第一章 25
学校で赤林普応が姿を消して三十分後。彼女は逃げていた。それも脱兎の如く、風を切り、建物の間をぬい、場合によっては木々の上すら跳び、まるで忍者の如く人目を避けて逃げていた。
今、普応がいるのは学校から、直線距離にしておよそ四十キロの所へ位置する大通り。土砂降りだった雨も小雨へと勢いを落としており、太陽の光も漏れるほどに雲も薄くなっている。言ってしまえば、ほとんど隣町まで駆けてきていた。
ただしこれは敗走ではない。言わば戦略的撤退であり、勝負に負けて、試合には勝ったのだ。その上で、普応を占めているウェイトは以外にも、個人的恨みより任務の優先。この狡猾な所が彼女をAランクにまで登らせた要因でもあった。
すでに逃走中の間に土御門財閥東京支社へと連絡は付けてあり、あとは合流地点である、市街地と市街地を結ぶ国道へと足を運べばいいだけ。そして、今、普応の居るこの場所からならば、もうあと五分もかからない。
そこで、乗り心地の良い護送車の後部座席に乗り込めばそれで終わり。
公共交通機関は最悪遅延等の妨害が入る恐れがあるため使わない。土御門財閥から直に遣わされる運転手付き護送車で道路を走るのが最も無難。
なぜならば電車よりも道路の方が道が張り巡らされており、バスよりも個人の方が融通が利くからに他ならない。地面に足が付いているのであれば、最悪普応本人だけでも下車し、逃走する事が出来るからである。だが、そこへ行くと飛行機などはもってのほか、堕とされたのではまず命が助からない。
とは言っても、移動手段の中で一番安全なのは何かと問われれば、
「ま、徒歩で帰ってもいいんですがね」
実際、普応の魔力量と効率があれば、疲れはするが護送車よりも早く東京へと帰れる。
だが流石に今回の任務はしんどかった。今は一刻も早く腰を下ろしたい衝動が抑えられないのだ。鼻も折れたままではあり、歩くたびに振動が痛みを訴えてくるのだが、今は我慢。こんなもの、最悪潰れたままになろうとも、最終的には整形手術でどうとでもなる。
置いてきたパワードスーツも、後で土御門財閥から足が付かぬよう根回しした下請けにでも回収させればいい。
そう悪だくみをしているうちに、普応は合流地点になんなく到着し、歓喜に身が震える。
「くくく…………!」
笑いが止まらない。
今後、普応は誰もが成し遂げられなかった任務を成し遂げた功績として手に余る褒賞と地位が約束される。
少なく見積もっても、A+の地位に着く事になるのだ。
そして、A+まで上り詰めれば此方のもの。なにせ、もう降格することは無くなる。一生を遊んで暮らすこともできるし、自身より上――――十二神将以外の命令は聞く必要がほとんどない。
だって、任務の最終目標。逆神様の権能の真意と有無。そして面を割ったのだ。ノルマはクリアした。
安部英菰を殺せなかったのは残念だが、これから巻き起こる土御門財閥との戦いの中で息絶える事は必至。自分の手で殺したければ英菰だけ生け捕りにして、愉しめばいい。
そう。普応の仕事は終わった。あんな理外のアランカヌイの相手は、普応には手に余る。それこそ十二神将の仕事――――
「――――あぁそういえば…………一人減ったんでしたね…………ククク。おや、もしかして、私がその座に推薦されるかも、それは、面倒ですね、あははは」
「もし?…………随分と嬉しそうやねぇ」
普応の背後からはんなりとした声がかかった。
「は…………?」
彼女は今、三車線を誇る大きな国道の傍――――歩道にいるのだから、他にも人が往来していてもおかしくはない。
だが…………。と、普応は思う。
自分で言うのもなんだが、人目もはばからず声を出し笑っている人間に喋りかけるとは、なかなかに肝が据わっている。
どんな思考回路をしているのか。と、普応は興味がわき、今の嬉々とした感情も相まって、ゆったりと振り返り、はんなりとした声の人物を見た。
そこに居たのは絶世の美女。同性であるはずの普応ですら姿を見た時、仄かに頬が上気する程の尊顔。
黄色い瞳が爛々と光る。腰まである濡れ烏色の髪を、魔性の着物姿に流している。
