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第一章 3

「もう雪はないか…………」


 下校途中のニシは一人で、逆神神社前の公園へと足を踏み入れていた。

 昼休みの出来事がニシの古い記憶を刺激し、気付けば足を運んでいたのだ。

 なぜ一人で訪れたのかと問われれば、ニシのみが公園近くを帰路としているからに他ならない。

 世津はニシ達とは逆方向に越してきていたらしく、最初の交差点で横断歩道を渡ってすぐ、姿を隠した。次に訪れた帰路の分かれ道では、いつも通り悠馬と英菰と別れを告げ、既に十五分ほど経っていた。

 時刻はもすぐ午後五時。冬が終わり、日が伸び始めている四月であっても既に辺りは赤くうす暗い。ノスタルジーを感じるには十分な時間。

 

 ニシは日が落ちる事で、顔を覗かせ始めてきた冷たい夜気を吸い込んでから、改めて端から端まで見渡し、公園を進んでいく。

 学校の体育館程度の広さを有する、芝を植え付けられた公園は、歩くたび、足裏に柔らかな感触を跳ね返してくる。

 設置されている遊具は、滑り台や、ブランコ、そしてシーソーがあるだけの質素なもの。

 ニシが幼い時には、もっと遊具があったと記憶していたが、その記憶と照らし合わせた地点には、地面が露出しただけの空間があるのみ。大方、昨今相次ぐ危険遊具の指摘を受けた行政が撤去したのだろうと、ニシは推察した。

 砂場に残る無数の足跡は、少し前まで子供が遊んでいたのだろうことは想像に難くない。

 

 そして、それらを見届けた時には、ニシの前方へ、神社へと続く石階段があった。

 総じて四十段ほどだろうか、子供でも難なく上りきれる長さの階段には、鉄製の手すりが中央に陣取り、最下段から最上段まで歩行者を導かんと続いている。

 だが、だからといって、狭い訳ではなく、大人二人が余裕を持って横並びで行き来できる歩行スペースが確保されている。

 

 しいて問題を上げるのならば、今の環境と状況だろう。

 夕闇に霞む頂上は見通しが悪く、もしかしてどこまでも続いているのでは…………。そう感じさせる怖さと嫌な説得力があったのだ。

 しかもその時不運にも、かつて悠馬が語っていたおどろおどろしいジンクスを思いだしてしまい、寒さとは異質の身震いにも襲われる。

 まるで、黄泉の冷たい空気が神社から滝のように、公園という名のため池へ、降りてきていると錯覚させたのだ。

 

「…………てか、ここ昇るのなんて何時ぶりだ? 」


 嫌な気持ちを紛らわそうと、努めてとりとめのない独り言に意識を割いた。

 ビビってなどいない。額の傷跡をなぞりながら己を鼓舞し、強気な態度を行動で示すため、二段飛ばしで石階段をのぼり上げた。ちょうど二十段目ほどの所には踊り場が出来ているのだが、ニシは休憩もしないで一息に上りきった。

 芝生ともアスファルトとも違う、冷たく堅い感触を駆け抜けたニシは、膝に手を着き肩で息をした。

 冷たい空気が熱を持った体を外と中から冷却していく、そうして、一息ついたニシが顔を上げた。

 出迎えていたのは、色あせ、ところどころ朽ちた赤い鳥居、そして、うっそうと茂った雑草。


「…………もしかしてこれか石碑って…………いやわかるわけなくね? 」


 逆神神社と彫られた石碑は確かに在った。

 ただ、大きさはニシのひざ丈ほどな上、管理されていないのか草木に半分覆われている。これでは知り得なくても無理はない。むしろ、こんな状態で気付けた己を褒めるべきだろう。

 満足したニシは、ざっと鳥居の外から境内を眺めた。

 公園のちょうど半分と言った広さ。ありきたりな石畳がニシの立つところから、鳥居の奥の寂れた社まで続き、その雰囲気はお世辞にも、神の名前が付くには似つかわしくない、妖しさが立ち込めている。

 百歩譲って、お昼に来るならば拒否はしない。しかし、この場所を夜間行う肝試しの会場に抜擢したならば、たとえ大金を積まれようと欠席を願い出る。ニシはそう固く誓った。


「さ、さて…………じゃあまあ帰りますかね」

 

