お名前は?
「もう!絶対来ないでねって言ったじゃん!」
ボクはすっかり、マフラーもサングラスもはぎ取って元の恰好にもどったお師匠様を叩く。
「だって、どうしても、メリアちゃんのコーヒーが飲みたかったから……」
ずびずびといまだ涙の後が残るお師匠様はしょんぼりとそう零す。
「えっと、つまり、この方がメリアの保護者ってことなんだな?」
「違うよ、保護者じゃなくて、お師匠様だよ」
「お師匠様ね……」
意味ありげにルーランはそう復唱する。
「申し遅れました、私はここで長年、コーヒーショップを営んでおります、ロドリゴと言います、そして――」
「俺はルーランと言います」
とそうルーランが追撃する。
「……失礼ですが、お名前は?」
その予期できた質問にびくっとボクの体が跳ねる。
ま、まずい。
「……ボブです」
眼を擦りながら、お師匠様はたっぷりの間の後にいつものようにそう答えた。
「「「……」」」
沈黙。
ルーランとマスターは絶対その名前について言いたいことがあるはずなのに、大人だから我慢してくれてる!
「あ、そうだ、メリアちゃんが本当にいつもお世話になってます、あのこれ、良かったら食べてください」
とお師匠様は沈黙を蹴破るといつの間にか手にもっていた四角い缶をカウンターに乗せる。
「こ、これは!?」
それに真っ先に声を上げたのはマスターだった。
「うわ、すごい高級そうなクッキー缶じゃねえか」
それに追従してルーランも声を上げる。
「グラニオス帝国のビスコッティ缶!?」
「「グラニオス帝国?」」
ボクとルーランはそう復唱するとマスターは少し興奮気味に答える。
「世界で一番コーヒーに会うとされているお菓子だよ、まさか、スチームホルンでお目にかかれるとは……」
マスターはそのふたに手を伸ばそうとして、お師匠様を顧みる。
「……よろしいですかな?」
「ええ、ぜひ召し上がってください」
ありがとうございますと、マスターはそのふたを開ける。
「うわぁ!」
するとそこには黄金色に輝く、焼き菓子が所狭しと詰められていた。
「メリア、すまないが、人数分の小皿をあっちの四人席に用意してくれないか?」
「はーい!」
ボクの返事を聞き終えるとマスターはカップとドリッパーを用意して、コーヒーを人数分作っていく。
マスターの手さばきは惚れ惚れする無駄のなさで、ボクが二人をテーブル席に案内している間に、もうコーヒーが出来上がっていた。
ボクと、お師匠様は横並びに座って正面に座ったルーランを見つめる。
そこに、玄関のopenの札を裏返したマスターがコーヒーをもってやってくる。
「お店閉めちゃうの?」
「ああ、これからの時間帯はそもそも来る人が少ないし、少しぐらいは大丈夫だろう」
そう言っていたずらっぽく笑うマスターが席について。
「じゃあ、いただきまーす!」
「「「いただきます」」」
ボクは言うが早いか、ビスコッティに手を伸ばして、ほおばる。
「んー!」
がりっと小麦とナッツの素朴な甘さが口いっぱいに広がる。
「メリアちゃん、ビスコッティはコーヒーに浸して食べるともっと美味しいわよ?」
「そうなんだぁ」
ボクは言われた通りに、コーヒーに浸してみる。
「おいひいよ、あまにがいよ」
固く焼かれた小麦はコーヒーに解けて、ほろ苦さと素朴な甘みが絶妙にマッチしている。
じゃぶじゃぶとボクがコーヒーにビスコッティを浸しているとマスターが口を開いた。
「メリアはとてもよく働いてくれていますよ、そして何より、愛想がよくて裏表がない子ですから、お客様みんなから愛されています」
「えへへ」
思わず声が漏れる。
「それは良かったです、私も、ロドリゴさんのことはメリアちゃんからよく聞いていました、とっても優しくていろいろ教えてくれてるって……あの、メリアちゃんに水操術を教えていただいているんですよね?」
「ええ、そうです……失礼ですが――」
「はい、ご察しの通り、私は有声魔術師ですので、教えていただけてとても助かっています」
「そうでしたか」
ずずっとコーヒーの飲む音が流れる。
「あの、メリアと旅をしているっていうのは本当ですか?」
ルーランがその隙を突いてお師匠様に話しかける。
「はい、普段はいろいろな国や街に数日滞在するような旅をしているんです」
「数日ですか……だと、スチームホルンには何か理由が?」
「そうですね、私たちのような旅人は各地に存在する冒険者ギルドにあやかって旅をしていますから、ギルドからのお仕事には逆らえないんです」
「お師匠様は、今、この街を作った英雄ネレイアが失声魔術を使えたのかどうか調べるお仕事をしてるんだ!」
「なるほど」
ルーランはそう答える。
そして。
「ネレイア、か……まったく運命ってものはあるものだな」
独り言つように、マスターはそうつぶやいた。
「マスター?」
「ネレイアは私の祖母だ」
さらりと放たれたその言葉に、まるで時がとまったかのような静寂を。
「ええええええええ!?!?!?!?」
ボクの声が突き破った。




