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メリアと不思議な旅  作者: 首長イ鳥
煌めく海と断崖遺跡の街
9/43

英雄クルル

彼らは密林を抜けヴェノドミナ王国に足を踏み入れた。王国の門をくぐったその時から霞がかっていた町並みは進むにつれ徐々に濃くなっていく。それもこれも彼らがこの王国へと向かう旅路で避けて通ることはできず、真正面から突破することとなったあの密林のせいだった。

流れ者から毒林と呼ばれるその密林は異名に違わず、魔物や草木に至るまでそこに住まう者の全てが毒を扱う。

それはさながら天然の蠱毒であり、悠久の末にその大気にも微量の毒が混じるほどである。

しかし、不思議なことにヴェノドミナの民たちは毒林がまるで存在しないかのようにふるまい、頑なにその存在を認めようとしない。

見れば目が潰れ、喋れば口が潰れ、思えば頭が潰れるとは、ヴェノドミナと毒林の関係を端的に表した言葉としてこれ以上に相応しいものは存在しないだろう。

毒林からの大気を中和させるために絶えず国中に焚かれる香も、彼らヴェノドミナの民たちに言わせれば、それは全く無意味な行為なのだ。


『やっと着いたぜ!ヴェノドミナぁ!にしても噂通りすごいお香だな、煙くて仕方ない』


『クルル、声が大きいよ、ほらみんなこっちを見てる……』


『なんだよメル、ずっとあんな蒸し暑い密林を抜けてきたんだぜ、視線ぐらいどうってことないだろ?』


『僕には密林を抜けてきたことと視線が気にならないことがどう関係するのか、まったく理解できないよ』


彼らのこの国での物語はそんな軽口から始まった。




「お師匠様、ちょっといい?質問があるんだけど……」


「お!やる気ねメリアちゃん、それでどこが気になったの?」


「えっとね、ボク、クルルはわかるけど、このメルって人は誰?」


「メルもクルルと同じ英雄よ、クルルはこの時、メルと二人旅をしていたようなの、と言っても私もメルについてはこれぐらいしか知らないのだけど……」


「へー、お師匠様も知らないことってあるんだ」


「……クルルはパーティーメンバーがころころ変わるから、このメルも登場するのはクルル記第14章と15章だけで、性別すら議論の対象になるほど情報の少ない人物なの、個人的に私はメル女性派だからここでは彼女とさせてもらうわね、ちょうど、クルルの三人称と被らなくてわかりやすいし」


