第一章 26
日本の中心が京都であったのは遥か昔。
今では西から東へと、お上が移りはや千年。
数多の人々が行きかう東京都某所。とある商業ビル群が軒を連ねる一角。その中で、周囲のビル群を引き立て役とばかりに翳らせ、丸々一棟そびえたつのが、京都を本拠地とする土御門財閥の東京支社である。
手がけている事業は多岐にわたり、中でも不動産を筆頭に、軍事関係、ワーキングウェアについては、本業――――もちろん公に明かしてはいない――――としてハンター業営んでいる都合上、風水による好立地の確保開発。魔力強化による屈強な人材の民間軍事派遣、そして戦闘服を流用した丈夫で柔軟な生地の開発。と、、流通しているシェアの半分を占めている。
また、土御門財閥自体その昔は高名な陰陽師として名を馳せていた事実をあえて伏せず、大っぴらに広告として扱う事で、表向き錆びついた武器――――陰陽師としての資料をリサイクルすることに成功している。
今では陰陽師や宮廷での資料関連に伴う、サブカルチャー等の監修を一手に担う立派な収入源の一部へと昇華させていたのである。
それどころか人によっては、土御門財閥の唱える説こそ、歴史の真実であるとまで称されるようになっている。まったくもってたくましい手腕であった。
土御門財閥ビルの内部はおおまかに三階層に分かれている。
一階から三十階までの低層フロアまでは、表向きの事業に従事する手前、一般従業員就業のための福利厚生のジムスペースや、食堂に加え、会議室や来客対応のための応接室となっている。
三十一階から三十九階の中層から高層になると、もう、ほとんど外部からの来客は来ないため、がらっと雰囲気が変わる。
低層階までの営業スマイルや社交辞令はなりをひそめ、法務部や総務部、経理等が黙々とPC画面とにらめっこしている。もしも声を発したとしても、単刀直入。歯に衣着せぬ物言いで、皆ズバズバと時短を心掛けたスマートな物言いを心掛けているのである。
そして、最高階層フロア。四十階以上ともなると、やはりというべきか。立ち位置というものは位を計るのに適していると、皆が思う内装となっていた。
例えば、上座に位の高い者が座すように。あるいは、上の者は下の者に車を送迎させるように。なにかにつけて、高いところ、安全な場所というものは、得てして上流階級のたまり場としてうってつけなのである。
土御門財閥の最高フロアも例外ではなく、そこは便宜上、幹部級以上の執務室兼書斎を兼ねた造りが主となっていた。
そして今現在、とある執務室の室内にはその主と従者、二つの人影があった。
その執務室の内装はひどく厳かでクラシック。
南側の窓際へは、重厚感のある黒塗りの木の机があり、アルマーニ製のスーツに身を包んだ、ここの主たる壮年男性が一人座っている。
男の隣には、薄く入った縦のストライプ柄のスーツの従者たる中年男性がおり、こちらは後ろ手に組んで立っていた。
机の上には布の傘をこしらえたヴィンテージ物のランプと内線電話が机の端に揃えておかれている。その横には、光沢のある万年筆と安物のペンが不釣り合いながらも並んでいた。
机を挟むように両脇の壁にはずらりと背の高い本棚が並べられ、収められている本はどれも分厚く難解。
あえて身近なものをとり上げても、経営における統計学の本から、不動産関係における地質学の専門書と出鼻をくじかれる。
他には、日常生活ではまず話題に上がらない、考慮もすることは無いであろう、立地や内装を補完する、風水に関するもの。
果ては、ラテン語や、ドイツ語の医学書のようなものまで見受けられる始末。
実はアランカヌイに対する文献も置いてあるのだが、そちらに関しては本棚のさらに奥深くへ隠してあり、ごく一部の者たちしか知らぬ情報だった。
そして、室内にあるものは全て、赤く毛並みの良い絨毯の上に配置されており、土足厳禁ではないにもかかわらず、汚すのが躊躇われ、靴を脱いで上がりたくなる高級感を漂わせている。
つまりはこの場所に、軽い気持ちで目を通せる蔵書も、触れられる調度品も一つもない。一般庶民には縁遠く、生涯手の届かないものばかり。
しかし、それらを見て、特に何も感じない者も確かにいる。例えば、それ以上のものを既に所有しており、さらにはただの日常の一風景とまで見飽きてしまっている幹部の高給取りなどがそうだ。
「そろそろですかね」
高給取りの内の一人――――後ろ手に組んで立っている従たる中年男性が聞いた。
