第一章 2
ホームルームを終えたあと、ニシが四回目の欠伸をした時にはもう、午前の授業を終えた昼休みに時間がとんでいた。
目ヤニをこすり落としながら、伸びをするニシの教室内は、人口分布の歪な偏りを見せていた。
クラスメイトのほとんどは、一番後ろの窓際の席へ集まり、転校生を中心とした輪を形成している。見やれば輪の外側からは悠馬がニシに向けて、早く来い。と手招きをしていた。
男女比は丁度六対四。やはりというか、男子は我先にお近づきになりたいと、休み時間の度に勇み足で少女へ近づき、対してそれらを女子が間へ割って入り、守り、捌く。といった攻防が繰り広げられている。
ただ今回にいたっては長い昼休み。時間割をまたぐ十分休憩の短さと違い、さすがに手が回らなくなってきた。
しびれをきらした女子の一人が、昼食のためにいったん席へ戻ろう。と動き出したおかげで転校生騒動はひと段落つく形に落ち着いた。何だかんだと言いながら、皆、空腹には勝てなかったのだ。
そうして、悠馬とニシも例にもれず、輪の中へ突っ込んでいた首を自身らの席へ戻そうとしていた時、
「ねね、ハーフなの? 」
空気の読めない聞き覚えのある中性的な声に、悠馬とニシは「おや? 」と意識を引かれる。
男子にしては高く、女子にしては低い見知った声の方向へ居たのはやはり、二人のもう一人の幼馴染。阿倍英葛だった。
校則が緩い事を示す、赤みがかった髪。声を裏切るようにきちんと性別を主張する可愛らしい小顔。女性的なシルエットと明るい性格は、実は校内に隠れファンクラブがある程だ。とは、悠馬の言であった。
彼女は、世津の机に乗せた上体を両腕で支え、未だ寒さが残る昨今の対策のため履いている黒のレギンスをパタパタと、揺らしていた。
対して世津はニコニコと笑顔を浮かべているが、昼休みまでのやりとりに加え、初登校なのだ。内心は疲労を蓄え、困っているかもしれない。そう思ったニシは、一度ため息を吐くと幼馴染へ近づいた。
「おい、英葛。飯くらい静かに食わせてやれよ、わるいね、こいつ空気読めなくてさ! 」
やれやれといった様子で、ニシが助け舟を出すと、悠馬も加勢するために一歩前へ出た。正確には英葛の腰を躊躇いも無く掴んで、机から引きはがしたのだ。
ただ、それが彼女に行使する行為としては、悪手だと思いだせなかったことを、悠馬はひどく後悔することになる。なぜなら、英葛は悠馬をからかう事が趣味のひとつと言えるほど、ルーティンワークだったからだ。
「ぎゃーどこ触ってんのー」
言葉とは裏腹に、声音は棒読みだ。しかし、クラスメイトが二人のじゃれ合いを容認してくれるかは別の話。
英葛がわざと変な声を出した事で、悠馬は教室中の、特に女子から汚物を見る目にさらされることになる。たまらず男子連中へ救援の視線を送るが、帰ってきたのは侮蔑と嫉妬に塗れた裏切りの舌打ちだった。
最後の頼みとニシへ首を回すも意味はなく、酷い事に、ニシも男子連中と同じか、それを超える深い息と唸りを鳴らす。
「ユウマお前はいい友達だった…………」
「ニシまで!…………おい英葛、騒ぐのをいい加減やめろ。別に大したとこ触ってないだろぉ…………がっ! 」
悠馬は腰から手を離すと大きく振りかぶり、英葛の脳天めがけチョップをお見舞いした。
なかなかに良い勢いを持って振り落とされたチョップは、完璧に英葛のつむじにクリティカルヒットし、人体からはおおよそ似つかわしくない音、金属を打ち付ける様な硬質な打撃音を響かせた。
「ぃいたぁ!? 」
しかし、叫んだのも、打撃音を放ったのも、どちらの音源も悠馬だった。
当の英葛本人は、軽く頭をさすりながらも、え、何してんの? と言わんばかりに英葛を見る始末。まるで聞いていなかった。
その動じない姿を見て、あぁまた忘れていた。と英葛の石頭を思い出した悠馬は、石頭に負けた己の右手を抑えつけ、その場にしゃがみ込んでしまっていた。