「はーい、わかりました、お師匠様!」


「うん!じゃあ、続きを話しましょうか」


そういってお師匠様は再び歴史を纏うために咳ばらいを繰り返した。




『で?これからどうするの?クルル』


『まずは王様に会いに行こう、ここも魔族の侵略に悩んでいるなら、英雄の俺たちを邪険にはしないだろうしな』


『そんな簡単にあえるのかなぁ、門前払いされたらどうするのさ』


『その時は……その時考えるよ』


『まったくお気楽だね、君は』


『そう言うなよ――おっ、あれ、近衛兵っぽくね?俺ちょっと行ってくる!』


『……敵わないなあ、待ってよ、僕も行く!』


片や興味の引かれるままに走る犬のように、片や振り回される主のように、彼らは走った。

そして偶然に出会ったその兵士を皮切りに、彼らは無事ヴェノドミナの王と謁見する約束を取り付けたのだが、その間に多大な苦労があったことは言うまでもない。

その原因が、クルルの英雄らしからぬ立ち振る舞いなこともこれまでの13章を読んでいる諸君なら気づいているだろう。




「……ボク、読んでないけど、大丈夫かなあ」


「ここではクルルが、当時の民衆のイメージとはかけ離れた、ゆるーい性格の持ち主ってことさえ知っていれば大丈夫よ、それと……」


そこでお師匠様はふっと口元に手を当て、言葉を区切る。

そのしぐさはお師匠様が悩んでいる時の癖だった。

だからボクはそれを促す。お師匠様は考えすぎな時が多いからね。


「それと?」


「……これはちょっとしたポイントなんだけど、この地の文が何を伝えたいのか、そこに注目すると良いかも」


「地の文ってこの、諸君なら気づいているはずだ、って文章だよね」


「ええ、そうよ、この地の文の語り口調はクルル記の特徴の一つなの」


「なるほど、ポイントは押さえれば押さえるほどいいからね、何事も!」


「それはちょっとわからないけど……まぁ、続き読むわね」


「え?」




彼らはついに王の御前へとやってきた。中央にそびえるのは城下町と同じく、石材のみで構成された城。

灰色のそれは城と言うより、魔城と呼ぶ方がふさわしいと思えるほどに寒々しく彼らの目に映った、かもしれない。


『では、こちらが王の私室です、英雄殿』


『ありがとう守衛さん』


『いえ、私は近衛師団長です』


平坦に答えるその声音にメルの心臓が縮み上がる。


『ば、ばかクルル――すみません、こいつ礼儀を知らないんです、悪気はないんです』


『私は訂正を申しただけで他意はありませんよ、ただ、陛下に対してはくれぐれも無礼のないようにお願いします、非常に、厳格な方ですので』


そう言い残すと近衛師団長は王の私室、その燃え盛るような赤と輝く金のタペストリーで装飾された石扉に向かう。


『なるほど、参考にさせてもらうよ』


『ク、クルルぅ、僕、お腹が痛くなってきたよ……』


『なんだよ、前もってトイレ行っとけよ、王様にあうんだぞ?』


『……はぁ、僕にもその胆力を少し分けてほし――』


『陛下!英雄殿を連れてまいりました!』


英雄たちの軽口は近衛師団長の声によって中断された。


『今開ける』


『はっ!』


近衛師団長が一歩引く。その所作からは幾多の修羅場を潜り抜けたのがわかる、それほどまでに無駄のない動きだった。だが、何故今それを?

クルルの頭に浮かぶ疑問はそれ以上進むことはなかった。

代わりに、目の前の石扉が爆散した。


『わっ!』


思わず目の前に手をやる。だが、飛来する礫はその手のひらをすり抜けた。幻だ。


『待っていたぞ、英雄』


それが王との初対面であった。




「うわっ、いきなり扉を爆発させちゃうなんてすごい王様だね」


「本当、すごいわよね、でもね、メリアちゃん、こういう突飛な行動をすごいで終わらせちゃうのは少しもったいないかな」


「もったいない?」


「そうよ、ねえメリアちゃん、なんでこの王様がいきなり扉を爆破した幻影を見せたんだと思う?」


「えー、なんでだろう……扉のデザインが嫌いだったのかな?赤と金のタペストリーで装飾されてたんだよね、きっと、赤色か金色のどっちかが嫌いだったんだよ!」


「……それはとっても面白い考察ね、私の知る限りではその方向性の考えは聞いたことないかも……、確かに、赤も金も国中に漂う香の霧に太陽光が反射することで国中がその色に染まることから、それらはヴェノドミナの国色として城内を彩っていたのだけれど、確かに、王からしたらそれらは非常に見飽きた色であるわけで、それならばむしろ香のせいでかすんで見え辛かった空色とかの方が――」


「ボ、ボク、お師匠様の喋るスピードが速すぎてついていけないよ……いつものお師匠様に戻れあたーっく!」


お師匠様の脇腹に拳を突き立てる。


「ぐぅ、この覚えのある脇腹の痛みは……私、またやっちゃったかしら」


「うん、お師匠様が空の彼方へ行っちゃう前でよかったよ」


ごめんなさいねとお師匠様は本当に既視感のある両手の合わせ方で平謝りしている。本当にもどってきてくれたかな?


「……話を戻すと、こういった人物の行動にはどういう意図があるのかを考えながら読むとより当時のことを深く理解ができるってことなの、ちなみに、何故王様が扉を爆破した幻影を見せたかっていうので今一番主流の考え方は、英雄たちを傷つけて敵対することなく、かつ相手に自分が見下されないように、実害の伴わない野蛮な一面を見せたかったって考え方ね、圧倒的な力を持つ英雄とは戦いたくはないけど、かといって英雄に交渉の主導権を握られたくない一国の王の葛藤が良く表れているところだと思うわ」