 スマホを取り出し時刻を確認すると、既に五時を回っている。もう用はない。周囲も大分暗くなり、つまずく恐れも出てきた。念のためスマのホライトを点灯してから踵を返す。

 階段を降りようとした時、なぜかその動きを止めた。

 

「なんだ? 」


 振り返り、違和感へ注意深く聞き耳を立てた。

 聞こえるのは木々が擦れるざわつきに加え、己の衣擦れの音と呼吸音、そして、何者かが近づいてくる足音だった。

 無意識に、額の傷を撫で、嫌な予感を払しょくしようとした。しかし出来ない。冷や汗が手を濡らす。

 その時最悪なことに、階段を上る前に頭を振って捨て去った悠馬の言葉が、脳内へフラッシュバックした。曰く、神社は夕方五時を過ぎると、『魔』のものが集まるのだと…………。

 ニシはゾクリと軽く委縮し、一時的なパニックに陥ってしまう。

 

「だ、だれかいるのか? 」


 精一杯強がって言い放った。ただし、その声は緊張で上ずっている。

 足音は社の奥から聞こえてきており、刻一刻と近づくにつれ、輪郭をあらわにしていく。小さな靴、青い長ズボン、黄色いジャンバー。手にけがをしているのか、赤く血が滲んでいたのを確認した時、情けなくも短く悲鳴を上げてしまう。

 

「…………っ…………あ、あれ…………子供? 」


 ニシの眼前まで来たのは、小学校に上がったか、上がっていないか程度の幼児だった。

 人間であったことに安堵したニシは、ほっと胸をなでおろす。おそらくは、砂場で遊んでいたが帰りそびれたのだろう。そう思い、早く帰らないとだめだぞと子供を諭した。

 

「…………お、おにぃちゃん? た。たすけて!! はやく! 」


 切羽詰まった悲鳴に反応が遅れた。次の瞬間、境内の奥から、ズッ、ズッ…………と何かが這うような異音が響く。ただ事ではない。悪漢か、暴漢か、正体は分からないが、何かがいる。

 

「え…………」


 ニシの心臓は早鐘を打った。鼓膜の裏で血液が脈打っている。 

 それでも、状況の理解が追い付かないままに、ニシは鳥居をくぐって目の前の幼児を庇うよう、すぐさま傍へ引き寄せた。

 その間にも、引きずる音はゆっくりと、確実に距離を詰めてきている。

 

「なんだ。なんなんだっ…………? 」


「……………………」


 幼児はもう、一言も発することなくニシの背中へしがみ付いている。ひどくおそろしいのだろう。背中を痛い程掴まれ、その手からは震えが伝播してきた。


「だれだ!! 」


 意を決して、スマホのライトを音源へ向けた。そして、ニシはすぐに絶望した。


「っ…………!!! 」


 絶句。それ以外に言葉が出ない。

 ニシの前方五メートルほどのところへ、スマホのライトが浮かび上がらせたのは、元は人間であったと思わしき、激しく損傷した肉塊だったのだ。


「あ、わああああああ!!?? 」


 絶叫にニシが腰を抜かし、倒れなかったのは背後に控える幼児が支えとなったからに他ならない。

 しかし、足はすくんで歩く事は不可能な程ショックを受けていた。

 視線を背けたくなるグロテスクな体が目と鼻の先に来た時、その肉塊が声を発したことでニシの思考に戦慄が走る。


「…………た、すけ…………ぇ…………ひっ…………」


 肉塊ではない、ましてや幽霊でもない。それは幼児よりも大きい、中学生程の生きた子供だった。

 右腕はねじれ、性別も分からない程に顔も赤黒くぱんぱんに膨らんでいる。下を見やると、左足が折れているのかびっこを引き、その軌跡を赤い血が描いているのが確認できる。

 もはや、お化け屋敷の化粧が可愛く見える程の重症。そんな相手を目の前にして、悲鳴を上げた自身を恥じた。 


「お、おい、大丈夫か!? 誰がこんな…………? 」

 

