菩薩に会いにいく
突然の訃報だった。
テーブルの上に置いてあるスマートフォンが鳴りLINEが届いた事を知らせた。
メッセージの送り主は専門学校時代の旧友からで、その時の同窓の1人が先日亡くなった事を告げる内容だった。
正直なところ驚くというより少しキョトンとしてしまった。自分は今43歳。その亡くなった同窓生は笹塚さんといって自分より確か20歳ほど年上の男性だった。
おそらく今は63か64歳あたりのはずだ。
それにしたって早過ぎる。
病を患っていたという噂も聞いていない。LINEの文章をもう一度よく読み返すと心不全だったらしい。
知らせてくれた友人も急なことで驚いているようだった。
LINEには通夜の日時と会場の情報も添付されていた。
その時は何故だかわからないが当然、通夜もしくは告別式に参列するものだと思った。
不謹慎なことだが向こうで軽く同窓会みたいなことになるのかなとも思ったのだ。
しかしその友人はおそらく現地には行けないと言っていた。場所が遠いからだと。
それもそのはずでその場所は新潟県のかなり北に位置していた。自分が住んでいるのは大阪である。
ただその知らせてくれた友人は確か甲府のあたりに住んでいるはずだから自分よりは格段に近いはずだった。
その友人とのLINEはそれくらいできり上げ、関西に住んでいる別の同窓の友人にもLINEで聞いてみたが、参列は難しいだろうなと言っていた。
同じことがあと2人ほど続いた。
みんなでお金を出し合って生花で弔おうという話になっているようだった。もちろん現地に行かない友人達を非難する気持ちは微塵も無い。
というよりはむしろ何故自分は迷いもなくこの大阪から新潟までの長距離を迷いもなく駆けつけようと思ったのだろう。
少し気恥ずかしさが芽生えだしてきたが一度友人達に現地まで行くと言ってしまった手前、それを取り下げるのもまたカッコ悪いとも思える。
友人達には仕事のキリがつくかどうか一度調整してみると濁しておき、その場はそれで終えた。
そもそも亡くなった彼と自分の関係性をもう一度思い起こしてみる。その専門学校とは建築系の専門学校で、長野県松本市にあった。
自分がそこに入学したのが20歳の時であったので実に23年前も昔の事だ。その授業内容の特殊性から集まってきた学生達も様々だった。学校のあった同じ長野県の出身者がおおよそ30人いた生徒の中でも2人しかいないほどだ。あとは全国バラバラであった。北は北海道、南は鹿児島までいた。出身地だけではなく年齢もバラバラだった。高校卒業してすぐに専門学校に入学してきたストレートの18歳組が10人ほどいたが、あとは皆2つ目の学校や社会人のキャリアを経て学び直しでやってきたセカンドキャリア組がほとんどだった。
その中でも彼は最年長の40歳だった。20歳の自分から見た40歳はかなり大人びて見えた。実際倍の年齢であったのもそうだが彼はスキンヘッドにしておりその時は少し老けて見えてしまったのかもしれない。
とにかくその時自分は「えらいおっちゃんが紛れ込んでるな」という浅い感想しかもっておらず彼と仲良くなろうと進んで近づいていったりはしなかった。
学校は松本市といってもかなり山間部の奥の方にあり、さながら陸の孤島かと思わせる環境だった。
住んでいたのも学校の真横に併設された寮だったので今まで関西で平凡な学生生活をしてきた自分にはなにもかも新鮮に思えた。学校と寮との往復の毎日は俗世間からは隔離されていたが、そこに集まった者同士を親密にさせるのにさしたる時間は必要としなかった。
頭こそスキンヘッドだったが彼はいつも朗らかな空気をまとっており、実際話すととても優しい男だった。それまで地元でサラリーマンなどをして生計をたてていたが建築の世界に興味をもち心機一転この学校に入学してきたと話していた気がする。
彼の身の上を知ると少しづつ彼の人間性の豊かさにみなが心を許すようになっていった。
彼だけではなく、その時はまるで意識もしなかったことだが、会社勤めの経験を経て入学してきた者はみな意識が高かった。おそらくだが入学にかかる費用や日々の暮らしにかかる生活費なんかも自分で用立てした者が多かったのだろう。一式を親に出させた自分とはそもそもの覚悟が違ったのかもしれない。
ここに来た経緯の違いはあれどみんな家や建物、公園や都市計画が好きでそれを自らの手で生み出せるかもしれないことに一様に歓びを見いだしていた気がする。
志しを同じくした仲間の絆は見る間に強くなっていった。休憩の間も互いのこれまでの人生を教えあったりしながら理想の建築の話やそれらを作る技術についても随分と話し合い研鑽し合った。
ただ彼とだけ特別に仲が深くなっていったかと思うとそうではない。彼と話した記憶はもちろんあるが、具体的にどんな話をしたか思い出そうとしてもどうにも出てこない。自分は出身地や年齢の近い関西組で集まることが多かった。他にも関東出身者が多く集まる関東組などのグループもあったが、彼は中部地方出身であったのとやはり年齢が大きく離れていたので特にどのグループに属するというより、皆とまんべんなく付き合っていたような気がする。
学生気分の抜け切らない自分とは違い、この学校で確実に食っていく為の技術を会得しなければならないという背景もあったのだろう。
彼を深く知る機会のないまま最初の1年間が終わろうとしていた。
話を戻そう。
自分は何故彼の訃報を聞いた時、迷わずに彼と最期のお別れをしに新潟までの旅をしようと思ったのだろう。結局最後まで特別に親交を深めずに終わった学生生活の事を思うと自分だけが1人遠路はるばるお通夜に向かうのも少し滑稽にさえ思える。普通にみなと同じように生花で弔うだけで充分だろう。誰も非難することもない。
