白昼堂々たる犯行
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい!」
ボクはいつものようにお家に声を残して、そして、違和感を覚える。
「あれ?お師匠様、今日は遅いね?」
家の中の人影。
ボクはいつもならとうの昔に家を出ているはずのお師匠様に声をかける。
ボクがマスターのお店で働き始めてから、もうだいぶ経つけど、こんなことは初めてだった。
「ええ、今日はお昼から冒険者ギルドの方に行けばいいらしいの」
ダイニングテーブルに座ったお師匠様は紅茶のカップを傾けながら、そう話す。
「へえーそうなんだ……っていけない、ボク遅れちゃうから、もう行くね!」
「気を付けていくのよ?」
「はーい!」
メリアちゃんはそんな元気な掛け声をのこして、扉の先へと消える。
そして、ぱたりと扉がひとりでにしまった。
「……」
それからたっぷり時間を取って。
かたりとカップがテーブルに置かれた。
「行ったわね……」
私は誰にともなく呟く。
「ふっふっふ」
ひとりでに漏れるは笑み、それはこの先の出来事を予感してのことだった。
「だって、メリアちゃんが悪いのよ、お店に行くのはどうしてもだめって言うから……」
ちゃきっと、私は用意しておいたサングラスの柄を掴む。
「なら、ばれずに行くしかないわよね?」
その犯行予告は家に静かに響いて、そして消えた。
「ぴぎっ!」
昨夜、こっそりメリアちゃんにくっつけておいた精霊は仕事を果たすと塵となって消える。
「ふうん、すっごく良いお店じゃない、聞いていた通りだわ」
このスチームホルンにおいて、木目が基調とされた外観に私は店主の底知れないこだわりを感じた。
「サングラス良しっ」
視界は薄暗く染まり。
「マフラー良しっ」
もこもこの触感は口元を完璧に覆う。
「いつもの白い帽子も今日は黒のキャスケットにしてきたし、これでバッチリ」
カンペキな変装に、一人でにぎゅっと拳を握ってしまうその仕草、それに私はメリアちゃんと過ごした長い日々を思い出して。
繰り出された手がドアノブを掴む。
からんと。
ドアベルが私の来訪を店内に告げた。
「いらっしゃいませー!」
元気な声が私の耳を打つ。
声の主は本当に、本当で。
とってもエプロンの似合っているメリアちゃんだった。
「どこでもお好きな席にお座りください!」
「は、はいっ」
私はカウンター席におずおずと座る。
店内には、私の他に一組の御婦人がいて、窓際のテーブル席に座っていた。
カウンター席の先にはドリッパーにお湯を注ぐマスターがいて、メリアちゃんはバタバタとカウンターをくぐるとすぐにトレーにカップを二つ乗せ、再び、カウンターを跨いだ。
「お待たせしました!」
そう言ってメリアちゃんはカップをテーブル席の二人の前に置く。
横顔からも、うかがい知れるそのとびきりの笑顔に見とれた瞬間――。
メリアちゃんは私に向き直るとずんずんとこちらに歩み寄って。
「ご注文はいかがしましょうか!」
そう元気に私に話しかけた。
「あっえっと……」
突然のメリアちゃんに思わず、口ごもる。
どうやら、ばれてはいないみたいだけど……。
「……初めてのお客様ですよね」
「え、ええ」
「でしたら、まずは当店自慢のコーヒーなどいかがでしょうかっ!」
「……じゃあ、コーヒーを一杯お願いします」
「かしこまりました!マスター、コーヒー一杯です!」
「はいよ」
そう返事をして、マスターは慣れた手つきでコーヒー豆を移す。
私はそれをぼーっと見つめて――。
ってダメじゃん!
ガタッと私はカウンターに付いた手を崩す。
私はメリアちゃんのコーヒーが飲みたいのに!
こころの中でそう叫んで、コーヒーカップをざぶざぶと洗い出したメリアちゃんを歯がゆく見つめる。
でも、よくよく考えたら、普通は長年経験を積んだマスターがコーヒーを入れるわ。
バイトのメリアちゃんがコーヒーを入れるなんてしないわ……。
でもでもメリアちゃん、コーヒーの淹れ方を教わってるって言ってたし……。
「お待たせしました」
ぐるぐるとそんなことを考えていると、いつの間にか敷かれていたコースターにことりとカップが置かれる。
「あ、ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
マスターは落ち着いた声音でそう言うとカウンター席に背を向ける。
目の前には白く香るブラックコーヒー。
私は至極当然の振る舞いとして、とりあえずコーヒーを口に運ぶ。
一口含んだ瞬間、香ばしい苦みとほのかな酸味が舌の縁に触れる。
焙煎の質の高さをうかがわせるような均された苦みは喉に落ちる頃にはその酸味すら角を落とし、代わりにと聖水のように澄んだコクだけが口に残る。
後味は驚くほど軽く、雑味がない。
飲み下したあと、ふっと鼻に抜ける香りが、もう一口を静かに促すようなそんな一杯だった。
「美味しい」
感想は誰に聞かれるともなく、口から漏れ出ていた。
「すみません、お会計を」
「はーい!」
テーブル席の御婦人はゆったりと立ち上がると飛んできたメリアちゃんに促されて、入り口近くのレジへと案内される。
「また、来てくださいね!」
笑顔で見送るメリアちゃん、ゆっくりと閉まっていくドアはベルをからんとも鳴らさずに閉まって――。
その静寂はあらたな来訪者によってかき消された。