「ハハハ、いい音だったな…………お前はやっぱり友達だ」
「ニシ、調子いいこといいやがって…………」
悠馬の痛い思いを見て、ニシはカラカラと笑いながら、悠馬の手を引いて、隣に立ち上がらせた。
英葛は罰当たりな幼馴染を見て、いい気味だ。と口元をすぼめて追撃する。
「私を殴るとか、当然の報いってね」
「お、俺は男女平等を信条にする男…………いやそもそも、もとを辿ればお前が悪ふざけをするからで…………」
「はぁ?私のせいだっての?女子に気軽に触る悪漢め」
わざとらしく自身を抱きしめ、身悶えしてみせる英葛を、悠馬はうんざりとした顔で「いいがかりはよせよ」と苦言を呈した。
だが、ニシは英菰にのっかり、「いやぁ、悠馬が悪い。」と首を振る。
「バッカ何言ってるんだニシ。あーあーほら見ろよっ、またクラスの奴らが俺の事ひどい視線で刺してくるようになったじゃないか。皆、俺は無罪なんだ、免罪だ! 」
「ユウマ、それを言うなら冤罪だよ」
見かねた英葛が優しく悠馬へ耳打ちをすると、仄かに顔を赤くした。
「…………冤罪だ」
「あ、なかったことにした」
「う、うるさい。冤罪なんです―皆さんー」
悠馬の必死のうったえは、哀しく教室に木霊するだけ。
すると、クラスメイト達は、口にほおばっていた弁当を、音を立てて机に置いた。その態度は茶番が長い。と物語っていた。
「ユウマ静かにできないの?皆もう昼食中なのっ。女乃上さんも迷惑してるでしょう、さっさと席戻ってご飯食べたら?」
「あーあーごめんごめん、今、委員長の言う通りにするから、そんな睨まないで…………」
「そーだそーだー早く席に着け―、ちゃっかり女の子触ってんじゃねー、死罪だ。息を止めろ。」
「この野郎…………せめて裁判くらいは通せよ、人権の敗北、司法の怠慢だぞ」
「許してほしくば、お前のコンビニ飯を俺達に分けろー、今日のそれ、新商品だろ?半分で手を打ってやる」
男子の声に、あろうことか、女子の面々も「「「「そーね、早くよこしなさいよ!」」」と声を揃えてハイエナの如き視線を悠馬に向けた。
「女子の方々。言っちゃ悪いけど、今日のはデブの素だ。あんまし食べると『至高の肉体』へ近づいてしまうぞ?」
「あら問題なくてよ。アナタを罵しりあそばせていれば、カロリー消費くらい余裕ですわ」
「おや、お嬢様はもしかして、俺の事をカラオケボックスか何かと勘違いされていらっしゃるのかな?ん?お?やんのか?俺は男女平等を掲げる紳士だぞ」
「オホホホ、そんなまさか、サンドバックでしょ?」
「ふざけやがって…………俺はいつか、ホームルームでこの件をとり上げる。例えそこでは敗訴しても、全校集会にまで上告してやるからなっ。首を洗って待ってろよ悪魔め!」
「あ、ユウマ、一人につきお前の弁当半分づつなー」
「おい、それじゃ俺の分は何も残らないじゃないか!?せめてサンドバックとして使うなら、カロリーと言う名の防御力くらい蓄えさせろ!」
三人は飽きる事も無く、転校生の席の傍で茶番を繰り広げている。それどころか、クラスが完全に一体となってもはや笑劇のようになっていた。
ころころと立場を変えるニシ、悠馬をからかい決して主導権を握らせない英葛。それらを一身に受けとめさばく悠馬。
そして、その他のクラスメイトは呆れながらも、野次や茶々をいれることで決して不快な空間にはならない。
むしろ一体感や安心感すら生まれる。ようは、仲の良い笑いクラス。気付けば、世津も声を抑えられず笑って肩を上下させていた。
「ふふふ…………えーと、英葛ちゃんと、ニシ君と…………おうまくん? 」
上品に口元を手で隠しながら三人を呼び上げた、ただ悠馬のみはおしくも一文字違い。
「あ、いや、間違いやすいが、こいつは悠馬ね」
「うま? 」
「いや、俺はゆ、う、ま…………あれ、わざとやってる? 」