「うーん、わかるような、わからないような……」


「今はまだ、登場人物の気持ちを常に意識しておくようにしておくだけで大丈夫よ」


「はーい、わかりました、お師匠様!」


「では遥か過去のヴェノドミナへと舞い戻りましょう、果たして王は魔族退治に協力してくれるのでしょうか……」                                                                                                     




『ってなわけで、俺たちでこの地を襲う魔族を倒してこようと思ってます』


『つまり、そのために我が国から支援を受けたいと?』


『ええ、まあ、そういう下心もないわけじゃないですね』


『お前は正直な男だな、連れのように形だけでも礼儀を成していた方が良いのではないか?』


『す、すみません陛下、こいつには後でしっかり指導しますので……』


『よいよい、我は正直が好きだ、それに、お前の願いを我は断ることになるからな』


『断る?』


『英雄殿、この地に救う魔族は我らヴェノドミナの民で打倒しよう、つまり、手出しは無用である』


王は毅然とそう言って見せた。




『……つまり俺たちの代わりに魔族の討伐をしてくれると?』


『自国の問題を自国の民で解決するのはあたりまえのことだろう、何をそんなに驚いている?』


『いや、このパターンは初めてなもんで』


『うむ?』


『いや、何でもないです……でも、ほんとに俺たちは何もしなくてもいいんですか?』


英雄の問いに王は、ほんのわずかではあるが、ぴくりと眉に感情を吐露した。

英雄たちはそれには気付かなかったようだが。


『……一つ、そなたらに頼みがあるのだ、クルル殿、そなたの変性術士としての名を見込んでな』




「このパターンってどういうこと?お師匠様」


「それは、英雄に代わって国が魔族を討伐することを指しているの、当時、魔族退治は英雄が指揮を執ることがほとんどだったようね、世界的に見ても英雄無しで国が魔族と戦ったという記録はほとんどない、だから、英雄の申し出を断った王のその決断に驚いているのだと思うわ、でもなぜここまで数多の国々が魔族討伐に消極的だったかはいまだにはっきりとしたことはわからないのよね……」


「へー、やっぱり、王様も魔族が怖かったのかな」


ぼそりと呟いたその考察にお師匠様はやわらかい笑みを向ける。


「うん、そうかもしれないわね、魔族は人類最強の英雄たちを以てしても苦戦する相手だったようだから」


「でも、他の国がそうなのに魔族を討伐しに行くなんて、この王様とっても偉いね!」


「それはどうかしらね、王は英雄にその代わりとして頼みがあるみたいだから」


「あ、そっか、何か頼んでたね」


「では続きを読みましょうか、果たして王の頼みとは何なのでしょう……」




『どうぞ、こちらです』


『ほおー、これはすごいな』


『この部屋にあるものは全て自由に使ってもらって構いませんし、他に何か入用でしたら何なりとお申し付けくださいませ』


そう言って召使はぺこりと礼をして、来た道を戻っていく。

その、王より下賜された部屋はまるで時が止まっているかのようだった。

石窓から差し込む細い光を宙を舞う埃が目いっぱいに燦然と輝かせる。

高く平積みされた本や、四壁を覆う棚に隙間なく並べられた瓶詰の触媒たちを見てクルルは部屋に勝るほど目を輝かせた。


『それにしても、この展開は予想外だったね、僕、魔族討伐は英雄しかできないんだって思っていたよ』


『だな、でも、俺たちが命を張らなくても魔族が片付くならそれにこしたことはないさ』


『それは、そうだけど』


『なんだよ、その含みのある言い方は』


『ううん、たしかにそうだよね、大したことじゃないよ、本当にね……そんなことよりもさ、王様自らあんなに仰々しくお願いされちゃったから何をやらされるのって思ったら、魔族討伐遠征のために兵士たちの糧食の開発を依頼されるとはね、てっきり僕は賢者の石でもつくらされるのかと思ったよ』


『自国の民の仇は自国の民で取らなければ意味がないとは、随分立派な王様だが……依頼内容は賢者の石の方がまだマシだったな』


『へー、そんなに難しいんだ』


『難しいなんてもんじゃないぞ、芋一個と同じ重量、サイズに、兵士一人が一日戦い続けられるだけのエネルギーを込めて、なおかつ、最低一月は腐らない糧食をこの国で簡単に供給可能な材料で作り上げろってんだからな』


