悩んだ末のお勉強
「メリアちゃん、お腹いっぱい食べれましたか?」
「うん!お腹いっぱいだよ!」
「忘れ物はないですか?」
「ないよー!」
「じゃあ、本日のメインディッシュへと向かいましょう!」
「めいんでぃっしゅ?……あっ」
そこまで聞いてボクはこの街に来た目的を思い出す。
「断崖遺跡、だよね?」
「いえす!あいでゅー!」
びしっとボクのおでこに人差し指を突き立てるお師匠様。
ああ、またお師匠様のテンションがおかしくなってる。
なんとか、断崖遺跡につくまでには落ち着かせないとって。
そう思って、天秤にかけて、悩んだけど結局ボクは勉強を選んだ。
勉強って意外と面白いときもあるからね、ほんとにたまーにだけどね。
「そ、そういえばさー、お師匠様」
「メリアちゃん、そんなに慌てなくても歴史は逃げないわ、逃げないからこそ歴史なの」
「そうじゃなくて、ほら、英雄クルルについてもっと教えてほしいなって」
結局、クルルの話を聞く前にご飯屋さんに着いちゃったもんね。
「言われてみれば確かにまだ全部話してなかったか……じゃあ断崖遺跡までの道すがらクルルの話をしましょう」
「やった!」
その返事にお師匠様はるんるんと動かしている手足を止めて、そして。
「私もメリアちゃんが興味を持ってくれて――やった!」
そう言って振り返るお師匠様にボクは思わず笑う。だってボクの真似をするお師匠様がとんでもなくぎこちなくて、無理してるなーって感じだったから。
海原に背を向け、なだらかな坂を歩く。
この潮風も、地面の石畳も、空を回るいろんな飾りも、もちろんこの日差しだって何も変わらないのにただ行きかう人だけは少なくって。
やっぱり遺跡人気ないんだって、そういう場所なんだなって思う。
正直、お師匠様と一緒に海で遊びたいけど、
でもそれを伝えちゃうときっとお師匠様はボクと一緒に海で遊んでくれるから口には出さないけどね。
「さて、どこまで話したかしら……」
「クルルが魔族から世界を救う英雄の一人だったってところまでは聞いたよ!」
「じゃあ、次はいよいよクルルと携帯食料の話をしましょう」
そう言うとお師匠様はふうと息を整え、声音を変え、そして様相を変える。
それはまるで酒場の片隅をはるか昔へと誘う吟遊詩人のようで、お師匠様は記憶の引き出しにしまったその雄大な歴史を身に纏っていた。
「クルルはその冒険の内容をクルシア・ガードナーと言う人物によって徹底的に調べ上げられていることから数少ない詳細な記録が残っている英雄の内の一人なの、そしてクルシア・ガードナーが研究成果として出版した本っていうのがかの有名なクルル記なのよ」
やっと登場したわねとお師匠様が嬉しそうに零す。
「クルシア・ガードナー……」
「あら、その様子じゃ聞いたことない?」
「ウウン、聞いたことあるヨ!」
「メリアちゃん、カタコトになってるわ……」
「そんなこと、ないヨ?」
「上目づかいで見ても駄目よ?メリアちゃん」
お師匠様はそこで言葉を区切って。
「知っているふりをすることは、知るチャンスを逃すことになるからね」
いつにもまして真剣な口調でボクを諭す。
ボクの心に意味を刻むようなこの穏やかな声音にボクはいつもハッとするんだ。
「……はい、ごめんなさいお師匠様、ボク、あんな小さな子供たちでも知っているような本のことを知らなかったのがちょっと、恥ずかしくて……」
「大丈夫よ、メリアちゃん」
力強くお師匠様はそう言うとボクの目の前にかがみんで目線を合わせて。
そして気づくとボクの頬っぺたはお師匠様の暖かい手のひらで包み込まれていた。