情欲を掻き立てる佇まいが雨に濡れていた。そのせいか、水も滴るいい女。普応はそう思ってしまった。
――――ありえない。こんな感情はっ
普応は無意識に己の心臓の位置を強く掴んでいた
見ず知らずの人物に対し、情欲を掻き立てられるなど、好意に近しい気持ちを刺激されるなど、普応からすればあってはならない愚行に他ならない。
だが、普応の信条とは裏腹に、視線は彼女から動かせない。心臓が鼓膜の裏で鳴り響いている。
その時の普応はまるで恋をする乙女のようで、つまりはもう、普応は魅入られ始めているということ。
「…………あなたは?」
ゆえに、恐る恐る、普応は聞いた。
「ふふ…………なぁんや、やっぱり知らないんやねぇうちの顔、ほぉら、あん先生から聞いてないん?」
普応は、まさか…………。と、思い至った。次の瞬間、全身から脂汗がぶわりと噴き出す。
小山ゆかりが言っていた、魔性のアランカヌイ。だが、これ程人間に擬態するのが上手いとは聞いていない。これ程禍々しい雰囲気を纏っているとは聞いていない。このランクはどう考えても、今回の『逆神様索敵』任務の『B+』を凌ぐ。
どう少なく見積もっても『U』ランク。それは、『UNKNOWN』の頭文字である。
最低ランク『F』未満と、最高ランク『A』越えに対して付けられる『U』ランク。
最低ランク未満の場合は問題ない。元々便宜上そう決められているだけで、市場でも、それらを『U』とランク付けする事は滅多にないからである。
だがその上で、今、普応の目の前のバケモノは間違いなく、Aを超えるという意味の『U』になるのは明白だった。要はソレが引き起こす、災害規模、事後処理、戦闘能力その全てがUNKNOWN。
したがって、『U』と対峙するのは最低がAランクのハンターからと暗黙の了解がある。もっとも、その場合のAランク以下などは捨て石に等しい。基本は十二神将か、十二神将候補と名高い『A+』ランクが任に着くのが定石。
つまり、今この場における普応とは、例えるならば、汚物をつつくための長い棒のような役割でしかない。
「ああ、せやせや…………そん顔分かったみたいやなぁ」
次元が違うのだ。
その魔性が垂れ流す気配、魔力そのどれも、普応の知っているどれとも違う。比較にならない。
濃厚で、むせ返るような悪意の本流。闇の盟主といっても過言ではない邪な眼差し。
「あなたは、でも、アランカヌイなのですか…………」
それ以外に在るわけがないのに、あろうことか、普応は相手が人間の可能性を捨てきれていなかった。それ程に人間への擬態が上手く、求心力があり、魅力的で、敵対したくないとさえ思わせる魔性を兼ね備えた者。
だからこそ、普応の本能は必死に訴えかけていた。この女はまずい。絶対に相対してはいけない化物の中のバケモノであると。しかし、
「ふふ…………うちの『式神』はんがなぁ…………ご立腹なんよぉ…………けじめつけてくらはるやろ?…………」
既に、普応が声を発するより早く、辺り一帯が暗夜の帳に包まれていた。
「なんだここは!?」
四肢の感覚はある。口も開くし喋れる。耳も聞こえる。異臭もしない。
ただ、真黒。何も見えない。見えていないのか、見えた上で黒なのか。普応にはわからない。
「これじゃぁ…………あんたはんの顔見えへんなぁ…………せや、『黒』。てっぺんだけ、開けてぇな」
声に従い、一筋の光が、上から差し込んだ。
しかし、それだけ。そこに光はあるが、それが周りに拡散しない。ずっと黒と白。モノクロ。陰と陽。ただし、その陽光はひどくひどくか細く、勢力図は闇に傾いている。まさにお情けと言った仄かな光。
すると、光の下へ、ぬぅっと頭が浮かんだ。それはそのまま全体像を表していく。
日本人にしては珍しい茶髪の少年。
平均よりは高い身長。
朗らかな瞳は今、じっ。と、普応を見ている。
「な、んでお前が、お前の首は………体も、も…燃やした…………はず…………」
何度見返しても、気配も、魔力も、学校に潜伏中確認した彼本人のもの。
十二神将が一人――――北東悠馬がこちらを見据えている。
「さて、ここからは鬼門の時間だ」
「ひっ」