『あの王様、あんなすました顔してそんな無理難題を……で?つくれるの?』


『あたりまえだろ、どーんと任せとけって』


そんなクルルの頼もしい返事にメルは己の懸念が杞憂であったと悟った。

しかしメルはその変性術士の生み出した素晴らしい発明の数々が、全てクルルの完璧主義から生まれた物だとはまだ知らなかったのである。

彼女がそんな言葉を信じている間に月が欠け、そして月が満ちた。

確かに変性術士の名は伊達ではない、しかし全く持って杞憂などでもない。

もちろん彼女はまだ、ヴェノドミナにいた。


『クルルぅ、暇だよ、暇すぎるよ、何もやることがないよ』


『この前この国のフーカーが無限に吸えるって言いながら、部屋もくもくにしてたのはどうしたんだよ』


『いやあ、あの時はそう思ったんだけどね、やっぱり駄目だったよ……だから、どっか遊びに行こうよ』


『そんな暇はない』


『なんでよー、そう言わずに僕にかまってよ、クルルぅ』


伸びた母音が頼りなく部屋に響いたその時だった。

こんこんと控えめな音が扉を震わせる。

それはメルの発した余韻にもかき消されるほどであったが、幸いにも二人に届いた。


『失礼いたします。クルル殿、メル殿、私に少々お時間を賜りたく存じます、実は……御二方にお伝えしたき事がございますゆえ』


彼女がその声に反応して閃光のように握り玉へ手を掛けたのは来訪者への気遣いだけではなかっただろう。



『お初にお目にかかります、私はこの国で大臣をやっております、ルシアスと申します』


そう言ってテーブルに額を接するように頭を垂れる。


『丁寧にありがとうございます、じゃあ、こっちも自己紹介を……って、流石に知ってるか』


『もちろん、存じております』


『それで……何かあったんでしょうかルシアスさん』


『はい、単刀直入に申しますと……』


ルシアスはそこで言い淀んだ。

英雄たちには単なる息継ぎに見えたかもしれないが、確かにルシアスはそこで人生最大の逡巡を巡らせた。だがその瞬間は朝露が葉を滑り落ちるよりもずっと早く、その短さに、内心苦笑したのを強く覚えている。


『……陛下は、クルル殿の携帯食料を使って隣国へ攻め入る腹積もりです』


反逆はいともたやすく、口からこぼれ出た。




「携帯食料!やっと携帯食料がお話に出てきたよ!」


「メリアちゃん、そこよりももっと反応するべき場所があるでしょう?」


諭すようにそう言うとお師匠様は本から顔を上げる。


「ルシアスが言うにはヴェノドミナ王はクルルの携帯食料を使って隣国へ攻め入るつもりなのよ」


「あっ、王様は魔族討伐に使うからってクルルに携帯食料をつくらせたのに……約束が違うよ!」


「約束が違うどころか、もしこの話が本当だったら、クルルは戦争の手助けをしたことになるわ」


「ええ!そんなの、ボクだったら許せないよ!」


「そう思ったのは、多分クルルも同じだったでしょうね……さあ物語はいよいよ佳境となります、さてこれからクルルたちと携帯食料はどうなってしまうのでしょうか……」




『それは穏やかじゃない話だな、詳しく聞いても?』


『クルル殿はこの国の異常さに気づいていらっしゃるでしょう、何故我々がこのような毒の地に国を構えているのか、それはヴェノドミナの民たち全てが元をたどれば奴隷出身であるからなのです』


『奴隷、か』


『はるか昔のことです、我々の祖先は戦火に紛れて命からがら支配から逃れました、そして、そんな奴隷たちが追ってから身を隠せる場所はこの呪われた地である毒林しかなかったのです』


話しながらに思わず天を仰ぐ。


『大丈夫ですか?』


心配そうに顔色を窺ってくるのはメル殿だった。

私は大丈夫だと言って、話をつづけた。


『そしてそんな私たちの祖先を支配していたのが、隣国のエルディアスです』


『……なんとなく、話が見えてきたよ、つまり、この国は先祖の因縁に決着を付けようとしているんだな、俺の携帯食料は毒林を兵隊が抜けるのに必要ってことか』


『その通りです、我が国も、エルディアスも、毒林を抜け疲弊した兵では戦に負けるということがわかっていますから、でもクルル殿の携帯食料があれば、我が国は万全の兵力を以てエルディアスを攻めることができる』