「おーすごいね、もう悠馬の取り扱い完璧だぁ」
「ごめんなさい。わざとじゃないよ、悠馬君ね」
その時の世津は柳眉を下げ、顔の前で手を合わせ、にへら、と笑って謝意を示した。
座っている世津と立っている悠馬の都合上、上目使いに見てくる形になる。しかも世津は滅多にお目にかかれないレベルの美少女。顔がにやけてしまったのは仕方ないことだろう。
「三人は面白いね。よければ、一緒に昼食を食べてくれない? 」
「まじ? いいの? 」
怖ろしい反射速度で、ニシは願っても無いと快諾した。ついでに勝ち誇った顔でクラスの男子連中を嘲笑してみせたことで死ぬほどブーイングを買う。
やれ、顔面差別を許すな。やれ、万人へ公平な面会の機会を望む。やれ、女の敵。その様々な罵詈雑言の中には、悠馬の声も多分に含まれていたのだが、先ほどまでからかっていた手前、そこはご愛敬とあえて無視をした。
悠馬と共に席へ弁当を取りに行き、世津の席へと戻ってきたときには、既に英葛は適当な椅子と机を世津の机にくっつけ弁当を食べ始めていた。二人の弁当は女子ならではの小ぶりなもの。しかし、色鮮やかで栄養価も考えられた献立だと分かる。その上、食を進めおかずの入った器を掘り進めていくと、底の方に占いが付いている。遊び心も取り入れたかわいらしいものだった。
「わーお、せっちゃんのお弁当綺麗だね、親の手造り? 」
会って間もないというのに、あだ名で呼ばれても世津は嫌な顔一つしない。
「ううん、うちの人料理できないから、料理当番はアタシなの。だからアタシの手作り」
「うっそ、すご! 」
「そんなことないよ、難しいのは人の好みに味付けするところ」
二人の空気はもはや軽く女子会に片足を突っ込んでいる。
ニシは、英菰の懐へ入る手腕に舌を巻くと、その言動にあやかろうと英葛に倣い、適当な机と椅子を見繕って机の上に弁当を広げた。それは、男子が好みそうな空揚げや、ウィンナーといった茶色を基調とした二段弁当。
一方、悠馬はレジ袋から、長方形で封をされたプラスチックのトレイを取り出した。
「ユウマ、お前またコンビニ弁当かよ、金持ちめ」
「うっせ、バイトしてんだからこんくらい大目に見ろよ」
「ねね、さっきもきいたけどさ、やっぱハーフなの?どこから来たの?」
「そだよー、お母さんが人、外人…………かな?前居たのは新潟ー」
「へーいいなぁ! めっちゃ肌白いもんね! 私なんて、日焼けしやすいから、夏場なんて真っ黒だよ~」
「えへへ、でも、日焼けできるほうが羨ましいなぁ、アタシは日焼け出来ないタイプだから」
「あ、もしかして、真っ赤になるやつ?」
「そうそう、だから夏の日差しは苦手じゃんね」
「えーもったいなぁい、海とか行けないのぉ? 行こうよう」
距離感がおかしい英菰の発言に、世津は首を振って軽く微笑んで見せた。
「行けるよー日焼け対策ばっちりすればいいだけ」
「わ! じゃあ夏休みには一緒に近くの海行こうね」
「ちょいちょい、英菰。この県に海ないだろ? なあニシ?」
「そうだな。俺らはもっぱら、そこらへんの公園か、街に足を運ぶくらいだからな。悪いね、女乃上さんこいつ、適当言うから…………」
男子二人からの正論を受け、英菰は、「空気が読めないなぁ」と肩をすくめた。
しかし、その評価は不服。むしろ、その肩書はお前のものだろう。とニシと悠馬が顔を見合わせた時、次に言い放った英菰の言葉で、ニシと悠馬は自身らの過ちに気付く。
「もう、空気読めよね、せっかくせっちゃんの夏休みの予定を抑えるところだったのにぃ」
なるほど。と心中で合点を男子二人。
同性ゆえのフットワークの軽さ。近寄りやすさを持って、既にそこまで先の未来を見据えていたとは。
ハッキリ言って、未だ距離の詰め方が手さぐりなのに加え、世津の容姿に緊張も催していたニシと悠馬は、潔く己の不備を反省する。
