イルカのしっぽ
「煌めくうみぃ!!」
目の前のビーチに思わず心根がそのまま口から滑り出る。
でも砂浜を行きかう人々は振り返らない。
それほどまでに皆、砂浜を前に浮かれていた。
「じゃあ、今回こそはお願いだよ、神様!」
ぎゅっと目をつぶり、胸の前で両手を握り合わせてからボクはビーチへと向かって歩く。
砂浜に道はない。人は四方八方どこにでもいて、どこにでも向かう。
だからボクはきょろきょろくるくる体を回しながら踊るようにビーチを歩いて行った。
男の人よりも、女の人の方が少し多いかな、それにみんな水着を着ていて、ちょっとボク浮いてるかも。
でもいいんだ。ボク、服が濡れても水を操ればすぐ乾かせるし、泳ぐときも周りの水をちょいちょいっと動かせば服を着てても関係ないんだよね。
だけどたまには水着を着てみるのもいいかも、お師匠様に言えばものすごい勢いで水着を選んでくれそうだし。
くるくるとあたりを見渡すとき、ふとフリルのついた水着を着ているお姉さんに目を奪われた、その時だった。
「なんだ?このねーちゃん尻尾があるぞ!」
「む?」
声のする方に自然と振り返る。
尻尾、そんなものを持っているのはこの広い砂浜の上で今の所ボク一人だった。
「本当だ、すげえ!」
「なにもの?」
「サメの尻尾だ!」
声の主、それは四人組の子供だった。健康的な小麦色の肌に子供にしては引き締まった体。四人ともに海原に浮かぶ帆と同じ素材でできた手作り感あふれる短パンを履いている。
多分、地元の子だね。やっぱり港街の子供は逞しいなぁ――ってちょっとまった。
「今、サメの尻尾って言った……?」
「うん、サメー!」
子供の一人が満面の笑みでそう答える。
「ボクの……ボクの尻尾は、サメじゃなーい!!!」
「うわっ!!」
満面の笑みをボクに向けたままの子、その子を尻尾で目にも留まらぬ速さで絡めとる。
不意をつかれたその子は逃げる素振りすら見せなかったけど、でもたとえ気づかれていたとしてもこの尻尾からは逃げられないよ、だって自慢のイルカの尻尾だからね!
「あわわ、あわ」
「ティオ!」
「ティ、ティオ!?大丈夫か!?」
「ティオ兄ちゃん!?」
ボクの尻尾にくるまれてあわあわと声を漏らす男の子に尻尾の先を突きつける。
「ほらよく見て!全然サメの尻尾じゃないでしょ?」
「え?」
そう声を漏らして、目の前に差し出された尻尾を凝視する男の子。
その時だった。
「ティオ、今助けるからな!」
勇ましくも、その中に優しさが垣間見える声。
見れば四人の中で少しだけ背の高い男の子、その子がボクに突進して尻尾につかみかかった。
それにつられて残りの子もボクの尻尾を取り囲む。
「ボクの尻尾はすごい尻尾だからね!そんなんじゃびくともしないよ!」
三人がかりでボクの尻尾を引っ張る子供たちに向かって言い放つ。
「っとそんなことよりも……ねえ君、ボクの尻尾、どこが違うかわかった?」
「……うん、おねーちゃんの尾びれは横向きだ、サメみたいに縦向きじゃない」
「そうそう、そうだよ!大正解!」
ボクは尻尾にくるまれたその子をゆっくりと地面に下ろした。
この年で魚の尾びれを覚えてるなんて流石は地元の子だね。
「ティオ!大丈夫か!」
するとすぐにその子に他の三人が駆け寄る。
あまつさえ、四人でドーンと抱き合ったりしちゃって。
それはすごく感動的なんだけど。
……ちょっと、いや、だいぶやりすぎてしまいました。
今になって自分のしでかした事の重大さを悟る。
あの子、大丈夫かな、怖がってないかな。絶対痛くはしないようにって優しくからめとったんだけど、でもいきなりは怖かったかも、まだ小さい子供だし……。
とそこで視線の先のあの子が口を開いた。
「大丈夫だよ、それよりもさ、おねーちゃん、サメじゃないって」