男の名前は竹岡藤次郎。土御門財閥東京支社の支社長秘書兼、支社長代理を担っている男。
銀色の眼鏡を掛けた藤次郎は神経質が擬人化したような見ためをしている。
整髪剤がべったりと撫でつけられた黒髪のオールバック。やせこけた頬のせいでよりいっそう角ばって見える頬骨。
影濃く落ちている双眸からは返答を求め、アルマーニの壮年男性へ視線を投げていた。
「だろうな…………」
腕時計を見て、主たるアルマーニの壮年男性――――山本弘美が答える。
弘美は土御門財閥東京支社の支社長。いわばこのフロアのトップに居座る人物である。
もうすぐ還暦を迎えるというのにその肌はみずみずしい。実年齢よりも二十歳は若く見えるその顔は西洋の血が混じっているためか、堀が深く端正。サラリとした金髪を七三分けで整え、碧い瞳が光っている。
かつては土御門財閥の広告塔として、モデルも営んでいたそのルックスは今、なぜか、穏やかとはかけ離れた渋面を浮かべていた。
理由はこれから訪れる人物との面会にある。
今回の相手は、おそらくは大人の定石が通じないため非常にやりずらく、また、ハンター業の稼ぎ頭であるために、下手な態度をとって機嫌を損ねる訳にもいかない、難儀な相手。という見立てがそうさせていた。
「まったく…………勘弁してもらいたいものだな。」
弘美が肩をすくめ藤次郎を見上げて言った。その姿は、仕事に追われ、家庭に愛想をつかされた、くたびれたおじさんといった寂れ方だった。
「社長。ご自身の発言の前に今一度ご憂慮を。貴方の一挙手一投足が我らの士気にかかわります。」
「これは弱音ではない。黄色い悲鳴。いわば感嘆の声だよ竹岡君…………我らが英雄殿からのラブコールに対する、ね。」
その時、控えめに鳴ったドアをノックする音が、藤次郎と弘美の視線を引き裂いた。
「そぉら、いらっしゃったぞ主役のご登場だ」
うんざりとした小声に対し、藤次郎は軽く頷いてドアへと声をかけた。
「どうぞ」
ドアノブが回り、ドアが開かれた。
入室してきたのは、この場には似つかわしくない庶民の風体――――少年だった。
「失礼します」
背広を持ち合わせていないのか、学校指定のブレザーを着こなし、日本人にしては珍しい茶髪からは朗らかな目元が覗いている。
よく引き締まった体は衣服の上からは分かりずらいが、入室後ドアを閉める時には、その袖が筋肉で膨らんでいた。
「お初にお目にかかります。俺は…………いや、私は、北東悠馬といいます」
弘美と藤次郎の二人が悠馬と顔を合わせるのは今回が初めて。
「これはこれはご丁寧に…………」そう言った弘美は、ぶしつけにならないよう、幾人もの人物を堕としてきた人柄の良い笑みを浮かべ、つま先から頭のてっぺんまで悠馬を見た。
たしかに、雰囲気は一線を画しているのはなんとなく感じる。だが、そういう人もいるか。そう思わせる程度。大部分を占める感情は、どこにでもいそう。平凡。突出した存在には思えない。普通の少年といった枠組みからは決して外れない凡庸さだった。
――――こんな子供が…………そうなのか。
弘美はその際、藤次郎と顔を合わせる事はしなかったが、彼も自身と同じ感想を抱いただろうことは想像に難くなかった。
北東悠馬の知っている経歴を一言にまとめると――――『英雄』としか言いようがない活躍。
僅か十代のうちに、土御門のハンター最高位に就いた異例の少年。長い歴史を持つ土御門においても、数えるほどしかいない特例中の特例。数々の漫画やアニメを監修してきた側面からしても、主人公としか形容しようがないキャラクター性。
「私の顔になにか?」
ジロジロ見すぎたか。ハッと値踏みを辞めた弘美は我に返ると「ああすまない。光栄に身が震えてね…………」と、そのまま謝罪へと続き、挨拶を口にした。
「椅子に座したままで恐縮だがご容赦を、何分もう年で膝が悪くてね。私はここの支社長を務めさせてもらっている山本弘美。こっちは、秘書の竹岡藤次郎という。今回の要件は私が聞くが、証人という形で彼はここに置かせてもらうがいいかね。」
悠馬は軽く藤次郎を一瞥したのち、「構いません」と視線を弘美へ戻した。
その眼光は少年の放つものではなかった。鋭く、いくつもの傷を乗り越えた、いわば歴戦の貫禄、百戦錬磨の雰囲気を纏う猛者。
虎に睨まれた鼠の如く、弘美に緊張が走る。それに気づいた藤次郎は、後ろ手に組んでいた両手をフリーにした。何があっても対応できるように。