普応には戦う意思がまるでわかなかった。戦う前から分かりきっている。だって勝てる筈がない。相手は十二神将が一人。土御門において最強の称号を持つ男。要は、正面切って戦えるのであれば、もとよりそうしていた。
実際、北東悠馬は甘ちゃんであると話を聞いていたから、人質を使ってダメもとで消しかけたのだ。殺すとはいかないまでも、首尾よく行けばこの任務からは遠ざける事が出来るだろうと。
果たして、それは叶った。驚くほどうまくいき、北東悠馬は死んだはずだった。
それに伴い今、『西』にそびえる土御門総本山――――土御門京都本社も、連絡が途絶えていた。だから尚の事『死』を確信した。そして、普応は強欲にも二次被害として、土御門総本山も封印解き放たれし玉藻の前に殺されてくれれば上出来。そういう風にも考えていた。
なのに、その魂胆は呆気なく崩れ去った。いやむしろ今はその逆だ。
「死にもせず、未知のアランカヌイを連れている…………ま、さか…………人間を、土御門を裏切ったのですかっ」
普応は悠馬の事を、英菰のように蘇ったとは思えなかった。そもそものところ、今の彼は人間であるのかさえ疑問に思う始末。
だから目の前の、ナニかへ向けて普応は私の言っている意味が分かるか…………そう戦々恐々としながら悠馬に問うた。
「いいや、俺は土御門に籍を置いたままだ。そうだろう?主」
「ああ、せやなぁ…………三年前に初めて会うた時から…………悠馬はんはなぁんも変わりあらへん…………」
恋人のような、ともすれば姉弟のような悠馬とはんなりとした女性の気楽なやり取りを聞いた普応は、己が頭の回転を恨むことになる。
「さ、三年まえ…………ですって?」
普応は戦慄したのだ。
三年前。そして、北東悠馬。それらが結びつくとしたら一つしかない。つまりはあの傾国の化け物、大化生玉藻の前のことである。
土御門に籍を置いているだけだったちっぽけな少年を『英雄』にまで押し上げた功績。
玉藻の前の復活――――『殺生大割石』。歴戦の十二神将をして敵わない、認めざるを得ないとまで言わしめた活躍。
しかし、だが、そうであればこそ、つじつまが合わないと普応は叫ぶのだ
「で、でたらめを言うな。北東悠馬が死ぬ前からそのアランカヌイは存在していたはずだっ!」
そう。土御門にはこう伝わっている。
北東悠馬は己が命を持って玉藻の前を鎮め石へと封印せしめた、と。
そして、現在その鎮め石は土御門京都総本山へと奉られているはず。そう普応は記憶している。そのはずなのに…………と、歯ぎしりをした。だって、普応と悠馬。どちらが本当のことを言っているのかなど、目の前のはんなりとした女性を見れば一目瞭然。
「ふふふ…………そう玉藻の前は…………三年前のあの日に封印されたんよ。せやからうちは、玉藻の前やのうて、『白皙』いいます。今後ともよろしゅう。ちなみに言うとぉ…………あの日からずぅっと、悠馬はんは、うちのかわいぃかわいぃ式神や…………」
信じたくはないがやはりそうなのだな。普応の瞳は、悠馬にそう訴えかけた。
対して悠馬はそんな普応を嘲笑に伏した。
その有様に、人間を見下すような冷めた視線を受け、普応は、北東悠馬という人間がこの白皙と名乗るアランカヌイに魅入られたのだと確信した。
「…………なんて、禍々しいことを…………」
白皙の話が本当ならば、三年前のあの日から封印なんてされていなかった。と、普応は愕然と理解した。
だって、あの傾国の大化生玉藻の前に降った――――『式神』となった訳なのだから。
北東悠馬は土御門財閥を裏切っていた。いやそれどころか、人類に対する反逆に等しい行為。
悪徳の限りを貪っていたのだろう。
「その化け物と主従の契約をっ、それも己の方が式神へ降るなど正気ですかっ…………よくそれで十二神将だなんだとのたまえたものです。乱心したか北東悠馬!」
「どの口が言う。さんざん、俺の友達を嬲ってくれたくせに。いくつ掟を破ったのか数えているか。いや、そもそものところ、俺を殺して玉藻の前が復活した場合、お前は西も――――土御門総本山も殺すつもりでいたのだろうっ!」
それまで穏やかだった悠馬の気配が一変した。
そして、悠馬の気迫、闘気が、普応の息を文字通り止めにかかる。
「…………っ!?…………っっ!!…………っ!!!」