「それは聞いてたけどさ、本当に大丈夫か?痛いところないか?」
「痛いところはないよ」
「ご、ごめんね君たち、ボク、ちょっと頭に血が上っちゃったみたい……」
おずおずと謝罪の言葉を述べる。
「いいよ、僕がおねーちゃんをサメと勘違いしたのが悪いんだし」
「おい馬鹿、ティオ、そんな簡単に許すんじゃない……えへん、俺は許さないぞ!」
「そうだよね、本当にごめんなさい、ボクにできることがあったら何でもするからゆるしてくれないかなあ……」
「なんでも?」
「はい、なんでもしますので……」
「……じゃあ、なんでもいいからなんか物くれ!」
「なんでもいいの?」
「うん、この街で手に入らない物なら何でも!」
「ウォル兄、やめようよ、もとはと言えば僕が悪いのに」
「いいんだよ、黙ってろウィル」
「そんなことでいいなら……うーん何か渡せるような物持ってたかな?」
そうつぶやきながらガサゴソと尻尾の付け根に巻き付けたウエストポーチの中を探る。
「これはお料理に使うただの香辛料だし、こっちは……お裁縫セットだね」
「裁縫セットぉ?もっとさあ、ワクワクするようなのないの?指輪とかネックレスとかさ」
「そんな良いもの持ってるかなあ、他に何か、ん?なんだろう、何か硬い感触が……」
「硬い?まさか宝石とか!?」
「ってナニコレ!なんで鳥の骨がこんなところに入ってるの!?うっくさい、くさいよ……」
「ねーちゃん……」
子供たちからの視線が痛いよ……。
このままじゃダメだ、尻尾の名誉のためにもここですごいものを渡してなんとか挽回しないと!
「だ、大丈夫、このポーチいっぱい収納できるすごいポーチだから!」
そういってポーチをのぞき込む。
そうだよ、最初からこうやってのぞき込んで探せば、鳥の骨なんて取り出さなくてよかったんだよ。
ほら、後はこの中からあの子たちが喜びそうなものを選ぶだけで……。
「……やばい」
唇にぎゅっと力を入れたのに、隙間を作り出して声が漏れる。
ポーチの中、いくつか見えたそこにはもうあの子たちのお眼鏡にかなうどころか、妥協案すら残っていなかった。
それは冒険者の性質である突き詰めた往生際の悪さが勝手に発動して、ポーチの中から砂の上に一旦おかれた香辛料の瓶とお裁縫セットと鳥の骨にすでに視線を移しているくらいに。
「あー、ねーちゃん、もう大丈夫だよ、なんかごめんな、無理言って」
一番背の高い男の子が、居心地の悪そうにそうやって謝ってくれる。
「ま、まって、ほら、いいものがあったよ!これなんかどうかな!?」
そんな気まずい雰囲気に、耐えられずはずもなく。
もう、どうにでもなれっ!
そう心の中で叫びながらボクは手に掴んだ何かをポーチから引っ張り上げる。
次の瞬間の想像に、反射的につぶった目をなかなか開けずにいると。
「ん?なにこれ?粘土?」
そう、男の子の声が聞こえた。
粘土?そんなものポーチの中にあったっけ。
数瞬前の記憶を辿るけどやっぱりそんなものは入っていなかった。
好奇心によってボクの目は開かれる。
そして。
「あ」
思わず声が漏れる。
それは、湿気を吸って少し黒ずんだ、携帯食料の成れの果てだった。
まあ、こんなになっちゃっても問題なく食べれるってことで冒険者に重宝されてるすごいものなんだけど、でもああなっちゃった携帯食料って、もう泥を食べた方がましなくらいに不味いんだよね。
確かに粘土ってのはすごく的を得た表現なのかも……。
「ねーちゃん?」
キラキラと、純粋さを携えた目がボクを貫く。
「そんな目でみないでよ、うう……」
「どんな目だよ、で、これはなんなの?」
瞳によって浄化されたボクは、その疑問に対して往生際の悪さを発動させることなんてできなかった。
「えっと、えっとね、これは携帯食料って言うものなんだけ――」
「「け、携帯食料!?」」
子供たちの声を合わせた復唱がボクの声を遮る。