『戦争に使われるなんて、そんな……』


メル殿が小さくそう零す、それに私は安堵した。


『ですから、英雄殿には申し訳ないのですが、すぐにでも、我が国から発ってもらいたい、王から約束された褒美には遠く及びませんでしょうが、これをお渡しします』


そういって私は指輪を外し、机に置く。


『そういうことなら仕方ないか、クルル、今日にでも発とう』


『一つ、聞いてもいいかな、ルシアスさん』


『はい、なんでしょう』


『なんで、あんたは戦争を止める?これはこの国の悲願なんじゃないのか?』


『クルル……』


『もし、エルディアスに勝てば、ヴェノドミナの民たちは肥沃な土地に移り住める、そうだよな?勝算がまったくないわけじゃないんだろ?』


『もちろん、勝算はあります、兵力の差はありますが、奇襲にはなりますし、なによりエルディアスは長年の平和で堕落している』


『なら、どうして?』


『……クルル殿はこの国の食糧事情についてご存じですか?』


『いや、詳しいことは……主食が芋だってことくらいかな』


『その芋は我が国の兵士たちが命がけで毒林の中のある場所からとってくるものなのです、他にも肉や魚も全てその場所から兵士たちが調達しています』


『そうだったのか』


『祝福の地と我々が呼んでいるその場所は何故かはわかりませんが、毒の汚染を免れいたって普通の生態系を形成しています、ただそこはその肥沃さから毒林の中でもっとも凶暴な魔物が住み着いているのです、そのせいで兵たちはいつも食料調達の任で手一杯なんです、ヴェノドミナに隣国を攻めている余裕なんてない、そんなことをすれば、民は飢えてしまう』


『なるほどな、理解したよ、ルシアスさん、あんたの葛藤も』


『王は多少の犠牲は仕方ないとおっしゃいますが、私にはどうしても民のことを多少だなんて思えないのです』


『……とっても難しい問題ですね』


『ええ、本当に』


『ねえクルルどうにかならないのかな……』


『ルシアスさん、状況はよくわかりました、でもそんなことを聞いちゃったら俺たちはもうこの国を出ることはできない』


『な、何故ですか、クルル殿、どうして……』


『心配しないでください、今の話で俺には一つ光明が見えました、っとこれから忙しくなるな、メル!ちょっと、いろいろと頼んだ!』


『はーい、わかったよ』


『クルル殿!』


『ルシアスさん、ごめんなさい、クルルはあのモードに入ると誰の言葉も届かなくなるから』


『メル殿からも説得なさってくれませんか、どうかお願いします』


『大丈夫ですよ、クルルは変性術士ですから、勝手にその名に懸けちゃいますけど、この国の民に悪いようにはしないと約束します』


メル殿はそう言って苦笑する。

それから、私は何度メル殿とクルル殿の背中に言葉を問いかけたか覚えていない。

クルル殿は一度も顔をこちらに向けることはなく、メル殿は大丈夫と繰り返すだけだった。

しまいには、むっとしたメル殿に部屋を追い出されてしまった。

そこから、どうやって自分の部屋に戻ったかは覚えていない。

そして再び月が欠け、また満ちる頃、クルル殿は私を王の部屋へと招いた。



『やっとできましたよ』


クルル殿はそう言うと、机に黄金に輝く棒を乗せた。


『ほう、これが……!』


『一口かじってみてください』


王はクルル殿に促されるようにそれを手に取ると、ためらいなく口に運ぶ。

王の手の中で陽光に照らされたそれはさながら本物の金であるかのように見えた。


『ふむ、思っていたよりはやわらかく食べやすい、味は……無味であるな』


『その無味にするのが一番苦労したんですけどね、なにしろそれはこの毒林の葉と根だけで作れるようにしてあるんで』


『なに!?あの草木からこれができておるのか……』


『出来上がるまでに時間はかかるけど、このレシピさえあれば誰でも簡単に作ることができますよ』


そういって、今度は羊皮紙の束を王に滑らす。

王はそれをまるで赤子を抱くように恐る恐る受け取った。


『この国で安定的に供給ができる物で作れとは命じたが、まさかあれを使うとは……これはうれしい誤算だな、"祝福"に赴く手間が減ったとなればすぐにでも魔族どもに進軍ができよう……褒美の前にまず民たちを代表して礼を言わせてくれ』