苦しむ普応を見て、あろうことか、同胞であるはずの悠馬でなく、天敵である、アランカヌイであるはずの白皙の方が、悠馬に寄り添い、その気迫を優しく諫めた。
「…………あきまへんよ、悠馬はん。気持ち抑えんと…………」
既に普応は喉を抑え、必死に息を吸おうとしている。生きようとしている。
「…………遊ぶ前にぃ死んでまうよ…………」
白皙が、そっと普応の喉に手を触れた、
「…………がぁあっはぁ!はぁはぁはぁ…………!」
瞬間詰め物が取れたかのように息を吹き返す。
肩で荒く息をする普応は、喉を抑えながら、過呼吸になりながらも、化け物が二人いると思った。
対峙しただけで、息の根を止める魔力の憤り。それを真横で受けて、平然としている大化生。
ここは人外魔境だ。現世に生まれた極小の地獄だ。と、おののき、歯がガチガチと鳴った。
「わ、私に何を望んでいるのですかっ」
気付けば、もはや土下座をする格好で普応は言っていた。
恐ろしさで、顔を向けられない。
それは、意図せず頭を垂れて許しを乞う姿。それは、最も普応が嫌悪する悪徳の記憶。
「大したことじゃない。白。」
「はぁいはい…………急かさんどいてゃ…………」
有無を言わさず、白皙が己の腕を、普応の口へと突っ込んだ。
顎が外れるのではという衝撃と、喉の奥を超え、気管支より先へと入って来る腕の異物感。
拷問だと思った。吐きたいのに吐けない。息をしたいのに息が出来ない。もう、意識が途絶える…………そう白目をむきかけた時、
「よっと、ええよぉ悠馬はん。これでこん娘はもう、うちには逆らえん…………」
ずるりと腕が引き抜かれ、普応はようやく解放される。それでも抜けきらない異物感にしばらくの間えずき、潰れた鼻からはまた鼻血が垂れた。視界がかすむところを見るに、知らず知らずのうちに涙も流していたらしい。
「げっほ…………うぉえ!わ、私な、何をしたんですか…………」
「ちぃっとばっか、呪いを刻んだんよ、あんたさんの胃ぃにね…………おもちゃの完成やなぁ…………ふふ…………」
おもちゃ。その単語がまた普応の苦い記憶を呼び覚ます。反射的に「と、とって下さいっ」と懇願するも、白皙は満面の笑みを浮かべ、「ぃ~や」と、その願いを無下にした。
そして、白皙は普応のあごをクイッと摘まみ上げると、妖しい黄色い瞳を薄く細く引き伸ばして言う。
「あぁもう生かすも殺すもうち次第…………さぁてどう遊ぼか、せや、今は『麻酔』言うんもあるんやったなぁ、ほんなら自分で自分の心臓掴んでみはる?あったかいんよぉ。とくんとくん。て、拍子打ってんねゃ、あぁでも…………腹裂くと案外臓物臭いんよなぁ。じゃぁ、魚の餌にしてみよかぁ、あれ、い~ぃ声で鳴くんよ。特に、塩水でやるとなぁ、傷が染みるんやてぇ。他には趣向を変えて…………太らしてから三枚におろそかぁ?そんで、久々に酒池肉林と洒落込むんも一興かもしらんねぇ…………」
普応の眼前にある白皙は、本当に楽しそうに頬を上気させ、口をこれでもかとゆがめ、よだれすら垂らして今後を口にした。その姿はまるでゲームソフトを買ってもらった幼児のようで、邪気をまき散らし、最悪な未来へと思いをはせていた。
対して、
「は、はは…………」
普応は絶望した。もう乾いた笑いしかでなかった。
また、またあの昔のように、誰かの下に就くのかと。誰かの顔色を窺って生きていかなければいけないのかと…………。いいや、奇跡などないのだから、こうなることなど、この二人に魅入られた時に、暗夜に捕らわれた時には、決まっていたのだろう。
でも、普応は耐えられず、気付けば、口も半開きに涙が止まらなかった。
「ふふ、ああええなぁそん顔…………それやそれ…………いぃ~い顔。人間さんが絶望に堕ちる顔。狩る側が狩られる側だと気付いた顔ぉ…………ふふあぁははははっ傑作やて!!!」
嬉しそうに白皙は笑った。その姿は名前の真逆の印象を抱く。黒く、どす黒く、漆黒に他人の負を喰らう悪食の女である。
しかし、そんな楽しそうな主人を横目に見ていた悠馬は、臆する事も無く「水を差して悪いけど」とさらりと割り込んで見せた。