強く開け放たれた扉、かららんと振れるドアベルを背に男がずかずかと店内に入り、そしてカウンター席に座った。
私とは一つ椅子を挟んだ隣。
「あ、ルーランだ!」
「久しぶりだな」
二人は同時に客に話しかける。
どうやら、メリアちゃんとも面識のある常連さんみたいだ。
「ああ、ちょっと仕事を増やしてな、メリア、いつものコーヒー頼めるか?」
「お安い御用だよ!」
そう言ってメリアちゃんはカウンターに背を向けて挽かれたコーヒー豆を手に取る。
「仕事を増やしたって、今は何をしてるんだ」
「ああ、人の他に物も運ぶようにしたんだよ、これが大成功でさ、最近は引っ越しとか飯ばっかり運んでるぜ」
「へえー、そんなんだぁ」
背を向けたまま、メリアちゃんが相槌を打つ。
そしてくるりと振り返ると客の前にコーヒーを置く。
それは紛れもなく、私が飲むはずだった、メリアちゃん、手作りコーヒーだった。
「ふう、やっぱ、メリアの入れたコーヒーは落ち着くなあ」
そう言って、惜しげもなく、ぐびぐびとコーヒーを飲む男。
気付けば、私はそれをじぃっと見ていたようで。
「あの、お姉さん、俺なんかしました……?」
怯えるように男が話しかけてきた。
「いえ!何も……」
「そ、そうですか」
会話はそこで跡切れ、静寂。
居心地の悪いそれは徐々にこの店の雰囲気に流されて、居心地の良さへと置換されて行く前に。
私は意を決して話しかけた。
「常連さんなんですか?」
「え?」
「あ、ごめんなさい、いきなり話しかけちゃって」
「ああ、うん、大丈夫、そうだね、この店には随分長く通わせてもらってる」
「そうなんですね……あの、メリアさんと言うんですか、あの店員さんは」
「そうだよ、あ、こんな渋い店にもったいないくらいの美人だよね」
「ええ、とっても可愛いです……」
私はお皿を拭きふきとしているメリアちゃんを横目で見ながらそう本音を零す。
「はっはーん、さてはお姉さん、メリア目当てのお客さん?」
「……!」
ずばり内心を見抜かれぐうの音も出ない。
「いいよ、いいよ、すっげえ美人だもんなあ」
そう言うと男はカウンター席を一つこちら側へよると、顔を寄せ小声で話し始めた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ、メリア、すげえ優しいし、元気だから」
「いえ、私は見ているだけで十分ですので」
「そんなこと言わずにさ」
そう言うと男はにやりと笑うと、顔を上げた。
「メリア!ちょっと来てくれ!」
「なになに?どうしたの!」
「……!!」
男の問いかけにメリアちゃんはすっ飛んでくる。
「このお客さんが、メリアに聞きたいことがあるんだとさ」
「聞きたいこと?」
そう言うとメリアちゃんは私に向き直る。
や、やばい!
「何でもボク答えますよ!NGなしです!」
ふんすと胸を張るメリアちゃん。
どうやら、まだばれてはないみたいだけど……。
「お客様?」
不思議そうに俯きがちな私にメリアちゃんは追撃する。
もう、やるしかないわ!
私はぎゅっと手を握って、話しかける。
「あの、あなたはコーヒーを入れないのですか?」
その問いかけにメリアちゃんは一瞬目を丸くして、答える。
「ボク、まだコーヒーの修行中で、マスターより美味しく淹れられないから、ルーランみたいな事情の知ってる常連さんにしかコーヒー淹れてないんだぁ」
えへへと眉尻を下げ、そう笑うメリアちゃん。
その笑顔にぷつんと何かが切れる音がした。
「……私、あなたのコーヒーが飲みたい」
「え?」
「お願いできないかしら?」
「えっと……」
そう言いながら、メリアちゃんは背後、マスターの方に振り返る。
「お客さんの要望だ、メリア、コーヒーを」
「は、はい!しょーしょーお待ち下さい!」
ばたばたとメリアちゃんは調理台に駆け寄る。
ぎこちなくはある。でも確かな経験に基づいて、迷うことなく、メリアちゃんはコーヒーを形作っていった。
そして、ドリップポットを手に取ったその時。
「メリア、水操術でお湯を作るんだ」
「え?」
マスターの声にメリアちゃんは動きを止める。
「大丈夫だよ、いつもの練習を思い出して」
「……うん、わかったよ」
そう言って、メリアちゃんは目を閉じた。
右手を前に、ドリッパーの上へと置いて。
時が止まったように、三人は彼女を見守る。
すると、じょろじょろと細い水流がメリアちゃんの手から流れ出した。
ほかほかと白く煙るその水はゆっくりとコーヒー豆を湿らせていく。
止めたり、出したりを何回も何回も繰り返して。
その果てに、メリアちゃんはドリッパーをゆっくりと取り外した。
「お待たせしましたっ!」
ことりと私の目の前にコーヒーカップが差し出される。
私は、それを口へと運ぶ。
たっぷりと口いっぱいに含んで、喉の奥へと流し込んだ。
それはどこか甘くて、苦くて、ほんのり酸味の効いたコーヒーだった。
「とっても美味しい……ありがとう」
感想がそのままに漏れる。
それにいつの間にか緊張していた店内がふわりと弛緩する。
「よ、よかったぁ……!」
へなへなとカウンター席に寄りかかるメリアちゃん。
やったな!と興奮したように声を上げる常連さんに、優しく微笑むマスター。
そしてちょっぴり涙ぐむメリアちゃんに私は。
「本当に良かったわね、メリアちゃん」
ぼろぼろととめどない涙と心根があふれていた。