 重症の子供へ近寄ろうとしたニシは、しかし、微動だに出来なかった。がっちりと背後の幼児にホールドされ、進む事も退く事も出来ない。その力は異常だった。もはや明確に痛みを発している。背中の肉へ指が食い込んでいるのを感じる。

 平均より高いニシの体格をもってしても振りほどけない。否、そのような腕力を小学生低学年の幼児が有しているわけがない。

 

 恐る恐るニシは振り返る。その際、考えたくも無かった疑問が一瞬で氷解していくのも感じていた。

 しがみついている幼児には、血が付着していた。アレは、重症の子供のものだろう。だとすれば、常軌を逸している。なぜなら、腕をねじり、足を折る程の力は大人にだって難しい。それを、己より大きな相手に対して行ったのだから。

  

「…………お、お前っ」


 本当に人間なのか…………。

 思わず漏れ出た言葉を受けて、背中にしがみついていた子供とニシの視線が交差した。

 否、正確には顔を剥き合わせたが正しい。なぜなら幼児には瞳は備え付けられていなかった。真っ黒なうろが、ニシの魂を吸い込まんとばかりに空いていたのだ。 


「ぁっ!? あ…………が? ァアアアアアアアア!? 」


 背中が熱い。ぬるりとしたものが背中を、足を伝って流れていく。幼児の指が背中へ食い込んでいる。

 ただ、不幸中の幸いか、その痛みが、生の証が、ニシの防衛本能を呼び覚ました。


「くっそ放せ!! ばけもんがっ!! 」


 出来る限りの力を込めて、幼児を――――化け物をはたく。突き放さんと押しのけた。不思議なことに化け物は、その全てを甘んじて受け、最後にはなった殴りが指の力を弱めた一瞬の隙をつき、どうにか距離を離した。


「だ、大丈夫か? 」


 うまく位置取りしたニシはその勢いのまま、ただし、丁重な動きを持って、重症の子供を抱きかかえ、さらに数十歩退いた。

 もちろん、ニシ一人ならば逃げおおせる事も出来た。しかし、ニシに子供を置いて逃げる選択肢など、頭の片隅にも無かった。

 腕の中の子供はぐったりとしている。血も多く流している関係上早く医者に見せねば命にかかわる事は明白。そんな相手を放っていけるような人情は持ち合わせていない。


「な、どこいった!? 」


 子供から目線を戻し、化け物を睨んだ時には既に、その姿も気配も消えていた。

 もう、辺りは暗く、夜の帳が下りきるまで、いくばくかといったところ。

 はっきり言って、未だに状況は分からない。なぜ消えたのか、何が目的だったのか。しかし、この機を逃せば日常へ戻れないような不安がニシをつき動かした。

 姿勢を低く、腕の中の子供を守るように、一心不乱に、がむしゃらに、参道を駆ける。

 おおよそ、階段までは十五メートル。あと、七メートル、四メートル。それは、鳥居を抜ける直前だった。


「いってぇ! 」


 鳥居に残されていたニシの右足を、化け物が掴み、境内へ引きずり戻そうとしていた。

 もちろん、ただで戻るバカはない。ニシとバケモノの綱引きが数十秒続いた。どうやら、バケモノは鳥居から外へは出れない様子を見せる。

 無表情な黒い双眸はじっとニシの顔を捉えたまま、根競べの勝敗が化け物へ傾き始めた。


「ふ、ざ、けやがってぇ!!! 」 


 せめて子供だけでもと、鳥居の外へ置いたニシ。その直後、足を社の方へと引きずり戻された。

 結局、境内の中心当たりで足を掴まれたまま、目と鼻の先にある化け物の顔。

 青白く、生臭く、ぬめっている。生気を削ぎ落した異形の顔。その顔が一瞬、笑ったようにニシは感じた。勝利に酔いしれた雰囲気を感じたのだ。

 

 化け物の左手がゆっくりとニシの顔を掴んだ。化け物の右手がしっかりとニシの首を掴んだ。

 徐々に徐々にこもっていく力は、ニシをこれでもかと不細工に成型していく。万力の如き力を受け、相手を嬲ることを愉しんでいるとニシは思う。

 意識が途絶える瞬間が間近に迫る。声はもう出ない。様々な気持ちが脳裏を駆け抜けていく…………。

 

