スチームホルン
マスターが案内した場所、そこはコーヒーショップの裏手にある小さな広場だった。
四方を家々に囲まれ、忘れ去られたようなその場所を太陽だけが照らしている。
「ここは、スチームホルンがまだ小さな村だった頃から残っている数少ない場所でね」
そう言うとマスターはその広場の中央にある、小さな石造りの噴水に手を触れる。
すると。
「わっ」
思わず声が漏れる。マスターの手から流し込まれた奔流はその噴水の中を巡って、勢いよく噴き出した。
幾重にも重なる水柱は複雑に絡み合い、一つのシルエットを形作る。
「これがネレイアの姿だ」
揺れる水の中、確かに、女性の姿が不確かにゆらゆらと揺れている。
それは、作り手の優しい思いがぎゅうぎゅうに詰まった形で。
「ネレイアは最古の戦争が終結したのち、ここに戦禍に追われたひとびとを集めて村を作った、それが、スチームホルンの原型なんだ」
「とっても綺麗だね」
ボクは素直にそう答える。
「そうだろう、彼女は村の人々に感謝され、愛されていた、それは確かなんだ」
そう言って、マスターは奔流の流入を止める。
「あっ」
「メリア、こっちへ」
「うん」
そう言ってボクはマスターの手招きに添う。
「ここに手を当てて、水を流すんだ」
「え、良いの?」
ボクはマスターの顔を見上げる。
「ああ、ぜひ、彼女を、私だけだと寂しいだろうから」
そう言って、マスターはにっこりとほほ笑む。
「わかったよ!」
ボクは元気に声を上げて、奔流を流し込んだ。
その時だった。
何かがボクの中に入ってくる。
手のひらを伝って、それは止める間もなく、奔流を遡り、ボクの意識に触れた。
白く、目の前がぼやけて。
ボクではない誰かの声が聞こえた。
わしが英雄になって数年後のこと、魔王はわしでもあの男でもない別の者の手によって打倒された。
あっさりと打倒されたのだ。
ここ数年、ただ魔王を倒すということだけを夢見て奔走してきた。
幾多の魔物を氷の三叉で貫き、敵地の潜入のために尻尾をも切り落として人を身にやつしもした。
それなのに、わしは魔王と対峙することもなく、戦争はおわった。
ぽっかりと穴が開いたような気持ちになった。
いや、穴は元々開いていたのだ、それを奔走することで隠していただけで。
それからわしはただ空を見て過ごした。
何日も、雨に打たれ、陽光に照られ、ただ空を見た。
そんな時だった。
『俺は街を作ろうと思う』
傍らの男がそう言った。
『そうか』
『お前も来ないか』
『そうするとするかの』
『え?』
空を見上げたまま返したその返事に男はひどく驚いた。
『何じゃ、その反応は』
『いや、お前は断ると思ってた』
『断っても、おぬしはわしの意思に関係なく巻き込んだじゃろう』
あの日のように、とそう言うと男は笑った。
『どんな街を作るのじゃ』
『ここ数年は氷ばっかりだったからな、暖かい街が良いな』
『だとすると、これか』
そう言いながら、わしは手のひらから蒸気を噴出させる。
『うわっ!お前そんなこともできたのか』
『わしをなんだと思っておる、竜宮の王じゃぞ、水の変質ぐらい他愛ないわ』
『それ、マジで使えるかも』
男はそう言って、考え込んだ。
それからは魔王討伐以上に奔走した。
森を切り開き、家を作った。
そして戦乱の中、行き場をなくした人々をそこに招き、街をつくる。
街と言うのは、大変だ。
食と居さえあれば良いという物ではない。
もっと、人間的な営みのために職や経済なんかも構築せねばならなかった。
『お前のその蒸気魔法を街の人に教えることはできないのか』
そんな中、男はそう言った。
そのころ、男は街を活気づける動力に蒸気を使うことを考え、街に様々なパイプを走らせていた。
『わしが、蒸気を出していれば街はまわる、それでよいじゃろう』
『それじゃダメだ』
『なんでじゃ』
『街ってのは、俺たちがいなくても続いていくような物にしなきゃ意味がない』
『それは……なんでじゃ?』
『そう言うもんだからだ』
男はついぞ、その理由を語ることはなかったが、わしはそれから、民に魔法をおしえることにした。
それはわしが街を回していくよりもずっとずっと大変な作業だった。
『かーっ!なんて人間は馬鹿なのじゃ!』
『おいおい、そんなこと言うなよ』
『だって、わし頑張ってるのに、全然魔法覚えんもん!』
『ってことは根本的にお前の教え方がわるいん――』
『なんかいったか?』
『いえ、なんでもございません』
時にはそんな言い合いもし、途方もない時間をかけて、わしは民に魔法を授ける秘術を思いついた。
それは、親より子、子より孫と言うように代々少しずつ、魔法の適性を上げていくというものだった。
『完成したのじゃ!』
『そうか』
『ちと時間はかかるがの、これで、この街も安泰じゃ!』
『ああ、良かった』
と男は身じろぎもできずにそう言った。
『……体の具合はどうなんじゃ』
男は数年前から、ベッドに寝たきりになっていた。
英雄は歳を取らない。
いつまでも変わりない姿で、長命なわしと共にこの街を見守ってきた。
だが、不老であるからといって、不死なわけではなかった。
『言っただろう、英雄とて不死ではない、俺の寿命は200年だと』
『なぜ、200年しか生きられんのじゃ』
『そう言うもんだ』
『子供たちはどうする』
『悪いが、お前が育ててくれ』
『わかった』
男はそう言って、その数か月後に息を引き取った。
身体は暖かく、鼓動すら聞こえるのに、ただその深い眠りから覚めることは二度となかった。
わしはわしの子供たちを育てながらに街を見守った。
その頃にはもう、街はわしたちの手を離れても、十分に機能するようになった。
わしは少しずつ、歴史の中に消えるように、隠居していった。
それでも街は、発展していった。
もう、この街にはわしたちが手を掛けたものはほとんど存在しない。
ただ、一つだけ、あの男の言っていた。
『蒸気の音がどこからも聞こえてくるようなそんな大都市になってほしいという願いを込めて』
そんな、スチームホルンのその名だけが残ったのじゃ。
ああ、こんなにも大きくなりおったか。
わしらの街を見せてくれてありがとう。
若き海の民よ。
あ奴もきっと喜んでおる――。
気付けば、涙がこぼれていた。
ぽろぽろと頬を伝う。
「メリアちゃん」
お師匠様の声ではっと現実に引き戻される。
そして、ボクの目に映ったのは。
「なんと……」
白く輝く彫像。
幾重にも流れ出した奔流はその流動を止めて、真っ白に凍り付く。
水柱はもう、不確かではない。
ゆらゆらと揺れることもなく。
そこには微笑みを湛え、しっかりとスチームホルンを見守るネレイアの姿があった。
「……もはや、この世に氷操術は存在しないと思っていたが」
ボクはただ、その氷像を見つめながら。
「ネレイアはすっごく悲しいこともあったけど、でも幸せだったよ」
そう、みんなに夢の話をするのだった。




