ため息の理由
それから一か月が経った。
すっかり日常と化した、スチームホルンにおける第二の居場所。
お店の前でボクはここ最近の日課となった蒸気魔法に励んでいた。
「ぐぬぬぬ!」
マスター曰く、この街の住人たちが扱う蒸気魔法とマスターやボクのような水操術によって蒸気を作り出す方法は全然原理が違うらしい。
まあそれはいいとして、とりあえずボクはマスターに教えられた通り、体の中の奔流を強くこすり合わせるんだけど……。
「あっ」
ぷしゅっと勢い余って手のひらから漏れ出たお湯は石畳を濡らす。
「次だよ、次!」
ぱんぱんと頬を叩きボクは自分で自分を鼓舞して、再び奔流を擦る。
修行の成果か、最近はお風呂くらいのお湯だったら失敗せずに作れるようになった。
でも、蒸気のような一瞬で蒸発してしまうほどの高温にするには奔流をもっと早く擦り合わせるしかない。
でもでも、そうするとどうしても、勢い余って手から奔流があふれてしまうのだ。
でもでもでもでも、ボクは諦めないよ。
絶対にこの蒸気をボクの物にして――。
そう思った瞬間だった。
道の先、ボクは見知った顔がふらふらとコーヒーを求めてこちらに歩いてくるのを見つけて。
ボクは修行をきりあげ、彼の下に駆け寄るのだった。
「ねね、なんで今日はため息ばっかりついてるの?ルーラン」
いつもとは打って変わって元気が全くないルーランに駆け寄って、引っ張るようにしてカウンター席に座らせても彼のため息はとどまることはなかった。
かたりとコーヒーを目の前に置かれたことにも気づかず。
彼が零すのは息の根。
「メリア、そいつのため息にはろくなことがないぞ」
そう言ってマスターは遠くを見る。
「……そんなこと言わずに、何があったんだって聞いてくれよ」
「わ、聞こえてたんだ」
そう言いながら、ルーランはばっとカウンターに突っ伏していた顔を正面に向ける。
「お前の悩みなんて、聞かなくても想像がつく」
お皿をふきふきとマスターは顔を向けずにそう答えた。
「今回のは、いつものと違うんだって」
そう言うとルーランは顔を真っ青にして。
「俺の、俺の大事なものが……どこの馬の骨とも知れない野郎に盗まれるかもしれないんだ!」
「大事な物?」
ボクがそう聞き返すのと。
「ほう……」
そう言ってマスターがこちらを振り向くのは同時だった。
「盗まれちゃう!?」
ボクはあわあわと大声で復唱する。
「メリア、落ち着くんだ、ルーランの言い方だと、まだ盗まれてはいないんだろう?」
「あ、そっか、盗まれるかもしれないんだよね」
そう言って、ボクは胸に手を当てる。
「それで、大事な物って言うぐらいだから、なんだ?あの三輪車でも盗まれるのか?」
マスターのその言葉にルーランはカウンター席に両肘を立てて手を組んだ。
「三輪車なんかよりももっと大事なものだよ……」
そう言って遠くを見る。
「あの三輪車よりも大事な物って、いったい何が盗まれちゃうの!」
「詳しく教えてくれ、ことによっては力になれるかもしれん」
心配そうな声音で問うマスターに既に諦観めいた表情のルーラン。
そして、ぽつりと語りだした。
「実はな……娘に彼氏ができたんだ」
きらりと一粒の涙がその顔に流れる。
「は?」
「かれし?」
ボクは何も呑み込めぬままただそれを復唱した。
「……それが、盗まれる話とどう関係してくるの?」
「何を言うか!俺の大事な娘が男に盗られちまうんだ!」
ばっとルーランは立ち上がり、吠える。
「……ルーラン、お前の娘、確か、高等学院生だったよな」
「ああ、そうだが、それがどうした?」
マスターはふうと大きなため息を零す。
「その歳じゃ、男の一人や二人できても不思議じゃないだろう」
「「一人や二人!?」」
ボクたちは同時に声を上げる。
「だめだよ、二人も居たら!す、好きな人は一人だけだよ!」
「そうだぞ!ロドリゴ!俺は一人でも許さん!」
むうと詰め寄られたマスターはボクの方に向き直ると。
「確かに、二人は失言だった」
そう、頭を下げた。
「おい、俺には一言ないのか?」
「子離れのできていないお前に言うことはない」
「なんだと!」
二人はバチバチに向かい合う。
「わ、喧嘩はだめだよ!」
ボクは慌てて二人の間にばたばたと両手を挟みこんだ。
「そ、そんなことよりもさ、ルーランはどうして、娘さんに彼氏ができたってわかったの?」
「そう言えば、そうだな」
「ああ、それか……今朝のことだ、家内と娘が話しているのを聞いちまってな」
そこで、ルーランは再び、カウンター席に両肘を立てて。
「……どうやら、今日の放課後に、デートがあるらしいんだ」
「はつでーと!いいね!」
「まったくもって良くないぜ……」
そう言ってルーランは机に突っ伏す。
「素直に祝福してやればいいじゃないか」
「そんなことできない、もし、その彼氏が最悪な野郎だったらどうするんだ」
そう言って、うわあと髪を掻きむしるルーラン。
「つまり、ルーランは娘さんのことが心配なんだね」
「その通りだ」
心配、その気持ちは痛いぐらいわかるなあ、ボクも冒険家ギルドでお仕事してるお師匠様のこと心配だし。今回はドラゴンじゃないといいけど。
とそこでボクは閃く。
「じゃあさ!」
ボクはたった今頭に浮かんだそれをただ口に出した。
「こっそり見に行っちゃおうよ!」
そんなボクの言葉にマスターは頭を抱えるのだった。