「……………………? 」


 おかしい、いつまでたっても意識が途切れない。それどころか、唐突に化け物の力が弱まり、遂には手を離した。

 何事かと、化け物を刺激しないようゆっくりと、ニシは化け物を見た。化け物は、あらぬ方向を見やっていた。ニシの頭上を越えた後方――――鳥居の方を。


「まさかアナタがいるとは思わなくて…………一足遅かったじゃんね」


 声を聞き、ニシは思わず振り返った。鳥居の内側へ暗闇を弾くかの如く、女性的な白い輪郭が一つ立っている。


「え…………」


 二度見した。その白い女性は、魔性の佇まい。そんな人物ニシは知らない。友人知人関係を洗いざらいあさっても分からないはずなのに…………。

 ニシにはとある名前が脳裏をよぎったのだ。

 

――――…………女乃上さん?


 声を出すことも忘れ、脳内でその人を呼んだ。

 でも、彼女がここにいるなんてありえない。だって彼女は一番初めの帰路で分かれたはずだった。


「どもども~」


 間違いない。今日転校してきた転校生女乃上世津が、軽い感じでひらひらと手を振っている。数時間前に見た美しい肢体のままに、何食わぬ顔で通常通りの動きを見せる。

 この異常時に通常通りのふるまいをするそのさまは、逆に異常だとニシの瞳には映った。


「あ、この姿じゃわからないか…………」


 瞬間、化け物が世津へ向かって牙を剥いた。今まで見せたことも無い俊敏で無機質な動きでもって、世津へ自慢の剛腕を振るう。


「にげて! 」


 ニシの悲鳴は意味がなかった。つまり、化け物の腕は空ぶったのだ。


「忠告ありがと」


 声は上から響いた。ニシが見上げた上空に彼女は居た。

 化け物よりも早く、世津は跳躍し空に逃げていた。それは常人を遥かに凌駕する高さ。ゆうに五メートルは跳んでいる。いや、もはや飛んでいるといったほうが違和感がない。


「よっと…………」


 慣れた所作でスカートを抑えながら、世津はニシの傍へ着地した。

 そして、余裕な態度でニシの怪我の具合を確かめると、問題はないと判断したのか、「そこから動かないでね」と言い残し、世津は化け物へ体を向けた。

 視線は化け物に注いだまま、右手に握ったスマホを何やら操作した後、口元へ近づける。


「えーっと、十七時二十五分…………これより、逆神様改め、『アランカヌイ』討伐を始めます」


 言い終えるより先に、化け物が近づき、再度その腕を世津の胴体へ伸ばした。しかし、


「……………………っ」


 化け物は動かない。否、動けなかった。まるで銅像のようにその場に固定されてしまう。


「ねぇ、覚悟しなよ阿呆者め、こっちは珍しく怒ってるんだから…………」


 原理が分からず、驚愕に何をしたのかと世津を見やれば、彼女の様子も雰囲気も一変している。

 黒い髪は新雪のように真白に。白い肌はより白くまるで大理石と見間違うほど。

 緩やかに化け物をねめつける淡く青の瞳は、流麗で雪解け水を彷彿とさせ、化け物とはまた違った怖さを感じさせる。

 冷たく、鋭利。張り詰めた冷気を纏う麗人を前にして、未だに化け物は無言を貫いていた。


「…………返答は無し、となると…………Fクラス(雑魚)か…………」


「…………っ!!!! 」


 化け物がミシミシと音を立て、無理やりに動こうとしている。顔は無表情のまま、ただ、その雰囲気は明確な怒りを孕んでいるとニシも分かった。


「これ、やばいんじゃっ」


「ん。完全停止は見込めない…………と。じゃあE+かなぁ、でもまぁ、どちらにせよ――――」


 化け物が再度行動を開始する。それは今までに見せなかった動き。背中から無数の触手じみた腕が生え、手数を持って襲い掛かってきたのだ。

 ニシは瞬きの猶予すら持てなかった。そう、ニシにはそれが限界だった。しかし、世津は違った。


「――――()()()でこの場に居座るなぞと、誰に許可得た狼藉者が」


 凛とした口調をもって、世津は軽く右手を仰いだ。瞬間、化け物は凍り付き、次に亀裂が入り、欠け、破断し、その行動は完全に沈黙した。

 「これでひと段落…………」そう言った世津は軽く伸びをしてからニシへと振り返った。

 世津の動きに連動し、白く綺麗な髪が夜闇に軌跡を描く。

 化け物との戦いで少し乱れたブレザーは煽情的な着こなしとなり、その衣服の象徴たる麗人の顔は、残酷なまでに完璧な微笑を浮かべている。

 