ただ、世津はそんな攻防は気付いてもおらず、気にしてもいない様子で、気になった疑問を口にした。
「公園? あるの? 行くの? 珍しいね!? 」
世津の青い瞳は、ニシに注がれていた。それはなぜか、興味関心に光っている。
それというのも世津曰く、自身が以前住んでいたところは、人工が過疎っていたゆえだという。
公園はおろか、子供すら少なく、そういう施設や、環境はTVや漫画で知るにとどまり、近場に交流施設や遊び場があることに、一種のあこがれがあるらしい。
「ん? ああ、って言ってもー…………正確には神社なんだけど」
「そうなの? 」
「ああ、そこ敷地が広くてさ、鳥居をくぐると公園がドンとあって、そこを突っ切って奥の階段を上ると神社があんだよ。子供の頃は親なしじゃ街なんていけなかったから、ここらへんのやつは皆そこで集合して、遊んでたかな、まあ最近はあんまし行かなくなったけど…………英菰ともそこで知り合ったしな? 」
「まねー」
「じゃあ、ユウマ君とは? 」
「ああ、俺とニシは小学校からの付き合いだよ。英菰はそん時、別の学区だったからさ。中学上がってからかな、学校同じになったのは」
「そっからずっと同じクラス、同じ学校だもんねー」
「えぇ、すごいじゃん? 」
「ね? …………いや、お前らまさか、私をストーキングしてるんじゃないだろうな!? 」
英菰に浮かんだ猜疑の目線を、ニシと悠馬は行儀悪くもほっぺをりすのように膨らませながら、「「んなわきゃない」」と、軽くあしらった。
「ちっ、おもしろみのないヤロウだぜ」
「じゃあ思い入れのある場所なんだ? 」そう言った世津は、おもむろにスマホを取り出した。
今の時代、食事中にメールやSNSを確認するなど珍しくも無い。ニシと悠馬も口に出すことも無く食事を続けていたのだが、世津のとなりにいる英菰のみが、スマホ画面を盗み見するように顔を覗き込んだ。
見かねてニシが諫めるも、世津は「いーよいーよ」とスマホ画面を机の上に置き、その場の三人へ見せ付けるように言った。
「さっきから、近くを衛星マップで見てるんだけど、わかんなくて…………神社ってどのあたり? 」
「はいはーい…………えーっとね…………あれ、あれあれ? …………ユウマぁどこだっけ? 」
「ん、地図で探すより、名称検索のが早いだろ。ちなみに俺はここまで出かかってる」
悠馬は喉仏を指さし、己の不甲斐なさを語った。
普段は公園としか言わないので、神社の名前がぱっと出てこないのだ。しかも、公園は神社のもの以外にも無数に、なんならもっと大きいところもある。名称検索でないと引っかからないだろう。
「それが出来たらやってるわい! 忘れたのー。私、必要のない事は覚えない主義だから」
「そうーですか、はぁ…………ニシなんだっけ? 」
「は? 名前? 」
「ど、どした? そんな素っ頓狂な顔して」
「あそこ名前あんの? 」
「はぁ? 無い訳ないだろ神社だぞ? 出雲大社、伊勢神宮…………戸隠神社、みんな神様祭ってんだからなんかしら名前くらいあるさ。」
「な、なんだお前いやに詳しいな馬鹿のくせに」
「馬鹿は余計だ! つーか前に言ったろ、俺のバイト――――民族学者の助手だって。階段上った鳥居のとこの石碑に神社の名前書いてあっただろ…………あれ、あったと思うんだけどな…………? 」
「いや、俺らいつも公園でしか遊ばんかっただろ? 神社の名前なんて覚えてねーよ。てか、英菰。さっきから地図スワイプしてるけど、たぶん、逆方向だぞ」
「…………あっ、『逆』で思いだした。そうそうそんな名前だった! 」
英菰は世津のスマホを我が物顔でタップした。そして、「あった」と世津の眼前へ画面を提示した。世津の青い瞳にとある四文字が映りこむと、彼女は一文字一文字吟味するように声を出した。
「…………逆神神社」