ただ一つ不思議な事がある。
自分はずっと彼と年賀状のやり取りをしてきたのだ。最近でこそ紙媒体からLINEを使って写真での挨拶に切り替えたが、それでも今年も彼に年始の挨拶のメッセージを送っている。
そもそも学生時代に特に仲の良かった友達とも年賀状をしていないのに、彼とは年賀状で毎年お互いの近況を伝えあってきた。だから彼が今も地元に戻りで元気にやっていた事を知っていた。他の同窓の友人に彼と今でも年賀状のやり取りをしている事を言うと驚かれたのでどうやら彼が同窓生みんなとそうしてきたわけではなさそうだ。
自分とひょんな縁があったのだろう。
自分と彼の繋がりの謎は結局最後まで解けないままだ。
彼の突然の訃報をすぐに理解できなかったのは今年も彼の元気な姿を写真で見ていたからだ。
そんな気配は微塵も無かったのだ。その年賀状でのやり取りの中で毎年「今年こそ会いたいですね」などと自分は書いてしまっていた。
大阪と新潟。その距離は遠い。
よっぽどの用事が無い限りその距離は縮まらないだろう。会いたいなどと書いておきながら今年もどうせ会いには行けないだろうなと自分で思っていた。
その時ハッとした。
嘘になってしまう。
すぐに彼に会いに行かねばと思ったのは、このまま生花のお金を送るだけでは彼と交わした年賀状のやり取りが嘘になってしまうと思ったのかもしれない。
もしそれが嘘になってしまっても誰もその事を知らないし、知られてもそんなものは大人同士の社交辞令であって誰からも非難されようがない。
そんな事は百も承知である。ただ自分が嫌なのだ。
もしかするとこれは偽善でもあるかもしれないし、もしくは自分を少しでもマシな人間だと思いたいが為の口実なのかもしれない。その深層心理は自分でも良く分からない。
なんだかもう面倒くさくなってもきた。
もう行こうか。
後でごちゃごちゃ考えたくないためにも行くことにしようかと思う。金額的にはもちろん大阪から新潟までの往復交通費や香典代など少し出費が嵩むが、これで自分の事を良いやつに思えるのなら安いものだ。
仕事の調整を無理矢理つけ、通夜に向かう為に新潟までの切符を買った。行きの車内でぼんやり彼の事を思い出していた。幸いバタバタと目まぐるしかった今週と比べ、いざ新幹線に乗ってしまえば時間はゆったり流れている。
ゆっくりと彼の記憶を呼び起こしてみようか。
そういえば彼は2年間あったはずの学生生活を1年できり上げて途中で自ら退学したのではなかったか。
その事を急に想い出した。
なんということだ。
自分は23年前に1年間だけ学びを共にした特段仲良くもなかった友人の為にこの長旅を選択したのか。
他の友人達もさぞビックリしているだろう。
彼の事を少しづつ思い出してきた。彼は最初こそとても優しくて柔和な男であったが1年生の最後にかけて、とても寡黙で憮然とした態度になっていった気がする。
他の学生達と距離を置いているようだった。
それもそのはず、話しかける隙が無いのだ。鬼気とした表情で製図台に向かっている彼を見かけた時は、もうこの人とは話す事はないかもしれないなと思った事を想い出した。それほど彼は入学当初と後半では人が変わったような素振りを見せていた。
仁王のようなオーラを纏い建築の技術を身に付けんとする彼とはどんどん距離が離れていった。
その状態のまま月日が経ちとうとう1年生の最終日を迎えたあたりの事である。その日自分は夜遅くまで作業をしていてすっかり教室からひと気が無くなっていた。
そういう日もあるにはあったので特に気にするまでも
なく、教室の戸締まりを終えてさてそろそろ帰ろうかと思い校舎の外に出た時に暗闇の中に1人の姿を見かけた。
彼である。
中庭で1人でタバコをふかしているようだった。
もう誰も学校に残っていないと思っていた自分はギョッとした。正直この何か月か彼と話していない。
怖かったからである。この時もお疲れ様だけ伝えてそそくさと横を通り過ぎようとした。
その時ふと月明かりだったか電灯だったかに照らされた彼の顔を見た。
憑き物が一切はがれ落ちた晴やかな顔をしていた。
菩薩のような顔。
彼は入学当初の優しい男に戻っていた。きっと経済的な理由なのか家庭の事情なのか分からないが、2年間の予定だった学生生活を急遽1年できり上げなくてはならない切実な問題があったのだろう。自分たち学生上がりとは明らかに追い込み方が違っていた。その1年間も終わりをむかえ仁王の仮面はさっき教室に置いてきたのだ。
彼は元来菩薩であった。
きっと仁王の仮面は彼にはきつく苦しい日々であったと思う。外したかったに違いない。その事を全く気付けなかった自分は本当に幼かった。知らず彼を避けてしまっていた事を恥じた。その日久しぶりに彼と話し込んだ。
ああ、やっぱりこの人はこうでなくては。
口調から表情から話の内容まで知り合った頃の彼に戻っていた。その時彼と話した内容はやっぱり覚えてはいないけれど、彼の最期の印象が柔らかいもので終えれた事に嬉しく想えた。
自分は今43歳。
遂にあの時の彼の歳を追い越してしまった。
自分はあの時の彼よりも大人になれているのだろうか。
周りの人間に対して菩薩になれているだろうか。
はたまた仁王のような畏怖の念を抱かせてはいないだろうか。
人生半ば。
この旅は丁度良かったのかもしれない。
敦賀での乗り換えを終え新潟行きの新幹線に乗りこんだ。
本当の意味で仏になってしまった男の顔を見てやろうと思う。