「め、女乃上さん…………ぁっ」


 ありがとう。と、言いかけて辞める。代わりになんとか頭を下げ謝意を示す。

 その時は、言葉をかけるより、行動で誠意を示した方が最善だとなぜか思った。

 だって、彼女の微笑は完璧ながら、まるで水面の上に張った薄氷のような危うさで、少しの刺激で割れ、下の水面にまで波を立ててしまいそうだと感じ取ったのだ。

 そんな、戦々恐々といったニシの態度を見て、世津は感心した様子で口を開いた。 


「へぇ、アナタさ、初見で()アタシが誰か見抜いてたでしょ…………直感に優れてるね」

 

 言葉の意味から察するに、やはり機嫌があまりよくないらしいとうかがえる。

 実際、彼女は戦闘において、感情の昂ぶりを示す言葉を使っていたのだし、ニシの受け捉え方は合っていた。世津の方は内心穏やかでなかったのだ。

 その証拠に、今しがたちょうど世津のスマホが鳴ったのだが、彼女の第一声は軽い舌打ちだった。

 ただし、それも束の間、スマホに表示された電話相手を見た世津は、つとめて平静をよそおい、会話を始めた。


「…………もしもし、ソウちゃん、どしたの?…………うん、今終わったよ。え、怒ってないよ…………え、声が怒ってる?いやいや、怒ってないって…………それとは関係ないから、別に納得して受けたんだし、その事は気にしないで、うんじゃあね、まだ寒いから暖かくして寝なきゃだめだよ…………さてと…………」

 

 まるで、電話の際に声が高くなる母親を錯覚する受け答え。

 一瞬で猫を被った感じがビシバシと伝わって生きて、ニシは表に出さない程度に軽く笑った。そして、その緩い雰囲気が、日常でしか見ることが無い風景が、己は助かったのだと揺るぎない事実として実感できた。

 

「あ、あれなんか、力が…………」


 次の瞬間、安堵と安心が同時に戻ってきた影響で、ニシは緊張の糸がついに切れた。

 力が抜けた肩と上着の間にはひどく大きな空間を作り出す。足腰には力が入らず、その体を冷たい石畳へと投げ出した。全身で直に感じる底冷えを受け、ニシは瞼をゆっくりと閉じた。もう間もなく、音もシャットアウトされる事だろう。

 

「あはは、ごめんね電話来ちゃってさ…………いろいろ驚いたでしょ? 後で説明するね。でもまずは、あの子(けが人)をしかるべきとこへ送らなきゃ」


 最後に聞いたのは、ダウナー気味で、軽い調子の世津の声。直後、ニシは緊張の糸だけでなく、意識も切れた。

 化け物に遭遇した時も、捕まれている時も、決してとばなかった意識がぷつんとはじけたのだ。


「あ、ははは…………」


 世津は苦笑した。出来ればニシには起きて、移動手段の停留所まで歩いて行ってほしかったのだが、


「ま、さすがに酷か…………」


 世津はスマホを取り出すと、一言二言要件を告げ、すぐさま電話を切る。

 数分後、上下ジャージ姿で息を荒げたフードを被った人物がニシを担ぎ、世津は重症の子供を抱え、二人は逆神神社を後にした。

 残ったのは、世津が放った冷めた空気と、


「…………うちがわざわざ、下まで気配垂れ流したったのに上って来はるなんてなぁ…………好奇心は猫を殺す…………ふふ、ほんまやなぁ…………」


 邪悪な気配が垂れ流す身震いする悪寒。

 はんなりとした女性の声が、黄色い眼光を伴い、寂れた境内へ響く。


「偶の散歩も悪ぅないもんやねぇ…………さぁて次はどう動きましょか…………ふふ」

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