「知らないことは決して恥ずかしいことではないわ、むしろ知らないことを恥ずかしいって思えるのは、とっても大事で素晴らしいことなの、だってそれは自分が無知だって気づいているからこそ恥ずかしいって感情が芽生えるわけだからね、その恥ずかしいって気持ちはそれを知らないってことに気づかせてくれる単なる知らせでしかないの、だからね、その恥ずかしいをうまく飼いならすためにも、知らないでいることを恥じなさい、メリアちゃん」
「知らないでいることを恥じる……」
呟くボクをお師匠様はじっと見つめる。
しばらくボクはその優しくも鋭い視線に射られながら、その言葉の意味を咀嚼していた。
「……うん、わかったよお師匠様、ボク、クルル記を読んでみることにする、字がいっぱいなのは苦手だけど――頑張る!」
「偉いわメリアちゃん!」
ぱっと花開いたお師匠様の笑顔と共に頬っぺたをむにむにと引き伸ばされる。
でもだんだんとその笑顔がどこか、にやーっとしたべちょべちょの笑顔に変わってきて。
「でもね、私はクルル記が難しい本だなんて一言も言っていないわよ?」
「え?」
ボクの声を聞いてお師匠様はくすりと笑みをこぼすと、歩きながら説明しましょうかと頬から指を離した。
「英雄は当時あまり民衆に――ここで言う民衆とは英雄のような圧倒的な武力や階級による特権的な力を持たない一般人のことを指しているのだけれど、英雄はそんな民衆にはほとんど接触をしなかったと言われているわ、だから民衆から見て、英雄は言葉通り魔族から自分たちを救ってくれる英雄だったわけだけど、同時に素性の見えない者たちの振るうその強大な力は民衆たちから見て畏怖の対象にもなっていたの」
「……英雄って一人で何千って魔族を倒しちゃうぐらい強かったんだよね、それは、ちょっと怖いかも」
「確かに、英雄についてそう言う一騎当千の逸話はよく伝えられているけれど、実際、英雄は多人数を相手にすることを好まなかったようね、英雄のかかわる多くの争いにおいても、英雄の取った戦略は現代の対魔族戦略とは程遠い、英雄同士で組んだ少人数パーティーでの一点突破で主を最優先で狙うという戦略をとることがほとんどだったみたい、そう言った傾向もあってか世界中に、英雄は残った多くの敗残兵には目もくれずに去っていってしまったなんて記録が残されていたりするのよ?」
「へぇー、そうだったんだ、ボクちょっと英雄のこと勘違いしてたのかな、もっと英雄はかっこよくて、みんなを救うヒーローで、優しい人だと思ってたよ」
「――そう、それよ!メリアちゃん」
「ふへ?」
びしっとお師匠様の人差し指がボクに向けられる。
「英雄は確かに過去、民衆から畏怖の対象だった、それがどうして現代において英雄は英雄として敬愛されるようになったのか、それはクルル記の功績がとっても大きいの!」
「……えっと、詳しく説明してほしいな、お師匠様」
お安い御用よ!とお師匠様は放つように言う。
「ああ、なんて偶然なの!クルル記のその功績は、クルル記第14章、"クルルと携帯食料"の内容とも深くかかわっているの!さっきの子供たちも、メリアちゃんが英雄のイメージについて気づいてくれたことも!きっとこれは神がメリアちゃんにこの歴史を解説しなさいと私に神託を授けているのだわ――メリアちゃん!これを理解するためには事前知識が必須だから、まずは”クルルと携帯食料”の逸話について説明するわね!」
「わ、わーい、ヤッター」
今度はボクの声音に気づくことなくお師匠様はあふれる激情からか腕をぶんぶんと振り回す。そしてピタッと腕が目の前に伸ばされたままに静止して。
「あ」
気付けばお師匠様の手に一冊の本が握られていた。擦り切れた皮の背表紙にはかろうじてその名が読み取れる。
「では、ご清聴ください、クルル記第14章、このお話は英雄クルルがヴェノドミナ王国を訪れたところから始まります……」




