マスターだけにね
「メリア、今日はもう上がって良いよ、お疲れ様」
ガラス越しに店内に差す赤い夕日、それを見て、マスターはそう言った。
あのボクのコーヒー初体験の後、すぐにルーランはやべっと時計を見て叫ぶと慌ただしく店を後にした。
そのあとは数時間おきに一見のお客さんが二人やってきたくらいで、ボクはずっと食器をごしごしふきふきして過ごして今に至る。
「あれ、もうお店閉めちゃうの?」
「いや、店はもう少し続けるが……」
「じゃあ、ボクも最後まで働くよ!」
ボクは元気よく、両手を振り上げる。
「気持ちはうれしいが、メリア、君は今日初めての連続で自分が思っている以上につかれているはずだ」
「えー、そうかな?」
「ああ、そうだとも……だがそれを自覚するのは布団に入った時だがね、こと疲れに関して、年寄りには一過言あるんだ」
そう言ってマスターは優しく笑う。
「じゃあ……」
とそうボクは前置きをして。
「今日はお世話になりました!」
大きな声と共にボクはマスターに大きく頭を下げる。
「はい、お疲れ様、そのエプロンは洗濯をして、また明日持ってきてくれるかい?」
「うん、わかったよ、って、あっ」
「どうしたんだい、メリア」
マスターは不思議そうにボクを見つめる。
「いや、何でもないよ、ただ、帰り道が憂鬱なだけで……」
「帰り道がどうして、憂鬱なんだい?」
「ボクの家なんだけど、ちょっと遠いんだよね」
「そうなのか……ちなみに家はどのあたりに?」
「えっとね」
ボクは店内をきょろきょろと見回す。
そして、店内の壁に張られたこの街、スチームホルンの古地図に駆け寄るとその外周を指で示した。
「ここなんだよね……」
「……メリア、それはちょっとじゃなくて、すごくだ……その位置だと毎日通うとなるとつらいな」
「そ、そんなことないよ、ボク通えます!」
なんだか解雇の危機を感じて、ボクは店長の裾に縋りつく。
その姿を見て、店長は何かを考える素振りをすると。
「私に、名案がある」
そう言ってマスターはにやりと笑った。
「なんだよ、マスターこんな時間に?」
数分後、マスターに連れられ、店の外で待っていると、ルーランが三輪車で現れる。
「お、なんだ、メリアもまだいたのかい」
「うん、ボクいるよ!」
「来たか、ルーラン」
「ああ、呼ばれたからな、それでなんの用だ?」
「単刀直入に言おう、ルーラン、その三輪車、メリアにやりなさい」
その言葉にボクたち二人は面食らう。
「はあ?何を言うかと思ったら、これは仕事道具だぞ?そんな簡単にやれるもんじゃない」
「そ、そうだよ、ボクもそんな高価な物貰えないよ!」
「メリア、それは間違っているな、これは高価な物じゃない」
そう言ってマスターは三輪車を撫でる。
「ルーラン、お前この前、三輪車を買い替えるから金を貸してくれって言ってただろう」
「ああ、確かに言ったが……ってまさか!」
「そのまさかだ、金を貸してやろう、その条件がメリアに三輪車を渡すことだ」
「うっひょー!本当か!なんだよ、そんなことなら、喜んで!」
そう言いながらルーランはボクの手を引いて無理やり、運転席に乗せる。
「いいの?」
ボクはマスターに向かってそう尋ねる。
「ああ、こんなおんぼろでよければだけどね」
おんぼろで悪かったな、とルーランが愚痴る横でボクは首をぶんぶんと振る。
「そうじゃなくて、お金、だいじょうぶ?」
「それは心配しなくていい、ルーランには金を貸すだけだ、あいつは見ての通りのちゃらんぽらんだが、私から借りた金を返さないほど馬鹿じゃない」
それに、とマスターは付け足して。
「これは就業祝いだから素直に受け取っておくのが筋だよ」
とマスターは笑った。
「うん、本当にありがとうマスター!ボクとっても嬉しいよ!」
ボクは最大限のお礼をマスターに告げる。
「おいおい、俺にはお礼はないのか?」
「メリア、こいつにくれてやる義理はないぞ」
「マスターがそう言うならあげないー」
「マジかよ、俺もそのとびっきりの笑顔を拝みたかったのに」
「どちらかと言えば、お前がメリアにお礼を言う立場だろう、悪いがメリアがいなかったら、お前に金を貸すことはなかったぞ」
「なんだって……め、メリア様、ありがとうございますぅ」
そう言ってルーランはボクに手でゴマをすりながら向き直る。
「うむ、くるしゅうない!」
「では、メリア様、動かし方でございますが……」
そうやって、ボクは動かし方を教わる。幸いにもそれはボクでも難なく動かせるようで。
「動いたよ!」
「おお!メリア様は百年に一度、いや、千年に一度の逸材でございますぅ!」
その光景を見て。
「ふふふ……」
と笑みを漏らすマスターを背景に、ボクはその太鼓持ちに教わりながら、すぐに動かし方をマスターしたのだった。
マスターだけにね。