「さっそくですが、今日は折り入った話があって参りました」
「おっとっとぉ…………若いねぇ、こういう時はアイスブレイクから入るのが定石なのだが、それとも、その回り道をよしとしない誠実さを買われ、その『座』にまで上り詰めたのかな」
「私が何者かという説明は、必要なさそうですね。」
「ええ、もちろん。君の噂はここでふんぞり返っていても耳にする。ようこそお越しくださりました。我らが稼ぎ頭殿」
「なら、話は早い。単刀直入に言います。榊信也と女乃上世津、両名の討伐依頼を即刻取り下げてもらう」
「それはまたなぜ」
「恩人がそれを望んでいる」
「…………ほう?」
弘美は片眉を上げ、怪訝を顔に浮かべた。この少年を思いのままに動かせる人物とは、いったい誰の事なのだろうか…………と。
「…………なるほど。いや、要望に応えたいのはやまやまなのだが、君は西に籍を置き、私は東だ。残念ながら管轄が違う、要望を通したいのであれば、まずは東方七賢人に話を通したうえで、しかるべき手続きを――――」
「――――これでどうです」
悠馬の手には土御門の押印がなされた一枚の紙が提示されていた。
それは榊信也、並びに女乃上世津の討伐依頼を取り下げるという旨が達筆に書きたしなめられており、最後の署名部分には土御門千音と〆られていた。
「まさか、純潔派の、それも千音様直々に…………いったいどうやって外様の君がそれをっ」
「問題は無いですね。」
「いいや、それは違う英雄殿。あれらはアランカヌイそのものだ。天邪鬼だ。いつどこで心変わりするか分からない。映像を見る限り、コントロールできているかも、効果範囲も不明瞭だ。あの『因果の逆転』は、はいつか世界を壊す。だから、彼は幸せになってはいけない。彼の不幸せが逆転し、人間の幸せになるのです。」
「人間の幸せだと?」
悠馬の過去が脳裏をよぎった。
幼少期、厄が憑いたゆえに、アランカヌイとして土御門に観察監視されていた記憶だ。
だからこそ、馬鹿を言うな。人間の幸せと謡い製造したパワードスーツの暴走をどう説明すると言及した。
「あの、暴走も見る者によってはアランカヌイに匹敵する脅威です。対処できたからいいものの。アレ、大量生産するつもりなんでしょう。安全性を確保してから使用してください。」
「あ、あれは赤林ハンターの細工で」
「往生際が悪い。その程度の細工で暴走するのが土御門製ですか?」
「…………っ仰る通り。その件については今、当社の開発部及び品質管理を交え、本社の査問委員と原因究明につとめております…………だが、今本題はうちの不祥事ではない。話によるとあれらは現政府と密接にかかわりもあるっ」
「『エリゴナ事件』の話ですか?」
「そう、察しがいい。昔起きた『東京九つ通り』に加え、君が鎮めた『殺生大割石』と共に三大厄災の一つに数えられるものだ。政府お抱えのハンターが犯した惨劇。アレを繰り返さぬため、三権分立に倣い、アランカヌイ関連においては民間事業が、謂わばフラットな立ち位置におらねばならない。わかるでしょう?」
「わかります。その判断が熟慮によるものだったとも。」
「聡明。君は大物になる。いや失敬、もう成っているか。いやぁよかった。おかげで定時で上がれそうだよ、さて、他に我らにできることが有れば聞くが――――」
「――――私は貴方にお願いをしに来たわけではないんです。山本弘美さん」
「…………ではいったい何をしに?」
「討伐を取り下げろ。そう命令しているのがわからないのか?談言微中のタヌキが」
「貴様――――」
さすがに目に余る発言だと、藤次郎が半歩前へ出ようとした直後、
「――――出しゃばるな。貴方と話していない」
その動きを止める。否、止められた。
「っ…………」
特に何をされた訳ではなかった。しかし、いったいどれほどの修羅場を潜り抜ければこんな芸当が身に付くのか。藤次郎にも、ましてや弘美にも想像だに付かなかった。
悠馬の迫力、気配、飛ばした威圧のみで、生存本能が逆らえず、藤次郎は委縮したのだ。
一方弘美は両手を上げ、わざとらしく小物をよそおった。下手に、強気に出るよりも、した手に出たほうが刺激が少ないと判断したのだ。
「…………そうだ、カモミールティーでもいかがかな?リラックス効果がある。最近私もハマっていてね。いやはやストレスチェックでは産業医の世話になってばかりさ…………」