「…………白。君、あの状態の英菰をどうやって治したんだ」
問われた白皙は、「…………あんらぁ見えてたん?」そう言って、悪戯に笑みを浮かべ、流し目で悠馬を見た。
「君が見せたんだろう大方、俺の苦痛の顔が見たくてだろうけど」
「ふふ慣れたもんやねぇ…………腹立ったかぇ?」
「いいや、今に始まった事じゃない。君の事は信用も信頼もしている。だから今回、俺は君に任せて、死んでたわけだし」
言われた白皙はすうっと動いた。そして、悠馬の背後から抱き着くように首元へ腕を回し、その絶世の顔を悠馬の顔の隣へと出した。
耳打ちをするためだ。
けれど、話を始める前に、白皙は悠馬の感触を楽しむように頬すりをし、温い吐息を吹きける。ともすれば、その茶髪を愛おしそうに撫でつけ、慈愛を持って見つめていた。
これでは主人がどちらか分からなくなる程に、白皙は存分に悠馬に甘えた後、ようやく口を開いた。
「ふふ…………実はなぁ、英菰はん。治したんうちとちゃうんよ…………」
「どういうこと?」
「ほんまはなぁ…………あのお嬢ちゃんにも呪い刻んで式神にしよ思てたんよ。そうすれば、ずぅっと一緒に居られる、悠馬はん喜んでくれるやろなぁ思て…………」
「それは、英菰次第だけど…………でもしなかったと?」
「いんや…………うちより先に、小鳥遊通利はん言うんが奇怪な術で治したんよ…………敵意はなさそうやったけども、気ぃつけぇ…………」
「通利が…………?」
言った後、悠馬は考えるそぶりを見せたが、すぐ「…………わかった。ありがとう。」と、悠馬も愛おしそうに己が首に巻き付いている白皙の手を優しく撫で、話を切り上げた。
瞬間、白皙はその全身を揺らし、歓喜に震える様子を見せる。
普応はその有様をこれでもかと見せつけられ、我慢ならないと遂に口を開いた。
「わたし、は…………これからどうなるんですか…………」
消え入りそうな声が、悠馬と白皙の意識を引いた。
白皙は後は煮るも焼くも好きにしろと、眉をあげ、悠馬を挑発した。
「…………赤林普応。お前には今後、俺からの三つの願いを聞いてもらう」
「それは…………」
「まだ決めていない。でも、決まり次第お前を使う。その上で、三つ願いを聞いてもらった暁には、お前を解放する」
「ほ、本当ですかっ」
「悠馬はん…………甘いなあ…………うち虫歯になりそうやぁ…………」
「いいんだよ、一応誰も死んでいない。」
「自分も勘定にいれんとあかんよ…………?」
「ぅ、分かってる。それに、コイツの役は必要だった。そうしないと、榊信也と女乃上世津の人柄を知る事が出来なかった。それに…………ニシのためにもならない」
「ほぉんま…………過保護やねぇ…………」
また、二人の世界へと入られては溜まったものではない。
普応は、また意を決して二人の仲を引き裂くように問う。
「あ、あの、私はこれからどうすれば…………土御門へ戻ってもいいので?」
「掃除が済めば。『黒』」
「そ、掃除とは――――」
――――暗夜の帳が普応を包んだ。
体中をまさぐられる。
体の外はもちろん体の中側も全て。すみずみまで、万遍なく、余すところなく。
「ぁ!!!が????」
「…………安心しろ。呪いがないか調べてるだけだ。今日中に終わる。おまけも付けておいてやるよ。ただし、ニシと英菰を嬲った分…………怯えて眠れ、最低の悪夢を見ろ糞やろうが…………」
「ほぉんまに…………優しいなぁ…………いつか飼い犬に手かまれても知らんよ?」
「大丈夫。その時は君が助けてくれるだろう?」
そう言った時、暗夜の帳が開けた。帳は形を持ちはじめ、最終的にはノワールへと成り、その形状が定まった。しかし、普応の姿はない。ノワールの中で、未だ耐えがたいまさぐりを受け続けている。
外は未だ、雨が降り続いているが、いつの間にやらか、白皙が番傘をさしてくれているため、濡れはしなかった。
「ふふふ…………ままええよ。その顔が苦痛に歪んだそん後に…………やけど…………」
「ありがたい。さ、スマホ返してくれる…………って何その腕」
「ふふ、左振袖ん中はいってるさかい、自分でとってぇな」
悠馬は、おそるおそる、白皙の振袖の中へと自身の腕を滑り込ませる。
