地球温暖化
「温度。何よりもまず、温度です」
薄暗い蔵の中で、職人は古びた温度計を鋭い眼差しで見つめていた。樽の表面を撫でるその手つきは、まるで眠る赤子の背中をあやす母親のように優しい。
材料を吟味し、選りすぐりの菌を植え付ける。あとは静かに、じっくりと時が満ちるのを待つ。発酵と腐敗は紙一重だ。望まぬ菌が混じれば、それはただの汚れとなり、悪臭を放つゴミに成り果てる。しかし、適切な管理下で命が躍動すれば、それは芳醇な香りと滋味を蓄えた至高の逸品へと昇華する。
「最高の発酵状態で、お客様の食卓へ届けたい。それだけが私の願いです」
職人は満足げに微笑み、大きな樽の蓋を閉じた。
その頃、地球は、激しい熱に浮かされていた。
「人類は地球の害獣だ! 温暖化という名の腐敗を加速させる、最悪のばい菌だ!」
環境保護団体のデモ隊が、ひび割れた大地の上で叫んでいた。海は濁り、大気は淀み、かつての青い星は、不潔なゴミ溜めのように変わり果てて見えた。彼らにとって、この熱は死へ向かう崩壊のサインでしかなかった。
しかし、蔵の中に住まう者たちの視点は、決定的に違っていた。
「……ふむ。そろそろ良い塩梅だな」
宇宙の広大な闇に浮かぶ、巨大な「蔵」。そこに住む「彼ら」は、モニターに映し出される地球の温度分布図を眺めていた。
「一部の細胞(人類)が騒がしいようですが。地球を腐らせている、と自責の念に駆られている個体もいるようです」
部下の報告に、総料理長と呼ばれた存在は静かに首を振った。
「違う。これは腐敗ではない。発酵だ」
彼らが仕込んだ「知性」という名の菌が、地球という樽の中で激しく代謝を繰り返し、星全体の温度を押し上げている。この熱こそが、星が次の次元へと進化するための、不可欠なプロセスなのだ。
「二酸化炭素の濃度、平均気温の上昇……すべて計算通りだ。この熱気の中で、古い文明の殻が溶け、新しい『味』が醸成されていく。実に香ばしい」
総料理長は、じゅるりと舌なめずりをした。
「間もなく出荷の時だ。銀河の食卓に、この『完熟地球』を届ける日が待ち遠しいよ」
足元で悲鳴を上げる人類の叫びも、彼らには、美味しくなりゆく樽の中から漏れ出す、心地よい発酵の音にしか聞こえていなかった。