怒らせるのは得策ではない。相手は武力に秀でた者。つとめて穏便に対応していたつもりだったが、しょせん相手は子供。愚直な悠馬には嫌味にしか映らなかったらしい。
想定していた最悪の事態に、弘美はつとめてにこやかな表情で対応した。もちろん、腹の中は居てもたってもいられぬほどに、浮足立っている。
土御門財閥のフロント企業としてならば、弘美はそれなりの地位がある。
しかし、土御門財閥の本業はハンターであり、悠馬はアランカヌイ討伐実働部隊その最高位に属する者。実は、年の功は有れど、立場的には弘美の方が劣っている。
その上、悠馬は実績を出し続け、その地位に上り詰めた生粋のたたき上げ。
刺青かと思う程皺を寄せ、己の父親より年齢が上の男を睨みつけるという肝の据わりかたも頷けた。
「ねぇ英雄殿、その眉間の皺をならすため、ここは腰を据え、建設的な着地点を模索しようではないか。ん?」
「茶番は結構。」
「…………なぜそこまであれらにこだわるので?」
「恩人のためだと言ったはずだが」
「…………脅威となる前に、悪の芽は摘む。人死にが出てからでは遅いでしょうに」
「そうなれば、俺が責任を持って摘み取る」
「はは…………それはつまり、貴方の抱える悪の華が一輪増えるだけでは?」
「その言葉は…………俺も討伐対象にすると聞こえるな」
「…………可能ならば」
非常にまずい。そう訂正を求めようとした藤次郎を、あろうことか悠馬が「いいさ」と遮った。
「土御門に狙われるのは慣れているからな。だが覚悟しろ、今はもう昔の俺ではない。貴方が持ちうる権力では、せいぜいが十二神将の内、七人へ応援要請をだせるにとどまる」
「多数決の勝利条件。過半数をご存じないかな?」
「勘違いしていないか。要請であって強制ではない。そもそも、俺もその内の一人。そんなことも判断材料に含めないおつむなら、お宅の経営戦略も程度が知れる。」
「…………その年で悪だくみとは、たくましいことですな」
「今日中に討伐依頼は取り下げておけ。以上だ。」
「承知いたしました…………が、今から話すのは、あり得ない未来の話です、もし…………もしも断った場合どうします」
悠馬の視線に明確な敵意が孕んだ。彼はそれを研ぎ澄ました殺気に変換し、くぎを刺す。
「貴方が東につくならば俺は何時だって西の味方だ…………繊細な話題だが、もしや内戦でも起こすつもりか?」
「そうなりますね…………竹岡君、すぐに依頼の取り下げを行いなさい」
直後、藤次郎が慌てたそぶりで、スマホを取り出しどこへやらすぐに指示を出し始めた。
悠馬はそれを確かめるように数秒眺め、藤次郎がスマホをしまってから、ゆっくりと踵を返した。
「…………それでは、俺もこれで失礼する。もう、二度と変な気を起こすなよ」
「ええ、もちろんですよ。ああ、次お越しいただいた時は最高のカモミールティーを召し上がっていってください」
言われた悠馬は、弘美と藤次郎に対し、背中を向けたまま、さぁっと部屋を見渡した。そして、薄く笑って、
「ここの調度品はものによっては博物館に合っても遜色ないな、であれば、ティ―カップもさぞ金をかけた造りなんだろう?」
肩越しに弘美と藤次郎を見やった。
だが、二人は悠馬の言葉に返す言葉を失っていた。
呼吸すらを躊躇う緊張が二人を支配していたのだ。
なぜなら悠馬の瞳は、黄色く光っていた。
妖しく、爛々と。獲物を狩る肉食獣の瞳孔を鋭く縦に引き絞って、
「…………それに見合うよう、マドラーに銀のスプーンを見繕ってくれるなら考えておくさ」
悠馬はそう言い残し部屋を後にした。
残されたのは背中を汗で濡らしたおじさんが二人。大きく息をつき、安堵に胸をなでおろす。
「すごい迫力でした。あんな子供が…………」
藤次郎の両手は震えていた。なんなら両足も棒のようになっていたのだが、そこまでは言及しなかった。
「私もこの目で見たのは初めてだったが…………いったいどちらがタヌキやら。かつては土御門に追われていたアランカヌイの小僧が、今や英雄なんて持て囃されているんだからな」
「社長、それはもしかして、例の…………?」
「そうだ、元来十三時の方向は鬼門を示す方角。いわば霊的に最も活発となり生者にとって最も厄種だ…………」
大きくため息を吐いた弘美は、その先を続けるのを躊躇った。しかし、フッと嘲笑したのち、今さら躊躇うも何もないか、そう思い直し口を開いた。
「本来いる筈のない、十三人目の十二神将――――厄憑り北東悠馬。あれは、厄種が花を咲かせた、まさにそれだよ…………」