「携帯食料ってあの英雄クルルが作ったって言うあの携帯食料!?」
「ガードナーの本に出てくる!?」
「英雄クルル?ガードナー?」
「え!ねーちゃん知らないの!?英雄クルルは世界を股にかけた冒険者で――」
「そんなことよりもさ、ねーちゃん、これ食べても良い!?」
英雄クルルの説明を遮って別の子が興奮した口調でボクに頼む。
「食べてもいいけど、でも――」
それ美味しくないよ、そう付け足す前に男の子たちはボクの手からその棒状の携帯食料を奪い取って四つに千切ると我先にと口の中に放り投げる。
「うえっ、こ、これが馬の糞と腐った魚の内臓を混ぜた味!」
「え?そこまでは不味くないと思うけどなぁ」
「お、俺、もう無理!」
「僕も……」
「うっ……」
ボクの疑問に答える余裕も無く、男の子たちは砂浜の上に携帯食料を吐き出していく。
ほとんどちぎったままの姿で砂の上にころがった携帯食料たち。
「あわわ、君たちだいじょ――」
「すごい!本に書いてあった通りの味だ!」
「感動したよ!」
「今まで貰ったものの中で一番だ!」
「ねーちゃん、ありがと!」
「僕、逆にお腹すいてきちゃったよ、お昼食べに戻ろ!」
「そういえば食べてなかったな」
「じゃーねーおねーちゃーん!ありがとー!」
「あ、え?えっと……どういたしまして?」
尻上がりになる返事、それが届いているのか、男の子たちは海に背を向けて走り去る。
「ど、どういうこと?」
その疑問はすぐに砂浜の喧騒に掻き消えた。あの子達の姿は行き交う人々に隠れてもう見えない。
多分、もう会う機会は訪れない。ボクはあの子達を探しはしないし、あの子たちもそうだろう。
そう理解すると、決して寂しさではない、むしろ爽やかさに似た感情がボクの胸を撫でた。
「子供って、私たちの何倍も早い時間を生きてるって感じがするわね」
突然、並び立つように、安心する声音が聞こえてくる。
お師匠様の声だ!
「お師匠様?どこ、どこにいるの?」
「ここよ」
バサバサと羽音を響かせながら、真っ白の小鳥がボクの肩に止まる。
「あ、お師匠様、それ、禁止にしたはずでしょ」
「だって、お店で待ちながらメリアちゃんを呼びにいく方法がなかったから……」
抑揚に同調するように光の粒が羽からこぼれ落ちた。
純白に染められたように見えるその鳥は目を凝らすと小さな光の粒の集合体であることが見てとれる。
それは不自然でいて、あまりにも神秘的だ。
「あ!お師匠様、ほら早くボクの服の中に入って」
「はーい」
どこか人事のような返事と共に、お師匠様が引っ張って作ったボクの襟の隙間にすっぽりと収まる。
「もう、他の人に見つかったらどうするの」
「その時はまたメリアちゃんが助けてくれるかなって」
「……お師匠様?」
「ごめんなさい」
「あの時はボク本当に大変だったんだよ、もう虫籠の中にいるお師匠様を見たくないよ」
「はい……」
「これは食後のデザートもう一つ追加だね、合わせて三つだね」
「それで、手を打ちましょう」
「やった!」
ボクたちも海に背を向けて歩き出す。
すると忘れていた空腹が目を覚ましたようにぐうと声を上げた。
「あら、せっかくだから英雄クルルについて解説しようと思ったのだけれど、ご飯を食べてからにしましょうか」
「ううん、帰り道に教えて欲しいな、流石のボクも英雄クルル?が気になってきたよ」
「なら、まずは英雄クルルが生きた時代、最古の戦争、人間と魔族の争いのことからおさらいしましょうか……」
お師匠様は優しさの中にうずうずとした知識の放出欲を少し滲ませるようないつもの声音で話し始めた。
普段のお師匠様の声ももちろんそうなんだけど、やっぱりボクはこの時の声が一番好きだ。
数え切れないほどの何度目か、その当たり前の中の一つに。
またそう思った。




