を勝ち取ることができなかった。ポッと出の名前すら聞いたことがない新設校に予選で敗退した身なのである。
そのため、僕はたった一人で甲子園に行って優勝旗を返還する、という大役を仰せつかってしまった。アイツは今年出場できなかった可哀そうなヤツだと、他のヤツラに憐憫の目を向けられるハメになったのだ。
こんなに屈辱的なことってない。たとえ神や悪魔の仕業だとしたって、到底ガマンできないことだ。
「ああ、なるほど。わかった! おまえ、だっせーとか、カッコわるーとか、そう思ってんだろう」
僕の心情を勝手に吐露しながらも、実人は川の方を向いたままだった。遠くを見るように目を細める。
「いいじゃん、カッコわるくてもさ。理由がどうあれ、立てるんだ。オレなんか逆立ちしたって、一球も投げられないんだぜ。それに比べたら、ぜんぜんマシだよ。なあ?」
小さくつぶやいた実人の言葉が、川音にまぎれ聞こえてきた。
「そうかな」
「そうだよ。だって、あの甲子園なんだぜ」
また同じ会話の繰り返しだ。
――甲子園か……。
緑のツタに覆われた、あの姿が自然に浮かんだ。
いったい、あの場所はなんなんだろう。野球をする者もしない者も、日本人なら皆知っている。その名を言うだけで、力づくで納得させられてしまう圧倒的な存在。
あそこで最高の気分を味わえられるのは、頂点に立った一校だけ。全国およそ4000校もある出場校の中のたった一校にすぎないのだ。
川から吹く風のせいだろうか。急にヒヤリと身体が冷えるのを感じる。
そうだな。実人の言ったとおり、僕はぜいたくなのかもしれない。
チリンチリンと軽やかなベルの音が飛んできた。音が聞こえてきた土手の上の方を見上げる。キキッとブレーキを引いて止まった自転車の影。ウチの学校と同じ制服を着た女子が、自転車に乗ったまま僕たちを見下ろしていた。
「半田クン、こんなところで何やってんの。帰らないの~?」
僕たちの野球部のマネージャー、近藤さんだった。長い髪が風にそよいでいる。
じつは、下級生のくせに気が強くてしっかり者で、僕たち上級生を「クン」呼ばわりする生意気な彼女を、僕は苦手としていた。彼女が監督の姪御さんだというせいもある。
だからといって、上級生の威信を見せないわけにはいかない。
「クンじゃない。センパイと呼べ。そっちこそ遅いじゃん。とっくに部活は終わっただろ」
その彼女にヤローと二人でガキっぽく石を投げているところを見られてしまって、本当のところムチャクチャはずかしかった。赤い頬を夕日がかくしてくれたのは助かったけれど、マジでヤバい。
「女子は男子と違って、着替えるのに時間がかかるもんなんです~」
「ああ、そうかよ」
口調を変え、ぶっきらぼうに答える僕と彼女を見比べて、実人が愉快そうに顔を歪めた。また始まった、とでも言いたげな感じでムカつく。
――てめ、あとで覚えてろよ。
と、ヤツに一瞥をくれてやったときだった。思いがけないことが起こった。「あっ」と気づいたように近藤さんが叫んだのだ。
「わたし、テレビでちゃんと見るから! 開会式がんばってね、半田セ・ン・パ・イー!」
――へ、センパイ?
彼女の口から出た言葉が信じられなくて、思わず僕はポカンと口を開けてしまった。
「じゃあ、さいなら!」
と言うと、僕の反応をチラリとも確かめないで真っ直ぐ前方に視線を向け、彼女は再び自転車をこぎだした。
風に制服のスカートがヒラリと舞い上がる。膝まで裾がめくれあがって生足が見えてしまったが、どういうわけかまったく気にしていないようで。ぐんぐんスピードを上げて、土手の上の遊歩道を、あっという間に走り去ってしまったのだ。
僕たちは、彼女が去っていく様子をあぜんと見送るしかなかった。
「なあ、半田」
「なんだよ、実人」
「あのよ、見えたか?」
「見えてねーよ」
「半田センパイだってよ。セ・ン・パ・イ!」
「うるせー!」
ボールではなくて会話だったけれど、僕たちは野球部員らしくキャッチボールをした。彼女の背景に夕焼け空が広がっていて、星があちこちで光りだしたのに気づく。とてもキレイだ。
「近藤のヤツ、オレのことガチ無視してたな。ま、イイや。とりあえずよかったな、半田。オレ以外にもおまえの行進を楽しみにしている人間がいて」
「ああ、わかったよ。実人、ラーメン食いに行こうぜ。おごってやるから」
「げっ、マジかよ。やりぃ。催促したみたいでわるかったな。そういうつもりじゃなかったんだけどさ」
「つべこべ言うな。オラ、さっさと行くぞ」
くっそう。これ以上、面白おかしく言われてたまるか。神か悪魔のどっちかが、僕をハメようとしているんだ。なんで僕なんだよ。他のヤツらだっているのにさ。
実人を追い立てるようにして橋の袂にある階段をのぼり、僕たちも河原をあとにした。
ふと何気にふり返り、一度だけ空を仰ぐ。
明日も、よく晴れそうだ。そう思ったとたん気分がフッと軽くなって、星のような明かりがひとつ、僕の中に灯ったような気がした。
(END)
読んでくださった皆さん、ありがとうございました!