『いえ、礼は結構ですよ』


『なに?』


『毒林を使ってそれを作り出すのは本当に大変だった、最初に出来上がった試作品は毒こそないものの舌にびりびり来るような苦みが続いて大人ですらすぐに吐き出してしまう味で、子供が主食にするなんてのは土台無理だった』


『クルル殿――』


私が思わず英雄の名を零すとクルル殿は手のひらを向け私を制した。


『二回目に出来上がったのは、狙い通り苦みはだいぶマシになった、だが、肝心の栄養素が駄目になった』


『何の話をしておるのだ?』


王の問いにクルル殿は答えない。


『そこから、何度もその二つを行き来して、やっとたどり着いたものがそれだよ、本当に骨が折れる作業だった』


『……ご苦労であったな、だがそんな苦労話を我に聞かせずとも、英雄殿には手に余るほどの褒美を遣わすと約束したはずだ』


『王様、褒美はやっぱり受け取れませんよ』


『……なんだと?』


『メル、手筈通り頼む』


『りょーかい……陛下、少し前を失礼します』


メル殿はそう言いながら歩みだすと、王の真横で立ち止まる。

そして机へと両の掌を向けた。


『"ミスト"』


声と共にメル殿の目の前に霧が現れる。

この国を包む香とは違って透き通ったそれは、メル殿の腕の動きにそって、ゆっくりと英雄殿の成果へと向かっていく――

柔らかな輪郭がそれに触れた、その瞬間だった。


『なんだ、これは!?』


ぐずぐずと、まるで幻惑魔法が解けたかのようにあの黄金に輝いていた棒は、ぼこぼこと泡を吐き出しながら毒々しい紫色へと変化する。そして一気に泡を吐き終わると、次の瞬間には煙のような細かい灰だけが机に残されていた。


『これは……どういうことだ!?説明してもらおうか!』


いきり立つ王の怒号に灰はさらさらと流れていく。

それを尻目にクルル殿は口を開いた。


『陛下、私は失敗したんですよ、味と栄養に拘るばかりに水と言う弱点が残ってしまった、ああでも安心してください、水と言っても食事の際の飲み物なんかでは変質しませんから、だから水と言うよりは湿気ですね、あの毒林の中にさえ持っていかなければこうなることはないでしょう』