途中、白皙の左腕がいたずらに指を這わせたり、袖の奥へと引っ張ってきたりしたが、なんとかスマホを取って、抜け出すことに成功した。
「まったく、君は悪戯が好きだなほんとに」
「そら、お狐様やからねぇ、人間さんは騙くらかしてなんぼやろ…………わん。ってなぁ…………」
「狐ならコンだろ」
「あら…………知らへんのぉ?…………お狐様の鳴き声は…………わん。やよ?」
「え、そうなの?マジ?え、また嘘?」
「本当と書いて、まぁじ…………」
「…………そ、そんな…………少し凹む」
白皙はここにきて、初めて眉をひそめて申し訳なさそうにした。
彼女にからかうつもりは毛頭なく、なんなら親切心で真実を教えたつもりだったのだが、悠馬の狼狽えはなかなかに本気のようで、居た堪れなく、「…………こんこん」と、狐のまねで慰める。
「ありがと…………でも、もう遅いんだその呪いは俺の中で一生残り続けるんだ」
「…………なんかえらい悪いことしてもうたなぁ…………堪忍なぁ…………」
「ううん、いいよ。」と、少し涙目になった悠馬は、スマホの画面を確認する。電波障害は直っている。そして、登録している番号へと電話した。
「もしもし、ニシ?」
『おう、悠馬か。終わったのか』
「ああ、終わった」
悠馬は親友へ事後報告を短く伝えると、今度は英菰の中世的な声が悠馬を呼びつけた。
『ちょっと!悠馬!なんであの性悪狐と一緒にいるのよ!?説明しろ!」
「あー帰ったらするよ。その前に女乃上さんに代わってくれる」
…………くそ、せっちゃん!。と、スピーカーから不服そうな声がした直後、
『…………悠馬君』
「女乃上さん、今回の件で、君と榊信也の人となりが分かった。だから安心してほしい。」
『うん、ありがとう』
「最後に信也さんにも変わってもらえる?そしたら、俺少しの間、公欠するから。あ、そうだ!小山ゆかり先生にも俺は生きてるから、早まって自主とかそういうことしないように伝えておいて」
『わかった。信也君――――』
『――――もしもし、信也です。北東君まさか、君が土御門だったなんてね』
「こっちのセリフですよ。まさかあなたが逆神様だったなんて、世間は狭いですね」
『ほんとだね…………西臣君から聞いたんだ。厚かましいけれど…………頼ってもいいのかな?』
「ええ、任せてください。たまには権力を振り回しておかないと、威厳が無くなってしまうので。安心してください」
『ありがとう』
「…………どう、いたしまして」
悠馬は電話を切り、また、とある場所へと電話をかけ始めた。それは、アポイトメントを取るためだ。
通話表示をタップし、耳に当てる。番傘が奏でる拍手の音を退け、コール音が三回、悠馬の鼓膜を打った後、
『お電話ありがとうございます。土御門総合案内担当。田村が承ります――――』
「――――土御門本社、『外部』上級役員の北東悠馬です。山本弘美との面会を五日後に設けてもらいます」
電話越しの相手が息を飲んだのが分かった。直後、「少々お待ちください」との声と共に、相手を呼び出しているであろう保留音が悠馬のスピーカーから流れた。
十二神将の役に就いた者は、表の特権も使うため、表用の役職も与えられている。
大体、課長相当に属しているのだが、『外部』と就いている相手には質問をせず速やかに対応する事が土御門内のマニュアルでは決められているのであった。
対して呼びつけた相手は、土御門財閥の東京支社長。いわば東派閥の表側トップである。本来ならば課長職程度の地位では、そのようなぶしつけ通る筈もないのだが、
『大変お待たせいたしました。山本弘美と申します。『英雄殿』…………と、お伺いいたしておりますが、お間違いございませんか?』
東のトップはあっさりとその対話をよしとした。いや、むしろ、そのスピーカー越しの声は緊張すら感じさせる。
「五日後そちらへ向かいます。一日、時間を空けておいてください」
『申し訳ありませんが、その日はメディア露出に加え、先方との会食もありまして、また後日とはいきませ――――』
「――――二言はありません」
『…………承りました』
有無を言わせぬ迫力を持って、悠馬は東京へと赴く。