『毒林を抜けられぬ糧食をつくれと言った覚えはないぞ!これでは、わが軍を魔族どもの根城に送り込むことは不可能ではないか!』


『そうですね、陛下の願いをかなえられなかったのは俺の責任です、だから、魔族は俺たちが責任をもって駆除しますよ』


クルル殿のその飄々とした物言いに部屋にはギリギリと歯が擦れる音だけが響く。


『……我の願いを反故にするとは本来であれば極刑だが、もう一度だけチャンスを――』


『しつこいな、察しの悪い王をもってこの国の民は可哀そうだ』


『なん、だと』


『"魔族"に攻め入るのは民の食糧事情が解決されてからにしろって言ってんだよ』


その言葉は確かにこの場の時を止めた。

穏やかに流れるのは灰。

一瞬の後に、王の言葉が部屋をつんざく。


『――き、貴様ぁ!!何をしておる!早くこいつをひっ捕らえろ!殺しても構わん!』


『や、やべ、かっこつけすぎた、逃げるぞ、メル!』


その声より先に、メル殿へ王の振るった剣閃が襲い掛かる。


『うわぁ!いきなり何すんのさ!ってクルル置いてくなぁ!』


『ひっ捕らえよ!!!』


王の怒号、あわただしく刃が鞘を滑る音、どたどたとした駆け足の響き、近衛師団長の的を外れた指示。

その喧騒の中で私は爽やかさを感じていた。

風のように自由で、水のように柔軟で、なによりも生きている。

これが英雄なのか。

英雄は冷徹にただ、魔族を狩るだけだと聞いていた。

会話はなく、まるで天災のように、魔族を狩りつくしては、去っていく。

その天災が、人間に向かずにいるから英雄なのだと。

そう伝え聞いていたのに。

まるで嘘っぱちだった。

英雄は優しく、暖かく、人の心があった。

何か胸の内に熱いものを抱えたまま、私はその日のうちに、ヴェノドミナを発った。

そして、幾年が経った頃、風のうわさでヴェノドミナ王がついに霧の弱点を克服した携帯食料を、クルル殿の残したレシピをもとに作り出したと聞いた。

しかし、出来上がったものは土気色で、馬の糞と腐った魚の内臓を混ぜた味らしい。

いくら王と言えど、英雄には敵わなかったということか。

私はそれも書き留める。英雄に関わる出来事の一つとして。

あの日、すぐに国を発ったのは私がクルル殿たちに密告をしたのが見つかるのも時間の問題だったというのも理由の内ではあるが。

一番の理由は英雄たちに付き纏うこの恐れと誤解を世界から取り除かねばならぬと思ったからだ。

英雄に付き纏うのは敬愛であるべきであり、そしてそれは、人類にとって最も益になる。

そのためにあの日、私は生まれ変わった。

もはや、私はヴェノドミナのルシアスではない。

生涯をもって、英雄に尽くすと署名を以てここに誓う。

クルシア・ガードナー




「クルシア・ガードナー……」


「クルル記において地の文がとっても感情豊かなのは14章に限らず最初から最後までずっとそうなの……でも作者であるクルシア・ガードナーの名は14章以前まではただ背表紙に印字された文字列でしかない、でもこの14章以降ではまるで違う印象になるのよね」


「うん、確かに、光って見える気がする」


お師匠様の持つその本の背表紙、かすれたその名を指でなぞりながらそう思う。


「でも多分、クルシアさんはわざとそうしたんだよね」


「……どうして、そう思ったの?」


「クルシアさんは英雄たちがほんとはとっても面白くて、いい人だってみんなに知ってもらいたかったから……そのために物語は面白くなきゃダメだったんだよ、もしこの本がかたーい本だったら、ボクはきっとクルルのことを大昔の英雄だって思ったままで、きっとこの"生きている"感じを知れなかったと思うんだ」


「んー!!」


「どうしたのお師匠様?ボクまた間違っちゃったかな?」


お師匠様は甲高い奇声を漏らして。


「わっ!」


次の瞬間にはボクの両手はお師匠様に握りしめられていた。


「素晴らしいわ!メリアちゃん、それこそが今、一番主流に考えられている、クルル記の仮説よ!」


「ふえ?」


「もう、補足することもないくらいに完璧な答えね!メリアちゃんの言った通り、クルル記は親しみやすさを追求している、それは当時唯一本が身近だった上流階級ではなく、庶民をターゲットにしていたことの何よりの証左なのよ!かくして、この世に大衆文学が生まれたのだわ……」


そう言ってお師匠様はいつもの癖でボクの両手をぶんぶんと振り回す。


「な、なるほどねー」


……や、やばい、お師匠様が何を言ってるのか全然わからなかった、しょうさ?たいしゅーぶんがく?ってなに!?

ボクにはさっぱりわからないよ……。

……でも一つだけ、確実にわかることがある!


「へっへーん!すごいでしょー!お師匠様が思ってるより、ボクってずうっと頭いいんだからね!」


ここは余計なことは言わないでお師匠様に褒められておくべきなのだ!


「そうね、特に今日は冴えてたわ……毎日、私が五時間以上欠かさず頭を撫でているからかしら」


「えへへー……えっ五時間?」


「ん?どうかしたのメリアちゃん?」


「今、五時間って――」


「五時間って何のことかしら?」


「ひっ……」


そう言ったお師匠様の目はいつもよりほそーくて、それ以上何も言えなかった。

今思うとあの目は蛇に似ていた。

それも、砂漠にいたものすごくでっかい人食い蛇の目だった。

知らないでいることを恥じなさいとお師匠様は言ったけど。

知らない方が良いこともあると、ボクはその日学んだ。



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